出典:EPGの番組情報
ヒロイン誕生!ドラマチックなオンナたち 水泳選手 前畑秀子×桃果[解][字]
時代を切りひらいたドラマチックな女性たちの生きざまに若手女優が迫る!今回のヒロインは、日本女性初の金メダリスト、水泳選手の前畑秀子。オリンピック後の秘話を描く。
詳細情報
番組内容
1936年ベルリンオリンピック200メートル平泳ぎで優勝した前畑秀子(1914~1995)。「前畑頑張れ」で知られる五輪決勝中継は日本中を熱狂させた。日本国民の期待を背負って手にした金メダル。しかし前畑は、その後「スポーツは、勝利のみを目的として熱中してはならない」と文章に残し、生涯教育としての水泳に取り組む。その心境に至った理由は何か。自身、水泳選手の経験を持つモデルで女優の桃果が迫り演じる。
出演者
【出演】桃果,寺川綾,【語り】古谷徹ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
テキストマイニング結果
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キーワード出現数ベスト20
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- 競技
- 子供
- 人生
- 桃果
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
<皆さん 初めまして。
私は 女優の桃果といいます。
私は今 今回演じることになる
女性アスリートの足跡をたどるため
愛知県内にある
彼女の出身校を訪ねています>
<彼女の名前は…>
<今や 日本でも
多くの女性アスリートが活躍する
スポーツの祭典 オリンピックで
これまで 日本人女子が獲得した
金メダルの数は 54。
実は その中で
最初に金メダルを獲得したのが
前畑さんでした。
今から86年前に開催された
ベルリンオリンピック。
競泳女子平泳ぎ200m決勝。
前畑さんは
日本中の期待を背負い 勝負に挑みます>
<その快挙は 当時 欧米から孤立し
戦争に向かおうとしていた日本中を
熱狂に包みました。
ところが…。
前畑さんは表彰式で 国旗掲揚の時
下を向き ただ泣いていたのです>
<日本人女子初の
金メダリストに秘められた
知られざる苦悩。 そして…
その再生の歴史を知る
私の旅が始まりました>
<打ち合わせ初日>
お願いします。
<今回 前畑さんを演じるために
さまざまな資料を読んで
まず何より驚いたこと。
実は私も 子供の頃は
本気でオリンピックを目指して
水泳漬けの日々を送っていたのですが…>
<前畑さんが幼少期だった大正時代は
まだ
プール設備のある場所など
ほとんどなく
彼女は故郷 和歌山県にある
紀の川で水泳と出会いました>
<実家は 豆腐店を営んでいましたが
生活は貧しかったそう。
でも 家の手伝い以外の時間は
大好きな水泳に夢中でした>
<そんなある日 学校の先生が
彼女のタイムを計測してみると
首をかしげながら こう言いました>
<なんと5年生にして
小学生の日本記録を上回るタイムを
出してしまった前畑さん。
この日を きっかけに
彼女の人生は大きく動き出します>
<その後
前畑さんは数々の大会で連戦連勝。
日本中に
天才少女現ると衝撃を与えました。
本格的に水泳を始めた前畑さんには
やがて大きな目標が>
<それが 18歳で迎えることになる
ロサンゼルスオリンピックでした>
<愛知県名古屋市 椙山女学園。
ここが前畑さんの母校です。
前畑さんは15歳の時
ロサンゼルスオリンピックを目指すために
親元を離れ
当時 日本では珍しい
室内プールが完備された
この学校に編入します。
校内にある歴史文化館で館長を務める
椙山美恵子さんに当時のことを伺うと…>
ああ なるほど。
<授業料がかからないとはいえ
本来であれば 小学校を卒業したら
家業を手伝うはずだった彼女を
送り出してくれた両親。
そして 生活の支援も含めて
彼女の親代わりとなってくれた
校長先生。
そんな人たちへの思いに応えるため
彼女は泳ぎ続けました。
そして…。
1932年 ついに念願だった
ロサンゼルスオリンピックへの出場を
果たしたのです>
<当時の女性は18歳ともなれば
結婚して
嫁入りするのが当然とされた時代。
彼女にとって この大会は
競技人生の総決算でもありました>
<その結果は…>
<トップと0.1秒差の2着で
見事 銀メダルを獲得!
この時の思いを 前畑さんは
自伝に こう つづっています>
<ところが
帰国後に行われた凱旋歓迎会で
彼女は
耳を疑う言葉を聞くことになります>
<4年後のベルリンまで頑張れ。
実は そう思っていたのは
この男性だけではありませんでした>
<マスコミの報じ方も
銀の快挙よりも
惜しくも
敗れたことばかり。
時は 第2次世界大戦前夜。
日本や欧米を中心に 世界は
戦争への道を突き進んでいました。
だから 国の力を示したい
という思いは今よりも強く…>
<そして そこからの4年間は
彼女にとって
まさに苦しみの日々だったといいます>
<そもそも 彼女が求められているのは
単に もう一度 頑張ることではなく
今度こそ 金メダルを獲ること。
敗北は 決して許されない。
あれほど好きだった水泳が
重荷に変わりました>
「眠れない」って書いてある。
「苦しくて眠れない」。
「死すとも勝ちたい
タッチの差でいい」。
<オリンピックの舞台で
国を背負って戦う。
それが どれほど重たいことなのか。
そのことを知るため
次に 私がお話を伺ったのが…>
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
<ロンドンオリンピック
競泳女子背泳ぎ 銅メダリスト
寺川 綾さん。
寺川さんは
私が水泳選手を目指していた子供の頃
誰よりも憧れていた人。
いつも 笑顔で
人気者だった寺川さんにも
オリンピックの舞台に立つ
プレッシャーはあったのか。
聞いてみたいと思ったんです>
<昔も今も変わらず
選手が
オリンピックで受けるプレッシャーは
計り知れないもの。
国の期待に応えるために
彼女が自分に課したメニューは
私の想像を超えるものでした>
<温水プールでもない過酷な状況下で
なんと1日20kmもの距離を
たった一人で 毎日泳いでいたそう。
更に コーチもいなく
練習メニューを考えるのも
前畑さん自身。
そうまでして 頑張れた理由。
それは 数年前に
病気で亡くなっていた お母さんから
いつも言われていた ある言葉でした>
<そして 1936年。
4年間
とてつもないプレッシャーに耐えながら
ついに たどりついた
ベルリンオリンピックの舞台>
<前畑ガンバレの名実況と共に
見事 金メダルを獲得。
その時の心境について前畑さんは…>
<日本中が歓喜に沸く中
前畑さんの胸にあったのは
務めを果たしたという安心感だけでした>
<オリンピックのあと
彼女は即座に競技を引退。
指導者になることもなく
翌年には結婚して
専業主婦となり
水泳界からは 完全に身を引きました。
その後
日本は太平洋戦争に突入し 敗戦。
戦後は
2人の子供を育て
平穏な日々を
過ごしていました。
ところが…。
引退から数十年後
前畑さんは再び水泳界に戻ってきます。
名古屋で水泳教室を開校したのです>
<55年ほど前 前畑さんの水泳教室で
1期生だった杉山幸子さん。
杉山さんによれば
前畑さんの指導方針は
自分に厳しい姿勢で水泳に臨んでいた
現役時代とは大きく違っていたようで…>
<水泳教室では とにかく優しく
楽しい指導をモットーにしていたそう>
<更に 引退後に書いた
彼女の手記を読んでみると…>
「ひとはスポーツをするに当って
決して勝利を目的とし
そのことにのみ 熱中してはならない」。
<あれだけ日本中から勝利を要求され
その期待に応えるために
命を懸けてきた彼女に
何があったんでしょうか?>
<最後に私が訪ねたのは…>
失礼します。 こんにちは。
(2人)こんにちは。 桃果です。
本日は よろしくお願いします。
<前畑さんの義理の娘
兵藤尚子さんと
孫の大二郎さん。
お二人に 前畑さんが
水泳教室を開いた理由を聞いてみると…>
<やっぱり水泳が好き。
シンプルだけど その気持ち
私にも分かるような気がしました。
私も
オリンピック選手を目指していた頃は
結果が出ないことへの焦りや
毎日こなす つらい練習の日々で
水泳が好きだとは
思えていない時期がありました。
でも 競技を離れてから10年
今 私は休日に 一人でプールに
泳ぎに行くことが趣味になるほど
あのころ以上に水泳が好きです。
もしかしたら
前畑さんも そんな気持ちだったのかな>
<これで全ての取材は終了。
そして…>
前畑秀子役の桃果さんです。
<いよいよ
ドラマの撮影日がやって来ました。
それでは私 桃果が演じる前畑秀子さんを
ご覧ください>
よ~い はい!
「死すとも勝ちたい」。
そんな思いで勝ち取った
日本人女性初の金メダル。
だが オリンピックの翌年。
競技を引退した前畑は…。
え? これって…。
はい 私が持っているよりも
ここで皆さんに見てもらった方が
いいと思うんです。
でも これは君の…。
いいんです。
私の役目は 金メダルを獲ったことで
もう終わっていますから。
前畑は
水泳と決別し 新たな人生を送るため
自身の金メダルを母校に寄贈。
そして
それから およそ10年の月日が流れた。
(ノック)
≪は~い。
先生…。
ご無沙汰しています。
ご無事だったんですね。
ああ…。
本当に よくぞ ご無事で。
君も大変だっただろう。
大変だったのは みんな一緒ですから。
それで 今日は一体 どのようなご用件で?
前畑さん すまん。
君の金メダル… なくなってしまったんだ。
…え?
1945年に起こった名古屋大空襲。
当時 金メダルを保管していた
校長の自宅も焼失。
彼女が命を懸けて つかみ取ったメダルも
がれきの中に消えた。
そのかわりと言っては何だが
本物と同じように作ってもらったんだが。
すまない こんなことになってしまって。
ところが…。
あれは もう
私のものではありませんから。
…え?
あっ いや
だから お気になさらなくて結構ですよ。
わざわざご丁寧に
ありがとうございます。
前畑さん…。
あっ そうだ
せっかく いらっしゃったんですから
今夜は うちで ごはんでも。
ああ いや
前畑さん 実は
そのことを伝えるのもそうなんだけど
もう一つ 頼みがあって来たんだ。
頼み?
空襲で駄目になった
プールの修復が もうすぐ終わって
また 水泳が始められそうなんだ。
それで今度 プールの復興を祝う式典を
行うことにしたんだが
是非
前畑さんにも来てもらえないだろうか?
でも 私 もう水泳は…。
分かってる!
君の気持ちは分かってるんだ。
でも 戦争が終わって
みんな やっと前を向いて
自分の人生を
生きていけるようになったんだ。
だからこそ 我が校の誇り
…いや 日本の誇りである君に
来てもらいたいんだ。 頼む。
(ため息)
そんなに行きたくないなら
断れば よかったのに。
でも 先生の頼みだから
やっぱり行かないと。
(ため息)
そもそも 何で
そんなに行きたくないんだい?
光栄なことじゃないか。
水泳は もういいのよ。
それに これ以上
私みたいな思いをする人を
見たくないの。
正直 プールに近づくってだけで
あの時のことを思い出しそうで怖いの。
勝たなきゃ死ぬ 勝てなきゃ死ぬって…。
そうか。
でも 分からないな。
…え?
君は紀の川で泳いでいた子供の頃から
金メダルを獲るためだけに
泳いでいたのかい?
それは…。
まっ とにかく 行ってきなさい。
きっと 君にとっても
意味のある日になるから。
だが…。
当日 現場に到着しても
まだ気は重いままだった。
どうした?
顔色悪いけど 大丈夫か?
大丈夫です。
ところが…。
頑張れ 頑張れ。
頑張れ 危ないよ。
ああ ああ ああ もう勝手に
始まっちゃってるよ。
皆さん 一度 上がって!
来賓の方が!
先生! ちょっと待ってください!
え?
♬~
足を しっかり かいて。
そうそう そうそう!
もっと! 前に進んでないよ。
もっと もっと! 頑張んないと駄目だよ。
もっと しっかり足…。
ねえ。
水を怖がっちゃ駄目よ。
体を まっすぐにして
足の甲で しっかり水を蹴れば
ちゃ~んと進むわ。
本当?
うん。
やってみようか。
本当だ。
お姉ちゃん ありがとう。
ねえ!
あなた 水泳は好き?
うん 大好き!
♬~
何か ごめんな
これじゃ ただ遊んでるだけだな。
いえ。
先生 今日は 私をここに呼んでくださって
本当にありがとうございます。
ん?
やっと思い出せました。
水泳って とっても楽しいんですよね!
♬~
<かつて時代に翻弄され
水泳で
この国に勝利を届けることこそが
唯一 自分の価値だと思い込んでいた
前畑さんは
引退してから十数年の時を経て
かつて 故郷の紀の川で
純粋に水泳を楽しんでいた自分を
思い出すことができました>
<それは 彼女の人生にとって
金メダルを獲得した以上の
大きな出来事だったのかもしれません>
<だからこそ彼女が開いた水泳教室は
競技としての水泳ではなく
豊かな心と体を育み
誰もが 自分のペースで
楽しむ場所になったのです>
ありがとうございました。
(拍手)
笑顔とか
穏やかにいることを意識して演じました。
完璧にできたかは分からないけど
ちゃんと しっかり これを
届けられたらいいなっていう思いと
今回 こうやってインタビューしてて
すごく いろんな人から
前畑さんのことについての
インタビューだけど
いろんな人から いろんな愛をもらったな
っていうのは すごく感じました。
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