出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 コシノ3姉妹[字]
~犬猿の仲!?強烈な個性が衝突…コシノ3姉妹~コシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさんが今日のゲストです。
◇ゲスト
新年最初のゲストは…日本のファッション界を牽引する世界的デザイナー、コシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさんの3姉妹が登場。新年早々強烈な個性のぶつかり合い、いつもと一味違うトークに乞うご期待!
◇番組内容
母はファッションデザイナーの小篠綾子さん。自分たちが物心ついた時にはすでに従業員を抱えた洋装店を切り盛りし、娘3人を一人で育てた名物母ちゃん。そんな母に育てられた3人は子どもの時から負けん気が強いという。どんな時も「勝ったモン勝ち」とケンカを止めるどころかけしかけるのが母の教育だった。現在も世界を相手にファッション界で活躍する姉妹が、それぞれの個性で勝負できたのは母の教えのおかげだと口をそろえる。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- デザイナー
- ハハハハ
- 黄色
- 子供
- 全部
- 着物
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
皆様 あけまして
おめでとうございます。
『徹子の部屋』でございます。
今年 『徹子の部屋』は
47年目に突入致します。
これも いつも見てくださる
皆様のおかげと
本当に感謝致しております。
いくら47年やっても
やはり
難しい事もございますけれども
できるだけ 皆様が楽しいと
面白いとお思いになるように
一生懸命やっていきますので
よろしくお願い申し上げます。
さて 今日は非常に
にぎやかなお客様に
おいで頂いています。
今日は新年にふさわしい
3姉妹においで頂きました。
じゃあ ご紹介致しましょう。
一番右から
長女のコシノヒロコさんです。
こんにちは。 ヒロコでございます。
どうも。
そして 真ん中が
次女のコシノジュンコさん。
はい。 ジュンコでございます。
今日は珍しく和服で…。
そうですね。 お正月で。
はい。
で 三女のコシノミチコさん。
よろしくお願いします。
どうも こんにちは。
皆さん 全員が
世界的ファッションデザイナーとして
ご活躍という3姉妹も
すごいなと思うんだけども。
これは…。
これ 全部が一緒に… 偶然
お母様もいらっしゃったのね。
初めて3姉妹と
お母ちゃんのために…。
すごい。
撮りました。
お母様も
デザイナーだったんだけども
3姉妹もデザイナーという
ものすごい家系で。
で お母ちゃんも
ご自分のブランドを
お持ちになっていて
それで こちらにも
来て頂きました。
さて ヒロコさんから
今日のお召し物のポイントを何か。
私 布から作ったりするのが
好きなんで
テキスタイルデザインも含めて。
今日は ちょっとシンプルな…。
革のスパンコールというか…。
そうです。 キラキラしてる…。
それを全体にくっ付けた
シンプルなドレスで
ちょっと大人っぽく
少し してみようかなと思って。
なるほど。
ワンピースですね。
じゃあ そのネックレスも
全部 ご自分…。
そうですね。 はい。
で もう 靴下と…
ストッキングと靴は
ちょっとロッカーをしております。
フフフフ…。
すごい奇麗 でもね。
フフフフ…。
ジュンコさんは 今日
珍しく和服でいらっしゃいました。
そうですね。 久々の…
お着物を着させて頂きました。
これ オリジナルなんですけど
もう10年ぐらい前に
デザインしたものなんですけど。
あっ そうなの。
ええ。 着物って
古くならないですね
流行で作らないし。
お正月にふさわしいかなと思って。
柳です。
柳の模様なの?
お袖 ちょっと見せて。 模様。
これ 中振っていいまして
ちょっと長め…
普通よりも長めですね。
徹子さんのお振り袖…。
私は振り袖ですけども。
これ 長いですけど。
ミチコさんは お召し物は?
着物 持ってません。
フフフフ…。
よろしいと思いますけど。
すいません。
私は これ 空気の服なんです。
ん?
空気を膨らませる…。
空気。 うん。
入れてみたら?
それで…。
ちょっと待ってよ…。
フフフフ…。
空気を入れるのが
ミチコのデザインのね…。
自分で膨らませるからね
こうやって。
すごいでしょ? 皆さん。
飛行機じゃないんだけども…。
あっ 膨らんでる 膨らんでる。
膨らんでますね。
暑くても
それぐらいやんなきゃ駄目よ。
フフフ。 お姉さんたち うるさい。
そうそうそう。 うるさいんです。
普段 お会いになって
ケンカする事なんかないの?
まあ このところはね ないですね。
うん。
若い時は よくやりましたけどね。
ミチコさん 笑ってる。
えっ? いや 子供の頃はね。
同時にしゃべるから…。
ちょっと黙ってくれる?
フフフフ…。
色々 私自身のお姉ちゃんに対する
秘密がありまして。
朝早く みんな お母ちゃん
着物 着せてくれるんですね。
それで… 1月1日の
もう
恒例なんですけども
奇麗に着物を
着せてもらったあと
ジュンコ姉ちゃんが
「去年の恨み 晴らすよ」って
言うてね
「来るか?」って言うんですよ。
ほんで ヒロコ姉ちゃんも
「行くよ」って言うて。
それで ワーッと
2人でケンカし始めるの。
それで バンバン着物のお袖が取れ
こっち お袖 取れ
こっち側も めちゃくちゃに…。
本当?
ちょうど着せもらったすぐ
って感じで始まるわけ。
ビリビリになっちゃうの?
ビリビリになっちゃう。
全部 取れてしまうんですよ
この帯… 袖も。
ヒロコさん
ビリビリとおっしゃるけど
本当にビリビリになっちゃうの?
そうですよね。
せっかく 晴れ着
着せてもらって
喜んでる時…。
でも そういう事
もう お構いなしに
もう本当に ケンカ
しちゃうんですね。
大体 ケンカを売ってくるんですよ
この人が。
ジュンコさんが?
いや 全部ウソです。
えっ? 全部ウソ?
はい。
何がウソ?
いや 大げさです。
もうね 『カーネーション』で
だんだん大げさになって
それが
当たり前になっちゃったんですよ。
いや 事実は違います。
事実は どうなの?
事実は もうちょっとすごいかな。
もうちょっとすごいね。
いや 本当…。
あのね 私がバンッて蹴るでしょ。
わざわざ病院に行くんですよ。
おなか痛い…。
そればっかり言う この人。
口が間に合わないんです。
こちら 口が達者だから。
私は すぐに… 弱々しいから
この人よりも私の方が ちょっと
小さかったんですよ 細くて。
この子は まるまると健康優良児。
だから ケンカをしたら
絶対負けるんですよ。
負けるんだけれども この人
また ケンカを売ってくるわけ。
だから 私は負けないように
頑張るんですよ。
そうすると 大変な事なっちゃう。
ちょっと大げさなんです。
フフフフ…。
ちょっとだけど
「あっ 痛い」とか言って。
フフフフ…。
ハハハハ…。
なんか お正月に3姉妹で
食べたお餅の数でも
競争したんですって?
誰が一番たくさん食べて…。
ジュンコが一番多いですよ。
8個とかね。 何個かわかんない。
昔 ほら 丸…。
丸餅?
丸餅なの?
そうそうそう。
白いお雑煮で丸餅ですね。
岸和田は。
よく お餅つきを
するんですけど
うち 商店街でしょ?
商店街の道でやるんですよ 外で。
道路で。
今から考えたら変ですよね。
まあ 子供の頃 そうやって
お正月にね
着物 ビリビリ破けても
取っ組み合いのケンカしてる時
お母ちゃんは どうしてたの?
全然入らないです。
もう勝ったもんが勝ちやって感じ。
フフフ。 すごい。
ほったらかしです。
あっ そう。
父親がいないので
どっちかって
うちのお母ちゃんは
父親って感じでしたね。
そうよね。
父親代わりっていうかね。
そうですね。
で 黙って見てるの?
あなた方 ケンカしてるの。
そうそうそう。
止めもしなければ
注意もしなければ…。
あっ そう。
それが
母の特別な教育方法
だという事ですよね。
今になって考えれば
やっぱり
母に対しては
これは すごい教育方法だなって
今 思いますね。
まあ 岸和田の名物母ちゃんで
洋裁店を…
コシノ洋裁店を昭和9年に
お始めに…。
あっ ここ。
ちょっと見て頂きます。
元々 呉服屋さんですね。
あそこに書いてある。
元々 呉服屋なんですよ。
元々 呉服屋さんだったの。
へえー。
この写真に
父が左から2番目にいますね。
ああ ちょっとチョッキみたいな
ベストをお召しになった方。
一番右が母ですね。
あっ そう。
あっ すごい。
で ここ 私が
陰で横から顔出してんのが…。
ジュンコが前に出てきて
この辺が 姉妹の性格が
そのまま出てんじゃないかな…。
なるほどね。
ジュンコの真後ろが私です。
あっ そうなの。
真後ろ… ジュンコが
いつもバンッていくんで。
もう この際 言わなきゃって
感じでしょ。
これ みんな 岸和田のだんじりを
見てるんです。
あっ だんじり見てるとこ。
うわー すごい。
それで 一番前… ジュンコさん。
お祭りあっての岸和田だし。
お母ちゃんは『徹子の部屋』に
出てくださっています。
ああ そうです。
88歳の時です。
ああー。
ちょっと ご覧ください。
「お嬢さん3人が
世界的なデザイナーって
いうのもね 本当に
すごいんですけど」
「まず 長女のヒロコさん」
「ヒロコの方はね
父や母がおりましたから
優雅に育ったんですよ」
「おじい様 おばあ様が
いらっしゃって」
「ジュンコさんは?」
「ジュンコはね それを見ててね
やけるっていうのか
ジェラシーっていうのかね
非常に気の荒い…
本当に なんか
ケンカっぽい子供に
なりましてね」
「それが 今は個性なんですよ」
「では お母様 どっちかと言えば
ジュンコさんと ご自分が
似てらっしゃると
思ってらっしゃるんですって?」
「もう 私そっくりなんですよ」
「体つきまで そっくりで。
本人 嘆いてますけどね」
「ジュンコさん? それで
ミチコさんは どんなふうな?」
「ミチコは もう
スポーツマンでして」
「なんでも もう 本当に
安いもんで…」
「運動量のあるもんで。
みんなが安く買えるもんを
この子 望んで
あないなったんですよ」
「あっ そうで…。 小さい時から
やっぱり そういうふうに…」
「そう」
「お姉さん 2人いて…」
「セコハン娘っていうんですか?」
「ん?」
「セコハン娘っていうんですか?」
「セコハン娘?」
「古ばっかり着せてあって…」
「あっ 上の2人のお姉さんの
お古ばっかり着てたんで…」
「お古ばっかり… はい」
「セコハン娘」
「そうなんです」
フフフフ…。
そうなの? ミチコさん。
私たち2人に
おそろいに作ってくれるんですよ。
そう。 いつも2人一緒。
その2つ余って 下にいくでしょ。
ずっと古着ですね。
私 小さい時…
私 今
ものすごい大きくなったけど
小さかったんですよ 普通より。
お姉ちゃんの
お古を着せてもらうと
コートが こんだけ…
これぐらい…。
余っちゃう。
お身上げしないといけないのね。
それで 小学校行って
帰ってくる時
全部 落ちるわけ。
それで ぞろぞろぞろっと引いて
帰ってくるの いつも。
だから 自分で裾を上げるのが
上手になったんですって?
自分で上げました。
フフフ。
一度ね…。
そうそう。 2人で
同じ洋服を作ってもらって
それがね すごく派手な…。
真っ黄色のね。
若草山に行ったんですよ。
で 黄色いね…。
ああいう真っ黄色のドレスに…。
そうそう。 あれ。
麻のドレスに
ヒマワリのアップリケが
ドカッて ここに…。
アップリケが黒いの。
結構 斬新でしょ?
うん。 すごいよ。
この子がね
迷子になったんですよ。
ジュンコさんが?
で うちのお母ちゃんがね
「真っ黄色に
こんなヒマワリの真っ黒な…
ひっつけた子 見ませんか?」って
言ったら
「あそこでおったわ」って
いっぺんにわかった。
ハハハ。 すごい。
そう。 だから
同じでよかったやろみたいな。
本当 それも忘れられないですね。
で お母ちゃん
「同じでよかったやろ?」って
言ったの?
そうそうそう。 うちではね
下着から なんでも
家で作ったんです。
お母様が作ってくださるの?
そうです。
すごいわね。
いや うちの母は作らない。
お縫い子さんとかいるから
作るんだけども。
なんかね 外で買うっていう感覚
なかったね。
大人になってから…。
ミチコさんは
その点 どうですか?
私 あの黄色の服
回ってきませんでした。
ハハハハ…。 どうしたんだろう?
全然 それ… 私 着てない あれ。
あっ 着てない。 ああー。
その代わり 1着だけ…。
生まれて初めて1着だけ
ドレス作ってもらったんです。
もう あれは一番最初で
一番終わりみたいな…。
何色の?
ピアノの会っていうのがあって。
それで 別に どうって…
弾ける事ないんだけど
一応 会だったんです。
それで ちょっと
薄紫のドレス 作ってもらって。
それが もう 私…
自分の宝のようにして。
あっ そうですか。
初めて作ってもらった…。
いいじゃない。
で ミチコさんの子守を
長女のヒロコさんがしてた?
ミチコってね 赤ちゃんの時ね
とっても可愛かったんですよ
お人形さんみたいに。
もうね 写真で…
ほら 見てください
あの可愛いの。
本当 可愛いわね。
私はね この子をね 連れてね
小学校に行くんです。
お人形さんみたいだから
お友達に見せたくて。
そしてね 先生に
「学校に子供なんか
連れてきたらあかんよ」
「赤ちゃんなんか
連れてきたらあかんよ」って
言われるんだけど
それを また
机の上にポンと置いて
それで勉強してるんです。
すごい面白い。
泣かないの? それで。
泣かないの。
それでね 私がおむつ替えたり。
まあ 言ってみれば
ミルク飲み人形のおむつ
替えてるような感覚で。
とにかく もう 本当に
おもちゃのように
可愛くて可愛くて仕方がない。
フフフフ…。 可愛かったの?
今 駄目になったんですよ。
今 駄目になったの?
親戚のおばちゃんが
「ミッちゃん 落ちたな」って…。
ハハハハ…。
赤ちゃんの時 可愛かったの?
それがね
ちょっと 大きくてなって
近くのおばちゃんが来たらね
「ミッちゃん?」
「あんた ミッちゃん?」って
言うんですよ。
「ええー? 落ちたな」って
言うんですよ。
ほんで 「うん。 おばちゃん
落ちたん?」って…。
「落ちたん?」っていう言葉
わからへん… 「落ちたん?」って。
そうよね。 フフフフ…。
おかしいね。
でも ミチコさんは学生時代に
テニスで
優勝なすったんですって?
はい。
すごい。
すごいんですよ テニスじゃ…。
学生チャンピオンだもんね。
テニスばっかりして。
その時も お母ちゃん
反応ありました?
本当は そのね
テニスを…
とにかく運動しようと…
テニスに没頭しようと
思った理由は
姉たちも
絵を習いに行かせたり…。
私は ほとんど
なんにも構ってくれなかったから
なんか1つ 絶対 お母ちゃんの
アテンションを取りたいというて
これしかないわって感じで。
それで すごい
テニスにばっかり打ち込んで。
それで 優勝した時に
お母ちゃんに電話したんですよ。
そしたら…
「お母ちゃん
優勝したよ」って
言ったら
お母ちゃん
全然 返事来ないんですよ
プツンって。
通じてへんかな? と思ったら
「あんた それより
どこでいるん?」
「はよ帰っちょいで」。
フフフフ…。
「はよ帰って」…。
今でも テニス うまい?
全然 興味ないです。
フフ…。 ないの?
全然 興味ない。
あと 皆さんは
スポーツは なさらない?
私はゴルフやってます。
あっ ゴルフ。 ふーん。
ジュンコもゴルフね。
まあね。
私 卓球。 フフフフ…。
あなた 卓球 有名よね。
そうそう。 卓球。
なんか どこか行った時
あなた 卓球やってたじゃない。
そうそう そうそう…。
旅館でやろ?
旅館の…。
旅館の。
ここだって やるわよ。
どこだって やるわよ。
いや 高校1年生の時
卓球部だったんですよ。
その話をしたら
「また やろう」ってなって。
そこから始まって プロについて。
プロについたの? でも。 ふーん。
私 あんまり運動は駄目だけど
長唄のお三味線を
子供の時から ずっと…。
それ また 随分…。
お母ちゃんがやらせたの?
お母ちゃんがやりたいって言って
やって 「こんな難しいもん…
あんた やんなさい」って言って
私に押しつけられて。
で いまだに その長唄のお三味線
続いてるんです。
うちの家にね
お師匠さんが いつも来て
お三味線を
教えに来てたんですよね。
もう逃げられないんですよ。
ジュンコ姉ちゃん
何もせえへんかったよね?
違う。 見てるだけ。 聴いてる。
だから それ 反発して
違う方 違う方という事に
なるんですけど。
姉は ずっとやってましたけどね。
私は真面目だから
親の言うとおりに…。
「あんた やりなさい」って言ったら
逃げたくても逃げられない。
フフ。 で ずっと おやりになって
いらっしゃるの? 今でも。
今でも…。
で 浴衣会っていってね…。
浴衣会ね。 私 踊りしてたからな。
えっ 踊り?
これで踊りしてた…。
似合わないったら…。
習わされたというか…。
似合わないったら… 本当に。
踊り 頑張ってたの。
うん。
それで ヒロコ姉ちゃんが三味線
お母ちゃん 唄
私は踊りっていうふうに…。
でもね うちのお母ちゃんは
最後まで 日本舞踊と…。
そうそう。
お唄ね。 長唄。
長唄やってました。
もう 『勧進帳』
最後まで歌えました。
本当に?
『勧進帳』をね
亡くなる前に
仕上げたんですよ。
完璧に。
すごい。
必ず 「私が歌うから
あんたが弾いて」って言って
一生懸命 練習していたのに
それがかなわなくて
亡くなってしまった。
88の米寿の時に
「三番叟」を踊ったんです
お母ちゃんが。
すごい。 フフ。
オシャレ好きのお母様は
ジュンコさんがデザインした
洋服 着てたって?
ほとんど ずっと晩年は… はい。
あっ そう。
それまで 自分で作った洋服
着てたんですけど
なんか 途中から
ずっと私の…。
これ そうですね。
あっ そう。
これが88の米寿の時ですね。
お母ちゃんが
自分のブランドを
作ったんですよね。
それで
ショーやるっていうんで
見に行ったんですよ。
そうすると どれを見ても
ヒロコ風 ジュンコ風
ミチコ風なんですよ。
フフフフ…。
それで 「お母ちゃん。
お母ちゃんのオリジナルって
なんやのん?」って言ったら
「私はオリジナルなんか
あらへんねん」
「あんたらのな ええとこばっかり
もろてんねん」
「これね 親の特権やねん」って。
「誰もできへん事
私がしたってんねんで」って。
これもね 考え方は
すごいなと思った。
そうですよね。
それで ちゃんと それを
いわゆる 年配の人用に
アレンジしてるんですよ。
あっ そうそう。
でも お母様が70ぐらいの時に
「ちょっと ゆっくりしたら?」って
おっしゃったら
「私を殺す気?」って
言ったんだって?
私たち3人 集まってね
「もう そろそろ
ゆっくりしたら?」って。
「私たち お母ちゃんぐらい
面倒見れるわ」って言ったら
怒って怒って。
あんだけ怖いの なかったね。
すごい怖かった。
もう二度と言わないって。
それから 自分で稼いで
自分で全部 使うからって
啖呵 切っちゃいましたよ。
すごいね。
でも 不思議な事に 本当に
何日間か… 約1カ月間
脳梗塞になって
ずっと病院に
入院してたんですけれど。
もう 全然 話もできない。
その時に 私たちの…
ジュンコと私のショーが
そのあと すぐにあったんですね。
で 「お母ちゃん
死ぬのは私たちが
コレクション終わってから
やってな」って言ったら
この子がコレクション終わって
そして 私がコレクション
そのあと
3日のうちにあったんです。
終わった その日に
亡くなったんです。
うわー それ じゃあ すごいわね。
これは もう 親の愛ですよね。
あなたたちのショーは
お母ちゃんは
いつも 一番前で見るんですって?
そうですね 確実に。
必ずね その子の洋服を着て
来るんです。
あっ すごい。
でも コシノ3姉妹の共通点は
母を尊敬するっていうとこ
なんですって?
やっぱり すごかったですね。
人付き合いもいいし…。
親が亡くなってね
全国 色んな所へ行くと
「お母さんに
お世話になりました」って
もう 何人に言われたか。
あっ そう。
何をお世話してたんですか?
っていうぐらい…。
とにかく 人に尽くす事が
自分の やっぱり
喜びである
っていう事ですね。
でも お母ちゃんって
そういう…
お母ちゃんって
私が言うのもおかしいけど。
そういう方でしたよね。
そうなんです。
だから 最後の遺言にね…
「与うるは
受くるよりも幸いなり」ってね
聖書にあるんですけど。
そんな事は
奇麗に言ってないんですよ。
人にね してあげる方が
もらうより よっぽどええで
っていう…。
そうそう そうそう…。
すごい岸和田弁で
言ってるんですけど
でも それが やっぱり
すごい 私たちにとって
本当に いい遺言だなと…。
そりゃそうですよね。
私たちが やはり
母の気持ちを受けてっていうのは
一番 そこですね。
まあ よく飲んで よく遊んで
よくお仕事いっぱいして 元気で。
最高に有意義な
すてきな人生だったと思いますよ。
それで しかも 3姉妹が
みんな それぞれ個性的で
有名になった デザイナーになる
なんていう事は
あんまり この世の中にないですよ
普通ね。
自分と同じ職業を継いでくれた
っていう事になるわけで。
それは すごいと思いますよね。
妹までなると思わなかったね。
フフフフ…。
ハハハハ…。
全然… テニス一本やりで
どうしてできたのか
わからないぐらい。
ミチコさんも デザイナーになると
思わなかった?
なると思わなかったし
テニス優勝して すぐラケット
バンッてあげて みんなに。
で さっさと帰って
お母ちゃん 手伝ってあげるわ
っていう…
そういうとこから始まったんです。
あっ そうなの。 へえー すごい。
でも 環境が環境だから
生まれた時から。
やっぱり 何もお勉強してないって
言いながら
いざとなったら できますよね。
まあね 見てたんだからね。
見てますからね。
やっぱり 私の家 見習いの…
若い中学卒業した人が来た時に
全然 3カ月ぐらい
お使いばっかりなんですよ。
その人たちが3カ月後にね
テーラードを縫ってるの。
それ見てるから 私ら。
そんなん…
ファッションとか洋服って
絶対難しくないんだっていう
頭の中が。 そういう… ずっと…。
できるんだ。
はい お母ちゃん すごいんですよ。
私がロンドンへ行っても 絶対…
「困ってるって知ってるけど
絶対にお金 渡せへんよ」
「その代わり
あなたがコレクションしたの
買ってあげるから」って言って。
それで 随分 可愛いのできて。
それ お母ちゃんに言ったら
「30枚 買ってあげる」って言うの。
ほんで そそくさと送りまして。
そしたらね おかしかったの。
みんな 「こんな可愛いの
もう いくら出しても買う」って
なんか 2日ぐらいでパラパラっと
売れたらしいんですよ。
そしたら 4日後 「すいません。
袖 取れました」って…。
ハハハハ…。
「袖が抜けました」言うて。
もう お母ちゃん
それから 2カ月ぐらい袖…。
直して。
「えらい目に遭うたで
あんた」言うて。
フフフフ…。
私のコレクションの時も
受注会とかするでしょ。
そしたら
一番高いの買ってくれるんです。
やっぱりね。
そこは やっぱり お母ちゃんね。
そうですね。
コレクションでの やっぱり
母の思い出っていうのは 私は
ローマで
コレクションやった時にね
突然ね 会場がね
ストライキだったんですよ。
うちの母は 奇麗なね
ちゃんと晴れ着を着てね
一番いい所に座らせてもらえると
思って来たのに
中でのフィッターさんを
お母ちゃんにやらせちゃったの。
もうグタグタ 汗で。
まあ 本当にね うちの母は
本当に
裏方として最高の人なんですよ。
あっ そうなの。
うん。
ミチコさんは お姉さんたちに
言いたい事がある?
はい。
何? 言いたい事。
こういう機会 頂いてね…。
また しょっちゅう
一緒にご飯食べたいんです
3人で。
仲良くして。
はい。 今日 責任持って…
やりますから 大丈夫です。
どうも ありがとうございました。
ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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