出典:EPGの番組情報
知恵泉「“これは欲しい”と思われる人材 坂本龍馬を育てた4人~姉と先輩」[解][字]
誰もが魅せられる「坂本龍馬」どうやって生まれたのか?若き龍馬がふるさと土佐藩で影響を受けた二人・実姉乙女と先輩・土佐勤王党武市半平太にスポットを当てる。
番組内容
幕末志士・坂本龍馬。豪快だが繊細。柔軟に人から学ぶ男だったという。誰もが魅せられた「人間・龍馬」はどうやって生まれたのか?▼若き龍馬がふるさと土佐藩で影響を受けた二人・実姉乙女と先輩・土佐勤王党武市半平太に注目▼一見「ひ弱」に見える部分や「経験の足りなさ」を理解し「大人」への道を育んだ姉と先輩との関係から伺う知恵とは▼土佐を脱藩、都や江戸で新たな仕事を遂行した龍馬を転職サイト副社長が読み解く!
出演者
【出演】転職サイト運営会社取締役副社長…酒井哲也,江上敬子,神田外語大学准教授…町田明広,【司会】高井正智ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
テキストマイニング結果
ワードクラウド
キーワード出現数ベスト20
- 龍馬
- 自分
- 武市
- 乙女
- 影響
- 坂本龍馬
- 先輩
- 自分自身
- 時代
- 酒井
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- 周囲
- 土佐藩
- 高校
- 今日
- 手紙
- 人物
- 尊皇攘夷
- 転職
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
あっ 今ね お父さんね
お客さん いるからね。
うん ごめんね。
うん 帰ったら相談乗るから。
うんうん うん じゃあね。
切るよ切るよ。 はい は~い。
店長?
はい。
あっ すいません。
ごめんなさい。 すいませんね。
お子さんでしょう?
そうなんです。 突然ね
どうやったらヒーローになれるのかって。
おいくつなんですか? 今。
今ね 小学1年生なんですよ。
あっ 1年生ですか。
あれ 何でヒーローって
なりたいんですかね。
なかなか なれないからですか?
そうですね…。
でも なれるんじゃないですかね。
ええっ! どうすればいいんですか?
いろいろ 方法は
あるかもしれませんけれども
周囲の人の影響というか
周囲の人の
サポートも 当然 必要になりますよね。
歴史上の人物で 周囲の人の影響で
ヒーローになった人といえば?
そうですね…
例えば 坂本龍馬とかですかね。
坂本龍馬。
龍馬は 子どもの時はですね
おねしょばっかりして
めそめそ泣いてた子
だったんですけれども。
それが 周囲の人の力を借りて
今や 誰でも知ってる坂本龍馬に
なったわけですよね。
私の周り 飲み屋で知り合った
おじさんばっかりなんですよ。
それでも なれます?
大丈夫ですよね?
なれると思います。
すごい悩んでますけどね。
でも ほら 何かヒント
隠れてるかもしれませんから。
今日のテーマは 坂本龍馬でいきましょう。
いいですか? 坂本龍馬。
分かりました。
子どものためぜよ。
ぜよ?
嘉永6年 アメリカのペリー提督が
4隻の蒸気船を率いて 浦賀に来航。
開国へ かじを切った幕府に対し
攘夷の声が上がり
やがて討幕運動に発展。
薩摩や長州など 各地で
新しい日本をつくろうと
勤王の志士と呼ばれる若者が
立ち上がります。
土佐の坂本龍馬も その一人。
犬猿の仲の
薩摩藩と長州藩との同盟を果たし
倒幕への流れをつくります。
そして 大政奉還。
時代は 明治という新しい時代を迎えます。
西郷隆盛は 龍馬のことを
お国のために
命をかけている
人物と評し
新婚の龍馬を
鹿児島に招待するほど
一目置いていました。
ところが龍馬。
少年時代は
泣き虫のいじめられっ子で
12歳になっても おねしょが治らず。
24歳の龍馬
面会を求めた水戸藩士は…。
相手を間違えたようです。 失礼する。
…と記すほど どこか頼りない。
なぜ そんな人物に
日本を変える大仕事が
できたのでしょうか。
実は坂本龍馬には
人生の その時々に影響を受け
その後の人生を導いた人たちがいます。
泣き虫の少年を一人前の青年にした
姉の乙女。
進むべき道を示した
先輩の武市半平太。
もし この2人がいなければ
龍馬は土佐を出ることもなく
歴史を変えるほどの偉業を
成し遂げることも なかったかも…?
今回 土佐時代の龍馬を巡る人々の
知恵を読み解くのは
転職サイトを運営する会社の副社長
酒井哲也さん。
キャリア形成を志す人と
即戦力を求める企業との
橋渡しをする中で
人も組織も 出会いと そのタイミングで
大きく成長すると実感しています。
猛スピードで変化する日本で
転職現場を見続ける酒井さん。
龍馬を変え 時代を変えた人々との
出会いと知恵に迫ります。
今日は 坂本龍馬ですけれどもね。
こんばんは。
あっ いらっしゃいませ。
酒井さん ようこそいらっしゃいました
どうぞどうぞ。
ありがとうございます。
おかけ下さい。
はじめまして 酒井と申します。
(一同)よろしくお願いします。
酒井さんは転職サイトを
運営されているということですが
具体的には
どういうことをされてるんですか?
即戦力の人材を採用したいという
企業様と
転職を希望されている個人の方を
マッチングするプラットフォーム
場の提供っていうのを行っております。
たくさん 変化する企業や人の …の方に
お会いすることが多いので
とてもとても楽しい仕事だなと思って
携わってますね。
今 たくさんの人に会うって話が
ありましたけども
初めて会う人の どの辺り…。
今日も皆さん初めてですけれど…。
ドキッとしますね。
どこ見てるんですか?
どこを見ているんですか 酒井さん!
ありきたりな話ですけれども
全体の印象や雰囲気っていうことでしか
言えないかもしれないですね。
しゃべり方とかもあるんですか?
ありますね。
お話しする中で あ~ なるほど
こんな背景で そんな立ち振る舞いや
そんなお話されてるんだな
みたいなことを
深掘っていく感覚ですかね。
見られてる側の人間は
どこに気を付けたらいいとかっていうのは
ありますか?
正直なところで言うと
やっぱり自然にしていて
どう感じられるかっていうことの方が
重要だと思うので むしろ…
難しいですね。 でも その…
初めて会った方の前で自然体って。
難しいですよね。
難しい…。
でも そうですね お話ししてると
このやり取りにおいても
とてもとても 何か…
それぞれに配慮されてるというか
すごい お気遣いをされる。
気遣いするんです 私
本当にそういう人間なんですよ。
乗ってきました 乗ってきました。
今日はですね 龍馬に影響を与えたのは
誰なのかということで
この2人を ちょっと考えてみました。
姉の乙女と
武市半平太ということなんですけれども。
どういう影響を?
龍馬が 生まれてから
20代中ぐらいまでですね
主として土佐にいてですね
志士 龍馬の基礎固めというか
人格形成というか。
それが
土佐時代なわけですけども
その時に…
それぐらい強い影響を。
今に龍馬をつなげてくれた2人
ということでございますが。
本日のオススメ
ここでちょっと見てみましょうか。
じゃん。
「鯛 伊勢 冬瓜 龍馬の手唐揚げ」。
はっ?
(笑い声)
すごい顔になっちゃって。
どういうこと?
たい いせ…
たい いせ とうがん 龍馬の…。
ほら 何度も言って下さい。
たい いせ とうがん…。
たい いせ とうがん…。
たいせいほうがん たいせいほうかん。
いやいや ならないよ! 大政奉還。
ならないよ~!
龍馬の手唐揚げ… てから…
てがらあげ… てがらあげ!
「大政奉還 龍馬の手柄あげ」!
強引!
天保6年11月15日。
坂本龍馬は
土佐藩 下級藩士の父 八平と
母 幸の5番目の子として
高知城下で生まれます。
龍馬が生まれた時 兄の権平は21歳。
19歳の姉の千鶴を筆頭に
3人の姉がおり
三女が 龍馬より3つ年上の乙女でした。
末っ子の龍馬は
甘やかされた
ひ弱な泣き虫だったといいます。
龍馬の少年時代について
こう書かれています。
龍馬が12歳の時 母が病死します。
うちひしがれる龍馬を見て
3歳年上の姉 乙女は
この弟を
なんとか一人前にしなくてはと
決心したのです。
これは 唯一残っている乙女の写真です。
近所の人たちは
「坂本の仁王さま」と呼び
家事よりも武芸が得意。
和歌や三味線にも通じた
文武両道の女性だったそうです。
ある日 お琴の稽古を終え
家に帰る乙女の前に 男が現れ
乱暴しようとします。
この時 乙女は男をねじ伏せ
役人のところに連れていこうとします。
男は泣きながら こう訴えます。
「女に縛られたとあっては
メンツが立たない。
何でも言うとおりにするので
勘弁してくれ」。
これを聞いた乙女。
「だったら私を背負って
家まで送りなさい」と言い放ち
家まで送らせて 許したそうです。
なんとも豪快な人ですね。
そんな乙女が
龍馬の世話をすると決めた時
真っ先にやったことがあります。
起きや。 厠に行くで。
おねしょです。
龍馬。
12歳を過ぎても おねしょをする龍馬を
夜中に起こしては 厠に行かせ
治したそうです。
泣き虫の龍馬を鍛えるため
道場に通わせ
自らも剣を取り 稽古もつけました。
おまん それでも男かえ。
厳しく でも弟思いの姉の存在は
次第に 龍馬を変えていきます。
ある雨の日 龍馬と出会った剣術の先生が
行き先を尋ねたところ
龍馬は
「川に泳ぎに行くところです」と答えます。
驚いた先生が「雨の中で
水泳をするやつがあるか」と言うと
「水に入れば ぬれるものです」と答え
川に向かったそうです。
あの龍馬も たくましくなったものですね。
後に龍馬は こう言っています。
乙女に鍛えられ
自分の足で立つことを知った龍馬。
姉は いくつになっても大きな存在でした。
全国各地を飛び回る日々の中でも
近況を伝える手紙を乙女に送ることは
忘れませんでした。
乙女宛ての手紙は
現存する龍馬の手紙の中で最も多く 16通。
その中には
剣術道場の娘が 美人で
しっかり者という
恋バナから
幕府が長州征伐を検討しているという
政治的な話題まで
乙女だからこそ打ち明けられる
龍馬の姿がありました。
手紙を受け取った乙女が 家族にも見せず
返事を書く様子を見た兄は
「恋文でもあるまいし」と
苦笑いしていたそうです。
ある時 龍馬のもとに
「自分も土佐を出るつもりです」と
姉が手紙をよこしました。
弟は こう返事をします。
…と 乙女を
いさめていますが。
そんなことでは おさまらない
姉の性分を知っている龍馬は
こう続けています。
「どういたち 国を出たいがやったら…」
しかし 龍馬が土佐にいる乙女を
迎えに来ることはありませんでした。
龍馬は 京都で暗殺されたのです。
こうして
土佐を出て活躍するという
乙女の願いは
かないませんでした。
龍馬の亡きあと
明治という新しい時代を迎え
母となった乙女。
自分の娘 菊栄を
龍馬と同じように育てました。
子曰わく…。
ままごとや手まりなど
当時の女の子の遊びを禁じ
四書五経から
剣術や柔道などを学ばせています。
乙女は厳しい教育方針について
菊栄に常々 こう言っていたそうです。
やあっ!
乙女は 菊栄が12歳の時に
病気で亡くなりました。
自分の足で立ち
社会のために働く大切さを
母から受け継いだ菊栄。
後に高知市内に作られた児童養護施設の
初代園長に招かれ
40年以上にわたり
子どもたちの保護と養育に尽力しました。
江上さん 12歳までおねしょ
反応してましたね。
はい。 12歳まで おねしょしてても
日本を変えられるんだと思って。
びっくりしちゃって
そのイメージがなかったんですよ
坂本龍馬の幼い頃が。
どんなイメージだったんですか?
やっぱり もともとの性質が
この力強い人間性を持ってる
人なのかなと思ったんですけど
うちの子は ちょっとね
弱々しいわって思ってても
12歳ぐらいまでいけるんだと思って。
夢がありますよね。
親近感がありますよね。
おねしょを続ける…
ヒーローのスタートとしては
とても身近に感じるというか。
そういった印象を持ちましたね。
乙女さんも
すごい お二人 反応されてましたけど。
かっこいい。
かっこいい?
男性にできるもので女性ができないことは
何一つありませんって
今でこそ ちょっと
そういう風潮になってきましたけど
それを この時代に言ってる方が
いたんだと思って。
当時としては やっぱ珍しいんですか?
そうですね。
当時は身分制社会ですよね。
いわゆる家父長制という
その男尊女卑の時代ですよね。
その時代の中で 乙女がですね
女性の権利というか
女性を男女平等というか
同権だっていうことを
言っているってことは
すごくユニークですよね。
ただ それがですね その考え方が
実は 龍馬に乗り移ってるところがあって。
龍馬の女性観っていうのが
ほかの男性とは全然違うわけですよね。
なので 女の人が はっちゃけてもですね
優しく見守るというか。
例えば 結婚した お龍ですね。
まるっきり 乙女姉さんの
生き写しのような感じで。
とにかく自分で何でもやろうっていう
感じですよね。
龍馬が それを
許してるっていうところが
ドンピシャリ
息づいてる感じがしますよね。
江上さん 3人きょうだいで
いらっしゃるそうですけれども。
そうですね 上に姉と 下に弟が。
何か影響 どんな影響を受けました?
姉の方が結構 優秀で
私は どっちかというと
ちょっと破天荒な感じで育ったので
周りからは結構 比べられたんですけど
そこを 姉は姉で
私のことを羨ましいと思ってたみたいで。
私は姉が羨ましいと思ってて
それを一度 話せた時期がありまして
そこから 何かね ちょっと…
自分は自分でいいんだ みたいなことを
すごい 姉から学んだなっていう感じでは
ありますかね。
…と今は思いますね
当時は きつかったですけどね。
酒井さんなんか どうですか?
家族の中で影響を受けた人。
父親の影響は
大きかったかなって思います。
恥ずかしながら そんなに
仲よかったわけでもないですし
口数も多かったわけでもないんですけど
ちょっと 言葉 あれですけど
「法を犯さなければ 自分で考えて
自分で判断しなさい」って
すごい それだけ言われたんですよ。
ええ~。
例えば 自分自身が高校や大学
それこそ就職先を選ぶ時も
相談したこともないですし
決まったあとにしか
話したこともなかったので。
割と そういった意味で言うと
自分で考えるとか
自分で物事を
判断していくみたいなところは
結果的になんですけど
その教えは 大きかったなと思います。
へえ~ 幼い頃に
「自分で自分のことは考えろ」って
言われると
ちょっと どうしていいか分かんないって。
いや 逆に考えるようになるんです。
なりますか?
はい そうなんです。
どうしよう これをやってしまったら
こんなことがあるかもしれない。
だったら もう少し
ここまで考えてみようとかって
やっぱり なるんですよね。
なるんですか。
ちゃんと 子どもを
信じていいってことなんですかね。
何か ちょっとつい…。
言ってしまいたくなる。
「こうした方がいいよ」って 「自分の経験上
こっちの方がいいんじゃない?」って
何か なっちゃいそうな気がしますけど
それ本当に でも そうですよね
子どものこと信じてないと
できないことですよね。
ここでの知恵が
「自分の足で立つ大切さを教えろ」
ということですけども
酒井さん お仕事の部分でも
通ずる部分ってありますか?
ありますね。
企業が採用したいっていう人材も
自分で立つ 自立っていうワードでは
ございませんけど
自分自身で もっと好奇心持って
チャレンジするとか 責任持つみたいな
プロフェッショナルな人材って
私は呼んでますけども
そういった人材を
求めるようになってると思います。
この人は自分の考えで
自分で行動できる人だっていうのは
どこで… どこを見るんですか?
やっぱり その時その時の…
例えば この小学校から
この中学校 受験したんですかとか
この中学校から
高校 受験してるんですかっていう
その一つ一つの
判断のしかたっていうところに
何かしらの自分なりの考えや
周囲からのアドバイスの中で決めていく。
だからこそ…
意識して面接では聞いてますね。
今まで どういう思考で
自分はその時 判断したのかってことを
ちゃんと語れるようにしといた方が
いいですね。
そうですね。 とは言っても
やっぱり 価値観の醸成って
環境や親兄弟っていうのは
大きいなっていうのは
改めて感じましたね。
私も こういう世界に入りたくて
島根のすごい田舎から
出てきたんですけど
最初は すごい反対されたんですよ。
しかも 中学校卒業して すぐに
私 上京しようとしてたんですけど
さすがに それは 本当に
親にめちゃくちゃ止められて
「高校だけは出て お願い」って言われて
自分でも いろいろ考えて
高校は出るけども
そのあとは 絶対に東京に出て
こういう世界に行くっていうところを
目標として
高校生活は送ってましたね。
その時に じゃあ なぜ
自分自身が中学校で行こうと思ったのに
高校を選択したかっていうのも
分岐点だというふうに思っていて。
そこは例えば
何だかんだいって 最後の最後は
周囲からの期待に応えたいとか
悲しませたくないからこそ
本当は中学校で
飛び出せたかもしれないのにも
かかわらず
高校にも行かれたんだな。
根は やっぱり
周囲の期待に
応えたいっていうことだったのかなと。
応えたいんです 私。
だから 親の期待も応えたかったし
自分の意志も貫きたかったっていう
ちょっと どっちつかずな時期が
あったんですよ。
そこは だから自分でも
あの時の判断は
どうだったんだろうと思うんですけど
最終的には 自分がね
ものすごく未熟だと思ったんですよ。
中学卒業して高校行かないで
上京するって言った時に
すごく先生から
質問 いっぱいされたんですけど
何にも答えられなくて。
あ~ この状態で行っても
駄目だなって思って
「あまりにも未熟すぎるな 自分は」と
思って やめたのもありますね。
なるほど うん。
すごい何か今 面接されてるみたい!
でも自分で決めるっていうのは
責任を伴うっていうことなんですね。
そうだと思いますね。
やっぱり責任を伴うとか
自分自身で
それ選んだ時の結論っていうか…
自分の足で立つっていうことの
大切さっていう話ですけれども
龍馬は
姉の乙女に教えてもらったわけですが
土佐時代に もう一人ですね
大きな影響を受けた人物がいます。
2つ目の知恵 ご覧頂きましょう。
18歳の龍馬は
土佐藩から剣術修行を許され
初めて江戸を訪れます。
ここで大事件に遭遇します。
龍馬! 刀 持って来い!
何事じゃ。
行くぜよ!
ペリー提督が4隻の蒸気船を率いて
浦賀に来航したのです。
龍馬が父に送った手紙には
こう書かれています。
ところが
その機会は訪れませんでした。
幕府はアメリカの要求を受け入れ
下田と箱館の開港を決定。
更に 安政5年。
朝廷の許可なく 日本に不利な
修好通商条約を結んだことで
尊皇攘夷運動が活発になります。
これに対し
大老 井伊直弼は
水戸藩主
徳川斉昭や
土佐藩主
山内容堂に
謹慎を
命じるなど
反対派の
抑え込みを
図ります。
こうした動きに 土佐に帰国していた
龍馬も巻き込まれます。
尊皇攘夷を推進する水戸藩が
ひそかに使者を派遣。
土佐藩の首脳に
協力する意思があるかを調べるため
龍馬に しかるべき人物への取り次ぎを
打診してきたのです。
しかし…。
わしは 一介の剣術家やき
政は よう分からんきのう。
は? 何と言われた。
ほんまのとこ わしは顔も広うないき。
水戸藩士の一人が書いた日記に
こう記されています。
この時 龍馬は24歳。
単なる剣術家が勤王の志士になるには
ある先輩の導きが必要でした。
龍馬を目覚めさせた人物。
それが龍馬の遠縁にあたる
6つ年上の先輩 武市半平太です。
龍馬は角張った顔の武市を
土佐弁で顎を意味する「アギ」と呼び
左頬にあざがある龍馬を 武市は
「アザ」と呼んでいました。
アギ殿は相変わらず
読みゆうがですか。
武市も龍馬も 土佐藩では下士と呼ばれる
下級武士の出身でした。
ただ もともと商家だった
龍馬の家とは違い
武市家は代々の武士の家柄。
藩に対する忠誠心を強く持っていました。
その上 剣術から絵画まで
精通した秀才で
武市が道場を開くと
120人を超える弟子が入門。
その名は 他藩にも知られ
長州藩の桂 小五郎
久坂玄瑞などからも
一目置かれる
存在でした。
土佐藩における尊皇攘夷を
もり立てようとする武市は
江戸の仲間と 土佐勤王党を結成。
誓約書には こう記されています。
武市の影響を受ける龍馬は
国元で最初に署名します。
土佐勤王党には
後に龍馬と共に暗殺される
陸援隊の隊長
中岡慎太郎も参加。
最終的には 198名が加わりました。
多くの賛同者を得た武市は
家老の 吉田東洋に
土佐藩が一体となって
尊皇攘夷に動くよう訴えます。
しかし 吉田は
「攘夷など 机上の論」と
相手にしません。
逆に外国との貿易を推進
幕府と朝廷が協力し
国を運営する
公武合体で
藩をまとめようと動きます。
武市は
この流れを断ち切るため
長州藩の久坂玄瑞に
相談することを決意。
その使者に選んだのが龍馬でした。
何の用じゃ?
書状を
長州の久坂玄瑞に届けてほしいがよ。
それはええが
わしに会うてくれるろうか?
全国の尊皇攘夷派の志士たちに
名を知られている久坂に対し
5歳年上とはいえ
龍馬は まだ無名の存在でした。
初めて龍馬は久坂と対面します。
そこで久坂は尊皇攘夷について
武市とは別の道を示しました。
この時 久坂が龍馬に託した
武市宛ての書状です。
…などの言葉が並び
詳しい話は
坂本様に伝えたので
聞いてほしいと
結ばれています。
しかし武市は 藩内で一丸となり
尊皇攘夷に取り組むべきという考えを
変えることはありませんでした。
龍馬は武市と久坂 2人から
全く違う考えを示され
自分の進むべき道に
頭を悩ませます。
そして 土佐に戻った
およそ ひとつき後
龍馬は行動に出ます。
脱藩したのです。
それは 先輩
武市半平太との
決別を意味しました。
(戸が開く音)
聞いたか 龍馬のこと。
おう! それで ここに駆けつけたがよ。
殿どころか
わしらも裏切りおって 許せん。
馬じゃ!
馬なら追いつくかもしれん。
よし!
わしが なんとかしちゃる。
(武市)捨てちょけ!
龍馬は土佐に おさまりきらんやつじゃ。
けんど…。
広いところに追いやったと
思うちょけばええわ。
それでええ。
武市は龍馬が自分で道を選び
歩きだすことを認めたのです。
その半月後 武市は
吉田東洋を暗殺し
土佐藩を尊皇攘夷で
まとめ上げます。
しかし こうした
強引なやり方に
前の藩主で実力者の
山内容堂が
土佐勤王党の弾圧に動き
武市も捕らえられます。
武市が獄中で龍馬をしのび
詠んだ歌があります。
先輩 武市と出会い 目覚めた坂本龍馬。
龍のごとく飛躍し
このあと 天下を動かす
活躍をすることになるのです。
坂本龍馬って
本当に周りの人に
恵まれてたんだなっていうふうな
気持ちになりましたね。
もともとはね 政治にも興味がないような
青年時代っていう。
ちょっと イメージが…
湧きませんけどもね。
すごい周りに影響されてたんですね。
特に 武市半平太っていうのが
龍馬をですね 政治の世界に
連れていったというか
先輩という話がありましたけれども
龍馬が江戸に剣術修行に出てきた時に
武市と一緒に
住んだりとかするわけですね。
地方の子が大学に入って
高知県人寮か何かに入って
先輩として
武市がいるというようなことで。
武市が しきたりとかですね
江戸の町のこととかですね
この授業はどうだとか
教えてくれるわけですよね。
寮のリーダーみたいな。
そうですね。
そのあと 大学を2人とも
卒業するみたいな形になって
土佐勤王党というのが
できるわけですよね。
武市は そこの社長になるわけですね
今度。
龍馬も そこの社員として入るみたいな。
今度は…
先輩 後輩だった2人の関係がですね
今度は上司と部下の関係に
変わってくっていうような
形にもなりますよね。
今まで 乙女はね
家族の中で影響を受けてきた。
けれども武市は今度
先輩であり上司として影響を。
この影響の違いっていうのは
やっぱりあるわけですか。
うん あると思いますね。
自分自身も 転職する時に
やっぱり先輩 上司の方から受けた
恩だったりとか学びっていうのは
大きかったなと思っていて。
私の場合だと2つ すごい覚えてて
一つが 「自分で考えろ」。
「お前は どうしたいの?」っていう
問いかけを
常にされるっていうことが一つと
大義という言い方が正しいのかどうか
分からないんですけども
もっと面白い企画や提案っていうのが
できるんじゃないかとか
もっと こんなことができるんじゃないか。
武市でいうと もっと日本のために
できるんじゃないかみたいなところの
姿勢みたいなところは
すごい私自身も問われ続けたな
っていうふうに思っていて。
そんな先輩 同僚には
とても感謝してますね。
今の話にもね ちょっと通ずるところ
あると思うんですけど この知恵が
「道を示し その先は自ら考えさせろ」
っていうことですけど。
そうですね…。
切り開くのは自分自身がやっぱり
どんな志向や目標があるかっていうことが
あると思うので
自分自身で決めて切り開くんだ
みたいなところの姿勢がない限り
これだけ変化が激しい時代でいうと
やっていけないというか
それこそ荒波に のまれてしまうかなとは
思いますね。
ただ 自分で考えろっていうのではなく
その前に まずは何か示してあげる
っていうのは やっぱ大事なんですかね。
自分一人だけだと 何でしょうね…
自分自身の考えに凝り固まった上で
それ以上の域を出ない。
だからこそ 龍馬も
武市半平太と会った上で
考えが広くなった。
この大義っていうことが
大きくなったんだろうなっていうのは
見てて すごい感じました。
龍馬でいうと脱藩っていう道をね
歩んだわけですけど。
踏み出せない人もいると思うんですよ。
そういう人って
どう背中を押すんですか?
正直 転職することが
いいことか 悪いことかって
半分 結果論なんで
正直分からないところがあります。
やってみないと分からない。
ただ転職をする時に
どんな気持ちで次の会社
転職をするかで
だいぶ気持ちって変わるんですね。
やっぱり人生の選択において
あれも実現したい これも実現したい。
ただ 全部実現できるわけじゃなくて
やっぱり
これだけは実現したいっていう
自分自身の核となるものを
どう見つけるか。
そこを見つけた時には
覚悟を持ってやるんだっていう
気概を持っていけるかどうかが
いわゆる成功の可否につながる
というふうに思うので。
どんな気持ちを持てる状態でいけますかね
っていうことを
やっぱり常に言ってる気がしますね。
自分自身との会話みたいなのが
重要になってくるんですかね?
そうだと思います。
町田さん 龍馬は武市に勧められて
久坂に会って
そういうふうにマインドが
変わってったってことですよね。
ですから 武市もですね
本当に推測ですけれども
龍馬と久坂を
会わせようと思ったんでしょうね。
その久坂と龍馬が会うことによって
何らかの化学反応を期待したというか。
龍馬が もう一歩
考え方を進められるというかですね。
武市にとってみると龍馬が脱藩して
うれしかったかもしれないですよね。
自分が龍馬にですね 与えた機会を
うまく吸収して消化して
自分なりの道を見つけたということに
関しては
場合によっては
自分が今のやり方で倒れたとしても
龍馬が生きてれば また違う方法で
その目的を達成してくれるんじゃ
ないかっていうような思いも
どっかにあったかもしれないですよね。
酒井さん まさに武市のように
背中を押す役をやってるわけですけれど
どうですか。
脱藩されても怒らずにいられますか。
一時は当然ながら感情的になる部分も
あるとは思うんですけど
たくさんの選択肢や可能性がある中で
何か… 何かを選択していく。
そこを堂々と決めていく人だったら
応援したいなっていうふうに思いますね。
これ 自分の経験なんですけど 私も実は
退職っていうことを経験する中で
とある人から
「堂々と出ていけ」って言われたんですよ。
もし堂々と出ていけないんだったら
今は辞めるべきじゃない。
むしろ胸張って 自分自身は
今の会社で これだけやったんだ。
だからこそ
次は これやるんだっていうことを
自信持って言えるかどうかっていうのが
次の会社での
成功のキーだよって言われたのは
すごい 覚えていてですね。
す… すす… すいません…。
っていうのは駄目ってことですね。
そうです そうです。 その方いわく
「そういった人だと負のオーラが出るから
あんまり活躍しないんだよね」って。
その時は 「何だ この感覚的な人は」って
思いましたが
今 自分の立場になってみると
すごい分かる気がしますし
それだけ堂々と出ていく人がいたら
むしろ応援したいなと思います。
今日はですね
泣き虫でいじめられっ子の龍馬が
姉や先輩の導きで どんどん
変わっていく様子を見てきました。
江上さん いかがでしたか。
坂本龍馬が こういうふうに
出来上がってきたっていうことを知ると
とりあえず
もうちょっと大きくなったら
朝稽古から始めてみようかなっていう
感じですかね。
酒井さんは いかがでしたか。
昔も今も変わらないとこってあるな
っていうふうに感じたのが
正直なところですかね。
私自身 転職っていうことを
サポートしてるんですけど
何か むやみやたらに あっち行ってみる
こっち行ってみるって
決められないじゃないですか。
なので やっぱり これからの時代
こんな選択肢ってあるよ
でも こっち行ったら
こんなことあるけどねっていうことの
やっぱり 可能性までセットにした上で
何か 与え続けるっていうことを
やらねば駄目だなっていうことを
改めて感じましたね。
自分も成長しないと
っていうことですよね。
そうだと思いますね。
本日はどうも ありがとうございました。
うん うんうん。 お父さんね
今からね 店出るからね
今日ね お客さんからね
ヒーローになるためのいい話聞いたから
帰ったら教えてあげる。
はいはい ちょっと待っててね。
帰るからね。 は~い じゃあね~。
♬~
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