出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 RIKACO[解][字]
~急逝した母の見事な“終活”に助けられ~RIKACOさんが今日のゲストです。
◇ゲスト
RIKACOさんがゲスト。2015年に長年同居し子育てを手伝ってくれた母を亡くし、2年後には最愛の父も亡くなった。両親の「送り」を経験したRIKACOさんが想いを明かす。
◇番組内容
母は自宅で心不全のため急死していたが、10年ほど前からお墓や遺書など自分の万が一に備え準備をしていた。母を発見した時のショックが強く今でも思い出して泣いてしまうこともあるが、母の想いに触れ感謝の日々だという。一方の父は介護をしていたため、母とは違い心の準備ができたが、死後の準備は何一つしておらず…。そんな対照的な両親の「送り」を経験し、息子達には迷惑をかけない生き方をしたいと改めて決意したと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 長男
- 母様
- フフフフ
- 気持
- 仕事
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)13歳でモデルデビューし
芸歴43年。
歯に衣着せぬトークでも人気の
RIKACOさんです。
どうぞ お入りください。
こんにちは。
よろしくお願い致します。
どうも しばらくでございました。
しばらくです。
よろしくお願いします。
よろしくお願い致します。
肉親を相次いで亡くして
つらい時期…
でも 2人の息子さんが
支えてくだすったそうですね。
よくいらしてくださいました。
どうも こんにちは。
久しぶりにお会いできて
うれしいです。
しばらくね。
息子さんが2人いらっしゃいます。
もう随分大きくなったでしょ?
もう27歳と23歳になりました。
あっ そうですか。 さて 現在…
いきなりですけど 56歳。
そうですかね?
そうです。 56歳になりました。
でも まだ 60になっていないから
いいじゃない…。
そうですね。
そうよ。
黒柳さんのような
すばらしい先輩を見ていると
56歳なんて 本当に まだ…。
若い。 そうそうそう。
そうですよね。
そうですよ。
ここから
何年 生きるんだろうと思って
ちょっと 恐ろしくなる…。
フフフフ…。
私のとこ いくまでだって
随分ありますよね。 フフフフ…。
まあ お子さんが小さい頃は
仕事と子育てと両立で
頑張っていらしたそうですけども。
それで 実は 子育てを
手伝ってくだすったお母様が
7年前に亡くなって。
お母様 78歳でいらしたのね。
そうなんです。
若かったですよね 今 考えると。
まだまだ これから
元気で生きてもらいたかったです。
本当ですよね。
でも お母様
なんか 自宅のトイレで
亡くなったんですって?
そうなんですよ。
私が ちょうど
仕事に行っている時に…。
戻ってきたら
もう 亡くなっていたんですよね。
急性心不全という事で。
で 私も その日
早朝からロケがあって。
あっ そうなの。
いつもだったら 母の部屋に…
一緒に住んでいるもので
「行ってくるね」って
必ず言うんですけど
あまりにも
みんな 朝が早かったんで。
あっ そう…。
何も言わずに
私たち 出ていったんですね。
なので ちょっと
それが心残りですけど。 うん。
随分びっくりなすったでしょうね。
もう びっくりなんてもんじゃ
ないです。
そうよね。
もう その時は
亡くなっているって
わからない…。
私たち 初めての…
そんな事 経験ですから。
もう急いで… それこそ
次男が帰ってきていたんで
次男を呼んで
2人でベッドに移して…。
たまたま
ちょっと薄着だったんで
お洋服を着せたり
毛布をかけたり 色々して。
そのうち 亡くなってるかもって
気が付き始めて 私たちも。
あっ そう…。
なんか 呼吸もしてなかったし
体も すごくカチカチだったんで。
だけど 信じたくないっていう
気持ちもあって
生きていてほしいっていう
気持ちもあって。
次男が もう その時
高校1年生だったんですけど
すごい仕切り方をしましたね。
人工呼吸とか
学校で教わった事とか
全部 試したり。
で 救急車も
すぐ呼ぶようにって言われて。
私 もう 動転してたんで
救急車の番号すら
わからなくなっちゃって。
で もう
「救急車 何番だったっけ?」とか
色んな事を 私が動転している中
次男が全部 誘導してくれて。
「救急車は119」とか
それやって
これやってっていう感じで
すごかったですね。
それで また 救急車って 多分
すごく早く来たと思うんですけど
私にとっては
5時間ぐらい かかったような
ものすごい長い時間に感じて。
結果 救急車の救急隊員の方たちが
来られた時には
もう ちょっと 亡くなってます
っていう事になって。
あっ そう…。
はい。
それは つらい事でしたね。
いや もう つらいっていうか
なんか もう…。
あんな経験は ちょっと…。
そうですよね。
あんな事って
起きるんだなっていう…。
なんか もう
ショック通り越しましたね。
ハハハハ…。 本当に。
でも お母様は あなたに
なんか 遺言書みたいなものを
お預けになっていたんですって?
そうなんです。
すごい しっかりしていたんで。
母の考え方は 死ぬ事に対して
すごい… 死にたくないとか
なんか こうしたい
ああしたいっていう事もなく
すごく明るく考えていた
というかね。
いつ人間は 亡くなるか
わからないから
その時のために あなたたちに
迷惑かけたくないし…。
私 姉がいるんですけど。 その姉と
2人で 私の事で
色々もめ事になったりとか
するのも嫌だから
遺書だけは一緒に確認しながら
書いておくねっていうのを
ちょうど亡くなる10年ぐらい前に
一緒に…。
これでいいよね。 これだったら
2人 仲良く
もめずにできるよねとか
こうだよねみたいな事を
相談しながら…。
あっ そう…。
はい。 書いてくれて。
あなたに これは
預けておくからねっていって
ずっと預かっていたんですね。
だから そういう意味で
話ができたので。
突然 亡くなった事に関しては
すごいショックでしたけど。
でも 死んだあとの事は迷いがなく
指示どおりできたというか
残してくれた遺書のとおりに
できたので すごく助かりました。
お母様は お墓も ちゃんと
用意なすっていたんですって?
70くらいから。
母の実家が
千葉の方にあるんですけど。
立派なお墓があるんですけど。
お家から15分ぐらいの
近い所がいいなんて言って。
その時 私 別に千葉だって
いいじゃないと思ったんですよ。
それは 母のきょうだいもいるし
お父さん お母さんもいる
同じ敷地の中に
新しいお墓を買って
そこが一番 母にとっては
幸せなんじゃないかと
思ったんですけど。
母は もう 恐らく…
今なら 私 わかるんですけど。
自分が お嫁に出た時から
もう 自分の場所は
そこじゃないっていうのを
わかっていたのかな
っていうふうに
今は 思うんですけど。
そのお墓を買うのも ちょうど
遺書を書いたあとだったかな?
同じ時期ぐらいだったと
思うんですけど。
今 考えると
78で亡くなっていますから。
60後半に そういう事を
母は したんですけど。
すごい。 うん。
私が今 56で
10年後に そんな事ができるか
っていうと
ちょっと そこまで
考えが及ばないんですけど。
母は そういう事を早くやって
で お墓も
一緒に見に来てほしいと。
「ここ…
すごい気に入ってる場所が
あるんだけど」って言って
家から15分ぐらいの所に…。
あっ そんな近いとこに。
すてきな場所を探して
そこ もう 買っていたんですね。
でも ご両親は
RIKACOさんが
10代ぐらいの時に
離婚していらしたの?
16歳で離婚しました。
それまでも なんか 離婚する
離婚しないという感じで
ずっといたんですけど。
なかなかタイミングが合わず
っていう
感じだったんでしょうかね。
でも 息子さんが生まれてからは
息子さんの世話を
ご両親に頼めるように
なったんですって?
そうなんです。
これ 今 父なんですけど。
父と母 別れてから
少しの間は
会わなかったんですけど。
私の子供たちが
生まれたのをきっかけに
母が同居する事になったんですね。
で 同居をする中で…
父も子供好きで。
2人とも男の子で。
私たちは
2人とも女の子だったので
初めての男の子… 孫が男の子で
会わせたら
すごい可愛がってくれて。
それで 母に
父にも 色々
面倒を見てもらいたいから
いい? っていうふうに
相談したら
じゃあ お父さんにも
色々手伝ってもらう事ね…。
私は女だし 孫たちに
色々 男の立場として
教えてもらう事も
たくさんあるから
じゃあ パパに色々
手伝ってもらおうねっていう事で
2人がね
また仲良くなったんです。
いいわね。 離婚なすったあとで
仲良くなるなんて。
私のところに…
午後 子供たちが
帰ってくる時間ぐらいになると
来てくれて 子供たちの面倒を
一緒に見てくれたり
色々してくれました。
じゃあ そこに お母様もいらして
離婚したのに
なんか 一緒にいるような感じで。
そうなんですね。
で 色々 やっぱり
おじいちゃんから
孫たちは
例えば
キャッチボールとか
スキーとか 泳ぎとか
おじいちゃんから
習ったっていう事で。
すごく感謝しています。
よかったわね それはね。 うん。
そういう肉親の…
なんか そういうのって
いつまでも
忘れないものですものね。
だから
うちの息子たちにとっては…。
モデルデビューなさって
あとは女優やタレントとして
ドラマやバラエティー番組でも
ご活躍です。
現在56歳という事で。
子供の頃はお祭り好き…
お祭り大好きな子。
これ そうですか?
写真は… お祭り。
これは小学生の頃
父に よく連れられて
色んなお祭りに行った時の
写真ですね。
フフ…。 可愛いわね。
私がお祭りが好きだった
っていうか 父が好きで。
それで よく色んな所に
連れて行ってもらったっていう。
あっ そうなの。
はい。
ただ お父様は認知症みたいに
おなりになったの?
最後… そうです。 最後の
亡くなるきっかけとなったのが
認知症で。
歩けなくなったんで
ずっと ほとんど寝たきりに
最後は なったんですけど。
暴れるとか 徘徊するとか
そういう事は一切なく
色んな症状は出て。
それで 最後は肺炎で
やっぱり 亡くなりました。
あっ そうなの。
はい。
お母様は遺書もお墓も
準備万全っていうか
しっかりしていらしたんだけど
お父様の方は
なんにも
してなかったんですって?
なんにも。 自分が まさか
そんな事になるなんて
思ってもなかった…。
そうでしょうね きっとね。
で なんにも考えてない…。
お墓の事も考えてなければ
お金も一銭もないっていうね。
フフフフ…。
でもね 本当に愉快な人で
もう いつでも周りを
すごい明るくしてくれる人で
大好きだったんですよ 私も。
お父様?
そう。 まあ お母さんの事も…
母の事も大好きだったんですけど。
そういう いい加減な父が
私も すごい好きで。
これなんかもね
毎年… 息子たちが
ちっちゃい頃に
サマースクールに
夏 2カ月ぐらい
行かせていた時に
まあ よくハワイで
過ごしていた時の
写真なんですけど。
すてきなお父様。
はい。
とっても楽しかったです。
そうですか。
お父様の遺骨は
RIKACOさんが
預かったんですって? なんか。
そうなんです。
もう長くないですっていう事を
何回も繰り返して 最後の1年は。
私も いつ 病院から呼ばれるか
わからない状況だったんで。
その中で死を… 父の死を
覚悟しなきゃいけない
っていう中で
お墓の話とか
色々 出たんですけど。
お墓も一切 考えてなかったんで。
父の方の実家は
東京にあるんですけど
そこのお墓は もういっぱいで
父が入れるスペースが…。
なかったの?
なくて。
で どうしようかっていう事を
すごい悩みました。
もう 新しくお墓を買うのか
どうするのか
っていう事を悩んでいる時に
ふと… あれ? 母のお墓に
もしかしたら
入れるんじゃないかって
ちょっと思ったんですね。
で 住職さんに
話を聞きに行ったんです。
で そしたら 住職さんが
「お母様が このお墓を買う時に
墓石に
自分の名字を入れないでくれ」と。
そういえばそうだなと。
で うちの墓石には
「愛」っていう一文字が
彫ってあったんですけど。
あっ そう。
ラブっていう「愛」?
そうなんです。
で 住職さんが
「このお墓は 家族 誰でも
入れるようにしたい」と。
娘とか 孫とか… わからないけど。
「入れるかぎり
誰でも身内を受け入れてほしい」
という事を言ってくれた…。
お母様が。
で もう その話 聞いた時に…
今でも涙するんですけど。
いや 本当に出来た女だなって。
自分が別れたね…
まあ 一時期は
すごい恨んだと思うんですよ。
離婚とか色んな問題があってね。
やっぱり 一緒にいたかった
っていう思いもあったと思うし。
そうなのにもかかわらず
最後ね みんなを受け入れようと
思った気持ちが
本当にすごいなって
その時に思って。
あっ これは もう 最後
2人を一緒にしなきゃいけない
って思ったんです。
それで 母のお墓に
父を入れようと思って。
お母さんに 「もう これで最後
一緒になれるね」って。
「色々あったけど 最後は
ママのもとに帰ってきたね」って。
「よかったね」って言って。
じゃあ お母様の気持ちとしては
よかったのね。
恐らく 私は そう思います。
そうじゃなかったら
あんな事しなかったかなって
思うし。
また 私も離婚していますから
そこに入っていいんだなって
思うと…。
父と母が亡くなった時に
不思議なもので 両親を亡くすと
自分の居場所がね
なくなったように
すごい感じたんです。
まあ そうですよね。
何か常々
相談をしていたわけじゃないけど
なんか 自分の帰れる場所
っていうのが やっぱり…。
まあ 母が亡くなって
父が長生きしてくれていれば
よかったんですけど。
そのあとを追うように
2年後に亡くなったので。
なんか 私も 本当に
ぽっかり穴が開いちゃって。
で なんか すごい…
また落ち込んじゃって。
ちょうど
更年期も重なっていたんで
すっごい具合が悪くなっちゃって。
そういう事で居場所がなくなって
すごい落ち込んだんですけど
お墓に行く度に
何か感じるものがあって。
あっ ここに帰ってこれるんだな。
そうよね。
そう思ったら すごく なんか
また元気になったというか。
あっ 人は亡くなるけど
こうやって
つながれる場所があるというか
安心できる場所がある…。
場所を作ってくれた事に
また すごく感謝した…。
そうですよね。
そこのとこに
他の人が入れるように
お母様 ねえ
場所を作っておいてくださった
っていう事は
そういう事じゃない。
そこに
お父様も入れるんだとしたら
なお いい事だしね。
本当に 色んな事で
すばらしい母だなって
いや もう 改めて思います。
本当にね。
でも お母様も
そこにお父様が入ってくるとは
思っていらっしゃらないかも
しれないのにね。
だから もう いいよねって。
入れるけどいいよねって。
もう しょうがないじゃないって
言ったような気がしましたね。
だから 今は うちに
お仏壇を一つ置いて…
母のお位牌と父のお位牌を置いて
毎日 お線香をあげて…。
あっ そう。
なんか やっぱり
毎日 お茶を…
お湯を入れたり お茶を入れたり
お線香をあげるっていうのを
習慣にしているんですけど。
なんか そこで
すごく落ち着く自分がいるし
何かあった時に息子たちにも
そこの仏壇に お線香をあげる
っていう事ができているので
今は なんか
すごい落ち着いてますね。
そう。
でも 随分 色んな事が次々と…
大変でしたね。
40代は本当に…
50代です。 すいません。
49って… 49の誕生日のあとに
すぐ母が亡くなったので。
50代前半は
つらかったですね やっぱり。
やっと抜けてきましたね。
54歳ぐらいから
だんだん元気になってきて。
今は こうやって…
ちょっとね 涙ぐんで
話しましたけど 思い出すと。
でもね 今は とっても明るく…。
でも そういうふうに
お母様が
先に入っていらしたところに
お父様が結局
入る事になったっていうのは
お母様にとっては…。
まあ 死んだあとだから
どうでもいいような事だけど
やっぱり ちょっとね
お母様にとっては
うれしい事じゃないかしらね。
そうですね。 なんか…。
うれしいっていうか
しょうがないわねっていうか…。
結局 私が そうしたでしょ
みたいな事だと
思うんですけどね。
まあ 人間ってね。
でも あなたは大変だったろうけど
さっき おっしゃったように
息子さんが27歳? 長男が。
それから 次男が23歳。
随分 大きくなったね。
大きくなったし
やっぱり
本当に2人の息子を産んで
よかったなって
今 すごく感じていますね。
すごい心強いし
最近は本当に助けてくれています。
お仕事は どんな事やっているの?
上のお兄ちゃんは
作家を目指していて。
ええー。
舞台の脚本を書いたり
演出をしたり。
ここに出てますけど。
あと YouTubeを
色々 手伝ってくれたりとか
していますね。
次男は?
次男君は
今 モデルをやりながら…。
あっ そうか。
はい。 海外のお仕事をしたり
まあ 将来的には役者を…。
海外で活躍できるような
役者さんを目指してます。
なるほど。 いいわね
そういう大きな望みがあってね。
そうですね。
私の教育方針としては
2人の息子たちを
インターナショナル…
グローバルに育てたい
という思いが すごくあったので。
それは 私が10代の時に
モデルを経験して
パリに行ったり
ニューヨークに行ったり
色々 仕事させてもらう中で
言葉が やっぱり
通じなかったっていう事が
すごく大きく
自分の人生を左右したので。
息子たちには 本当に最初から
片仮名を覚えるように
英語を学ばせたい
っていうのがあって
インターナショナルスクールに
頑張って行かせていたので。
そこが… ありますね やっぱりね。
そりゃそうよね。
言葉ができれば もうね… 本当。
今の時代は やっぱり
私たちの時代と違って
もう SNSで全部つながって
海外も
すごい近くなってますから。
本当 本当。
言葉の壁さえ越えられれば
本当に みんなと友達になれるし
色んなお仕事もできるので。
そうよね。
なので それは そうしましたね。
2年前 コロナが始まる
ちょっと前に長男が
「お母さんの日常っていうのが
すごくすてきだから
そういう日常的な
ライフスタイルを
皆さんにシェアするっていう事が
すごくすてきな事だと思うから
始めてごらん」って言われて
肩を… 背中を押されて。
私 もう 絶対にできない
YouTubeなんてって
思っていたんですけど。
何か 私が ちょっと こう
仕事で行き詰まったりとか
していると
ふっと来て
「こんな事 始めるといいよ」とか
そういう事を言うのが
長男なんですよね。
いいわね。
新しい事が
どんどんできていくっていうのは
いいわよね。
そうですね。
YouTubeのVTRが
あるそうだから
ちょっと見せて頂きます。
「これは お友達のお店が
閉まる事になって
“使わないから受け継いで”
って言って
タダでもらいました」
「で これが こんなに可愛い感じで
ついたおかげで
なんか 全然
雰囲気が変わったよね」
「ちょっとずつ これから
集めていこうかなと思って
また来週 京都に行くんだけど」
「大皿とかを ちょっと これから
集めていこうかなと思って…」
「こういう手の込んだものを見ると
本当に感激するので…」
本当 本当。
「ここからここのスペースに
何を飾るかっていうの…
大体 お花なんだけど」
「これは ちょっと
1週間ぐらい前から
飾っていたんだけど
まだ使えるから
これと共に ちょっと垂れる…
これなんか 今回のヒットだね」
「色んな形でアレンジできる
っていうのが
こういう葉ものの
なんか 特徴だと思って」
「で ここに座って
こう 外を見ながら
ノアとグリと お茶を飲んだり
なんか こう
ボーッと考え事したり…」
「なんか リフレッシュするのが…」
「すごい大好きな
私のお気に入りの場所です」
何よりです。
ハハハハ…。
それで そのYouTubeのそれ
本になんかなすったり
したんだって?
そうなんです。
たまたま そうして
長男のアドバイスで
色々 最初の頃は
一緒にYouTubeやったり…
今でも たまに 長男が
出てくれたりするんですけど。
あっ そう。
盛り上げてくれているんですけど。
まさか 私 56歳で
自分のライフスタイル本を
出すなんて
夢にも思っていなかったんですね。
それも とっても若い時に
色んな事をしてきて
やってきたんで。
今の この年で
ライフスタイル本なんていうのは
自分の発想の中に
全くなかったんですけど。
でも そういう事に
つながっていったっていう事が
人生は とってもすてきだな
っていうふうに…。
あっ そう…!
思ってます。
随分 楽しみがあって
いいですよね。
やっぱり 母と同じように
息子たちに迷惑をかけないで
遺書を そろそろ
書こうと思います。
フフフフ…。 そうですか。
ハハハハ…。
どうも ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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