出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 里見浩太朗[字]
~水彩画では個展も…多趣味な85歳!~里見浩太朗さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
85歳を迎えた今も、様々な趣味で日々を楽しんでいる里見浩太朗さんがゲスト。
◇番組内容
3年ほど前に始めた水彩画で今年、個展を開催。自宅で妻が育てた紫陽花や、散歩に出かける公園で見かけた花を描いているという。50代から始めたピアノを軽やかに弾きこなす様子も公開。そして結婚46年、13歳下の愛妻との暮らしぶりを。料理上手な妻への感謝を語りながら、思わずのろけてしまう場面も…。また、今年6月に亡くなり、里見さんにとって親戚にあたる俳優・佐野浅夫さんの思い出を明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- ゴルフ
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- 水墨
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- 家内
- 京都
- 時代劇
- 親戚
- お描き
- スター
- ミノン
- 以上
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)この見事な水彩画を
お描きになったのは 85歳の今も
多趣味な里見浩太朗さんで
いらっしゃいます。
水彩画の他にも
ピアノ ゴルフなど
様々な趣味を
楽しんでいらっしゃるそうで
ございますが。
結婚46年。
13歳年下の奥様との
お暮らしぶりも
伺わせて頂きます。
どうも ごきげんよう。
しばらくでございました。
しばらくでございました。
よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
まあ すごい。 85歳。
水彩画は
いつからお描きになった?
あのね 水墨画を
ずっと やっていたんですけども。
あっ そうそう。
3年ぐらい ちょっと前に
色を付けてみようと。
まあ 僕 大体
お花しか描かないんですけども。
見た目は こう 色があった方が
華やかなんで。
華やか。
だから 色を付けている。
ああー お上手。
あっ これ…。
ねえ。
これね 盆栽の
藤の花なんですよね。
ええー。
実際に家内が買ってきて。
ええ。
まあ 花より 僕が
うまく描けたなと思うのは
あの下の芝生みたいな…。
あれが ちょっとね
すごくリアルで好きなんですよ。
うまく描けたなと
思ってるんですが。
ええー。 あら。
これはね 京都の家の
3軒ぐらい隣のお家の
垣根から 毎年 こう
ぶら下がるように なんか…
見ると 藤の花というよりは
ブドウのように見えるんですね。
ええ。
これも そんな感じでね
葉っぱが少なくて花が多くて。
すごい。
だから まあ そのとおり…
見た目のとおりに描いてみたんで。
本当は もっと花が
びっちりなんですけども。
そうですか。 へえー。
今年6月には
銀座で個展をお開きになった。
はい。 まあ 水墨から水彩に変えて
6年目ですね。
で やってみたんです。
ええ。
花は 実物をご覧になるの?
それとも 写真に写したりして?
とにかく ゴルフ行っても
散歩しても
目に留まった花は
全部スマホで撮っておいて
それをパネルにしてから
描きます それを。
あっ なるほど。
見本にして。
あっ これ
お家に咲かせていらっしゃる…。
そうですね。
これは ベランダに咲いている
さっきの見本ですけども。
可愛いですね でも お花ってね。
いや 本当に こう…
朝起きて窓を開けた時にでも…
カーテンを開けた時に
花があると
とてもホッとしますね。
本当 本当。
これは この間… 駒沢公園が
家の前にあるんですけども。
散歩していたら こんな花が
道端に咲いていたんで…。
あっ そうですか。
これ まあ 写真撮って…。
これも描きました。
これ そうなんですね。
道端の花を…。
可愛い。
いくつも合わせてみたんです。
「浩太朗」って
書いていらっしゃるんですね。
ハハハハ…。
へえー。
どうしたら
ああいう色が出るのかと
思うような色ですよね 花って。
いや 実物の花の色が出る時と
なかなか実物の色が出ない時と…
それで
すごく苦労する時もあります。
なるほど。
だから 本当に
色が出た時は
とてもうれしいですね。
なるほどね。
でも こういうの細かいとこまで
じっと見ていらっしゃると
目が疲れるでしょ?
そうですね。
フフフフ…。
若い時なら そうでもないけど
まあ この年になりますとね
もちろん眼鏡をかけて
やっていますけども。
花の中の
色が変わっている所とか。
ええ。
花の中の芯とかを描いているとね
「イイー!」ってなってきますね。
フフフフ…。
目が痛くなってきて。
前は 水墨画を
お描きでいらしたんですって?
そうです。 まあ 水墨は もう
30年ぐらい前から…。
わあー すごい。
やっているんですけども。
まあ 家内が…。
わあー。
お習字をやっていた
先生がいまして。
その先生に
「お習字の先生ですか?」って
言ったら
「いや 僕は水墨を…
専門なんだよ」って。
「じゃあ 教えてください」。
で 習ったんです。
前に頂きましたね 私。
そうですね。
ありがとうございました。
でも すごくお上手ね。
いやあ うまく描ける時と
描けない時と
なかなかね…。
ええ。
フフフ…。
こんなふうにして
お描きになっていらっしゃるのね。
あれですかね。
水彩画と水墨画の違い
っていうのは
どこにありますかね?
難しいのは水墨です。
うん。
黒だけ。
っていうのは 墨一つで濃淡と…
なんていうんですか
匂いっていうんですかね
その花の匂いを いかにうまく…。
で 水墨は一発勝負ですね。
ああ そうですね。
水彩は上から足せるんですね。
あっ なるほど。
だから その
水墨に… うまくいった時の方が
うれしいです。
なるほど。
でもね
すごくお上手だと思いました。
でも あれですね
里見さんは多趣味で
50歳から
ピアノをおやりになったりとか。
いや ピアノは
やっているというよりも
ピアノ弾けるっていったら
重たくて引けないよっていう…。
フフフフ…。
そういう感じですね。 フフフフ…。
演奏していらっしゃる…
ピアノを。
映像ありますので
拝見させて頂きます。
あります? そんなの。
あるんですって。
「♬~(ピアノ)」
あっ お上手。
♬~
あっ 結構 聞けますね。
ねえ。 お上手。
♬~
お上手。
いやいや これ以上 なかなか…。
これ だいぶ前のです。
あっ そうですか。
これ以上 上達していません。
ハハハハ…。
でも ピアノは独学?
習っていらしたの?
あのね 先生に
ちょっと付いたんですよ。
でもね もういいと思って。
面倒くさくなって
自分でやるっつって。
まあ 独学ですね。
でも 今の
誰でも知っているような曲を
ああいうふうなものを
好きで弾き始めると
割と早く上手になるんですよね。
あのね ジャズの先生
そう言っていました。
ピアノは感覚だから。
自分の… 間違ってもいいから
においを出せばいいっていうか
まあ 弾きたいように弾けとかね。
そんな事
できるわけないんですけども。
でも そんな気持ちで
やっていた方が楽しいですよね
一人でやっている時は。
そうです。 やっぱり
自分の好きなものやった方が
うまくなるのは
早いような気がします。
でも ゴルフも
趣味でいらっしゃるんでしょ?
ゴルフはね…
最初はテニス
僕は若い時やっていたんです。
ゴルフは40歳ぐらいから…
松山英太郎とか 竹脇無我とかね。
フフ…。 若い。
あの辺の
ちょっと後輩がうまくて。
「先輩
やりましょう やりましょう」で
始めたのが40歳からです。
あっ そうですか。
だから
ゴルフは遅いんですけども。
それでも 60歳と11カ月で
シングルになりました。
ああー やっぱり すごいですね。
頑張りました。
やるもんですね。
ゴルフ場は よく歩くので
いいんですって?
そうですね。
家内に言われるんです。
前が すぐ駒沢公園ですから
「歩きなさいよ」。
「いや 駄目だ。 ボールを
追っかけないと歩けない」って
よく言うんですけどね。
まあ 犬でもいれば
散歩しながら歩きますけども。
でも なかなかゴルフ場以外は
歩こうっていう気に…
なかなか なりません。
そうですね。
でも ゴルフだと
若手ゴルファーと交流もできるし。
渋野日向子さんとか
それから
原英莉花さんと…。
なんか 皆さん
メル友なんですって?
そう。 あの… プロアマで
一緒になりましてね。
「やあ」って。
「頑張れよ」とかね…
「頑張れよ」とか
「そういう事もあるよ」
とかね 言いたい事を
メールで送るんですよね。
ええ。
これは 一昨年の
プロアマの時でした。
そうですか。 アマチュアの方で
お出になった…。
そうですね。
プロとアマチュアが組んで…
やるんですけど。
そういうのがあるんです?
楽しそう でも。
ハハハハ…。 楽しい。
楽しみですよ。
勉強になるんですね やっぱり。
今年の6月に
俳優の佐野浅夫さんが
96歳で お亡くなりになりました。
なんか
親戚でいらっしゃるんですって?
そうなんですよ。
私の母親と
いとこ同士になるんです。
ええー。
それで 子供の時に
映画館に
母親と行きましてね。
東映の有名な映画なんですけども。
『きけ、わだつみの声』っていう
戦争映画がありました。
その時に
きつい軍曹をやっていたのが
佐野さんだったんですね。
それで すごく認められた
作品なんですけども。
おふくろが 映画館 出る時に
「あの怖い軍曹をやったのね
あれ 親戚のおじさんよ」って
こう 言うんです。
ええー
親戚に俳優さんがいるのって
初めて知ったんですよ。
ええー。
そんな事を
すっかり忘れていまして
で 映画界に入ってから
お会いしてから
「里見です」って。
「おう 里見か」って
そういうふうに言いましたけどね。
フフフ。
でも よく見るとね 顔の形はね
やっぱり
ちょっと 似ているんですけど。
でも あるパーティーで
森光子さんと会った時に
「みっちゃん みっちゃん」って
佐野さんがね。
「これ 俺の親戚だよ」って言ったら
「ウソ言いなさい」って。
「なんで?」って言ったら
「顔が全然違う」だなんて…。
まあ
そんな事はありましたけどね。
でもね 確かに
顔は違うんですけど
僕とは
またいとこっていうんですかね。
わからないんですけども。
とにかく うちの母親の…
だから 僕のおばあちゃんと
佐野さんのお母さんが…。
ご姉妹?
姉妹なんですね。 そんな関係で
テレビでは何回か
一緒にやりましたけども。
民藝でしたからね。
ええ。 あの方ね 劇団民藝…。
芸に厳しいんですよ。
本当に うるさかったですね。
僕には そんな うるさくないけど
周りの人様に
うるさい人でした。
そうですか。
でも いい方でしたよね
とってもね。
あっ これ なんの時でしょうね。
賞をお取りになった時?
『松平右近事件帳』かな?
一緒に同心をやって頂きましたね
その時に。
今 左側が佐野さんだけど。
ええ。
こんな写真あったんだ。 ハハ。
ねえ。 びっくりしました。
でも それよりも
3代目の水戸黄門は
佐野さんがおやりになって
里見さんは5代目?
5代目ですね。
だから そこのところも
面白いですよね。
そうですね。
だって あの役をね…。
親戚で ねえ 水戸黄門を
2人がやるっていうのは
めったにない事でしょうね
きっと。
そうだと思います。
佐野さんね 『徹子の部屋』に
5回 出てくださったんですよ。
あっ そうですか。
ちょっと 見て頂いていいです?
懐かしいので。
「長い事 劇団民藝の
俳優さんでいらっしゃいました
佐野浅夫さんです。 まあ…」
「どうも」
「今日は また いいお召し物で」
「初めて… 大変失礼ですけど
そういうスーツをお召しで
すてきな そんな…
輸入物というんですか?」
「外国製のネクタイを
していらっしゃるところを…」
「いや 持っているという事を…」
「そう。 私… 本当に すてきね」
「いつもも すてきだけれど
こういう
いいのも
とってもすてきだと思って」
「ほら いつも 大体 軽装の役が
多くていらっしゃるでしょ?」
「もう 大軽装で いつも」
「今の『貫八先生』では
先生なんでしょ? でも」
「ええ。 トレーニングシャツだけ」
「それから よくジャンパーに
白い帽子とか
そういう役も多いじゃない」
「そうですね。 制服姿ね」
「あっ 制服ね」
「お仕着せね」
「フフフ。 そういうの多いから
びっくりして」
「とってもすてきだと思って
本当に」
フフフフ…。
佐野のおじちゃんはね…。
「おじちゃん おじちゃん」って
言っていたんですけども。
大きな果物問屋の息子なんですよ。
あっ そうですか。
でも 「跡取りは嫌だ」って。
「どうしても 俳優になるんだ」って
言って。
そしたら 親父が 「お前なんか
もう 帰ってこなくていい」
「勘当だ!」っていってね
言われたんですよ。
勘当されたの?
勘当されたんですよ。
で 今…
しばらく会わなかった時に
「果物問屋の方は
どうなっているのかな?」って
僕に聞いた事ありましたけどね。
あっ そうですか。
「もう おじちゃんの関係ない所に
いますよ」って。
フフフフ…。
気になっている時が
あったんですかね。
そうですね。
でも 話が違いますけど
里見さんは19歳で
東映のニューフェイスに
お入りになって。
最初から
スターだったわけじゃ
ないんですか?
いや ニューフェイス
っていうのは…。
なんのために
採ったのかな?
お金をかけて
給料 払ってって
思った事はあります。
なぜかっていうと
歌舞伎の世界から
どんどん
新しい方が入ってきて
なんにもしないで
どんどんスターに
なっていくんです。
俺たちは毎日 その他大勢
仕出しをやっていて。
あの人たちは
なんにもしなくても
スターの道ができているんだ。
俺たち ニューフェイスって
一体 なんだ? ってね
思った事はありますね。
なるほど。
でも それが… 歌舞伎の人たちは
6歳の6月6日から修行に入って
全てを知っている。
だから 俺たちは これから…
二十歳に入って
これから何年間が
勉強の場なんだという事を
言われまして。
だから 往年のスターさんたちと
僕らは一緒に
仕事ができたっていう事。
よかったですね。
とってもね…
チャンバラが好きな少年としては
とっても うれしかったですね。
夢のような世界に
入ったような気がしましたね。
そうですね。 1979年というから
だいぶ前ですけども。
里見浩太朗さんが 『徹子の部屋』に
出てくださった時の…。
40年ぐらい前ですね。
そうですね。
ちょっと ご覧頂きます。
はい。 あっ そうですか。
「今は本当に 主に やはり
里見浩太朗さんというと
時代劇っていう感じがするけど」
「初めてニューフェイスで
カツラを おかぶりになった時は
いやあ しまったと
お思いになったんですって?」
「ニューフェイス 入りましてね
“東京へ行くか 京都へ行くか
自分で決めろ”と
こう言われましてね」
「東京なら…」
「東京なら現代劇
京都なら時代劇と」
「でも 僕は
時代劇が好きでしたからね
“京都へ行く”って
こう 言ったわけですよ」
「初めてね この羽二重をして
カツラをかぶった時にね
鏡 見ましてね いやあ しまった
なんで 京都なんて
言っちゃったんだろうと思ってね」
「全くね 自分じゃないしね
間が抜けているわけですよね」
「しまった。 今さら
現代劇にいかせてくれって
言えないしななんて思ってね…
2~3日 眠れませんでしたね」
「これは駄目だって
こう思いましたね」
ハハハハ…。
すごいですね。
いやあ 本当に そうですよ。
でも それね ちゃんと
ポートレートを撮ります
っていった時は
ちゃんと自分に合ったカツラを
かぶせてくれるんですよ。
それで メーキャップの先生が
ちゃんと こう お化粧して
目張りも入れてくれて 撮ったら
ちゃんと
時代劇の顔になっていたんで
それは安心しました それで。
なるほどね。
でも 東映では
「駆けずの浩太朗」と
呼ばれていらしたんですって?
走らない? フフフフ…。
「早くセット 来てください」って
演技事務に言われまして
「はい」って言うんですけど
僕は決して
走ったりしなかったんです。
だから いつの間にか
「駆けずの浩太朗」って
あだ名がついちゃったんですね。
そうですか。
でもね 普段の生活も そんな 僕は
せかせかする方じゃないんですね。
のんびり こう…
なんていうんですかね。
なるようになる
慌てる事はないっていう
そんな感覚でやってきまして。
だから 50歳になった時に
いい仕事を頂きまして。
それは 「大石内蔵助」ですけども。
あっ…。
それをやらせてもらった時に
あっ 別に慌てなくてもよかった。
周りを ゆっくり見て
歩けばいいんだ。
で 僕の座右の銘が
「ゆっくりと一歩」。
そこで生まれたんです。
あっ そうですか。
「ゆっくりと一歩」。 なるほど。
里見さんは
13歳年下の奥様と結婚46年。
はい。
どういう奥様なんですか?
あの… 13歳違うと
一回り以上 違うんですけども
帰ったら 「手を洗って」。
フフフフ…。
子供みたい。
「玄関で脱いで」と。 今 特に ほら
コロナがありますから
「玄関で全部 脱いで。
お風呂 直行」。
もう こんなんですね。
フフフフ…。
ただね 料理は最高です。
あっ そう。
もうね どこの料理屋さんより
おいしいなと
僕は いつも思って食べています。
すごい。 ええー。
それはね ちょっとした事でも
すごいなと思う時があります。
フフフフ…。 すごい。
どこで覚えたか知らないけど…。
まあ なんていうんでしょうね。
色々のお料理屋さん 行ったり
なんかしたら
そういうものを こう
自分の頭の中でアレンジして
研究するんでしょうね きっと。
そうでしょうね きっとね。
奥様のお作りになるもので
お好きなものは何があります?
そう。 僕 いつも感心するのは
ローストビーフですね。
おおー。
これはね
どこのレストラン 行っても
どこのホテルへ行っても
かなわないなと思います。
すごい。
一回 食べに来てください。
ハハハ…。 ありがとうございます。
そんなお上手なの?
はい。
ふーん。 でも 奥様のお料理が
お上手すぎると
逆に悩みもあって
よそで何も食べられなく…。
まあ そうですね。
それはね 例えば… たまには
これ おいしいなと…。
大体 レストランで食べるご飯って
普通ですね。
なるほどね。 普通。
ええ。 普通です。
なるほどね。 奥様のは おいしい?
はいはい。
なるほどね。
いや おしんこ1つも そうです。
本当に研究するんです。
おしんこって 一番 こう…
なんていうんですか。
手頃のものじゃないですか。
ええ。
それがおいしいっていう事が
とても幸せですね。
いいですね。
すいません。 なんか
馬鹿な自慢しまして。
いいえ。 いい。 それは もう
本当に お幸せだと思います。
でも なんか
奥様に褒められた事は
あんまりないんですって?
ないですね。 あのね 例えば
お芝居する 舞台やる。
例えば 歌の番組に出る。
帰ってきてから 「お疲れさま」とは
言うんですけども。
よっぽど気に入った時は
「お客さんは喜んだでしょうね」
っていう言い方です。
ハハハハ…。
私は喜ばないのっていうんじゃ
ないんですけども それで
満足してくれているな
っていう事が わかるんですね。
フフフフ…。
で なんか どこか こう
欠点を探そうとする…
するんですね。
それが家内の癖というんですか。
例えば
ネクタイが曲がっていたよとか
上 下が合わなかったよとか
そういう事…。
だから コーディネートは
全部 家内です。
こういうコーディネート。
あっ そうなんですか。
そうでいらっしゃる。 でもね
奥様が近くにいらっしゃって
そういうふうに見てくださって
そういうふうに
おっしゃってくださるんですから
いいじゃないですか。
そうです。 もう 幸せですね。
ねえ。 本当 お幸せと思います。
だから もうちょっと
褒めてほしいなと…。
ハハハハ…。
フフフフ…。 そうね。
あんまり褒めるとこが
ないのかもしれませんけど。
いや わざと…
わざとでしょう きっと。
(橋爪)おぉ~
♬~
≪(シャッター音)
おぅ!
里見さん
お体 丈夫なんですって?
そうですね。 この85年間で
入院したのは1回だけ。
盲腸。
これは誰でもやりますけども。
それは もう 撮影の真っ最中
盲腸になりまして
夜中の立ち回りの時に…。
でも すぐ 次の日
入院しましたけど 1週間。
まだ30代でしたけども。 ええ。
それ以上 入院って ないですね。
すごいお丈夫なんだわ。
なんか
お兄様も お元気ですって?
ええ。 兄貴は今 90で
5つ年上ですから。
ええー。
で この間も
「兄貴 元気にしてんのか?」って
言ったら
「おう。 今な 家の前の河原を
散歩しているんだよ」ってね。
あっ それだけの声を聞きゃ
大丈夫だと思いましてね。
お元気なのね。
ええ。 だから 母親も94歳。
おばあちゃんは96歳。
あっ すごい。
で 父親だけが32歳で…。
これは戦死ですけども。
もう しょうがないですけども。
戦死。
全部…。
まあ 佐野さんも96ですからね。
みんな うちの佐野家の系統は
長生きかもしれません。
さて これから
何か 目標は おありですか?
いや まだ これから…
今年ですね
時代劇が2本 大きなのが…。
正月作品と 来年の…
あるところの来年の作品
2つ 待っています。
わあ すごい。
頑張りたいと思います。
そうですね。
ありがとうございます。
じゃあ 拝見に伺うと思います。
そうですか。
じゃあ 生涯現役という事で。
そうですね。
引退なんていう言葉は
使いたくないです。 はい。
『徹子の部屋』は
♬~
(アキ)♬~ く~るくる く~るくる
(トシ)♬~ぬるミノン~
♬~くるりとまわしてぬるミノン~
<繰り返しがちな
肌あれに>
<敏感肌を
守りながらうるおす>
<お風呂あがりも ミノン>
(トシ こどもたち)♬~くるりとまわして
ぬるミノン~
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