開運!なんでも鑑定団【幕末<超絶偉人>秘宝&<上野駅>アノ絵の宝に衝撃値】[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

開運!なんでも鑑定団【幕末<超絶偉人>秘宝&<上野駅>アノ絵の宝に衝撃値】[字]

■アノ世界遺産&お台場を造った<幕末偉人>秘宝に驚き値■<上野駅の改札上>の壁画…超貴重お宝に衝撃鑑定額■激レア!<ミニカー&懐かし超合金>…おもちゃ鑑定大会■

詳細情報
番組内容
お宝は、江戸時代後期に活躍し、世界遺産となった韮山反射炉や台場の建設を行った偉人のもので、その人物は日本にパンを広めた「パン祖」としても知られている。パン職人だった大叔父はその人物を崇拝しており、お宝を手に入れ、とても大事にしてきた。果してその鑑定結果は?
出演者
【MC】今田耕司 福澤朗
【ゲスト】高橋智隆(ロボットクリエイター)
【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
【出張鑑定】おもちゃ鑑定大会
【出張リポーター】原口あきまさ
【出張コメンテーター】安東弘樹
【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな
鑑定士軍団
中島誠之助(古美術鑑定家)
北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主)
山村浩一(「永善堂画廊」代表取締役社長)
増田孝(愛知東邦大学客員教授)
笠原大(「タックルベリー」エリアマネージャー)
関連情報
【番組公式ホームページ】
www.tv-tokyo.co.jp/kantei/

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
バラエティ – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

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  1. お宝
  2. 英龍
  3. 万円
  4. 自分
  5. パン祖
  6. 上野駅
  7. 猪熊
  8. パン
  9. ルアー
  10. ロボット
  11. 状態
  12. 大事
  13. 非常
  14. アメリカ
  15. イメージ
  16. オープン
  17. お願い
  18. ジャカジャン
  19. デザイン
  20. バンカー

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

< まずは こちらのCMを。

フィヨルドの絶壁に張られた
ロープを登るロボット>

<たった2本で
1, 000mを登り切った>

ゴール!

< このロボットの
生みの親…>

女の子みたい。

<4歳の頃 父の書棚にあった

漫画 『鉄腕アトム』を
読んだのをきっかけに

自分もロボットを作りたいと

石鹸の空き箱や
ブロックを組み合わせ

オリジナルのロボット作りに没頭しました。

しかし 大きくなるにつれ
釣りや車に夢中になり

ロボット熱は下火に>

<同級生には 芸人の
サバンナ 八木真澄さんがおり

ある日 突然…。

とのお誘いが。

もちろん
即お断り
したそうです。

大学卒業後 就職活動で

第1志望の釣り具メーカーに

不採用になったのを機に

改めて

<翌年 晴れて
京都大学工学部に合格。

在学中 足の裏に入れた磁石で

鉄板の上をスムーズに歩く
マグダンを独学で製作すると

この歩行技術で特許を取得。

模型メーカーで商品化もされました。

大学卒業と同時に

ロボット開発会社 ロボ・ガレージを起業。

ただし 会社といっても

社員は 高橋さん ただ一人。

ロボットの設計 デザイン
加工からプログラミングまで

すべて自分で手がけています。

2004年に発表した
クロイノは

アメリカの

<更に 自身も

<今 注目されているのは

よろしくお願いします。

依頼人の登場です!

東京都からお越しの

ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしくどうぞお願いします。

ロボホンだ。

八木ちゃんと一緒やったの?

1年生のときから
同じクラスだったんですよ。

その当時 八木くんよりは
ちょっとおもしろかったくらい。

このロボホンは 電話もできるし。

早速 紹介したいと思います。
いいですか。

かわいいのよ デザインが。
かわいいですね ちっちゃくて。

ルーツが 『鉄腕アトム』にあるんだ
ってのがわかりますよね。

確かに。
電話かけてみますね。

(ロボホンから着信音)

高橋さんから電話だよ。

はいはい。

あっ!
このええ形になるので。

あ~っ 電話のええ形なった!
なるほど。

受話器ですね。
こうやってしゃべっていただくと。

もしもし。
もしもし 聞こえますか?

女性からの電話だと
すっごいいいと思う。

すごい こう話されてる感じ
わかる?

なるほどね。
耳元で。

だから これね オッサンとは
あんまりしゃべりたくないです。

(笑い声)

他に
どういうことができるんですか?

そうですね
踊らせてみましょうか。

「盆踊り踊って」と
言っていただいたら。

盆踊り踊って。

なんで嫌?
これもかわいいんですよ。

かわいい かわいい。

盆踊り踊って。
了解 踊るね。

音も自分で セルフで。

「太鼓と笛のお囃子に
ウキウキ思わず踊りだす」

おぉ! すご~い!

いや~ すご~い!
わぁ すご~い!

さあ お宝見てみましょうかね
オープン。

これは何でしょう?

釣りの疑似餌 ルアー。
ルアーですね。

育ちが滋賀県の
大津市というところで。

家の前が琵琶湖だったんです。
うわぁ!

家から琵琶湖までが徒歩20歩。
そんなに近かった!

年間 ホントに300日くらい
ブラックバスばっかり釣ってました。

ちょっとポップなやつはですね
バルサ ファイブオー。

高校生のときに 商品のキャンペーンで
懸賞があったんですね。

いっぱい応募して当てたっていう
非売品で

珍しいものなので
使わずに ずっとおいてました。

向こう側のやつは ハンクルという
ハンドメイドルアーつって

職人さんが 一個一個
手作りで作りはるんです。

僕が中学生の頃ですかね。

流れてきたルアーとかを
拾って集める。

たくさん集まるとですね
交換会が始まるんですね。

なるほど。

僕が持ってた手持ちのルアー
3つくらいかなんかと

換えてもらった。

これを見て
自分でも かなり作ってました。

ロボットを作るときの
木型と同じなんで

だから ルアー作りが 今のロボット作りに
そのまま 実は生きてます。

やっぱ全部つながってんすね。
つながってんだね。

コレクターみたいな方も
いらっしゃるんですか?

たくさんいらっしゃいます。

徐々にアンティーク的な価値は
出てきていると思います。

そうなんだ。

ご本人の評価額ですが
おいくらでしょう。

合わせて10万円。

ハンクルは 状態が悪いので
2万円ですかね。

2万と8万。

まいりましょう
オープン ザ プライス。

おっ 3万2, 000円!

ちょっと伸びなかったかなぁ。
ですね。

ファイブオーが7, 000円。

ハンクルが2万5, 000円ですね。

ハンクルのが高い。

思ってたのと
値段が逆でしたね。

ファイブオーのほうなんですけども

ウッドゥン・アンクルスミス
ホワイトコーチというカラーになります。

ファイブオーの50というのがですね
ルアーを作る工程の数なんですよ。

50というのは かなり多い。
それだけ繊細に作られてる。

根強い人気を持っているんですね。

間違いなく非売品。

製品版は 3, 000円
4, 000円くらいということで

倍額の7, 000円を
つけさせていただきました。

これは ハンクル社のミノー。

70年から80年。

かなり初期に作られた
ミノーだと思います。

立ち上げたのは 泉和摩さん。

Hand Made Kazuma’s Lure.

頭文字をとって ハンクルと
名前をつけております。

餌よりも
釣れるルアーというコンセプトで

アルミ箔を使って エラの部分に
切れ込みを入れたりとか

凸凹をつけて うろこの形状を
模したものを貼りつけたり

とにかくリアリティーを
追求してるんですよ。

リアルである
丈夫である 釣れるという

この3要素を兼ね備えている。

なので30年前から予約待ちで
そして 今も予約待ち。

未使用であれば 5万6万という
値段がつくもので

大事にしてほしいと思います。

いっそう釣りに興味が持てました。

釣りができる
ロボットを作ってくださいよ。

釣りは 自分で
したほうが楽しいので。

大事にしていただいて。
はい ありがとうございます。

どうも
ありがとうございました。

<続いては 千葉県 松戸市から。

早速 ご自宅にお伺いしました。

ごめんくださ~い>

<言われるままに
お庭へ回ってみると>

ようこそ
こっちのほうで遊んでました。

< こちらが次なる依頼人…>

< えっ ここの小屋を?
それはすごい。

中を拝見すると設計台や
さまざまな工具がずらり。

更には こんな立派なジオラマも。

こちらは 10年ほど前
鉄道好きの孫のために

2か月かけて作ったもので

デザイン 設計 製作まで
すべて一人で手がけたそうです>

なかなか…。

<確かにそれは悩ましい。
ところで…>

< それは上野駅にある
巨大な壁画の修復プロジェクト。

壁画は…>

<今回のお宝は
修復プロジェクトを任せてくれた

社長から激励として
頂いたそうです>

鑑定のほど
よろしくお願い申し上げます。

<スタジオで拝見しましょう>

依頼人の登場です。

千葉県からお越しの

ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしくどうぞお願いします。

小屋が手作り?
すごいビックリですね。

何か月くらいで
お作りになったんですか?

2か月くらいだと思います。
2か月でできるんですね。

ジオラマと同じじゃないですか。
そう。

走ってた列車は
あれ欧米の列車ですよね?

そうです。
グランドキャニオンを走ってた。

あれ グランドキャニオンなんですか?
イメージしたんですよ。

あぁ イメージした。
わかる わかる。

実はね その前に
グランドキャニオンまで行って。

ロケハンして ジオラマ作るってこと…。
そういうことです。

幸せな人生ですね。

さぁ それでは
お宝拝見しましょう。

お宝オープン。

あら かわいい。
これどなたの絵でしょう?

猪熊弦一郎先生の
上野駅の壁画の原画です。

あっ ホンマやこれ
あっこの形ですもんね。

デザイン変わってるんですかね?
人間の数とか

動物なんかも多いと思います。

(片渕)これをもとに
もっと増やして

今の絵になったんですかね。
修復って大変でしょ? あれ。

終電が出た
始発までの間に工事をやる。

足場を全部かけたんですよ。

それで その足場に
先生も上られましてね。

実際に修復のときに?
えぇ。

80歳を越えてたものですから。
そうでしょうね。

絵筆を持って作業もなさった。
自分で描いてるんですか。

絵に向かったときの
目の輝きとか

すごく鋭いというのが
私の印象でしたね。
へぇ~。

<猪熊弦一郎は

生涯 新たな画風を模索し
問い続けた洋画家である>

<幼いころから
画才は傑出しており

小学校の図画の時間に

教師の代わりを
務めたほどであった>

<在学中

< その年の秋 妻 文子を描いた

『婦人像』を帝展に出品すると
初入選を果たし

一躍 その名を知らしめた>

<目に映るものすべてが新鮮で

取りつかれたように
キャンバスに向かった。

その作品には 敬愛してやまない

マティスやピカソの影響が
色濃く表れていた。

そして ついに
マティスとの面会が実現すると

猪熊は 自らの絵を持参し
批評を請うた。

マティスは ひと言こう言った>

< すなわち
技巧に頼っているだけで

オリジナリティーがないという
痛烈な批判であった。

以来 猪熊はそれまで身につけた
テクニックを捨て去り

ゼロからの再出発を
誓ったのであった>

<終戦を迎えると猪熊は

芸術は 大衆のものであるという
信念のもと

万人が楽しめる作品を目指した。

『小説新潮』の表紙絵を描き

大関 増位山の化粧廻し

更には 三越デパートの
包装紙 『華ひらく』も手がけた。

これは 海で拾った石を
モチーフにデザインしたものである>

< そして 1951年に描いたのが

上野駅の大壁画 『自由』。

縦6m 横27mもの大作である。

戦後 まもなくの上野駅周辺は

浮浪者や引揚者 傷痍軍人など

寄る辺なき者たちがあふれていた。

制作にあたり 猪熊は
こう語っている>

<色調は やわらかいハーフトーンで

モチーフは スキー 牧畜 リンゴ 温泉など

上野駅に親しみのある
東北や北陸の風物。

また 傘を持ち 駅で出迎える
子どものほほえましい姿も

描かれており
深い詩情とロマンが漂い

現在も 人々の目と心を
癒やしている>

<結局 20年もの間
暮らすこととなったが

53歳になった猪熊は
もう一度 すべてを捨て去り…>

<大都会を真上から見下ろし

車や人の動きを
畳の目のように表現した>

<高層ビルを横に倒してしまった。

「顔」は 晩年の代表作である。

最愛の妻を亡くしたことによる
悲しみから描き始めたものだが

やがて 顔が本来持っている
感情の起伏は捨て去り

目や鼻を抽象としてとらえ

その配置に重きが置かれるように
なっていった。

ここにあるのは 子どものごとき
無邪気さだけである。

改めて 依頼品を見てみよう。

猪熊弦一郎のデッサンで
画面の右側に…>

< とある。

依頼品と上野駅の壁画を
比べてみると

モチーフの数や その大きさ

配置に違いはあるものの

スキーを持つ人物や
傘を持つ子どもなど

特徴的なモチーフは
同じものもあるようだ>

ご本人の評価額ですが
おいくらでしょう?

50万ってことで。
50万。

想像のしようがないですもんね。
そうなんですよ。

まいりましょう オープン ザ プライス!

いった! 150万!

いやぁ いい値がつきましたね。
いやぁ すごい。

すごく貴重なものだと思います。

第一案って
書かれているんですけれども

この1枚から
あの構想が始まって

今もなお そこにあり続ける
この依頼品からでも

十分 猪熊らしさっていうのは
感じ取れると思います。

パステル調の淡い色づかい

簡略化したフォルムの取り方も
そうだし

表情なんかも すごく愛らしいし
猪熊の優しさとかを

想像させられました。 東北
あるいは北陸の入り口である

上野駅 帰省する あるいは
上京するときの思いとか…。

それを上野駅に飾ったわけですよ。
ありがとうございました。

どうもありがとうございました。

< じっと見つめるだけで幼き日の
思い出が鮮やかによみがえる。

今宵 心ときめく
懐かしのおもちゃが大集合。

本日の鑑定士は

早速いってみよう!>

「第23回 おもちゃ鑑定大会」!

<ゲストコメンテーターは
フリーアナウンサーの安東弘樹さん>

ヒーローもんのおもちゃとか。

< まずは

どこで 美容室は。

あっ 松戸ですか。
はい。

5つ! どうですか ちょっと
コロナの影響みたいなの

出てきちゃってるんじゃ
ないですか?

都内でやってらっしゃった方が
今リモートで都内に行かないので…。

おっ!

<現在 予約は3か月待ち。

成功の秘訣は…>

うわっ…。

この自信は
なかなか出ないですよ。

ありがとうございます。
このコメント言った瞬間に

ポッケに… 入りました。

< お宝は…>

<実は 小学2年生のとき

祖父から これと同じおもちゃを
もらったのだが

すぐに動かなくなってしまった>

分解しちゃったの?
はい。 でも小学校2年ですから…。

戻せないでしょうね。

<残念ながら ごみ箱行きに。

その後 すっかり忘れていたが

2年前 たまたま訪れた

おもちゃミュージアムにあるのを
同じものを僕は持ってたんだと。

< そこで すぐさまネットで探すと

運よく
1万円で買うことができた。

しかし 手元に届くと
これまた動かなかったため…>

一生懸命 裸んぼうにしてですね

えっ また分解して。
そうなんですよ。

あのときは戻せなかったけど
今は もう戻せた?

そうなんです そうなんです。

<修理の成果を ご覧いただこう>

スイッチオン。

あっ 顔光ってる!

今 カクテル振って
グラスに入れた 入ったとしよう。

飲みました!
(安東)飲んだ。

赤くなってる!
赤くなった!

<本人評価額は 買った額に
少し足して 1万5, 000円。

もし 高値がついたら
このバーテンダーと一緒に

おいしい祝杯をあげたい。

果たして 結果は!?>

ジャカジャン こい!
えい!

< やった~!>

2倍!

1960年代に
Charley Weaverっていうね

アメリカのコメディアンを
イメージにして作ったバーテンダー。

野村トーイという
日本のメーカーが 輸出用に作って

ROSKOというアメリカの会社から
発売になったんです。

シェイカーを振って それをグラスに入れて
それを飲みます。

口が動いて 顔が赤くなって
耳から煙が出る。

中に ニクロム線があって
パラフィンオイルが 入ってるんです。

スイッチを入れると 熱が出て
反応して 煙になって

それを
ふいごで押してるんですよ。

(原口)へ~!
これはまるで からくり人形。

大人の嗜好品というかね
お店に置いたりだとか

ちょっと おしゃれに飾ったり
そういうおもちゃなんで。

<続いてはプラモデル収集が趣味の…>

いつくらいから
プラモデルを集めてるんですか?

コレクションの数
相当 あるんじゃないですか?

うわ…。
1, 000!

<特に 戦車のプラモデルが大好き。

集めるなかで
身につけた極意が…>

絶対作っちゃダメ? プラモデルは
作るために売ってるんです。

(安東)その域…。

僕には わかりませんけど
深いですね。

< お宝は こちら>

お~!
車じゃないですか。

<手に入れたのは大学生の時。

当時 小学生の家庭教師を
していたのだが…>

って言うんで もらいました。

<教え子の父が 本物の
ダットサンを買った際

販売店から もらったらしい。

当初は あまり興味がなかったが

後々 調べてみると…>

え~! 日本で一番古いプラモ!

やっぱり 車好きにとって
ダットサンっていう ブランドには

非常に郷愁。

それから ブランド力を感じるんです。

(笑い声)

<本人評価額は
期待を込めて 10万円。

プラモデルで鍛えた想像力で

高額鑑定が出るのを
何度もイメージしてきたが

果たして 結果は!?>

ジャカジャン こい!

<大幅アップ!>

すごい!
(原口)すご!

非常に珍しいキットです。

日本のプラモデルのなかでも
最初期のものです。

1958年 マルサン商店が出した型です。

これはもともと 和光樹脂という
会社が 日産自動車の

販促用として
製作していたもので

マルサンに この販売権を
譲ったみたいですね。

これ 初期の箱で
マルサンのマーク入ってませんので

マルサンが販売する前に
和光が販促用として

出したものかもしれません。

大事なのは未組み立てであること。

作ってしまったら 5万円です。

これからもう 上がる一方ですね。
上がる一方!

ちょっと うれしそうにも
ほどがあります。

すみません。

<続いては…>

何年くらい
やられてらっしゃいますか?

うわ~。

<原型を蜜蝋で作り
鋳造しているため

どんな繊細なデザインも 自由自在>

お召し物につけてらっしゃる…。
全部そうです。

かわいらしい!

(原口)同じものはホントに…。
ないです。

< お宝はこちら>

(2人)お~!

パッと見 バービー人形に見えない。
見えないでしょ?

<中学生のとき 日本で初めて
バービー人形が発売された際

どうしても欲しくなり
父に買ってきてと おねだりした>

私が イメージしてたのと違うものを
お父さん 買ってきちゃった?

< とてもガッカリし
そのまま しまいっぱなしに。

しかし 大人になり
改めて見てみると

そのセンスのよさに驚嘆>

ここに ピアスが刺さってるんです。
はい。

あと ミュール履いてるの。

非常にきれいだし 女性として
あのバービーに 惹かれ始めてます。

今にも歌い出しそうな。
そう!

状態いいですよね
どうやって保管してたんですか?

箱に入れて それで

<本人評価額は
当てずっぽうで5万円。

この女性は 父の好みなのか。

はたまた 店の人に勧められたのか
真相はやぶの中。

果たして 結果は!?>

ジャカジャン こい!

< よかった~>

ありがとうございます。

バービーはですね 1959年に

アメリカのマテル社から
発売になったんです。

日本では 発売されたのは
1962年なんですよね。

当時の値段は 1, 200円です。

タイトルはですね
『SOLO IN THE SPOT LIGHT』。

まず ピアスですね。
保管場所だとかによって

緑青が吹いちゃうんですよ。

コンディション すごいいいですよね。

唐辛子が効いてたのかも
わからないです。

ネックレスもスカーフもスタンドもある。

それから ドレスの裾のほうに
赤いバラがあるんですよ。

子どもが遊んでいたら
取れちゃうんです。

やっぱり 遊んでないから

そのままの状態で
残っていたんでしょうね。

<最後は 番組出演のため

ダイエットをしてきた小内さん>

ちょっと それから
ダイエット 励みまして。

どのくらい絞ってきたんですか?

7kgくらい?
7kg。

< あまりの変わりように

勤め先の蕎麦屋の
おかみさんもびっくり!>

おかみさんが言った…。

本当に半分にはならないですよ。
7kgですもん。

私 14kgしかないわけじゃない…。

しゃべってるときの カメラ目線が。

< お宝は ミニカー4台である。

亡き兄が遺したもの>

近寄ると…。

触らせない!
触らせない。

え~!?

<大人になると
ますますのめりこみ

ミニカー集めに熱中したが
2年前 急逝。

そのため
自宅を整理しに行くと…>

うわっ!

< そのほとんどが

買った時の値札が
ついたままであった。

今回のお宝は

とりわけ高い値札が
ついていたもので…>

えっ?
5万8, 000円って書いてるよ。

本当?
これなんて 9万5, 000円…。

これ… えっ? 10万。

<更に こちらは…>

23万?

仰天して なんでこんなのを
簡単に買えるの あなたっていう。

< どう整理しようかと
途方に暮れているとき

突如 兄が 夢に出てきたため…>

絶対 聞いてやる的な感じで…。

お兄さん
なんておっしゃってました?

急にスイッチ入りましたね。

お兄さんのこと
思い出したんですね 急にね。

愛情があるから…。 感情がね。

< せめて コレクションだけでも
日の目を見せてあげようと

番組に応募した。

本人評価額は
兄に敬意を表し 50万円。

値札以上の金額がつくとは
正直 思っていないが

兄の墓前に
少しでもいい報告をしたい。

果たして どうなるのか?>

<兄が遺したミニカー4台。
果たして 結果は?>

ジャカジャン! 来い 115万!
え~!?

< これは すごい!>

115万!?
うわっ!

えっ?
ちょっと倒れていいですか?

とってもすばらしいコレクション。

1960年代後半までに作られた
モデルなんです。

材質が アンチモニー。

非常に加工しやすいんですけど
つぶれやすい。

でも みんな 状態がいいので。

一番左のセドリック。

大盛屋のチェリカフェニックス シリーズ
初期タイプなんです。

赤エンジンです。
赤エンジンです!

それが 珍しいんです。
40万です。

40万!

その隣の後期タイプは
シルバーのエンジン。

本当の箱がついていれば
もっと金額いきます。

右の2つは 米澤玩具の DIA PET。

大盛屋が倒産したときに
型を買い取りまして

作ったモデルなんです。

お兄さんの魂が
こもってると思いますので

ぜひ 大切に
してもらいたいと思います。

はい。
おめでとうございます。

どうも ありがとうございます。

原口さん
ちょっとよろしいでしょうか?

なんでしょうか。
正直 今の 115万円の後は

出しにくいんですが…。

えっ!?
おもちゃ。

< というわけで 急きょ 延長戦>

ふだんは どういった
お仕事をされてるんですか?

どうでしょうか フリーランスになって。
そうですね…。

< お宝は こちら>

あっ!

「ゴレンジャー」もう世代ですよ 僕も。

バリタンク! 懐かしい!

<『秘密戦隊ゴレンジャー』は

1975年から放送された特撮テレビドラマ。

小学生の頃
夢中になって見ていたが…>

今日 バリタンク出てこい
バリタンク出てこいと。

なかなか出てこないですからね
バリタンク。

そうなんですよ レアキャラなんですよ。
レアキャラなんですよ。

< これが どうしても欲しくて
お年玉を貯めて手に入れた。

とても大事に遊んでいたため
状態はいいが…>

口みたいなところは

ミサイルが発射できるように
なっているんですけど…。

あっ!
そこはね
ちょっとネックなんですけど…。

<実は このバリタンク。

昨年 ラジオの共演者で

大の戦隊モノ好きのフリーアナウンサー
宮島咲良さんに

誕生日プレゼントとして
あげてしまった>

差し上げたんですけど

今回 念願の この番組に
出演できるということもあって…。

確かに。

< そこで 無理を言って
いったん返してもらった>

なんちゅう大人や!

<本人評価額は
ごくごく控えめに 1万円。

大の大人が一度あげたものを
返してと言うのは

少し恥ずかしかったが

果たして 結果は?>

ジャカジャン こい! 8, 000円!

< ちょっぴりダウン!>

ありがとうございます。

あの~ 微妙です。

まあまあ状態いいし
箱もあるんですけど

ミサイルがないっていうのがね
それが大きいんですよ。

1976年に定価は 1, 350円です。

超合金っていうのは

パーツがかけてたり
なくなってるっていうのは

値段が
ガンと下がっちゃうんですよね。

ミサイルあったら
1万5, 000円くらいです。

< おもちゃ鑑定大会

<続いては…>

<早速 ご自宅にお伺いすると
パッティングの練習中>

<ナイスイン!

次なる依頼人は…>

駐在したのはですね
イギリスとアメリカなんですけれども

その他の出張ベースを合わせると

たぶん30か国くらいは
訪れてたと思いますよ。

< そのなかでも
印象深かったのが…>

<セント・アンドリュースのオールドコースは

世界最古のメジャー
全英オープンの最多開催実績を誇る

超名門リンクスで

最大の難関にして名物ホールは

ホテル越えのある17番>

<頑張ってください!
ところで

パン職人だった大叔父が
非常に大切にしていた

< えっ パン祖?>

それだけではなくて

<実は 大叔父は 生前

パン祖の業績を
世間に広める活動をしており

お宝は その際に手に入れたもの>

鑑定のほど
よろしくお願いいたします。

<果たして そのお宝とは?
スタジオで拝見しましょう>

依頼人の登場です。

神奈川県からお越しの

ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

海外30か国ですか。
そうですね。

その当時ですから
なかなか行けないですよね。

人使いの荒い会社だった
ってことですね。

セント・アンドリュースって
僕ら テレビ中継では見ますけど

とんでもないバンカーが
あるじゃないですか。

あれも
経験されたんですか?

はい いきました。
今のいきましたは

バンカーにいきました
ってことで。

記念ですからね。
ぜひ バンカーに入れてくんだと。

あぁ。
ところが

行かないんですよ そう簡単に。
バンカーに?

ハマんなかったんですか?
届かないんです。

刻んでバンカーに入れないと。
そうそうそうそう。

さあ そして お宝ですけども

パンの祖先は パン祖という。
初めて聞いたフレーズでしたけども。

お宝 オープン。

さあ これは何でしょう?

江川太郎左衛門英龍の扇子。

扇面ですね。
あと2通の書状です。

この方はですね 韮山の代官。
えっ 代官がパンを?

黒船が来たりっていうんで
ヨーロッパ式の軍隊を作ると。

パンをなんとか作ってですね

兵隊たちに
持たせようということを

一生懸命やったもんですから。

俺は 代官が
こねて作ってんのかなと思った。

パン職人。
それだけだと

パンこねたおじさん
っていう感じですけれども。

当時 反射炉。
じゃあ 韮山の反射炉ですか?

世界遺産。
こういうものを作った。

おじさんは
なんで これ持ってた?

パン祖 江川さんの名前
広めなきゃってのをやってきて。

そうか。
たぶんですね

江川邸 お屋敷ですね。

何回かお伺いして
それでいただいたんじゃないかと。

なんて書いてあるとかは
調べたことあります?

いやぁ 台場とかですね

オランダって
書いてあるらしいんですね。

実は 私の父が
読める人に頼んだらしいんです。

で それを
私も もらったんですけど

その字も達筆なもんですから
それも読めないと。

<天を衝けとばかりに伸びる
その威容。

2本の頑丈な塔の高さは
およそ16m。

国家の存亡をかけた

韮山反射炉を
作った男こそ…>

<13歳で江戸へ出ると

和漢の学問や
剣術はもちろん

測量術や
最先端の蘭学を学び

更に 絵を谷文晁

書を 市河米庵に習い

比類なき知識と
素養を身につけた。

兄が早世したことにより
35歳で伊豆韮山代官に就任。

伊豆・相模など

およそ8万石の
天領を支配するも

時あたかも

天保の大飢饉のさなか。

英龍は すぐさま

豪農・米問屋などを説得し

米の放出を命じると同時に

下級役人の賄賂や不正をただした。

天然痘が猛威を振るった際も

いち早く支配下全域で
接種を実施し

多くの命を救い
いつしか領民たちは

世直し江川大明神と
あがめていった。

そんな英龍が
特に重視したのが海防である。

日本沿岸に往来する
外国船が増えるなか

江戸を防御するには

伊豆・相模の
軍事強化が不可欠と…>

<自らが当たりたいと具申した。

この建議は却下されたが

3年後 アヘン戦争でアジア随一の大国

清が イギリスに敗れると

英龍は 危機感を募らせ

自ら 長崎の砲術家
高島秋帆のもとで

最新の西洋砲術を習得。

更に その技術を
広く普及させるべく

自宅邸内に 韮山塾を開講した。

門弟には…>

<幕末の名だたる叡智が集結した。

大砲や小銃の製造に乗り出し
西洋式軍隊も育成>

< の軍隊号令を考案したのも
英龍であった。

一方で パン作りにも着手する。

これは 英龍が軍隊の携帯用食料

あるいは 飢きんの際の
保存食として

パンに注目したからで

手代の柏木総蔵に
長崎で その製法を学ばせ

世に広く伝授した。

これが パン祖たるゆえんである>

<老中 阿部正弘は…>

< と勘定吟味役に抜擢。

英龍は すぐに品川沖に
大砲をすえる

台場を築造するとともに

国家の存亡をかけた
大砲を鋳造する

反射炉の建設にまい進した。

銑鉄を溶かすには
千数百度の高温が必要だが

炉内の天井を ドーム型にし そこに

炎や熱を反射させることで

超高温を可能にした。

この反射炉の完成こそ

英龍の悲願であった。

しかし翌年…。

<幕府は 台場築造を縮小し

<激務がたたったのか 英龍は

< その死から
2年後のことであった。

改めて 依頼品を見てみよう。

江川英龍の扇面と書状2通である。

扇面に流麗な筆致で
書かれているのは

中国 唐時代の詩人
鄭谷の七言絶句。

落款には 英龍の号

坦庵と記されている。

書状のうち 1通は
パンの製造にも関わった

手代の柏木総蔵あて。

法は
日増しによくなったことと

思います とあることから

反射炉建設の進捗状況を

知らせたものと思われる。

もう1通は 勘定組頭を務めた

幕臣 中村為弥あて。

「一 二 三 御台場合薬貫高」。

「オランダ献上の御筒 御台

御製造につき」。

とあり お台場で
使用する火薬の量と

大砲製造に関する資料を
提出するとの旨が

記されている。

日付は 英龍が亡くなる前年の

1854年 7月12日。

この年の4月…>

< その運用に向け
英龍が多忙を極めた時期である>

いや~ すごい
知らなかった 江川さん。

知りませんでした。
俺が全寮制で 山ほどやった

気をつけ
あの人が発明してたんやな。

そうだね パン食も含めたら
僕ら相当 江川さんの

お世話になってますよ。
いや相当よ これ!

大河ドラマ出てないのが
おかしいくらい。

<CMのあと

ご本人の評価額です
おいくらでしょう?

期待を込めて50万円。

ありそうな感じですが
まいりましょう オープン ザ プライス。

さあ 本物で…。
あっていただきたい。

いった!
180万!

すごいすごい。
さすが江川さん。

うわ~。
すべて真筆

間違いございません。

まず扇面ですけども
白波にのって

白髪頭の漁師が船を住みかに
浦々を漂泊している。

今 大きなスズキを釣ったところだ。

葦の茂みの向こうには
自分の子どもたちが

火をおこして待っている。

唐様といいましてね
寺子屋で習うような

書ではなくて
学者とか儒者とか そういった

漢詩にふさわしい スタイルの書。

実に 上手に書いている。

上の 柏木総蔵に宛てた手紙です。

これは 鉄の製錬技術が
よくなってきてると

いうことを報告している
自分の仕事に

直結するような内容の
手紙ですので

非常に貴重な資料だろうと。

で もう1通
中村為弥という人に宛てて

美濃紙という紙に
書かれておりまして

ちょうど 真ん中のところが
折れ目があって

左右のところに
とじた穴が 4か所開いてる。

つまり 帳面を
剥がしたものなんです。

大事な手紙だったので 自分で
控えを残しといたんじゃないかと。

1 2 3台場の火薬の

量について 早々に調べた。

別紙に取り調べ書を

1冊提出しますと。

で オランダから献上の
大砲をお台場に

作るにあたって
要望書と絵図面を

つけて送りますと。

江川英龍という人は
一般的には

あまり
知られていない人かも
しれないんですけども。

幕末の海防ということを
考えるうえではですね

評価される人でありますし

大切になさっていただきたいと
思います。

パン職人は全員
知っとかないとダメですね。

パン祖です パン祖。
大事になさってください。

どうも ありがとうございました。
どうも ありがとうございました。

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