出典:EPGの番組情報
先人たちの底力 知恵泉「救え!わが町の文化財 40万冊の本と寺の鐘」[解][字]
書籍や寺の鐘といった身の回りの文化財の疎開がテーマ。40万冊の本を空襲前に疎開させた図書館館長と、寺の鐘を救うため奔走した公務員。2人が繰り出した絶妙な知恵とは
番組内容
空襲で全焼した都立日比谷図書館。帝国図書館の3倍、40万冊を事前に疎開させていた。キーマンは館長。当時、中学生として運搬を手伝った男性が、館長のユニークな知恵を明かす。一方、滋賀県では金属類回収令により寺の鐘が供出される事態となり、一人の役人が行動を起こす。緻密な方策をたて、鐘を取り返す。その驚くべき知恵とは?出演:青柳正規(多摩美術大学理事長)鈴木杏(俳優)田島奈都子(青梅市立美術館学芸員)
出演者
【出演】多摩美術大学理事長…青柳正規,俳優…鈴木杏,青梅市立美術館学芸員…田島奈都子,【司会】高井正智ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
テキストマイニング結果
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キーワード出現数ベスト20
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- 日名子
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- 日比谷図書館
- 大事
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- 除外
- 図書館
- 対象
- 気持
- 結構
- 蔵書
- 当時
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
城のあるじたちの権威を示す
天守。
日本文化を象徴する
文化財でもあります。
太平洋戦争末期の昭和20年。
名古屋城や広島城など
創建当時の姿を残す7つの天守が
空襲で焼失しました。
天守だけではありません。
太平洋戦争では
およそ90の重要な美術品や建築が
破壊されています。
日本の歴史の蓄積が
灰となって消えてしまったのです。
それでも さまざまな方法で
文化財を空襲から
救った人々がいました。
守ろうとしたのは
博物館に展示されるような
文化財だけではありません。
本や雑誌
浮世絵や
町のお寺の鐘など
私たちの身の回りの文化財も
対象としました。
そこから 私たちは
どんな知恵を得ることができるのか。
読み解くのは元文化庁長官
現在は多摩美術大学の
理事長を務める
青柳正規さん。
古代ギリシャやローマ時代の
美術史 考古学の分野で活躍し
更に各地の美術館館長を歴任。
文化財の保存と活用に努めてきました。
先達の英知を未来に どう伝えていくのか。
文化財を救おうとした人々の姿から
知恵を読み解きます。
文化財といいますと 美術品とか仏像
そういったものを
思い浮かべますけれども
身の回りの文化財に ちょっと
スポットを当てていきたいな
というふうに思います。
今も出ていましたけど 本なんかも
その一つかなと思うんですが
鈴木さん 本はお好きですか?
いろいろ読みますね 小説も読むし
それこそ 例えば舞台とかだと
史実に基づいた話とか
やったりもするので
そのための資料って それこそ 古本とか
探して読んだりとかもしますし。
青柳さんは どんな本を?
本でね 一番 大切にしてるのは
長谷川町子のね 「いじわるばあさん」。
漫画ですね?
…っていうのはね
歩いて10分ぐらいのところに
長谷川町子さん いて
しょっちゅう会ってましたからね。
よく散歩なさってて。
その「いじわるばあさん」をなぜ大事に?
で それのシリーズを…
1冊しか サインのはないけど
その全体シリーズを大切にしてます。
そうですか。
私は美術館に勤めてますから
展覧会のカタログ。
あれが一番 好きですね。
図版も たくさんあって
解説文も充実していて
いろいろ そこから先 知りたいと思うと
いろんな参考文献とかも載っていて
見ても読んでも すごくためになる。
今日は その本とか
そういう身近な文化財を
どう守ってきたのかという話を
見ていくんですが
本日も当店のおすすめ
まいりますよ。
こちらでございます。
あれ? また静かになりました?
あっ 考えて下さってますね。
はい。 とう… としょ…
「図書」が入ってますよね。
刀削… とうしょう…
としょ… としょ… 図書。
図書をなが~く モチモチ
もたせるための知恵から
見ていきましょう。
太平洋戦争末期。
大型爆撃機 B29による 日本本土への
長距離爆撃が本格化しました。
被災した あまたの家屋や施設。
その中には図書館も含まれていました。
東京都では 28ある都立図書館のうち
24館が爆撃による被害を受け
多くの本が失われました。
全焼しましたが 空襲前に本を疎開させ
40万冊の蔵書が焼失を免れます。
疎開は ほかの図書館でも
行われていました。
それでも 40万という数字は
帝国図書館の3倍。
全国一です。
その陰に 一人のキーマンがいました。
日比谷図書館 館長 中田邦造。
石川県立図書館や
東京帝国大学図書館での勤務を経て…
ほかに類例のない
膨大な冊数の本を疎開させた
すご腕の中田。
大仕事を進めていく上で
欠かさぬことがありました。
映画監督の金高謙二さん。
日比谷図書館の本の疎開を題材に
ドキュメンタリー映画を製作しました。
金高さんは 中田が疎開させた
本の行き先を追いました。
その多くが
都立中央図書館に保管されています。
だから いわゆる
一般の人が考えてるような
書籍っていうか 本だけじゃなくて
だから その中で
例えば 「伊能図」とかね。
伊能忠敬の日本地図とか。
でっかい 広げたら。
「あっ こんなものも 実は そうか。
疎開してたんだ」とか
ものすごい貴重なものが
結構ありますよね。
これらの本や史料は
主に東京西部や埼玉県の
農家の土蔵を借りるなどして
運び込まれました。
日比谷図書館が疎開を進める中で
中田は 細かい気づかいを
発揮していきます。
中田は 図書館の蔵書だけでなく
作家や学者たちが所有する本を
一緒に疎開させようとしました。
民俗学者の柳田国男が
中田の来訪を日記に記しています。
これを なんとか…。
中田は 予算として200万円
現在の価値で およそ4億円を用意。
本の持ち主たちに
適正な金額を支払おうと努めました。
気持ちよく納得してもらい
より多くの本の疎開の同意を得る。
中田の作戦は 功を奏しました。
また 働き盛りの職員が召集され
集めた本を運ぶ者が
いなくなる時がありました。
ここでも中田の気づかいが
問題を解決に導きます。
旧制 都立第一中学校の生徒だった
小島輝久さん。
日比谷図書館の
蔵書の疎開に関わりました。
昭和19年 深刻な労働力不足を補うため
中等学校以上の生徒や学生に
勤労を義務づける
学徒勤労令が施行されました。
主たる動員先は 軍需産業の工場や
食糧生産のための現場でした。
中田は こうした中
「図書の疎開も 未来の日本を支える
大事な仕事である」と役所を説得。
本の運搬要員を確保したのです。
集めた生徒たちを
奮い立たせたのが
中田の気づかいでした。
雑穀で作った もちを
みんなに配ったのです。
誰もが 食うや食わずの状況でした。
中田の気づかいに
生徒たちは 大いに気勢を上げました。
昭和20年5月25日。
東京を襲った空襲によって
日比谷図書館は 焼け落ちます。
この日までの1年ほどで
日比谷図書館から疎開された本は
買い上げたものも合わせて
40万冊を数えました。
がれきとなった図書館の前で 中田は
ぼう然と立ち尽くしていたといいます。
後に 中田自身が語った言葉です。
図書館に残された21万冊の本。
それを救えなかったことに 中田は
悔恨の思いを抱いたのです。
戦時下 日比谷図書館の館長として
本の疎開に尽力した 中田邦造。
この偉業を成し遂げられたのは
本へのあふれる愛を抱きながら
細かい気づかいを怠らなかった
中田の熱意があったからです。
いや すごい情熱ですよね。
あと やっぱり すごい愛情。
本に対しての。
愛が伝わってきますよね。
中田は 日比谷図書館に来る前にですね
金沢の地方都市の図書館長を
務めてたわけですけども
やはり 地方の場合だと より一層
都市部よりも図書館っていうのが
地域の人たちの情報源だったりとか
学びの場だったわけですよね。
それが失われてしまうってことは
知識が失われてしまうだけではなくて…
田島さんが
お勤めになっている青梅も
あの日比谷図書館から
本が疎開してきた…?
はい。 そうみたいですね。
やはり東京でも
一番 西部にありますので
安全ということで
日比谷図書館 それから
文京区の小石川図書館の蔵書も
疎開してきたらしくて…
…っていう話を伺いました。
今でも その時の蔵書であるとか
書棚とかがですね
物持ちがいいので残っていたりします。
そうなんですね。
どうして 本に対して あれだけの愛情が
注げたのかっていうとですね
例えば その国の文化を
根絶やしにしようとする時には
一番 最初にやるのは そこにある本を
焼くことなんですよ。 焚書坑儒ね。
そうすると そこの文化が
止まってしまうわけですよね。
やっぱりデータがあって
データがグループになると情報になって
情報を整理すると知識になって
その知識の中から
知恵が出てくるわけですね。
そうすると やはり
中田さんの意識の中では
これは 文化を守ってるんだと。
そう。
それから…
それがなければ
うまく立ち上げられないという
読みがあるわけですね。
その思いをかなえたのが
ここでの知恵になりますけれども…
運んだあとの のしもち?
用意してた。
すごいですよね。
どうやって用意したんだろうって
思ったけど
でも 学生は
うれしいですよね きっと。
食糧難の時代ですからね。
食べ物って
ものすごく うれしいものだし
やっぱり それによって モチベーション…
僕も発掘やってる時に
結構 暑い… イタリアですからね
そういう時には 必ず途中で
イタリアのジェラート屋さんに
行って 買ってきて
それで 食べてもらうとかね。
何しろ…
潤滑油になりますよね。
一旦 リセットすると
気持ちも切り替えられて
また 何か ちょっと
ものの見方が変わって
あっ ここだけじゃなくて ちょっと
「となりもやってみないとダメかな?」
とかね。
いろいろ全体が ふかんして
見えるってところもありますよね。
それ 分かります。
鈴木さんもね ドラマとか舞台とか
多くの人と一緒に お仕事される機会が
多いと思うんですけれど。
気づかいになるかどうか
分からないですけど
なるべく笑っていようって
思ってるところはあって
何か特に舞台とかだと
ディスカッションする時間が
結構あったりとかして
そういう時には 率先して
疑問を投げかけてみたり。
恥ずかしいですけどね
分からないことって
「分かりません」って言うのって
やっぱり 勇気がいるけど
率先して そういうふうにしたり
でも それが何か
明るい状態であること。
何かこう… 陰の方にいかないように
もちろん 集中していくのは
大事なんですけど
差し入れとかも食べながら
休憩の瞬間のコミュニケーションで
見えてくることって
たくさんあったりもするので。
何か その時 ぽろって発した
ひと言が ヒントになったりとか
そういうこと ありますよね。
だから やっぱり
コミュニケーションの時には
そういう心配りというか
大事なんだなって 改めて。
何か文化みたいなものを
つないでいく時って
こういう人が…
スッと支える陰の立て役者っていうか
そういう人の役割って
とても大事ですよね。
少し大きなことになると
一人じゃできないわけで。
その人たちが それぞれが
ちゃんと貢献してくれてるんだっていう
気持ちにするためにはね
やっぱり ひとりひとりに
気持ちを向けておかないとね
こっちの人は ちょっと あの人よりも
自分は冷遇されてるんじゃ
ないかなんて思うと
チームワーク なくなっちゃいますもんね。
だから そういう心配りは
非常に重要だと思いますね。
これから先に残していく時も やっぱり
このチームワークというか
気づかいを持ってお仕事をしていくって
大事なんですね。
続いても 身の回りの文化財を守ろうと
奔走した人物の知恵を味わって頂きます。
こちらのお寺の鐘。 よ~く見て下さい。
何だか変じゃありませんか?
実はこれ
コンクリートで作られています。
なぜ そんなものが作られたのか。
そこには深~い訳がありました。
昭和12年に日中戦争が始まって以降
兵器の原料となる鉄や銅など
金属不足が深刻化。
日本政府は 昭和16年
金属類回収令を公布し
強制的に金属を回収していきます。
柵や扉 鍋 釜などの調理器具
そして 子どものおもちゃも
回収の対象となりました。
寺院からは鐘楼の鐘が運び出されました。
実に…
一方で重い鐘をつるす鐘楼は
鐘を外すと バランスを崩し
倒壊するおそれがありました。
そこで 一部の寺では
コンクリート製の鐘を
代わりに つるしたのです。
住職の甲斐道清さんは
鐘が回収された時の光景を
80年近くたった今も
はっきり覚えています。
しかし 一週間後
回収されたはずの鐘が
戻ってきました。
一体 何があったのか。
その裏には ある人物の奮闘がありました。
日名子元雄。
大分県出身の高等文官
今で言う キャリア官僚でした。
姫路城や法隆寺など
歴史的な建造物の
維持 管理を担当したあと
昭和14年 滋賀県に赴任します。
この滋賀県 実は日本一の寺院密集地帯。
その数 全国平均のおよそ4倍です。
寺は とても身近な存在。
鐘の回収を望まない人が多くいました。
なんとか 鐘を救う方法がないか。
日名子は知恵を絞ります。
突破口は 金属類回収令の
実施要網の中にありました。
そこには 回収を除外するものの
認定条件が定められていました。
つまり 鐘に古くからの歴史があるか。
装飾 形状に美術的価値があるか。
寺の由緒を示す史料性があるか。
3つのうち 1つでも当てはまれば
回収されないと
実施要綱に書かれていたのです。
滋賀の鐘を守る。
日名子の戦いが始まりました。
まず 日名子は
回収除外の手続きをとるため
県内の寺に 鐘の詳細を記した申請書を
提出するよう呼びかけました。
続々と申請書が届きました。
ここからが日名子の腕の見せどころ。
申請内容が 3つのどれかの条件に
合致していないか確認します。
まず 歴史。
当時から300年前
寛永20年以前に
作られた
古いものが対象です。
びわ湖に浮かぶ竹生島 宝厳寺の申請書を
見てみましょう。
こちらの鐘は 321年前
江戸時代の
元和7年に 作られた記録があり
歴史の条件を満たしているので
除外の対象です。
次に 美術。
装飾や形状に
美術的な価値があれば
除外の対象です。
こちらの鐘は
表面に複雑な彫刻が施され
鐘の一番下側は波打っています。
日名子は 形の珍しさに
美術的な価値を認め
除外対象の要件を満たすと判断。
そして 由緒。
寺が開かれた経緯や
有名人との縁など
寺の由緒を示す
情報の有無が
見極められました。
近江八幡市にある西光寺の申請書です。
寺の創建に
織田信長が関係していると
記されていました。
鐘に刻まれた銘文に
そのことを裏付ける手がかりが
ありそうです。
申請書に添付された
銘文の写真を見ると…。
寺を開く際に
信長が土地を与えたと
書かれています。
日名子は この鐘が由緒の条件を
満たしていると判断しました。
最終的に上司の承認を得るため
日名子は
これらのデータを全て そろえて提出。
豊富なデータは申請書に説得力を与え
次々と回収から除外されました。
滋賀県で
文化財保護を担当する 井上 優さん。
ところが ある日…。
日名子君 ちょっと。
(日名子)何でしょうか?
この申請書だが 調べ直してほしいんだ。
日名子の調査に異議が。
県庁で金属回収を担う部署が
再調査を求めてきたのです。
その理由は
「隣村の風評 香しからざる」。
つまり 「となり村の人々が
鐘が回収から除外されることを
快く思っていない」というもの。
再調査すべき具体的な根拠や
調べ直すべきポイントは
書かれていません。
言外の圧力にさらされた日名子。
日名子は しかし屈しません。
自ら現地へ足を運び
鐘を 一から調べ直したのです。
銘文には 寺が
一休和尚に
ゆかりがあると
書かれていました。
由緒の条件を満たしていると
改めて確認します。
日名子は再び調査資料を提出し
回収除外の承認を得ました。
理不尽な要求に対して あくまで
データを武器に戦ったのです。
手がけた申請案件は
確認できるだけで35件。
そのうち 31件について
除外が認められました。
しかし 日名子の奮闘は
突然 終わりを迎えます。
召集令状 いわゆる赤紙が届いたのです。
当時の日記に日名子は記しています。
少林寺に鐘が戻ってきたのは
日名子の活動によるものでした。
(甲斐)鐘が かえった時は
恐らく小学生やったけども
うれしかったん違いますかね。
出て かえってきたんだけど…
日名子が救った鐘の音は
今も町に響き続けています。
(鐘の音)
ちなみに この日名子さんですけれども
戦後 復員をされまして
長らく文化財の保護に
携わったということなんですね。
鈴木さん どうご覧になりました?
何か この経緯を聞いて
生音じゃないですけど
あの最後の鐘の音 聞くと…
そこに こう何か
全部 詰まってるっていうか
時間とか思いとか。
青柳さん いかがでした?
何か 非常につまされる。
ともかく この鐘なんかは特にね
例えば徳川家康が
自分の
「家康」っていうのが
分かれて
入れてるからって
いちゃもんをつけて
それで それが
大坂の陣に
入っていくわけだし
そういうふうに
非常に何ていうか
歴史的
文化的な事柄を
あの銘文は伝えている
場合が多いんですね。
ですから ここで
ああいう銘文などを
一つの理由として 金属を
溶かさずに済んだっていうのは
とっても…
ちょっと改めて当時の時代背景
迫ってみたいと思うんですけれども
はい こちらです。
これは どういうポスターなんでしょう?
こちらの作品は昭和14年の
ポスターです。
最初は ここのポスターに
書かれてるように
金とか白金とか貴金属が
回収の対象になりました。
そのうち 鉄とか銅とか
日常生活に使ってるような
鍋 釜
農作業に使うような
くわとかですね
そうしたものまでが
回収対象になってきます。
女性がですね 指輪を
キラキラ光る指輪を
掲げてますけれども
戦時中ですので
男性が社会にいなくなってしまって
こうした活動を
女性が担わざるをえなくなった
ということが 一つあります。
もう一つはですね 女性は
ほかの方が身につけてるものとか
持ってるものに対して
非常に詳しいということがあるので
そうした中で こうした回収運動には
女性が向くのではないかということで
動員されて
実際に 成果も上がったという話が
伝わっています。
なるほど。
でも こういう時代背景の中で
いや 理由をいろいろ つけて
ちょっと 「申請してください」
って言う勇気あります?
いや~… なかなか… 大変ですよね。
でも やっぱり それでも守ろうとする…
さっきの本もそうですけど
やっぱ ここにこう…
当時は お寺っていうのは
今で言ったら公民館とかね
コミュニティーセンターみたいな役割を
果たしていましたので
そこに集まって
みんなで講話を聞くだけではなくて
いろいろな村の行事をやったり
半分 役所的な部分も
あったわけですから
そういう中では また
お寺も地域のシンボルなので
やはり そこを大事にしていきたい
毎日 聞いてる鐘の音を
これからも聞き続けたいという思いも
あったんじゃないかなって思いますね。
なるほど。 ちょっと じゃあ
一回 ポスターをしまって。
その脅しに近いように感じるような中
切り抜けた知恵というのが
「説得には情熱だけでなく
データも示せ」という知恵ですけど
どうご覧になりましたか?
いや まさにそうでね やっぱり…
だから そこが何もないと…
しっかり 土台としてのデータがあれば
構築性があるから
せめられても
結構 抗弁することができますよね。
あるいは 理論を構成することもできる。
だからやっぱり
データ 情報 知識 知恵の下を
固めておくというのは
全体の強さを生み出すもとですよね。
ついね
いや だって美しいじゃないですか
いや 大事なものですからって
言いたくなるんですけどね。
結局…
だから その時に データが合うと
ほら 客観的に見て
こうでしょうってなると
相手も納得するしかないという部分。
それが説得の材料に
つながってくるんだと思いますけどね。
より分かりやすいですよね。
そうですね。
何かこう そのデータがあって
これがこうで こう こう こうで
こう こう こう… こうで これで
こう こう こういうふうに
残ってるから 今これで これを
大切にしたいんだって言われた方が
何かこう 聞く方も…
納得しやすいですよね。
しやすいですよね きっとね。
青柳さんは実際に 文化財の保護で
データを重視されるような
場面っていうのはあるんですか?
ありますね。
例えばね 国宝になるお城があって
それと同じぐらいの 立派で
創建年代も ほぼ同じ頃だろうっていう
2つのものがあった時にね
こちら側には ちゃんと
お城の中の屋根裏に
棟梁みたいな人が いついつに
このお城の天守を造ったなんていうのが
一筆あればね
これはもうデータが そろうわけですから
すぐに国宝にできるけど
こちらに そういうものがなければさ
重要文化財で終わっちゃうんですよね。
やっぱり データ主義ですよ
そういう意味では。
いや 私 美しいから国宝になっている
っていう部分もあるのかななんて
思ってましたけど
やっぱ そうではないんですね。
そうですね 国宝にするために
昔の戦前の国宝の場合はね
そういうのも
ないわけじゃなかったんですけど
戦後の場合には
きちっとしたデータがないと
なかなか国宝には なれないですね。
今のお話だと鐘でしたけれども
やっぱり
ああいう形で銘文にあるから
それを溶かしちゃうと
銘文もなくなっちゃうんだから
やっぱり溶かしちゃ駄目なんだよ
っていうようなですね
そういうところが必要なわけですよね。
データが鐘を守り その鐘の銘文が
また後世に
歴史を伝えていくっていう。
鈴木さんもいろんな 例えば
演出家の方とやり取りなんかもあると
思うんですけど
情熱とかデータ 大事ですか?
情熱だけの時もありますけどね。
でも何か その…
…って思うことはあります。
例えば その役によっては
時代が変わったりとかするから
そういうのを知るために
結構 資料として
その当時の様子が
分かるものであったりとかを
読んだりも 私たちもします。
納得感がね
きっと いい演技につながったりとか
それから 見てる方の感動とかに
つながってくるんですよね。
多分 より地に足が着いたものに
なるんじゃないかなっていう。
ただ 悲しい演技じゃなくて
こういう背景が 一つ一つ
データとして伝わってることで
悲しさの中にも
いろんな表情が出てくるっていう。
奥行きが出てくるっていうね。
今日は 身近な文化財の知恵を
味わって頂きましたが
まず鈴木さんから いかがでしたか?
何か 身近だからこそ
本当に 何かリアルに感じましたし…
ね!
「ね!」じゃなくて私も大好きなので…。
あと やっぱり どういうものが
書かれてるのか お寺の鐘に。
ちゃんと これから見ようと思って。
見て分からないかもしれないけど
ただ 物としてあるだけじゃなくて
それが 伝えられるもの
物だけじゃなくて
背景が分かるものに
なっているっていうことが知れたのは
結構大きかったですね。
最後は青柳さん。
この身の回りの文化財の
その どう守るかっていうところを
見てきましたけれども
今の私たちが
ここから どんなメッセージを
受け取ったらいいと お考えですか?
一つはね 恐らく
身の回りにあって
それを大切にするっていうことでね
今 物が あふれかえってるでしょう?
どうしても それを 使い捨てに
してしまっているということでの
我々 反省をしなくちゃ
いけないんじゃないか。
その出発点として
文化財を みんなで守ろうということを
あるいは 自分自身で
守っていこうという気持ちを
育てるっていうことは
ず~っと 演えき的に考えると
地球を守ることにも
つながるんじゃないかなと思いますね。
身の回りの文化財が
地球を守ることにも つながっていく。
ありがとうございました。
だからあの 持続可能っていう言葉はね
我々が今 生きてる時に
全部 資源を使い尽くすんじゃなくて
将来の…。
♬~
確かなデータと こまやかな気づかい。
文化財の保存には
思わぬ知恵が眠っていましたね。
よし こんな感じかな。
うちの店は 駅前のお客さんが
多いというデータは
ありますから
あとは 心づかいですよね。
SNSじゃなくて
うちの店らしい やり方でいきましょう。
駅前で チラシ配ってこよう。
よし! いってきま~す。
「知恵泉」 よろしくお願いしま~す。
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