出典:EPGの番組情報
プロフェッショナル「“普通”を極めし、その先に~日本料理人・森川裕之~」[解][字]
ノーベル賞作家・川端康成が「日本の味」と評し、名だたる食通に愛されてきた伝説的な名店。その味を受け継ぐ3代目・森川裕之。遅咲きの苦悩の人生と、時代を超える味。
番組内容
京都で95年。客の目の前のカウンターで料理して出す「板前割烹(かっぽう)」の始祖とされる伝説的な名店。その技と心、味を受け継ぐのが3代目・森川裕之(59)だ。森川が作る料理は、食材を引き立てシンプルな見た目に徹する、言わば“普通”の日本料理。しかしその味は、常連だった川端康成が「日本の味」と評するなど、名だたる食通たちを魅了してきた。“普通”を極めたその先にある、未踏の感動を求める男の哲学に迫る。
出演者
【出演】日本料理人…森川裕之,【語り】橋本さとし,貫地谷しほりジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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- お椀
- 完成
- 技術
- 骨切
- 食感
- 食通
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
♬~
京都に クラシックを愛する
すご腕の日本料理人がいる。
♬~
♬~
一切飾りたてることのない 正統な和食。
95年前に祖父が開き
以来 多くの食通を
うならせてきた
伝説的な店を受け継ぐ。
(森川)いかがでございますか?
何で そのまま持っていくねん。
そんだけ残ってるはずがないやろ。
変わりゆく時代の中で。
変わらない覚悟。
バカもん。
本物は 色あせない。
古びない。
♬~
4月初め。
古都 京都は 桜の見頃を迎えていた。
撮影初日 約束の午後1時に店を訪ねると。
(取材者)失礼します。
ようこそ。
森川は 夜の開店に向け
若い弟子たちと共に 仕込みを始めていた。
高げたに 割烹着の 伝統的ないでたち。
そこに
明るい色合いの ちょうネクタイが
妙に かわいい。
いやいや…
魚介などの食材が運ばれてきた。
この日 50年来のつきあいの魚屋が
持ってきてくれたのは
兵庫 明石で揚がった極上の天然ダイ。
タイだけでなく ワタリガニに
伊勢エビ。
車エビ。
サワラ。
森川は 厳選した食材の
しかも その日に
運び込まれたものしか使わない。
「料理は食材の良さが95%」。
だが その言葉は
残り5%の技術を
おろそかにすることを意味しない。
森川は
食材の良さを極限まで引き出すため
あらゆる手を尽くす。
例えば この
春を代表する食材 タケノコの…
一般的には 米ぬかを入れて
ゆでることで アクを抜く。
しかし森川は その常識を捨て
水だけで行う。
こうした一つ一つの手間の集積が
大きな違いを生むという。
ようこそ 毎度ありがとうございます。
膨大な手間をかける仕込みだが
それは あくまでも仕込みにすぎない。
ありがとうございます。
実は森川は ほとんどの調理を
客が入店してから行う。
だしをとるのも
風味が弱まるのを 少しでも避けるため
使う直前に行う。
(森川)これが…
用いるのは 北海道南部の昆布。
だしをとる昆布として最高級とされるが
近年 収穫が激減している。
あっ ほんとだ!
≪10トン!?
はい。
あ~ うまいでしょ?
うん。
客の目の前で 料理を作り
すぐに食してもらう。
ごまかしの利かない 一発勝負。
これこそが
客とカウンター越しに向き合う
「板前割烹」というスタイルの
だいご味だという。
常に 逃げ場のない緊張感に さらされる。
≪弱ってるから こんな元気じゃないの。
≪そうそう。
(客一同)わあっ。
(拍手)
名物料理の一つ タケノコの木の芽あえ。
通常は
常温で食べることの多い あえ物だが
熱々のタケノコと 冷たいイカを合わせ
その瞬間を味わってもらう。
更に 森川の磨いてきた軽妙な語り口が
場を和ませる。
(森川)あんまり見んといてくれ。
(笑い声)
視線を感じて
手 切ったら えらいことです。 (笑い声)
(笑い声)
こんなもんや… これも…。
(笑い声)
(笑い声)
森川の店は 創業95年。
日本で初めて
板前割烹を始めた元祖とされる。
伝説的な料理人だった祖父 栄が開き
瞬く間に 全国の食通に
知られるようになった。
常連には この店の味を
「日本の味」と評した
川端康成を
はじめ
映画監督や 歌舞伎俳優などが名を連ね…。
海外からも 喜劇王チャップリンや
グレース・ケリーなどが
その味を楽しんだ。
以来 2代目の父 そして3代目の森川と
初代の料理を受け継いできた。
先付けに始まり 椀物や お造り
焼き物など 季節の食材を用いた 十数品。
肉料理は含まれず
開店以来 和食の伝統的な献立を貫く。
森川の言う「普通」とは。
それは この店が維持してきた
「最高の食材を 最高の状態で出す」ことを
意味する。
例えば タイのお造り。
どれほど良いタイであっても
それだけでは
森川の求める「普通」には到達しない。
そこに不可欠なのが
磨き抜かれた包丁さばきだ。
だから…
その技術は
一朝一夕に なしえるものではない。
(森川)もう この…
初代から受け継いだ
「普通」の料理を出し続けること。
それは決して
同じ作業の繰り返しではない。
春から夏にかけて出される
伝統的なハモのお椀。
通常のハモの骨切りの場合
骨は切るが 下の皮までは切らない。
だが森川は 自分の代になって
皮までを僅かに切るように変えた。
この技術が完成を見るまでには
実に30年近くにわたって考え
試行錯誤したという。
そしてついに これまで以上に
ふんわりとした食感を実現させた。
≪はいっ。
うん。
≪おいしい。 フフフフ…。
(森川)ありがとうございます。
また 3代続く名物料理
タケノコを甘辛く味付けする
このひと品も
調理法を見直した。
タケノコの歯触りを より良くするため
細かく包丁を入れるよう変えた。
うちで言う 「普通」っていうものを…
夜9時。
ご主人 わざわざ
ありがとうございました。
また よろしくお願いします。
はい ありがとうございました。
仕込みから始まり
店に立つこと およそ10時間。
お疲れ。
(笑い声)
森川は 楽をしてまで
店を長く続けようとは考えていない。
だから あと5年で店を閉めると
すでに決めている。
はあ…。
♬~
(一同)おはようございます。
森川さんが 30年以上にわたって
続けていることがある。
一般の人に教える 料理教室だ。
これを始めた きっかけは
実は 少し ずるい理由だった。
軽妙な語り口と
ハッとさせられる料理哲学が
次第に評判に。
開かれた回数は 実に2, 400回。
受講生は 延べ3万人にまでなっている。
(森川)ねっ おいしいでしょ?
ある日の教室のあと。
受講生たちと
別室でくつろいでいる時だった。
森川さんが
大好きなレコードに針を落とした。
♬~(レコード)
♬~(レコード)
♬~(レコード)
曲は モーツァルト。
演奏は 20世紀最高とも評される
ピアニスト ホロヴィッツ。
森川さんは
このレコードを聴く度 心を打たれる。
♬~(レコード)
クラシックの名曲という 完成された作品。
その中でも ホロヴィッツは
自分の色を出して
見事な感動を生み出している。
4月のある日。
いつもとは様子の違う
森川の姿があった。
夢だぁ!
昨年77歳で亡くなった 歌舞伎の名優
中村吉右衛門さん。
吉右衛門さんは
ずっと森川の店の常連だった。
この日は 逝去後 初めて
吉右衛門さんの妻が
来店することになっていた。
森川は 長年
吉右衛門さんと交流。
その存在は
常連というだけでなく
精神的な支えだった。
うん…。
あの…。
なんか…。
森川の料理人人生。
それは
他人には うかがい知ることのできない
苦悩に満ちたものだった。
森川は 祖父が始めた
板前割烹を営む家の長男として生まれた。
経済的には恵まれていたが
店のことで忙しい両親に構ってもらえず
さみしい思いもした。
だから 料理人になる気はなかった。
ところが 大学4年の時。
まだ 55歳だった父が
がんで 余命いくばくもないことが判明。
すると森川は すぐに考えを変えた。
しかし 料理の世界において
23歳からのスタートは遅い。
別の店で 年下に交じり
修業を始めたものの
その差は 容易には埋まらない。
だが 修業3年で父に呼び戻され
「客の前に立て」と命じられた。
そして タイを切らされた。
(森川)これは…
どんなに腕が劣っても
代わりのいない立場であることに
ゾッとした。
周りには 父を補佐する
腕利きの料理人たちもいたが
教えを請うことはできなかった。
うん。
うん。
程なくして 父は他界。
孤独感と 先行きへの不安にさいなまれた。
森川にできるのは
周りの料理人たちの所作を
必死に見ることだけだった。
そして なぜそうするのか 懸命に考え
分析した。
しかし 名だたる食通が集まる店。
なまはんかな努力では 到底通じない。
笑顔で接客する裏で
独り 苦悩する日々。
そんな時
自分と重なる存在があることに気付いた。
歌舞伎俳優になることを
宿命づけられた家に生まれた
あの吉右衛門さん。
古くからの常連だったが
森川の代になっても
店に通い続けてくれていた。
吉右衛門さんは
代わりのいない立場の重圧を はね返し
名優の評価を獲得。
更に それに甘んじることなく
どんな日も 一心不乱に
舞台に立ち続けていた。
ならば 自分も。
例えば 店を代表する料理の一つ
ハモのお椀。
これをどうすれば
より口当たりの良いものにできるか。
1年 2年と考え続けると。
塩のしかた。
湯がき方。
もう
完成されたものと思っていた料理にも
まだ
工夫のしようがあることが見えてきた。
ハモについて考え続けていた
ある日のことだった。
これまでにないアイデアが浮かんだ。
従来のハモの骨切りは 皮までは切らない。
だが少しだけ切れば
皮に熱が入りやすくなり
食感が良くなるのではないか。
切る深さの違いは
1ミリあるかないかの差。
少しでも切りすぎれば
身がバラバラになる。
森川は 来る日も来る日も
ハモを切り続けた。
♬~
そして 料理人になって30年近くがたち
50歳を過ぎた頃。
ついに
理想の骨切りができるようになった。
♬~
ハモのお椀は
「他では食べたことがない」と
客に言わしめるほどの食感になった。
そのころから「また店に来たい」と
次の予約を入れてくれる客が増えた。
更に。
料理の本を
森川が出版した時
吉右衛門さんが
こう書き添えてくれた。
(森川)「森川さんはね
年は お若いが
同じ志を持つ
いわば 同志だと
思ってます」。
ということを
ご本人に
書いて頂いた。
森川の生きる道が 定まった。
♬~
良かったです。
言葉には…。
うん…。
いや…
ありがとうございます。
♬~(主題歌)
はい。
祖父と父と自分で
95年守ってきた この店の「普通」。
ここで…。
あと5年。
店を閉じる その日まで
一日一日 全力を尽くし
「普通」を極める。
そうですね 今まで体験してきたこと
まあ あの 知識 経験
それを全部 こう…
冷徹なる分析をしてね
今 その日 その時 その一刻に
こう 燃えたぎる情熱を持って
命を吹き込むことができる人。
♬~
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