NHKスペシャル「玉鋼(たまはがね)に挑む 日本刀を生み出す奇跡の鉄」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

NHKスペシャル「玉鋼(たまはがね)に挑む 日本刀を生み出す奇跡の鉄」[字]

世界中で、島根県の奥出雲にしかないたたら製鉄。日本刀の材料となる奇跡の鉄・玉鋼(たまはがね)を生み出すべく、12人のスーパー職人が集結。しかし予期せぬ事態が…。

番組内容
世界の美術コレクターを魅了する日本刀。この鉄の芸術品の唯一無二の材料が玉鋼(たまはがね)だ。強くしなやかでさびにくく、近代製鉄でも製造困難な奇跡の鉄は、粘土の釜に砂鉄と木炭を三昼夜投じる「たたら製鉄」で生み出される。しかし、コロナの感染拡大で、作るチャンスは一度限りに。しかも、操業は、相次ぐ危機に見舞われた。玉鋼を無事生み出すことができるのか。日本のものづくりの神髄に迫るドキュメンタリー。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

NHK
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ほ~れ!

世界中で
ただ ここにしかない ものづくりが

いよいよ始まる。

職人たちの掛け声と
木炭を たたきしめる音。

それは
4日間にわたって繰り広げられる物語の

いわば プロローグだ。

職人たちがつくるのは 玉鋼。

強さと しなやかさを併せ持ち
しかも 錆びにくい。

最先端のテクノロジーでも
製造困難とされる奇跡の鉄。

それは 日本刀を生み出す

唯一無二の
スーパーマテリアルだ。

玉鋼から生まれる日本刀は

鉄を使った人類最高峰の芸術品として
海外でも高い評価を獲得している。

アメリカで開かれる
日本刀の展示即売会では

年代物から現代の刀匠の作品まで
次々と売れていく。

玉鋼なくして 日本刀なし。

その玉鋼づくりを
一手に担ってきた職人たちが

試練に直面した。

毎年1月から2月にかけて行われる

たたら製鉄と呼ばれる玉鋼づくり。

新型コロナ第6波と重なったため

今年の操業は
ただ1度かぎりとなってしまった。

しかも その1度かぎりの玉鋼づくりは

相次ぐ危機に見舞われた。

人の力と自然の素材だけを使った
日本古来の鉄づくり。

玉鋼を生み出すことができるのか。

12人の職人たちが挑む
一発勝負の玉鋼づくりに

日本のものづくりの神髄を見た。

島根県 奥出雲町。

ここに 世界で ただ一つ

日本刀のための玉鋼をつくる製鉄所
たたら場がある。

(祝詞)

4日間にわたる玉鋼づくりは
その成功を祈願する神事から始まった。

(かしわ手)

玉鋼づくりを指揮するのは 木原 明さん。

村下と呼ばれる たたら職人の頭領だ。

たたら製鉄に携わって 45年
玉鋼づくりを先頭に立って 率いてきた。

せ~の! せ~の!

よっしゃ! そこまで!

その木原さんも 86歳。

操業には
総監督として 日中のみ参加する。

玉鋼づくりの成否を握るのは

木原さんの背中を追ってきた
11人の職人たち。

身につけた技を存分に発揮し

たたら製鉄の継承者であることを
自ら証明できるのか。

今年のチャンスは 一回かぎりだ。

玉鋼のつくり方は 一見シンプルだ。

木炭が燃え盛る粘土の釜に

材料となる砂鉄と木炭を

3日3晩 30分置きに入れる。

木炭で加熱された砂鉄は

純度を上げながら

釜の底に落ちて固まっていく。

こうして出来た鉄の塊を

金偏に母と書いて と呼ぶ。

このの内部に
銀色の玉鋼が出来るのだが

出来高は
を割って中を見るまで分からない。

釜には 相撲の土俵の東と西のように

表と裏がある。

今回 4人の次期 村下候補が

表と裏に分かれ

木原さんに代わって
砂鉄を入れる仕事を

交代で務め
玉鋼の出来を競う。

4人の後継者の力量が試される
一回かぎりの玉鋼づくりが始まった。

表の一番手 堀尾 薫さん。

次期村下候補の筆頭とされている。

地元 奥出雲町の出身で 24歳の時
木原さんに じか談判し 弟子入りした。

木原さんは まな弟子の仕事ぶりが
どうにも気になるようだ。

しかし 堀尾さんも
今や キャリア29年のベテランだ。

実は 去年も コロナ禍で
一度かぎりの操業を強いられたのだが

出来たの中身は さんざんだった。

最高品質の一級の玉鋼が

例年の半分にも満たない
およそ180キログラムしか とれなかった。

今回 堀尾さんは 木原さんを説得し

砂鉄の配合から釜をつくる粘土まで
思い切って変えた。

見事 成果を上げ 自らの力量を
師匠に示すことができるのか。

釜の調子が よくなると

この低く青みがかった炎に
変化が生じるというのだが…。

堀尾さん…

山吹色の炎は
順調な滑り出しの証しだそうだ。

いきなり登場した この方。

主催団体のたたら課長こと 黒滝哲哉さん。

今年 定年を迎える。

コロナ禍での操業実現に向け
裏方として奔走した。

その黒滝さんが
裏の村下候補に 何か話しかけている。

どうやら表に比べ
炎の上がりが悪いのではないかと

指摘しているようだ。

去年は 裏の玉鋼の出来が
特に悪かったこともあり

今年にかける思いは 強い。

村下になるには
砂鉄ひとすくい4キロの感覚を

体で覚えなければならない。

しかも 炎の様子から釜の状態を読み

砂鉄の量や入れる場所を
うまく調整しなければ 玉鋼は出来ない。

そう話す三上さん自身が 全国に
200人以上いるという 刀匠の一人です。

刀匠名 三上貞直。

30代にして 大きな賞を総なめにし

無鑑査という
刀匠としての最高の称号を手にしました。

日本刀をつくるのに
なぜ玉鋼が必要なのか。

三上さんが普通の鉄と比べながら
実際に見せてくれました。

まず 普通の鉄。

熱して ハンマーで打っても
のばすことができません。

それでも打ち続けると…。

それに対し 玉鋼は…。

熱して ハンマーで打っても
崩れることはなく

少しずつのびて 広がります。

更に 折り返して ハンマーで打つと

鋼同士が くっついて 一つになります。

こうした性質を生み出す一因が
玉鋼に含まれる不純物にあると

見られています。

通常 不純物は
鋼が割れる原因となり 忌み嫌われます。

ところが 玉鋼に含まれる不純物は
ひものような形をしており

鋼に粘りを与えるというのです。

この不思議な鋼が生み出される原理は
いまだ完全には解明されていません。

文化庁長官賞を受けた三上さんの太刀。

玉鋼を
何度も折り返して打ちのばすことで

日本刀の地金には
きめ細かな文様が現れます。

この太刀も
三上さん自身が生み出した玉鋼で

つくられました。

日本刀は 鉄でつくられた芸術品として

海外でも多くの人の心を
わしづかみにしています。

8月。 サンフランシスコで行われた
日本刀の展示即売会。

アメリカの刀剣商や愛好家が
年に一度 開催してきた この会は

32回目を迎えました。

こちらは
戦国時代の名品 村正の短刀。

気になるお値段は…。

鑑定書つきで
日本円にして およそ1, 150万円。

年代物から現代の刀匠の作品まで

1ふり100万円を超える日本刀が

次々と売れていました。

アメリカでの日本刀人気は

終戦後 進駐軍の兵士が

日本刀を大量に持ち帰ったことから
始まったとされています。

ところで 来場者は
日本刀が 何から つくられているのか

知っているのでしょうか?

日本刀の文化を支える玉鋼づくり。

操業初日の夕刻

早くも難しい局面を
迎えようとしていた。

裏の村下候補 刀匠の三上さんは

釜の側面にある小さな穴と格闘していた。

釜に空気を送る管の
すぐ上に開けられた のぞき穴だ。

穴の奥で煮えたぎっているのが
ノロと呼ばれる不純物。

そのノロの塊が

穴を塞ぐように垂れ下がっている。

砂鉄を入れると
その一部が 釜の粘土と反応して

ノロになる。

ノロには
釜を高温に保つ役割がある一方

たまり過ぎると 送風管を塞いで

釜の中に 空気が届かなくなる。

最悪の場合 炎は消え
操業は失敗に終わる。

そうなる前に 湯路穴と呼ばれる穴から

ノロを適度に外に出さなければならない。

砂鉄を入れ始めて 12時間。

釜にたまったノロとの戦いが
始まっていた。

表の様子を うかがうと

2つの穴から流れ出たノロが
溝に きれいにたまっていた。

ノロを うまく出せたようだ。

じゃあ 悪くない…?

一方 裏は…。

ノロは 一向に出てこない。

おはようございま~す。

次の村下候補と交代する時間だ。

大阪大学の大学院で

研究員として 金属の精錬技術と熱力学を
学んだ理論派だ。

(一同)へ~い。

まず 送風管の状態を確認すると

かなり詰まっている。

すぐ下にある送風口が
既に ノロに 塞がれているかもしれない。

急ぎ ノロを出そうと湯路穴を探るが…。

固まったノロで塞がれている。

特に左側は 手ごわそうだ。

佐藤さんの流儀は 論理的であること。

釜の状態を分析し ある作戦に打って出た。

砂鉄より先に木炭を入れるよう
指示を出した。

釜の温度を上げることで
ノロが固まるのを防ぎ

更に 固まってしまったノロを
少しでも溶かそうという計算か。

まず 右の穴。

ねらいどおり
ノロが少し軟らかくなってきたようだ。

ノロが出てきた。

次は 左の穴。

と壁との隙間に狙いを定め
思い切って棒をねじ込んだ。

せ~の…。

せ~の… よっ!

大きな塊が 取れた。

なんとかノロ出しに成功したようだ。

しかし ノロ出しの遅れは 玉鋼の出来に
どんな影響を及ぼしているのか。

操業を終え
を割って中を見るまで分からない。

佐藤さんは ふだん 島根県安来市にある
鉄鋼メーカーの工場で働いている。

120年ほど前
たたら製鉄から始まった この工場。

たたら職人 12人のうち

村下の木原さんを含む8人が
この工場の社員だ。

(一同)今日も 一日 安全作業 よし!

佐藤さんは 工場で使う設備の設計や
保守管理をしている。

松江の工業高校を卒業して入社。

たたら製鉄を科学的に解明せよ
という社命を受け

研究員として
大学院に派遣されたのだが…。

何か こう ある程度…

技術面や人材面で
たたら製鉄を支えてきた この会社。

実は 投資ファンドに売却されることが
決まっている。

この奥出雲の地に ただ一つ残された
古のたたら製鉄は

一体どうなるのだろうか。

棚田の風景が広がる 奥出雲町。

百数十年前までは
日本を代表する工業地帯でした。

棚田の多くで砂鉄がとられ
たたら製鉄が盛んに行われていたのです。

奥出雲を流れる斐伊川に
磁石をさすと

今でも 砂鉄を
容易に目にすることができます。

良質な砂鉄に恵まれた
中国山地の山陰側では

山を崩して
その土砂を水で流し

棚状にしつらえた浅い池で
砂鉄を集めていました。

その砂鉄を原料に行われた
中国山地のたたら製鉄。

西洋式の近代製鉄が導入される
明治初期まで

日本の鉄の 実に8割以上を
生み出していました。

終戦とともに姿を消した たたら製鉄は

昭和52年 1977年に復活します。

戦時中に携わっていた
2人のたたら職人に

木原さんたち 製鉄技術者が
弟子入りする形で再開しました。

たたら製鉄の復活には

玉鋼を求める
全国の刀匠からの声に加え

伊勢神宮による
強力な後押しがありました。

20年に一度行われる…

その際に奉納する太刀をつくるのに
玉鋼が どうしても必要だったのです。

お~ これは…。

まっすぐな刀身に 板の目のように
浮き上がる こまやかな地金のあや。

柄には トキの尾羽が
2枚 あしらわれています。

式年遷宮で奉納される御神宝の中でも
優美な姿で際立っています。

これは 昭和28年 戦後初めての
式年遷宮の際に打たれたもの。

残っていた玉鋼をかき集め なんとか
つくることができたのですが…。

そういった材料も払底いたしまして

昭和52年のたたらの復興に向けては

伊勢の神宮も大きな関心を寄せまして

いろいろな お手伝いを
させていただきまして

その復興につながった
ということがございました。

こういった 非常に 巧妙細緻な
明るく澄んだ地金

すがすがしさを備えた刃文というのは

日本の古来の和鉄
和鋼といわれる玉鋼でなければ

表すことができないといわれておりまして
玉鋼を私どもでは特に重用しております。

たたら製鉄で生み出される鉄は
日本刀のほかにも

茶の湯で使われる茶釜に。

また寺院や仏像など
文化財の修復には欠かせない

千年もつと うたわれる
釘や鎹などにも使われます。

日本の経済ではなく
文化を支えるものづくり。

それが たたら製鉄です。

操業開始から 丸一日が過ぎた。

山吹色の炎は 高さを増し

湯路穴からも
炎が勢いよく噴き出している。

は かなり大きく育っているはずだが

この時期 釜は まだ不安定だ。

5分 目を離せば 様子は一変するという。

油断はできない。

堀尾さん…。

一睡もせず 更に 夜の8時まで
砂鉄を入れ続けるという。

本来 村下は 三昼夜休みなく操業を
指揮しなければならないという。

村下を目指す堀尾さんは

今回 2日にわたって
砂鉄を入れる仕事に挑戦していた。

やってがっしゃ~い。

しかし 疲労で体の感覚が
鈍ってきたのか

気が付くと 秤を使い始めていた。

鋤さばきが思うようにいかなくなると

砂鉄を入れる量や位置に狂いが生じる。

それが続くと 釜に問題が起きる。

夜8時前。

堀尾さんに続く 表の二番手
三浦靖広さんが それに気付いた。

木炭が釜の中に下がらないということは

釜の内部の燃焼が悪くなって

砂鉄がうまく溶けていない
おそれがある。

師匠の木原さんがいない時間に
起きたトラブル。

解決できないまま 交代となった。

やってがっしゃい!
(一同)へ~い。

何なんですか? 原因は。
えっ? いや それは…。

そうそう そうそう…。

堀尾さんと交代した三浦さん。

木炭の下がりをよくしようと
試行錯誤を重ねていたが…。

木炭は依然として 釜の中に下がらない。

奥の手に出た。

竿炭と呼ばれる
燃えやすい大きな木炭を入れるよう

炭入れ役の安藤さんに指示した。

ところが…。

指示を撤回した。

釜を見ると 木炭が少し下がり始めて
燃焼がよくなっている。

どうやら 炭入れ役を務める安藤さんが

独自の判断で 木炭の大きさと
入れる場所を調整していたようだ。

(一同)ほ~れ!

たたら製鉄は 全員参加のものづくり。

それを実感するのが
操業開始前に行われる下灰という作業だ。

力を合わせ 声を合わせ

釜をつくるための下地となる床を
3日かけて つくり込む。

もちろん 釜も全員でつくる。

4人の村下候補に注目する私たちに

三浦さんは
これだけは言っておきたいと語った。

2日目の深夜は
釜との一進一退の攻防が続いた。

うまくいけば
3日目には は ますます育ち

釜の壁が崩れるギリギリの所まで

大きくなるはずなのだが…。

そうですね 今ね…

確かに
湯路穴から噴き出す炎の勢いは弱い。

釜の中を
空気がうまく流れていないおそれがある。

最高の玉鋼を生み出すために

常に精進を重ねてきた木原さん。

弟子たちに
もどかしさを感じているのだろうか。

朝まで釜を離れていた堀尾さんには
状況が分からない。

村下は三昼夜の操業に立ち会うべし
というのは こういうことか。

一方
徹夜で釜と向き合ってきた三浦さんは…。

三浦さん お疲れさまです。
ああ ご苦労さまです。

そうですか?

暴れる釜を
チームの力で夜通し収めてきた。

一時的な不調というのが
三浦さんの見立てだ。

しばらくして たたら課長の黒滝さんが
炎の変化に気付いた。

だんだん… あの辺が…
ですから よく見てください。

炎が釜のヘリから せり出してくるのは

釜の内部の状態がよくなってきた
兆しだそうだ。

よいしょ~。

釜が調子を取り戻したところで
三浦さんの村下役は 一旦 終わった。

やけどと泥が
釜との闘いの時間を物語っていた。

裏の村下候補 刀匠の三上さん。

秤を使い始めた。

操業も3日目。
交代制とはいえ 三上さんは 66歳。

炎に体力を奪われ
体も悲鳴を上げているはずなのだが…。

表の炭入れ役 田中さんが

休憩時間を返上して
裏の助っ人に駆けつけた。

大きくなったが
ノロの出口を塞いでしまったようだ。

それにしても ここには

釜の状態を把握するための
デジタル機器も

作業を効率的に進めるための
電動工具もない。

原始的な道具を手に 我が身一つで
見えない釜の奥を探る。

楽をしない ものづくりを貫く
12人の たたら職人たち。

楽をしないからこそ
楽しんでいるようにも見える。

テクノロジーに身を委ねず
肉体をセンサーにするからこそ

得られる気付きや発見がある。

それこそが
かつて メード イン ジャパンに

輝きをもたらした 日本のものづくりの
神髄だったことを思い出した。

♬~

最終日 4日目の早朝。

3日3晩続けた砂鉄の装入を終え
を取り出す。

見えない釜の底で
は うまく育ったのか。

いよいよ…

を取り出すために 釜を壊す。

まさに 一期一会の ものづくりだ。

つくっては壊すを繰り返すことで

ものは消えても ノウハウは人の中に残り
受け継がれていく。

せ~の よいしょ!

もうちょい もうちょい!
(一同)せ~の…! よっ!

来る 来る 来る…。
さあ 次 次!

いいですか。
(一同)はい!

大量の木炭に蓄えられていた熱が
一気に放たれ 数百度の熱風が立ち上る。

赤く燃える木炭を取り除いた下から

らしきものが姿を現した。

どういうところが?

の重さは およそ3トン。

冷やされたあと
玉鋼を取り出すために割られる。

このの中に
銀色の輝きをどれだけ拝めるのか。

去年は例年にない不作に終わった。

これまでに
160を超えるを生み出してきた木原さん。

玉鋼の出来高に対する予想は
いつも厳しいというが…。

おはようございます。
(一同)おはようございます。

いよいよ を割る。

木原さんの予想を耳にしたからか
一同の表情は硬い。

2年連続の不作となれば
日本刀づくりへの影響も甚大だ。

まず 堀尾さんたち表の組が
受け持った部分を割る。

(アラーム)

堀尾さん どうですか。

ちょっと前までの不安を
忘れてしまうほどの

出来栄えだったようだ。

ねらいどおりですね。
ハハハハ… ねらいどおりです。

ねらいどおり?
ねらいどおりです。

そう そう そうです。

よかったですね。

さて 理論派の佐藤さんと

刀匠の三上さんが受け持った
裏の出来は…。

去年に比べて
玉鋼の出来は大幅に上がったが

銀色に分け入るように
黒い組織が くっきりと差し込んでいた。

厳しい予想をしていた木原さん。

今年の出来を どう評価するのか。

結構 とれる? とれますね。

弟子たちの成長を実感した
今年の操業だった。

三上さんは 刀匠に戻った。

今 自ら生み出した玉鋼を使い

鎌倉時代の名刀の再現に取り組んでいる。

そして 村下の 木原 明さん 86歳。

三浦さん 堀尾さんと共に

ミニたたらを体験するイベントに
取り組んでいる。

あっつ!

デジタル時代を生きる若い世代に

ものづくりの本当の面白さを
伝えたいという思いだ。

おじさん見習って…

手袋しないで。

今年 12人のたたら職人が生み出した
一級の玉鋼は およそ400キログラム。

去年の倍の成果となった。

刀匠たちに送り届けられた玉鋼は

メード イン ジャパンの1ふりへと
姿を変え

また世界をうならせるのだろうか。

♬~

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