出典:EPGの番組情報
先人たちの底力 知恵泉「千年企業~時をかけろ!世界最古の匠の技~」[解][字]
世界最古!聖徳太子の命により四天王寺を建てた宮大工集団。だが、千年企業は昭和初期、存続の危機に見舞われる。それを救った一人の女性がいた。その驚くべき知恵とは!?
番組内容
創業578年、大阪に拠点を置く宮大工集団。織田信長と石山本願寺との戦いや、大阪冬の陣で四天王寺が燃えてしまっても、その都度、伝統の技で再建してきた。だが昭和恐慌で経営が悪化、時の当主は命を絶つ。そこで立ち上がったのが妻。熱意と覚悟をもって、立て直しを成功させる。その知恵の数々を見ていく。出演は百年続くリゾート運営会社の代表・星野佳路、ギタリストの村治佳織、早大大学院教授の入山章栄。
出演者
【出演】リゾート運営会社代表…星野佳路,ギタリスト…村治佳織,早稲田大学大学院ビジネススクール教授…入山章栄,【司会】高井正智ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
いや~ 私で この店も五代目。
「知恵泉」が 10年も20年も続くように
発展させていきたいですね。
こんばんは。
いらっしゃいませ。
何か ブツブツおっしゃってたのが
聞こえたんですけど。
今ね ちょっと
先代の写真を飾ってましてね。
お座り下さい お座り下さい。
いやね ちょうどよかったんですよ。
経営学がご専門の入山さん。
お店を長く続けるには
これ どうしたらいいんですか?
いや~ 言うのは簡単なんですけど
やるのは大変なんですよね。
とはいえ…
長寿?
はい 例えば
創業100年を超えた会社っていうのが
今 日本だと3万社あるんですね。
なんと創業1, 000年を
超えている会社っていうのが
少なくとも6社ある。
これ もう世界でも屈指なんですね。
いや~… 知りませんでしたね。
100年は まだ何か想像つくんですけど。
ということで本日は 千年企業
長く存続・繁栄するための知恵を
探ってまいります。
日本には およそ1, 000年
伝統を守り 革新を続ける
元気な会社が
数多く存在します。
中でも 大阪には
世界最古といわれる
ご長寿企業があります。
遡ること 飛鳥時代。
当時 建立された四天王寺と
深~いご縁が。
ヒントは こちらのお堂にある のぼり。
ちょっと 変わってますよね。
文字が大工道具に
なっているんです。
まつられているのは
曲尺を持った人物。
実は 太子は
大工の始祖として あがめられています。
長寿ナンバーワン企業は
聖徳太子の命によって
四天王寺を建築した
宮大工集団。
手斧始め式は
四天王寺創建当初から続く
1年間の無事を祈る 仕事始めの儀式です。
え~い!
1, 400年以上の
歴史を誇ります。
家系図には なんと
39代にわたる ご先祖様が。
初代当主は 金剛重光。
593年 四天王寺建立後も
太子から寺を守るよう命じられ
正大工職として
修理と再建を担ってきました。
令和の今に至るまで
幾度となく廃業の危機に直面。
今回 長寿企業の知恵を読み解くのは
星野佳路さん。
こちらも 100年続く
歴史あるリゾート運営会社の代表です。
30代という若さで 4代目社長に就任。
もともと 軽井沢の一軒宿を
ホテルチェーンへと発展させた
業界のトップランナーです。
しかし
順風満帆だったわけではありません。
企業体質の改革を急ぐあまり
反感を招き…
1, 000年以上生き残る
長寿企業の知恵に鋭く迫ります。
今日は千年企業の知恵を
見ていこうということなんですね。
これはもう本当に世界屈指ですね。
だから何か 秘密があるはずなんですよね。
あっ これはこれは。
星野さん いらっしゃいませ。
もう今日のテーマに うってつけの方がね。
私 この店を継ぐ時に
とても不安だったんですよね。
星野さんも老舗企業を継がれる時って
プレッシャーってありませんでした?
僕の場合は なぜかプレッシャー
あんまりなかったんですよね。
もう やる気満々で。
だって やったことないですよね?
やったことはないんですけども
実家を見ると
課題が山積み状態なんですよね。
それを 1つずつやっていくっていうのが
自分の仕事だっていう。
これさえやれば 会社がよくなるっていう
自信もあったので。
そういう また 情熱に
人が寄ってくるっていう感じですよね。
まあ 寄ってく前に
みんな辞めてったってことが…。
それ さっき
気になるポイントでしたけど。
その辺りをね 後ほど詳しく
伺っていこうかなと思うんですけど。
先ほどの会社に至ってはですね
1, 400年以上ですよ。
いや~… どうしましょう。
さっきの家系図
すごかったですよね。
すごかった。 入りきらなかった。
「長っ!」って言ってましたよね。
大化の改新より前から。
日本の企業で
寿命どのくらいで
倒産したかっていうデータがあって
これ最新のデータだと
大体 平均24年なんですね。
これ 実は
世界的に会社の寿命が短くなってきてる。
より短くなってきてる。
やっぱ競争が激しいんですよね。
やっぱり 会社の寿命
縮まってるっていう実感あります?
ほかの会社 見てて。
新規参入者が多いですからね。
競争が激しいっていうことは
確かだと思いますね。
ということで まずは
本日のオススメ こちらです。
シンプル。
カニ… のくんせい? ちょっと珍しい。
カニのくんせいね
おいしさ長持ちしますよね。
千年企業は ず~っと風化しないで
長続きしてきたというところに
かけたんですが
本当の オススメの理由っていうのは
後ほど ちょっと
ご紹介していこうかなと思いますんで。
今日はですね いいお酒を用意しました。
匠の千年。
匠の千年 やっぱ千年ですからね。
よかったら どうですか?
いいですか? いただきます。
わあ~! うれしい うれしい。
これを飲みながらね。
飲めば 明日の知恵が湧くと。
ありがとうございます。
先代も言ってましたからね。
創業は 飛鳥時代。
社寺専門の建設会社の
資材加工センターです。
今 取りかかっているのは 寺の山門。
精巧な模型をもとに
実際に使うパーツを作っていきます。
くぎは使わず 材木を組み合わせていく
伝統の技。
もうちょっと
ちょっとだけ こっち。 はい。
パズルのように複雑な切れ込みが
がっちりと かみ合います。
現場を取りしきる棟梁の木内繁男さん。
ちょっと早いわ 早すぎる。
1, 400年続く工法を支える道具があります。
これは 槍鉋いうて
飛鳥時代からある
道具です。
木肌の風合いを生かす時に
職人たちの間で使われてきました。
1, 000年にわたる匠の技。
今から 90年前。
その伝統が 途切れる危機に見舞われます。
当時の当主が 自ら命を絶ったのです。
理由は 経営不振でした。
事の発端は明治初期。
廃仏毀釈運動が 各地で巻き起こりました。
四天王寺も…
ついには長年 寺の維持を担ってきた
宮大工たちへの給与支払いを廃止します。
職人たちは
ほかから仕事を得ようとしますが
簡単なことではありませんでした。
更に 追い打ちをかけたのが昭和恐慌。
物価は暴落。
失業者があふれ 企業の倒産が相次ぐ中
金剛家が経営する会社も
悪化し続けました。
37代当主 治一は
追い詰められていきます。
会社の歴史に明るい
会長の刀根健一さんです。
技術的には 非常に優れた方で
尊敬の念が
非常にあったらしいんですけども
ただ 残念なことに…
…ということで どんどん どんどん
仕事が減っていったと。
責任を痛感した治一は
先祖に わびながら
命を絶ったのです。
当主を失い 混迷する宮大工たち。
それを救ったのは
ある一人の女性でした。
治一亡きあと 後継者選びは混迷します。
子どもたちは
成人していない娘ばかりだったのです。
この窮地に立ち上がったのが
治一の妻 よしえでした。
聖徳太子の命を受けて発足した
歴史ある宮大工集団。
戦国時代 織田信長と
石山本願寺との戦いで
四天王寺が
炎上しようとも
大坂冬の陣で灰じんに帰しようとも…。
受け継がれた技で
幾度となく再建してきた
伝統と誇りがありました。
それを失うわけには
いかなかったのです。
よしえは 決意を胸に秘め
四天王寺に向かいます。
そして こう言いました。
当時 女性の当主は前例のないことでした。
熱意と覚悟を
目の当たりにした四天王寺は
それを受け入れます。
38代当主の誕生です。
しかし 宮大工の経験はもとより
建築の知識すらありません。
その上 現場は男性ばかり。
自分は何をすべきなのか。
悩みながらも よしえは前に進みます。
よしえが着手したのは営業と経営。
まずは徹底してコストを削減します。
古参の社員 植松襄一さん。
よしえの口癖を
教えてくれました。
…ということは常におっしゃってました。
ある日 余った小さな角材を
たき火に くべたら
よしえが
すごい剣幕でやって来たといいます。
(植松)そういうふうな角材を
普通でしたら
寒い時期ですから くべますやんか。
それを見てはったんでしょうね。
取りに来はって それを取りはった。
立て直しに奮闘する中
昭和9年 転機が訪れます。
記録的猛威を振るった室戸台風が
大阪を襲いました。
四天王寺にも甚大な被害が。
五重塔は 木っ端みじんとなりました。
その再建を任されたのです。
これは その時の図面です。
およそ120年ぶりの大事業に
よしえは 会社の命運をかけ 挑みます。
大勢の職人たちにとっても
人生で めったに巡り合えない大仕事。
社内一丸となって
四天王寺の再建に臨みました。
毎日 誰よりも早く
現場に入ったという よしえ。
こんなエピソードが残っています。
地位に関係なく
組織を乱し おごる者がいれば
容赦なく叱咤する。
その一方 若い弟子たちには
こまやかな気配りも。
弁当を用意したり
風呂を準備したり。
そして 無事
職人たちが仕事を終えるまで
見守り続けました。
よしえが目指したのは
上も下もない 真にイーブンな関係。
チーム力は高まり 奮闘することで
会社は息を吹き返したのです。
ついに 五重塔が完成。
総ひのき造りの壮麗な伽藍は
6年がかりの大事業。
昭和の国宝と高い評価を得たのです。
あっぱれですね。
今でこそ少し
女性の社会進出が進んでいますけれど
この時代っていうのはもう… ものすごい。
今 星野さん 入っていらっしゃった時と
表情変わって
経営者の目で ご覧になっていて…。
(笑い声)
突然 ピンチの時に
社の命運を担うような
大役を負うわけですよね。
結局 若くして 経験もなくて
自分ができなくて
いきなり
経営しなきゃいけないっていう時の
気持ちっていうのは…
…って私は想像してます。
私も もう本当に経験があります。
当時の 例えば 調理場っていうのは
旅館の中で職人さんの世界なんですよね。
板長っているんですけど
僕はもう最初の5年
何の… 何の注文も出せなかったです。
経営者なのに?
経営者なのに。
そういう空気を出されるんですか?
入るな! みたいな。
「この食事 おいしくないですね」なんて
言った途端に みんな いなくなると。
辞めちゃうんですか?
明日から 仕事がつながらないですから。
心の中では
「このメニューがいいのにな」とか…。
そうです そうです。
もう心の中には たくさんありました。
ましてや これ
いわゆる建築業じゃないですか。
建築業って多分 日本で一番
男性が多い業界の一個なんですよね。
そこで会社の
企業のトップになるっていうのは
とんでもない状況だと思いますね。
日記とか残ってないんですかね?
読みたい。 読みたい!
「あいつ潰す」とか書いてありますよ。
(笑い声)
ここでの知恵を見ていきたいと
思うんですけれども。
星野さんの会社は まさにイーブンで
フラットな組織 つくられていますよね。
それはね 僕は経営を引き継いだ時に
自信満々で戻ってきて やるべきことを
それこそMBAの教科書どおりに
パンパンやったらですね
一気にみんな いなくなりまして。
(笑い声)
その辺からです。 フラットな組織文化
イーブンなっていうね。
さっきの よしえさんのケースと
全く同じなんですけど。
でも どんなことを理想として?
スピード… 拡大ってことを
一番大切にして。
いや 僕は4代目ですから
次の50年 100年
持続可能な競争力を身につけようと。
これを僕はテーマにして。
すばらしいのに その理想。 でも何で…?
理論的には もうバッチリだったんですよ。
ところがね…。
何ですか?
すごい気になるんですけど どうして…。
それがね 競争優位だとか
持続可能な競争力だとかって言っても
何 言ってるか分からなかったんだと
思いますね。
それを変えて みんな
社員が やる気が出るようになった
きっかけっていうのは どこなんですか?
きっかけは まず横からっていう…。
横から目線。
なので みんな
経営に参画できるようにしていこう。
みんな 気付くことは
たくさんあるんだけども
気付いたことは もう その時に
誰に対しても遠慮なく言えるような
そういう組織文化をつくっていこう
偉い人のいない会社をつくろう。
…っていうのがですね
私が目指した姿なんですよね。
私 代表室なんかないですよ。
ないんですね。
社用車にも乗らないし
それから デスクもないんですね 実は。
なので そういう形から入っていって
フラットな人間関係を
つくっていくっていうことが。
お~ すごい。
シンプルに気になったんですけど
呼び方って どうされてるんですか?
「社長!」って…。
僕は 佳路って名前なので
「佳路さん」って呼んでくれる社員が
増えてます。 お~! すばらしい。
人事は入社してくる社員に対して
そう呼べっていうふうに指導してます。
「村治さん」とか「入山さん」とか
お互いに さん付けなんですね。
私は 個人的に言うと
私 長女で弟がいるんで
子どもの頃は
「お姉ちゃんはね」
一人称で
呼んじゃってたんですよ。
でも 二十歳ぐらいの時に
もっと対等になりたいなと思って
「今日から
お姉ちゃん呼びやめます」とかって。
「私は」ってしたんですよ。
すごいですね。
そしたら すごい弟の方も 彼も
すごい自分の意見を
前より言ってくれるようになって。
個の… 個対個っていうことが
家族の中でも起こったので
これがまた会社で起きたら
楽しいですよね。
呼び方って意外に 心理的には
大きな影響があるのかもしれないですね。
経営学の世界で
今 すごく注目されている言葉で
心理的安全性っていう言葉が
あるんですね。
正当な議論であれば
何を言ってもいいんだっていう
安心感が出るからこそ
多くの人が 自分が知恵を出すわけですね。
失敗も ちゃんと
安全性があるから報告できる。
そうすると失敗から学ぶんで
また学習して成長するっていう。
やっぱり そういう組織が強いんだ
っていうことは分かってきていまして
星野さんの会社で有名な
ミス撲滅委員会って これ本にもなって
ものすごい
注目されているものなんですけど
現場でミスが起きるじゃないですか。
ミスを申告した人を評価するっていう
仕組みがあるらしいんですよ。
だんだん口コミも増えそうですね。
口コミはすごく多かったです。
あそこは いい環境だって。
よしえさんは本当 親方も おごってれば
みんなの前でも叱ることがあったっていう
あの辺り どうですか?
何となく僕の中では
そういう時っていうのは…
ですから 職人さんの若い人たちが
ちょっと
辞めそうな雰囲気が漂ってる時に
わざわざ そちら側の立場について
そして こう…
もう少し長く残ってもらおうみたいな
工夫だったかもしれないし。
怒った相手にも 事前にそれを
根回ししといたかもしれないぐらいに
僕は思ってますよ。
サクラだったんじゃないかって?
サクラだったんじゃないかと。
叱るで思い出しましたね。
私も父に
最初から教わったんですけれども
「何で弾けないの」って
叱られたことはないです。
「この曲 何で… 下手だな」とかは
全くないです。
ただ 練習時間やるって決めたことを
やっていなかったりとか
そういうことに関しては
すごく怒られました。
だから よしえさんも
人間として基本的なことを
だから 誰が見ても
それは叱ってても当然だよねって
周りに思えさせるし
すごくよかったんじゃないですかね。
深いですね。
いやいや すいません 村治さんちょっと。
あっ! すいません。
お酒がね 結構お強いんですね。
まあ たしなむ程度…。
(笑い声)
五重塔再建から 僅か5年後の昭和20年。
よしえを落胆させる出来事が起きます。
燃え上がる五重塔。
太平洋戦争のさなか
大阪大空襲で被災したのです。
よしえは
目の前で わが子を失ったようだと
打ちひしがれました。
更に 不運は続きます。
1, 400年の歴史の中で
最大の屈辱的出来事が起きます。
五重塔再建が
ほかの大手建設会社に奪われたのです。
昭和32年のことでした。
理由は 耐火性に優れる
当時最新の鉄筋コンクリート工法が
再建案に採用されたため。
時代の変化に
伝統の木造建築が後じんを拝しました。
その時 建てられたのが現在の五重塔。
一見 木造に見えますが
よく見ると木肌は見えず
表面は ツルツルのコンクリートの柱です。
当時の新聞記事には
会社も これでおしまいだと
悔しがる者もいたと伝えています。
聖徳太子に寺を守るよう命ぜられ
およそ1, 400年。
その約束を果たせなかった
宮大工たち。
このあと どうする?
時代の波に乗り遅れまいと
宮大工たちは コンクリート工法を
積極的に吸収していきます。
実績を重ね ついに四天王寺から
金堂の再建が任されました。
会社は屈辱を糧に飛躍。
コンクリート建築で
その後も
数多くの名刹を
建立していきます。
会社が再び軌道に乗ったのを
見届けたかのようでした。
会社は戦後の高度経済成長期の
建築ラッシュに乗って
社寺だけでなく住宅など
一般建築にまで
事業を拡大。
急成長を遂げていきます。
一般建築の売り上げは
社寺建築を追い抜き
倍の90億円にまで伸びました。
平成11年のことでした。
会社の歩んできた歴史を
知らない社員も増え
猪突猛進で
事業拡大に まい進していきます。
大きくなる一方
実は 大きなひずみが生じていました。
2000年ごろから 一般建築部門は
赤字だったのです。
入札するため 大手建設会社と激しく競合。
大手に競り勝つため 安く請け負い
その結果 およそ40億円の借金を
抱えていました。
必死に時代の変化に対応した結果
再び 倒産寸前にまで
追い込まれてしまったのです。
こうした危機に 警告を発する知恵が
会社には伝わっていました。
喜定は 江戸時代
落雷で焼失した四天王寺の
設計を手がけた名棟梁。
そこには 職人集団の
当主として
代々守ってきた
心得が
家訓として
記されています。
…など 16あります。
中でも 重要な戒めがあります。
そして…
この時 救済に動いたのが
同じ大阪の同業者 高松孝育でした。
…とはいえ どんな会社なのか
視察に向かった高松は
その現場で 目を奪われました。
支援を決定づけたのは
脈々と受け継がれてきた伝統の技。
特に くぎを使わず
木材だけで組み合わせる技法は
長い会社の歴史の中で
伝承されてきた お家芸。
その職人技は 驚きの仕組みです。
まず 解体しましょうか。
この先を抜いて
次に 本体をここで回転さして
これで こういう形です。
鍵のように回転させるのには
理由があります。
このまま入れると…
そこで 90度回転させて
接合部分を抜けたら また回します。
木の厚み 強度を保ちながら
しっかりと十字に組み上がるのです。
経験と知恵が詰まった職人技。
倒産の危機を救います。
再出発にあたり 指針としたのが
あの家訓。
(刀根)これ
本当に当たり前のことを書いてますんで。
これまで歴代当主の下で
手がけた
名建築は数知れず。
他の追随を許さない
木造建築の技が
結局は 1, 400年の長寿企業を支える
最大の武器となったのです。
コンクリートいうのはですね
耐久性が
何年でしょう… 100年いくかな?
やっぱり ひび割れたり。
ところが 木造いうのはですね
法隆寺なんかは 1, 300年以上たってると。
改修 修理がきくと。
時代とともに変化は必要。
しかし 自分の強みが何かを
見失ってはなりません。
復活した 千年企業。
実は ある悲願があります。
何か 置き換えて考えると
キュンとしますね。
(笑い声)
自分が このジャンルでやってても
時代の流れってあるじゃないですか。
技術とかだったら
自分の努力で高めていけますけど
時代の嗜好 皆さんの聴く音楽の嗜好
変わっていったら どうしようもない…。
だから そこもそうですよね。
時代の流れって話がありましたけど
星野さん。
この企業は
時代の変化に合わせようとしたら
倒産の危機を
迎えてしまったっていうことですね。
結果的には自社の一番の強み
これは コアコンピテンシーって
いうんですかね。
一番の強みを生かして
今でも生き残っている。
それが 千何百年続いてきた
一つの理由だと思うんですよね。
それはそれで
結果としていいんですけど
私は 経営論的には
高度経済成長の時の
鉄筋コンクリートにいったことは
僕は悪い選択ではなかったと
思ってます。
この会社はゼネコンになる方が
チャンスがあったと思うんですよね。
だから その競争は非常に激しくて
その競争に勝ち残れなかったっていうのは
本当のことなんだと思うんですね。
その時の選択肢として
もとの本業回帰しよう。
その選択は
もちろん正しかったなと思いますけど。
村治さん
その危機っていうことでいうと
ご自身で何か
思い浮かぶことってありますか?
危機 ありましたよ。
2005年 あるコンサートの日の朝
起きたら 全く
右手の手首から先が動かないっていう。
いきなりですか?
いきなりです 前兆なく。
外科的な処置をできるものではないので
時間薬なんですね。
焦りとかはなかったんですか?
最初は びっくりしましたけれども
私を助けてくれたのは
周りの方の言葉だったりとか
プロテスタントの学校に
中高通ってたんですけれども
卒業して数年たっているのに
お世話になっていた校長先生が
すぐに会いに来て下さいまして
「乗り越えられない試練は与えない」と。
心は本当に鍛えられましたね。
ここでの知恵が「スクラップ&ビルド
でも得意技だけは忘れるな!」
ということですけれども
これ 星野さんは
この時代の変化にどう対応して
いらっしゃったんですか?
私 経営を引き継いだのは91年なんですね。
ちょうどバブル経済が崩壊する時で。
それまでの観光業っていうのは
自分で土地建物を所有して
そして それを自分で運営する
っていうことが主流だったんですね。
ただ バブル経済崩壊とともに
私は 所有し続けるってことに関しては
本当にリスクがあって
それをやっている限り
なかなか成長も見込めない。
同時に外資系のホテル会社が
日本にどんどん入ってきて
彼らは やはり運営を中心に
展開しているんですね。
なので 私の会社も所有と運営を
一体として行ってましたけれども…
…っていうのが
私たちの90年代の選択です。
一から建てるのではなく
既にあるホテルに運営で参加されると。
私自身は コア…。
コアコンピテンシー。
コアコンピテンシーで言うと
クラシックなんですよね。
そこは 変えたくないんですけれども
そこに私は
映画音楽を取り入れて。
映画音楽であれば 各クラシックの
バーンスタインとかモリコーネ
っていう方たちも
映画音楽取り入れてるし
ここだ! と思って そこのちょうど
バランスのいいところを見つけたので
それも 一つの柱にしました。
ぶらさないものはあって
その上で いろいろ つけたり
っていうことをしていった…。
ちょっと行っても
また やっぱ帰ってきますね。
入山さんのコアは何ですか?
その研究範囲を
どこまで広げるかとか 変えるかとか…。
それはね すごくいい質問でして。
学者の世界って すごい狭いんですよ。
で 狭くなれば狭くなるほど
学者としての業績って上がるんですね。
ここは
この人しかできないってなるんで
その人の知見が
そこだけ すごいたまるから
ただ そうすると
だんだん やっぱり狭くなりすぎて
たこつぼ化しちゃって
本当に その学術的な知見が
世の中の役に立つかどうか
分かんなくなる。
僕の場合は
10年ぐらい前に日本に帰ってきて
何かもっと
広い世界があるんだなって気付いて
今は ものすごく いろんなことを
やってるんで
ものすごく
視野は ものすごく広がってるんです。
ただ 結果として 学者としての
学術業績のパフォーマンスは
落ちるんですよ。
はあ~… 落ちるんだ。
だから やっぱり
皆さんはきっと やっぱり
ここだけっていうのと
どこまで広げるかって悩みますよね。
どなたもですよね きっと どの世界も。
そこで生きたのが
あの家訓ですよね。
まさに警告していたと
思うんですけど
入山さん
家訓っていうものは
どう捉えたらいいですか?
ものすごい大事です。
特に こういった千年企業っていうのの
多くは やっぱり
いわゆる同族企業
ファミリービジネスなんですよね。
つまり 家業として
ずっとやってるわけですね。
そうじゃない会社って
僕もいろんな会社 見てますけど
やっぱり 社長さんの任期が
3年とか5年とかなんで
自分の任期が5年って分かったら
5年先のことしか考えられないんですよ。
だから実は 同族企業の方が
未来志向なんです。
未来にいく時には
もともと うちの会社って
どういう考え方なんだっけとかっていう
ご先祖様が必要なんですよ。
そこで 気になるのが星野さんの家訓。
気になります。
もうね うちは…
(笑い声) 今までの僕の話が
台なしになるんですけど。
家訓ないし。
家訓がないのが家訓。
僕が家訓を残すとすればね
もう 「つぶすなよ」ぐらいの
シンプルなやつですね。
何でかってことなんですけど
こうすれば利益は高まるとか
こうすれば長く続くとか。
その長期的な視点に立って
経営は どうあるべきかっていうことの
議論が変わってきてるんですね。
それは時代背景や さまざまな環境
マーケットの変化によって
変えざるをえないんですよね。
変えざるをえない時に
あんまり具体的な家訓は
持つべきではないっていうのは
私の考え方です。 なるほど。
やはりもう 大きな視点で
「つぶすなよ」ぐらいのね 続けろよ。
どうやったら
つぶさないかは その時代時代に
経営者が考えるっていうのが仕事で。
具体的な内容は むしろ指示されたくない
っていうのが私の考え方です。
さあ そこで村治さん。
今日のオススメは… 気付きません?
カニの…。
そう! ここにかかっていたんです。
そこでした!
なるほど!
かめばかむほど。
だいぶ遠いですね。 分かんないわ。
分かんなかったですかね。 難しかったか。
私も ちょっと家訓
考えたいなって思うんですけどね。
星野さん「つぶすなよ」だと
何か いい家訓あります? この店。
「飲め!」。
「飲め!」?
「飲め!」 シンプルでいいですね。
(笑い声)
「飲み続けろ!」ですか?
「飲み続けろ!」。
いや~… 家訓って本当に大事なんですね。
私もね 店主になって
まだ 日が浅いですけれども
こんな感じの家訓は どうでしょうかね。
家訓の前に
先代たちが作った借金
どうやって返そうかな…。
恐怖の独裁者…
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