出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 浜美枝[解][字]
~子育てに疲れたとき沢村貞子さんの言葉で…~浜美枝さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
77歳、女優・浜美枝さんがゲスト。
◇番組内容
朝4時に起き、自然いっぱいの箱根を散歩するのが元気の秘訣だという浜さん。子供達が小さい頃、慣れない育児や主婦業と俳優業がうまく両立できないと悩んでいた。すると共演していた沢村貞子さんから「なんでも100点取ろうとするからよ。子育ても主婦も俳優も70点でいい。全部足してごらんなさい」と言われ、全てを完璧にやろうとして苦しんでいた自分に気がついたと語る。今日は、海外に住む長男の嫁からメッセージが届き…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 一人
- 言葉
- 今日
- 次男
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)まあ 可愛らしいけど
意志の強そうなお嬢さん。
でも 可愛いわね。
のちに バスの車掌さんから
国際的な映画にもお出になった
女優さんなんですけど。
今日のお客様 浜美枝さんです。
よろしくお願いいたします。
しばらくでございますけど。
『徹子の部屋』45周年
おめでとうございます。
どうも ありがとうございます。
あれですか? 今日のお花も
フラワーアーティストの
石橋恵三子さんが生けて…?
そうです。 うん そうです。
ご本 出された時に 番組に
ゲストで ご出演いただいて
『徹子の部屋』のお話も
していただいて。
どうも ありがとうございます。
ゲストに合わせて生けて。
そうですよ。 あなたに合わせて
こんなキレイな…
明るい。
ありがとうございます。
そうやって 皆さん
スタッフ 一人一人の こう…
なんていうのかしら?
優しさっていうか
徹子さんを中心に番組が こう…。
個性的なね。
だから ふんわり いつも
温かい感じがするのかな なんて
思ったりして拝見してます。
どうも。
今日のお客様 現在 箱根に
住んでいらっしゃいましてですね
再生した古民家に
次男のご一家と
ご一緒に住んでらっしゃる?
はい そうです。
そうですか。
国際的な映画の女優さんとして
お出になったりも
したんですけども。
あれも いい思い出でしょ?
今 思いになると。
もう 本当に…
『007』出させていただいて
ショーン・コネリーさんと
共演ができたっていう事は
もう 私の人生の中で
とても大きな財産になりました。
この間 亡くなりましたよね
残念な事に。
そう 残念でした。
あのね とても下積みが
長くていらしたから
苦労人なんですよね。
ショーン・コネリーさんには
いつもね
撮影があるたんびに 朝ね
「大丈夫? 心配事ない?」
「なんかあったら言いなさい」
って いつも声を掛けて…。
そういう…
本当に苦労をなさった方だから
優しいんですね。
スタッフの方々にも
そうでしたね。
そうね。
それで 23歳で
ボンドガールという風になって
撮影の時は 1人で
あちらに行ってらしたの?
そうなんですよ。
今 思うと 携帯もない時代に…。
考えればね
日本の映画じゃないので。
ええ。 特に 黒柳さんのように
英語が得意じゃないし
片言の英語ぐらいで
スタートしましたから。
もちろん 向こうで
トレーニングは
しましたけれども。
本当に不安でしたけれども。
なんとかね あの…。
どのくらい いらしたの?
全部で。 撮り終わるのに。
えっと
全部入れると…
トレーニングの3カ月も入れると
大体1年弱。
そんな?
はい。 8カ月半から
更に もうちょっとありました…。
すごい…。
昔は お金かけてたのね。
そうですね。
ふーん そうですか。
もともとは バスの車掌さんで
いらしたんだけども… 可愛い。
ええ。 もちろん 高校や大学
行きたかったんですけど
家の事情で そういう事が
できなかったものですから
どうせなるなら
バスの車掌に…。
これ そう?
そうです。 それでね
ガイドになりたかったんです。
なるほどね。
ガイドになって
全国 旅したかった。
ああ わかります。
でも 高卒じゃないと
資格がないので。
でも 車掌3年やって
試験を受けて合格すれば
ガイドになれる。
そうなの。
それで ガイドになって 全国…
そうすれば
お金かからない…。
そうそうそう… うん。
それで ガイド
おやりになったの?
なれなかった。 3年かかるんです。
あっ そうか。
1年で 車掌…。
でも バスの車掌も
私は好きでしたから
とてもいい仕事だったし。
そうですか ええ。
それで もう 女優さんには
すぐおなりになったの?
そうなんです。
1年でスカウトされて
で 女優に…。
でも また バスの車掌に
戻るつもりだったんです。
東宝って とてもいい会社で
私 大好きなんですけど。
東宝と バスの東急が
話し合いして
もう帰れないようになっちゃって。
あっ そうなの。
それで 女優にならざるを
得なかったっていうのが
正直なところで。
じゃあ ずっと東宝で?
東宝で。 でも…。
あっ そうなんですか。
おかげさまで
でも 東宝でよかったなって。
とても自由なんですね。
そうですか。
だから 一人旅したい なんて…
インドとかね
行かせて… 一人で
行かせてくださったんですね。
じゃあ よかったですね 随分ね。
はい。
でも あなた
40歳で女優さんも卒業なすって?
はい。 40歳で…。
それは どういう事で?
そんなに深くは
考えてなかったんですけど
でも もともとが
柳宗悦の民藝運動とか
それから 農業の事とか
食の事とかって
とても興味があったものですから。
今から40年あるから 80歳まで。
少しは勉強できるかなと思って
一応 区切りをつけて
そちらの方にシフトして。
あっ そう。
バスのガイドになって
全国 回りたかったのは
日本人の手仕事
そういうものを知りたかった。
ご覧になりたかった…?
はい。
今は あれでしょ?
あなたは 古民家を12軒?
そうなんです。
それで 全国 回ってるうちに
ある時
松江から出雲の方に向かう時
「キーン キーン」って
すごく なんか
木が悲鳴を上げてるような
音がしたんですよ。
そちら方向 行ってみたら
まさに かやが外され
チェーンソーで梁が…
柱が倒される寸前だった。
うん。
「やめてください!
これ以上 切らないでください」
「これ 私に譲ってください」
っていう風に
言ってしまったんですよ。
それが1軒目で。 で それから…。
でも その時
途中でやめてくださったの?
そうなんです。
それで すぐ もう 手配をして
1週間後ぐらいに
職人さんと一緒に…。
かやも外して
一本一本 無駄にしない。
そうこうしてるうちに
そういう古民家に 12軒…
どうしても壊すわけにいかない
っていう古民家に
出会っちゃったんです。
それで 全部…
120軒ぐらい見たんですけれども。
それで 日本的な
古民家にするんではなくて
どちらかと… 和洋折衷で
ヨーロッパのような感じに
したかったものですから。
イギリスの田舎家みたいに
したかったので。
素敵! これ…
できたもの? もう。
これは ですから 12軒全部…
一木も無駄にしないで
1軒 家を建てたんですね。
今 ここに住んでらっしゃるの?
はい。
私は ちょっと 奥の方に
台所と小さな…
自分が掃除できる範囲の所に
おりますけど。
今 息子たちに
全部 もう 他は譲って。
あっ そう。
ええ。 自分は…。
でも すごいのね 立派な木ね。
私はね 日本人って…
なんでしょう?
こういう古いものの良さって
よく知ってて
大事にする… と思うんですね。
だから 古民家も 必ず いつか…
40年 50年前ですけど
また 再生する時代が
くるだろうって
信じていたんですね。
うん。
その頃 誰も
古民家再生なんていう方が
いらっしゃらなくて
手探りで造った家なんですね。
あっ そうなの。
今 ようやく
古民家再生っていう事で
農家レストランやったり
農家民泊だったり
若い人が
リノベーションしたりとか
テレワークに
使ったりとかっていう。
ようやく 50年経って 思いが…。
あっ そう。
でも よかったですよね…。
よかったです。
もう これから もっともっと
この古民家って
大事にしてくださると
思うんですよね。
あったかい感じがするんだけど
本当に 木の中にいると
あったかい感じがします?
そうですね。 一軒一軒
それぞれの思い出があって
思いが何代にもわたって
大事に使われてきた木ですから。
箱根神社で お神酒をいただいて
一本一本 全部
キレイに清めました。
拭いて?
はい。
次男の方と
一緒に住んでらっしゃるの?
はい。 家族と…
孫も一緒に住んでおります。
いいわね にぎやかでね。
ちょっと 見せていただきます。
農家の女性たちとの交流が
とても
おかげさまで深いものですから
採れると 「掘れたわよ」とかね。
何か お野菜も…。
これ 孫。 もうちょっと
今 大きくなりましたけど。
すごい!
はい。 孫と一緒に。
これを料理して いただきました。
いいわね。
こんなのが採れちゃうの?
はい。 箱根に こうやって 全国…。
あっ これがね
私 ちょっと 増築した…。
60歳までは
東京に事務所を置いてた…
それを全部引き揚げて。
キッチンと
奥がリビングになってて。
ここだけのスペースを
自分で掃除すればいいんです。
ええー! いいわね。
奥 テーブル… こうやって
もう 大体 料理も
ひじきとか
ジャガイモを煮たのとか。
あっ これも… そうそう。
孫が 「ばあば 今日は
ギョーザをお願いします」。
で ギョーザ作ったりとか。
可愛い。
リクエストがあるものですから。
そうなの。
でも 息子さんたちも なんか
リモートワークで
仕事してらして?
そうですね。
一緒にいるお嫁さんも
家で仕事してるので。
ですから
まあ 週に2回ぐらいですけど
料理をして それで
上に持って行って 彼女たちに…。
でも 孫の面倒も見られる?
見るほどしてないです。
ちょっとね お風呂上がりに
30分ぐらい見ててあげたりとか
幼稚園 行く時
いってらっしゃいしたりとか
ほんのちょっとだけですね。
でも ご自分の子育ての時よりも
なんか 余裕を持って
見られるっていう…
孫の成長は。
そうですね。 なんか
こういう風にして育ててる
素敵って
思うんですね
お嫁さんの育て方 見てると。
私 余裕なかったなと思って。
まあね。
ええ 本当に。
ですから 息子 見てても
2人で一緒になって
料理をしたり子育てしたり。
私 大事にしてた事は
男の子 育てる時ね
「とにかく働く女性の味方に
なれるような男になれ」ってね
小さい時に
ずっと言い続けてました。
ですから 一緒になって…
長男家族もそうですけど。
私たちの時代には
考えられないですね。
そうね。
掃除したり
ごく当たり前のようにして
お風呂入れたり
一緒に料理作ったりとか。
ごみ捨てしたり…。
お子さん 何人でしたっけ?
4人おります。 女2人…。
長女 長男 次女 次男。
で その次男と一緒に住んで。
そうなの? いいわね でもね。
そうですね。 おかげさまで。
お嫁さんが2人いますでしょ。
だから
娘が4人いるみたいな感じで。
あちらのお母様には
申し訳ないですけど。
そうだわね。 でもね… うん。
ご自分のお嬢さんも入れれば
4人になって。
婿も…
息子2人で 婿殿が2人ですから
8人おりますね。
本当だわね。
でも 人数が多いと
家族も本当に…
なんていうの?
にぎやかでいいわね。
そうですね。 まあ たまたま
おかげさまで仕事をしながら…。
私は
仕事を辞めるっていう選択は
一度もないんです。
あっ そうなの?
もう15歳から。
すごい。
あなたの人生の支えになった
2人の…
貞子さん 貞さん いらして
お一人は沢村貞子さん?
そうなんです。
黒柳さんもね 沢村さんとは…。
そうそう 仲良かった。
ご一緒なさっておられますよね。
私 多分… そうそう
親子の役で
沢村さんと ご一緒させて
いただいたんですけれども。
『献立日記』っていう本をね
私 随分 参考にさせて…。
あっ そう。
きちっと お料理を毎日
どんな場合でも
台所に立たれて
それで
それを日記に書かれてて。
ある時 スタジオに…
あの方 お弁当を持ってきて…。
お弁当 いつも持って。
何人か分をね。
そのお弁当 欲しくて
順番 回ってきた時に
「いらっしゃい」って言われたから
「うれしい! お弁当 食べられる」。
その時に「どう?」って聞かれて…
「どう?」って。
多分… ちょっと
記憶 定かじゃないんですけど
ちょうど
長女 長男を育てていた時だから
結構 大変だったんですよね
仕事と。
愚痴を申し上げたんだと
思うんです。
そしたら 沢村さんが
「あのね なんでも100点取ろうと
思っちゃダメよ」って。
「70でいいの」
「お母さんも女優も主婦も
70点取ればいいの」
「足してごらんなさい」って
言われた。
そうよね。
あっ 200点以上になる…。
それで すーっと
肩から力が抜けました。
あの時に 沢村さんに 本当に…
あの言葉をかけていただいた事は
その後の
私の人生の宝になりました。
よかったですね。
はい。
沢村さん ご自分の事はね
「私 女優30点 家庭70点」って
言ってたわよ。
あっ そう…。
でも 沢村さんみたいに
NG出さないで
とにかく すごい
ちょっと 厳しい…
女優としてね
厳しい方だと思ってたんだけど。
あれはね 早く うちに帰って
旦那さんのごはん作んないと
旦那さんが機嫌悪くなるから。
それで あんな急いでたんだって
あとで わかりました。
ハハ…! そうですかね。
旦那様の…。
それで どなたかと
召し上がったかも全部書いて
ダブらないようにしてとかね。
家庭を70点にする…。
そうですね。
せりふは いつ…
ご飯… お米とぎながら
せりふ 覚えたんでしょうか?
もうね それ 大変なのよ。
父さんっていう人はね…
「父さん」って 私 言ってたんで。
旦那さんはね
そういうとこに台本出しとくとね
すぐ片付けちゃうのね
母さんが明日いるのでも。
生放送を一緒にやってたの
当時ね。
そうすると 母さんはね
それを そこで広げると
父さんが
「よしなさい そんなもの見るの」
「テレビ見なさい」なんて言うから
台所に とにかく持って行って
スッと置いて
それで こんな…
お茶の支度なんか ちょっとして
テレビ見てる間に
スッと台所行って
お台所で見たり
または トイレに持って行って。
大体どのくらいあるか…。
そんなに… なければいいし
たくさんあれば
ちょっと 寝てから覚えようとか
そういうの めどが付くじゃない。
そこで そういうのやって
それで 一応 置いて。
旦那さんと一緒の
ごはんの時やなんかには
絶対 それ出さなかったって。
ああ そう。
そうなのよ。
せりふは 完璧に
覚えてらっしゃいますしね。
そう。
ああ そうですか。
ビックリした 私も。
もう本当に
尊敬できる大先輩ですね。
本当ね。
それから もう一人
いらっしゃるんですってね。
そうですね。
私 結構 人生の節目節目に
本当に 一歩も二歩も先へ歩いてる
特に女性… 先輩に
いい言葉を
預けていただくんですね
素敵な言葉を。
で この与那嶺貞さんって
90歳になった時に 人間国宝に
なられたんですけれども。
読谷村…
「読む谷の村」って書いて
「読谷村」。
那覇から
30キロぐらいの所に。
かつて 琉球王府の頃は
交易で
盛んなとこだったんですけど。
この方
その読谷にある花織が
いつの間にか
途絶えていたという事で
復元なさって。
それで 人間国宝に
なられたんですけれども。
それ 生地… 着物の生地?
はい。 これね 本当に 花織って…。
図案に起こして 草木で染めて…
藍染めなんですけど。
そして 織るんです。
大変。
大変な面倒な…。
刺しゅうみたいなんですね。
縦糸 横糸。
…じゃなくて織るんですね。
私 この花織に魅せられて
読谷に通ったんです
30年ぐらい前から。
必ず 仕事が終わる
4時ぐらいになると
こんな小柄な方で
一緒に手をつないで
残波岬の方まで行くんです。
その間に 30分ぐらい
お話しさせて…
取材じゃなくてね。
戦争で ご主人
病気で亡くされて
3人のお子様を抱えて
山に逃げて
暗くなると 芋を掘って
生をかじって
飢えをしのいだって。
与那嶺さんに限らずですけど
沖縄の方たちは
大変なご努力 苦しい思いも
なさったんですけど。
与那嶺さんが 「浜さん
女の人生 “ザリガナ”ね」。
「はっ?
“ザリガニ”ですか?」って。
意味わからないですから
琉球語で。
「ザリガナ」って
もつれた糸の事をいうんです。
ええー!
それを 根気よくほぐして
一本の糸にすれば
また花織を織る事ができる。
ええー!
「女の人生 ザリガナね」って
この言葉 もうね
何度 私 自分に言い聞かせたか。
人生って いろいろ
ございますでしょ
こんがらがる事。
そうよ。
こんがらがって 切っちゃえば
もう それで おしまいだけど
丁寧にほどけば また糸に…。
丁寧にほどけば一本の糸になる。
切ってしまったら
つないでも 玉ができる。
人間国宝だから
という事ではなくて
与那嶺貞さんという
沖縄の一人の女性を通して
私は 人生を
学ばせていただいたと思います。
そうですか。 でも
いい出会いがありましたよね。
本当に そうですね。
出会いって大事ですね。
本当にね いろんな人とね…。
もうね 徹子さんは
たくさんの素敵な出会いを
なさっておられる。
でも あなたは 4人のお子さん
それぞれが結婚なさったんで
随分 家族も増えたでしょ。
そうですね。 本当に
全員そろうと にぎやかです。
今 長男はイギリスの方に…
家族が住んでますので。
次男と… でも
娘たち2人は来ますし はい。
それぞれ
連れ合いがいて子どもがいて
みんな仲良し?
おかげさまで
みんなが
すごく仲良しなんですね。
いいわね。
ええ。 ですから
まあ 多分 お嫁さんが
しっかりしてるからだと思います。
そうでしょうね。 フフフフ…。
みんな 本当に仲良しね。
孫同士も
いとこ同士になりますけれども。
今 もう… なんていうんですか?
LINEがあるので
ほとんど LINEのやり取りで
済んでしまうんで
年中 様子はわかりますね。
あっ そうなの。
そうですよね。
電話だと いるかいないかとか
ほら 忙しいかどうかとか
あるけども
メールだったらね いつでも…。
そうですね。
メールができてから 世の中が
面倒くさくなくなりましたよね。
そうですね 確かに。
私は ですから このコロナ禍でも
なるべく
日常は変えないようにして
毎朝4時に起きるんですね。
早いわね。
そうなんです。
早寝早起きなんです。
映画の時代の
習慣かもしれませんけど。
4時から… 一番大事にしてる事
歩くんですね。
ですから ずっと 杉並木を…
400年…
樹齢400年ぐらいの杉並木を…。
400本ぐらいあるんですね。
江戸時代
ここを歩いたんだなって
旅人は… と思いながら。
ああ すごい!
はい そうなんです。
ここを歩いて。
それで ずっと歩いていくと
湖に出るんです。
お天気のいい時は
湖に 正面に富士山…。
うわー! すごい。
右側に箱根神社なんです。
ですから 今は もう
毎朝 富士山…
日本一の富士山に
「どうぞ 世界のコロナが
収束しますように」って
お祈りして
箱根神社にもお願いをして。
すごいわね。
帰りは 少しゆっくり
足元のお花を見たり
雲の流れを見たりしながら
1時間半かけて…。
相当ゆっくりね。
そのリズムを変えないようにして。
あっ 本当… お花もあって。
そういう意味で
自然の中におりますので。
なるべく 生活を…
このコロナ禍で 皆さん
大変な思いをしてらっしゃると
思いますけれども
リズムを変えないように
ストレスためないように
しております。
番組がね イギリスにいらっしゃる
お嫁さんに
メールで…
メールで あなたの事を
ちょっと聞いてみた
っていうのが来てるから。
ええー! アサカさん?
そうなんですか?
ご長男のお嫁さんね。
はい そうです。
カネコ…。
アサカさんです。
アサカさん。 えっとね
「本来 “義母”と
表記するべきところですが
今日は いつものとおりの
“お母様”と
記させていただきます」って。
よろしいですか?
「浜さんは どんな人ですか?」
「とても誠実です」
「一つ一つの選択に
意志と責任が感じられ
お母様が 真摯に
向き合ってこられた美意識
感性への姿勢が感じられます」
「浜さんに
感謝している事はなんですか?」
「“ありがとう”
“大丈夫よ”という言葉に
とても感謝しています」
「私は大した事はできておらず
受け取るばかりなのですが
お母様の誠実さを思うと
素直に受け止め
感謝の気持ちが湧き上がります」
まあ とんでもない。
「旦那様やお子様に対しては
いかがですか?」
「“息子”“孫”という形式ではなく
人としての個性を
見つめているように思います」
「お母様と夫は
格好いい関係だなと
思っています」
「孫たちは ばあばが大好き」
「折に触れて 季節感のある
絵はがきや手紙が届きます」
あなたからのね。
「また 子どもたちの
今 ちょっと先に
ピッタリの本が
クリスマスや誕生日に
贈られてきます」
「どれも ビックリするくらい
ドンピシャ」
「“ばあばは 本選びの天才”と
孫たちも言っています」
「メッセージをお願いいたします」
「お母様と出会えて
本当に幸せです」
「一人の女性 一人の人として
とても素敵な存在で
いつも
自分の世界の窓を開く感覚です」
「さまざまな意味においての
美を生きてる お母様
憧れの存在です。
いつもありがとうございます」
「一日も早く お会いしたいです」
わあ ありがとうございます。
ビックリ!
素敵なお嫁さん。
彼女も美意識のある人で
本当に いいお嫁さんで
いい子育てして…。
あっ そう。 よかったですよね。
そうですね。
あなたの孫を育ててくださってる
わけですものね。
いやあ 驚いたわ。 ビックリ!
そうね。
でも 今は 10年後の自分たちが
楽しみっていう
感じなんですって?
まあ 私たちの年齢になると
本当に 明日 わかりませんよ。
私は 70… もうすぐ78ですけど。
でも なるべく 子どもたちの…。
だから 一日一日を大事に。
まだ 生前整理なんて
してないんですって?
してないです。
あっ 好きなものは
これは アサカさんに とかね
これ マユコさんに とかね。
『徹子の部屋』は
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