出典:EPGの番組情報
あしたも晴れ!人生レシピ「人生の苦難 その後を生きる」[解][字]
突然の事件、事故、災害、思わぬ試練にみまわれたとき、人はそれとどう向き合うのか?事件の被害者や遺族の立場となった人たちのその後を見つめます。
詳細情報
番組内容
突然の事件や災害など、人は思わぬ試練にみまわれることがあります。今回は、事件の被害者、被害者遺族のその後の人生を見つめます。去年起きた大阪のクリニック放火事件の被害者遺族が、その後始めたあることとは?福岡で起きたバスジャック事件の被害者の女性や、イラク人質事件の当事者となった男性が、その後見つけた「自分の道」とは?ポスト・トラウマティック・グロース(心的外傷後成長)についても考える。
出演者
【ゲスト】ジャーナリスト…江川紹子,【講師】オークランド大学心理学部プロフェッサー…宅香奈子,【司会】賀来千香子,小澤康喬,【語り】堀内賢雄ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – 健康・医療
情報/ワイドショー – グルメ・料理
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- 活動
- 孤立
- 出来事
- お願い
- お話
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
突然の災害 事件 事故。
思いがけない苦難が訪れた時
人は どのように
それと向き合うのでしょうか。
こちらの女性は去年12月に
大阪のクリニック放火事件で
院長だった兄を亡くしました。
事件後 元患者たちと オンラインで交流
その声を
自分でも受け止めようとしています。
福岡で起きたバスジャック事件で
傷を負った女性。
イラクの人質事件で当事者となった男性。
この2人も事件のあと 葛藤を抱えながら
自分の歩む道を見いだしました。
立ち上がる きっかけとは?
今の思いとは?
苦難の先の人生を見つめます。
♬~
「あしたも晴れ!人生レシピ」。
今回は 思いがけない苦難と
どう向き合うか 考えます。
事件 事故 災害。
誰にとっても自分だけは安全
大丈夫ということはありません。
突如 事件の当事者となった方が
その先の生きる道を
どのように見いだしていったのか
見ていきます。
大変な事件に見舞われた方々が
どういう気持ちの流れというか
気持ちの変遷を
今日は お聞かせ願えたらと思っています。
では今回のゲストをご紹介しましょう。
ジャーナリストの江川紹子さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回のテーマについては
どのようなことを感じられますか?
筆舌に尽くしがたいような
悲しみとか苦しみとか
そういうのを受けた方の中にはですね
こういう困難の以前より 以上にですね
自分の人生を非常に積極的に
あるいは いろんな人たちとのつながりを
広げながらですね
生きてらっしゃる人も
いらっしゃるんですよね。
そういう方に出会うと この方は どうして
そんなふうになれるんだろうか?
というふうに思ったりするわけですよね。
だから今回も そういう方のお話を
少し伺って
私自身も考えたいなと思っています。
最初は去年12月 大阪のクリニックが
放火された事件です。
被害者遺族のお一人を取材しました。
去年の12月。
大阪市内で起きた
心療内科クリニックへの放火事件。
火をつけた容疑者は死亡。
クリニックに通っていた
61歳の患者でした。
そして クリニックの院長や スタッフ
患者など 26人が命を落としました。
亡くなった院長の西澤弘太郎さん。
心の病を抱えた人の助けになりたいと
復職などのサポートにも
力を入れていました。
こんにちは。
こんにちは。 お願い致します。
亡くなった西澤さんの妹 伸子さんです。
事件の当日
兄と警察署で対面を果たしました。
伸子さん自身は 兄が亡くなったことや
容疑者について考えても
何も感情が浮かんでこず
どこか まだ現実とは思えないといいます。
そんな伸子さんが
大きく心を揺さぶられたのは
インターネット上に書かれた
元患者の思いに触れた時。
しかし一方で伸子さんが気になったのは
こうした患者が この先
どうなっていくのかということでした。
行き場を失って お薬もないとか
どうしてやっていけばいいのかっていう
不安になってるということで…
そんな時 元患者たちへのサポートを
始めた人がいると知り
訪ねることにしたのです。
こんにちは。 どうも。
障害者への相談・就労支援などを
行っている
川田祐一さんと妻の直美さん。
西澤さんとも面識がありました。
川田さんが支援する人たちの中には
西澤さんのクリニックに通っている人が
12人ほどいました。
そのうち1人が亡くなり
2人にとっても事件は大きな衝撃でした。
2人は事件後 その患者たちなどを集め
オンライン交流会を企画していました。
そこに伸子さんも
参加してもらうことにしたのです。
一緒にね 活動できるというのは
すごい うれしいことやなと思ったので…
その集いは現在
週に1回 行われています。
「こんばんは」。
この日の参加者は 10人。
今 直面している悩みなど
ありのままの心のうちを話しました。
そして それぞれが つらい時に
どのようにしているのかも
話し合いました。
伸子さんも会話に参加します。
川田さんは事件後 容疑者が
社会的に孤立していたと知り
人とつながることの大切さを
より強く感じています。
僕ら自身も そういうふうに
孤立してしまうと
自分たちも自暴自棄になって やっぱり
自分の命を粗末にしてしまったりとか
例えば本当に極論を言えば…
この回に参加してから
伸子さんは あることを始めました。
心理学の勉強です。
こんにちは。 どうぞ。
さまざまな症状や治療法などを学び
さらには カウンセリングの技術を
身につけたいと考えています。
孤立して追い詰められる人が
少なくなるよう
周りに悩みを抱えている人がいたら
よき相談相手になれればと
考えたからです。
なぜ ここまで行動するのか
それには ある理由がありました。
事件が起こる数年前から
毎年のように病気が見つかり
前年には脳の腫瘍を摘出する手術も
受けていたのです。
兄が実践してきた「人に寄り添う生き方」
「自分のしたいことをやり
精いっぱい生きること」
その大切さを
胸に刻んでいます。
やっぱり悲しいから いっとき
その悲しみに沈むとかいうことは
別に悪いことじゃないと
思ってるんですけども…
悲しみをひたらなくて済むのかな
というふうにも
客観的に考えたら
あるのかもしれないです。
何か本当に自分が やれることで…
やっぱり お兄様と同じような使命を
持っていらっしゃる方なのかなと
思ったことと ご自分も病気をされて
生きるということを強く感じられて
すごいなというか。
この事件って被疑者が死亡していますので
被害者の遺族が犯人に対して
怒りや悲しみをぶつけるということが
できないわけですよね。
裁判も行われないので そういう中で
なぜ?とか どうしたら?っていう
そういう問いを伸子さんは ご自身で
探そうというふうにされてるのかな
ということをちょっと感じました。
伸子さんが今回 取材に応じた理由の一つ
としてですね
事件から1年たとうとしているが
「悲しい事件だったね」というだけで
終わらせるのではなくて
孤立しない社会のために何ができるか
考えてもらいたいという思いが
あるということなんですね。
専門家に加わって頂きます。
アメリカのオークランド大学心理学部教授
宅 香菜子さんです。
心的外傷後の人間の成長
ポスト・トラウマティック・グロースに
ついて研究されています。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
宅さん 心に傷を負うような
ショックな出来事があったあとの
人間の成長ですとか 変化をする方
というのは少なくないのでしょうか?
そういったことは
もちろん 程度の差こそあれ
決して珍しいことではないということが
分かってきたんです。
ついつい 被害に遭われたのだから
悲しみにくれているのではないか。
許せない気持ちで いっぱいに
なっているのではないか。
いろんなことを こちらが
先入観でイメージを持って
相手を理解しようというふうに
してしまうことがあります。
一方でですね 私なんかは やっぱり
自分だったら耐えられない
とても絶望の底に沈むだろうと
思ったりするもんですから
見舞われた方が許せないというお気持ちが
拭えないという方たちのサポートとか
フォローも大事なことではないかと
思うんですけど それについては?
本当に おっしゃるとおりだと思います。
本当に人は みんな違いますので
やっぱり支える。 そして共に伴走する。
つながりというのは
とても大事だと思います。
2つの種類の人がいるというふうに
考えるよりは
1人の中でも そういう両方を行き来する
という面もあるとは思うんです。
だから本当に 行きつ戻りつ揺れ動く
その心のありようを
そのまんま理解するということが
とても大事なんです。
元患者とのオンラインでのつながり
というのがありました。
江川さんは こういったつながりの重要さ
というのは どのように感じられますか?
被害者だけではなくてですね
例えば依存症の方とか
あるいは カルト問題で宗教2世のことが
今 問題になってますけれども
外の人たちには十分
分かってもらえなかったり
あるいは うんと説明しないと
分かってもらえないというようなことを
やっぱり体験者であれば
率直に話し合えるとかですね
分かり合えるという やっぱり
そういうところが あるのかな
というふうに思いますよね。
続いては自分自身が
事件の被害者になったあと
それをきっかけに
ある活動を始めた方です。
佐賀県に暮らす山口由美子さん 73歳です。
現在 夫と娘の3人で暮らしています。
山口さんの顔には数十針
縫った傷痕があります。
さらに…。
手も… いっぱい。
山口さんは友人と2人
コンサートに行くため
高速バスで福岡に向かっていました。
そのバスの中で
牛刀を持った17歳の少年が
22名の乗客 乗員を人質にとり
立てこもりました。
この事件で亡くなったのは
友人で幼児教育の教室を主宰していた
塚本達子さん。
山口さんが その教室に我が子を通わせ
先生と慕っていた人でした。
山口さんは バスの中で
どのような思いでいたのでしょうか。
まだ中学生ぐらいの
かぼそい体格の子が
30センチちょっとあるような牛刀を
振りかざして…
そして私も同じような男の子が
同じぐらいの年齢の子がいるんですよ。
で こうしたら後頭部まで切られて
何か ここに座席に
座っていられなくなって
通路に転がり落ちて。
傷つけられたっていうのは感じてて。
下に座り込んだ時に。
その後の報道で
その少年が いじめを受け
学校にも行けていなかったことなどを
知りました。
実は山口さん 3人の子どものうち
娘が中学校で不登校に。
学校に行かずに家でゲームをしている姿を
複雑な思いで見ていたといいます。
少年の心は どうなっていたのか。
我が子の心は どうなっているのか。
どう向き合えばいいのか
自分に その問いを投げかけました。
そんな山口さんが ある出来事によって
大きく変わることになります。
傷の治療のため 広島の病院で1か月半に
わたる入院を余儀なくされていた時。
耐えがたい痛みで体は動かせず
無力さを感じていた山口さん。
献身的な医療スタッフの態度に
心を動かされます。
食事も食べさせて頂く。
体も きれいにしてもらう。
山口さん 音楽好き
コンサートに行くような人だから
何か CDじゃない… ラジカセに入れて
ラジカセまで持ってきて
テープ持って
「これ よかったら聴いて」とかですね。
あ~ 何もできない私を
こんなに大切にしてもらって
いいんだろうかと思って。
なんて これまでの私の生き方
傲慢だったんだろうと思ったんですよ。
頑張ってる自分は いい。
頑張らない自分は だめ。
だから頑張ってない人を見た時に
だめだと思っていたんですけども
何もない私も生きてていい。
退院して家族のもとに帰った後
自然と子どもへの接し方が
変わっていたといいます。
子どもと接する時に 以前は「それぐらい
あなたが頑張ればいいじゃない」とか
上から目線で言ってたのが事件後は…
事件から2年後 山口さんは民家を借りて
子どもたちの居場所作りを始めました。
温かい食事を提供。
子どもが自由にしたいことをやれるよう
心がけ
時には一緒に遊びながら寄り添うのです。
あれから およそ20年。
子どもが自分らしく いられることの
大切さを伝えたいと
講演活動も行っています。
こんにちは。 山口です。
今日は お世話になります。
テーマは「子どもの居場所」について。
会場以外にも オンラインで参加した
150人近くの聴衆に向けて語りかけます。
家庭では正しいことを
つい私も言ってきましたけど…
やっぱり社会に出た時のことを考えたら
こうでなきゃいけないんじゃないかとか
思うかもしれないけど…
聞くとか 話をちゃんとするとか
言葉ですると簡単なんですけど
そういう簡単なことが できてない。
子どもに失礼なことを
やってきたってことに気付いたから
みんなに気付いてほしいなっていうの。
山口さんは今も場所を変えながら
子どもの居場所作りを続けています。
市の施設を使用し フリースペースを開設。
10人ほどの子どもが通っています。
最近では ネグレクトなど
親に養育されていない子どもも
増えているといいます。
子どもが この場所で安心して くつろいで
くれることを山口さんは願っています。
この活動を手伝っている森田さん。
不登校の経験者で
山口さんの作った居場所に来ていました。
今は スタッフとして活躍しています。
特に不登校の子の場合はですね
不登校になる過程で すごく傷ついてる
疲弊している場合が すごくあるので。
別に ここが何か すばらしいという話
じゃないんですけども
そういったものが あればいいな
続けばいいなという思いはありますね。
70代の山口さん 体力が
なくなってきているといいますが
それでも可能なかぎり
続けていきたいと考えています。
その子たちが元気になって
社会に出ていって
何か 仕事やったりしてるじゃないですか。
わあ すごいなと思ってね。
生きがいでもないけど…
自分を受け入れてもらえるという
環境だったりすることが
どれだけ 人の人生に左右するかなと
思ったことと
「子どもは正しいことだけでは
育ちません」って おっしゃったのも
すごいなと思いながら でも どこか納得。
山口さんは事件を起こした少年と
その両親と直接 会ってですね
謝罪を受けているそうなんですね。
一緒に お墓参りもして そして少年には
どうして こんなことを起こしたのか
よく考えてほしいと伝えた
ということです。
また山口さんは犯罪被害者支援に関する
講演会も行っていまして
許せないという気持ちは
当たり前のことであると。
そういう思いに寄り添って
思いを聞いてくれる人がいることを願う
というふうに おっしゃっていました。
江川さんはVTRについて
どのようなことを感じられましたか?
言葉の中に「子どもでも追い詰めたら
何でもしますよ」
という話がありましたよね。
ですから恐らく この事件の少年も
ある種 追い詰められていた
ということなんだと思うんですよね。
同じような事件って
いっぱい起きてますよね。
ハロウィーンの時に
電車の中で起きた事件とかですね。
自分の命なんか どうでもいいと。
死刑になりたいとかですね。
どの程度 実感を持って言ってるか
分からないんですけれども
逃げようとか 助かろうとかっていうのが
ない分 さっき おっしゃったように
何でも やっちゃうみたいな
そういうことに なりがちですよね。
ですから どうでもいい命じゃないと。
どうでもいい人生じゃないよ
ということを
何か それぞれが自分で思えるような
そんなことをしたい。
それが こういう悲劇をなくす。
もとを小さくするというかですね。
そういうことで それを
目指してらっしゃるのかなということを
何となく思いました。
山口さんは事件の前は
自宅で洋裁の仕事をされていまして。
ですから
子どもの居場所作りというのは
まさに全く違う分野への
新しいチャレンジだった
ということなんですけれども
どんなことを感じられますか?
本当に力の及ばないような
完全に無力になってしまうような
出来事を経験することで
むしろ自分が これまで なかったような
チャンネルが開かれるといいますか
そういうような可能性
そういうのを感じました。
ポスト・トラウマティック・グロースの
研究では
次のような内容の成長があると
考えられています。
つらい経験から
人の心の痛みに敏感になったり
思いやりを持てたりと
人との関係が変化する。
新たな可能性が開かれ それなしでは
ありえなかったであろう活動を始める。
自分には このような面もあったんだと
気付くなど 自分自身への見方が変わる。
それまで当然のように思っていた
日々の出来事 命などに
感謝の念が湧いてくる。
人間の存在を超えた大いなる存在や
死者とのつながりを感じたり
深い死生観を持ったりする。
途切れた道の その後を生きていく
その数というのは
本当に人の数だけあるので
研究では この5つ全てをほんの少しずつ
経験される方もいらっしゃれば
そのうちの1つだけを
強く経験される方も
あるいは その実感が
どれもないという方も
もちろん いろんな方がいらっしゃいます。
江川さんは山口さんのお話の中で
人は ありのままを受け止められると
変わっていくというお話が
ありましたけれども
どのようなことを思われますか?
すごく難しいことだと思うんですよね。
ありのままとは何か?というところも
自分では分かんなかったりしますしね。
ただ やっぱり善悪で あるいは優劣で
評価をされないで
存在してること自体が
やっぱり尊いことだというふうに
自分で思えるような状況になる
ということが
例えば その人が困難な時にですね
やっぱり自暴自棄にならずに
まだ別のやり方があるんじゃないか
というふうに思う力に
なるんじゃないかなという感じが
しますよね。
最後は社会から
大きなバッシングを受け
まさに 自分をそのまま
受け入れてくれる人の存在に救われた
という方を取材しました。
めっちゃ びっくりした。
神戸に暮らす今井紀明さん 37歳です。
2人の子どもとパートナーと
4人で暮らしています。
今井さんは 19歳の時
ある事件で人生が一変します。
高校生の頃から国際支援に
関心を持っていた今井さん。
アメリカ同時多発テロが起きたことで
その関心は
より強くなっていったといいます。
1か月後にアメリカ軍が アフガニスタン
という国で空爆を始めてたんですよね。
そこで やっぱ子どもたちが
亡くなっていったその姿というのを
報道されてはいたので やっぱり自分は…
イラク戦争が始まった翌年の2004年。
今井さんは 日本政府が現地への渡航を
やめるよう勧告を出している中
ジャーナリストと共に現地に入ります。
しかし イラクに入って間もなく
武装勢力に人質として拘束されます。
その後 無事解放。
しかし帰国後 待っていたのは
「自己責任」の大バッシングでした。
さらに自宅には批判の手紙や葉書
5万通以上が届きました。
そこに書かれていたのは
今井さんへの暴力的な言葉の数々でした。
世界が一変したんですよね。
もう歩いたら いろいろ言われるんですよ
本当に。
「お前なんて死ねばよかったのに」とか。
パニックになるんですよね 本当に。
今は本当なくなったんですけど
急に泣きだしたりとか
急に怖くなったりとか。
社交的な性格だった今井さんですが
対人恐怖症になり 家に引きこもります。
日本で暮らせないと感じ
イギリスに語学留学をしますが
孤立し 9か月で帰国。
その後 九州の大学に入りますが
人と話すのが怖く
精神的に不安定な状態が続いていました。
何かしら騒ぎがあったあとの
一定期間たったあとが結構 危なくて
突発的な死というよりは
そのあとに来てる うつとか
そういったもののほうが怖いんですよね
やっぱり。
そんな今井さんが
少しずつ変わり始めます。
きっかけは事件に関心を持たずに
気楽に つきあってくれる友人が
できたことでした。
バスで たまたま隣に来たやつが
あんまり自分の事件の背景とか知らずに
仲良くなったんで
それもあって結構
連れ出してくれるようになって。
家に朝7時ぐらいになったら来て
授業に連れ出すんですよ。
「今井 起きろ」と 「授業 行くぜ」みたいな。
あれは もう間違いなく…
その友人は今井さんが
心を閉ざしていることに対して
「向き合わないといけないのでは」という
言葉をかけました。
そん時に そうやなと思って。
自分で向き合わないと
他人のせいにしててというか…
無理だなと思って
それで話し始めたってのは ありますね。
そこから だいぶ動き始めたと思います。
いろんな意味で。
卒業後 大阪で専門商社に就職。
営業の仕事をしながらも 本当に
したいことは何か模索していました。
そんな時 通信制高校の教員と知り合い
やりたいことが見つからない若者が
多いことを知ります。
すると そんな若者と向き合いたいという
気持ちが湧き起こりました。
先も見えなくて ずっと
閉じこもってた時期が長かったので。
不登校とか 引きこもりの子たちの
支援って
今でも弱いんですよ そもそも。
一番 社会制度支援がないところなので。
なので そこの部分 何とか仕組み化したい
というか 支援したいなというか。
そこで会社を辞め 26歳の時
NPOを立ち上げ
生きづらさを抱える10代を
サポートする事業を始めました。
自分の夢を語ってもらったり
職場見学や仕事体験をしてもらう
取り組みなどを行ってきました。
活動を始めて 10年。
どうぞ。
僅か数人で始めたNPOですが 今では
スタッフは 30人以上にもなりました。
コロナ禍になってから
特に力を入れているのが相談事業です。
このユキサキチャットというところで…
不登校 中退とか…。
SNSに登録するだけで
無料で相談できる仕組みを作りました。
今井さんが許可を得て
17歳の少女の相談を見せてくれました。
少女は お金や住む家がないという
深刻な状況でした。
少女の安全を守るため どんな住宅なら
入ることができるかなど
情報を提供し サポートしました。
今 アルバイト得て 収入安定してて
今は暮らせてる状況にある
ということですね。
活動資金は企業や団体 個人から
寄せられる寄付金です。
そうした資金をもとに
緊急性の高い若者には
現金給付や食料支援を行っています。
これまでに届けた食料は
8万食を超えました。
寄付する人や ボランティアも増え
支援の輪が広がっています。
今 4人でしゃべってた俺ら。
事件以降 消えたいと思い
人間不信にも陥っていた今井さん。
今は人とつながり 支え合う関係を
築いています。
若者が1人で抱えている悩みを
共に分かち合い 向き合いたい。
その思いは ますます強くなっています。
10年間 つらい思いなさったんですけど
ご自分の人生を肯定できて
本当に よかったなということと
また その力が皆さんを支える
というふうに
変遷したというのも
何か すごい感慨深いなと。
やっぱり相当の時間がかかって
そして いい友達との出会いがあって
そして新たに やりたいことも
出会いですよね。
それが彼を成長させたという
そういうことなのかなというふうに
思いながら今 見ていました。
宅さん
今井さんのようなケースですけど
周りの人は どのように当事者と
接することが大切だと思われますか?
当事者の方は本当に ほっといてほしい
という気持ちもありつつも
でも何で自分だけが
こんなに苦しんでいるのに
社会は それをほっとくんだという
気持ちも
本当に いろんな気持ちを
抱えていらっしゃるわけです。
そういった時に
エキスパート コンパニオン
つまり エキスパートというのは トラウマ
とか あるいはカウンセリング 心の。
そういった動きについての基本は
分かっている。
相手のペースを尊重して せかすことなく
答えを出すことも急がせることもなく
ただ本当に そこに一緒にいてくれる人。
すごく その人にとって救われる
といいますか 助けになるような
そういった出会いになるということが
分かっています。
それは心理の専門家だけではなくて
相手のことをそのままの状態で
分かりたいなと思う そういう人は
誰でも エキスパート コンパニオンとして
接することができます。
自分にとっての受け入れがたい出来事
というのは
やはり それまでの生き方ですとか
価値観を見つめ直す契機になるかと
思うんですけれども そうしたことが
その人ですとか あるいは社会に
もたらすものというのは
どういったことがあるというふうに
考えられますか?
一歩 少し引いて考えると
個々に起きたトラウマというのは
今の世の中が抱えている問題が そこに
表れているということがあるわけですね。
そうすると突きつけてくるものを
我々 みんなが受け止めて
これをじゃあ ここから次世代に
同じことが起きないためには
どういうふうにしていこうか。
それも含めて丸ごと
社会が理解していくような
そこにつながるというのが やはり
今日のようなお話を聞くことの意味
大切さだというふうに
私は すごく強く感じます。
江川さんは今日ご一緒して頂きまして
どのようなことを通して
感じられましたか?
やっぱり人間の心というのは
すごくしなやかで強いというものを
秘めてるんだなという感じが
しましたよね。
ただ それが表に表れるのには
本当に人によって時間がかかったり
あるいは やっぱり人のつながりが
大事だったり
「被害者」という この3文字にですね
くくりきれない
いろんなものがあるなというふうに
思いました。
皆さん 今回は
どうもありがとうございました。
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