出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 目黒祐樹[解][字]
~兄・松方弘樹さんが逝き5年…今も胸に残る思い出~目黒祐樹さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
目黒祐樹さんがゲスト。
◇番組内容
兄である俳優・松方弘樹さんが逝き5年、今でも「電話をかければ出そうな気がする」という目黒さん。松方さんは5歳上、幼い頃からチャンバラごっこや相撲遊びをしても、まったく敵わなかったという。幼少期から子役として活動していた目黒さん。当時、共演が多かったのが「アラカン」の愛称で絶大な人気を誇っていた嵐寛寿郎さん。秘蔵映像と共にアラカンとのとっておきの思い出を明かす。また、孫との日々、妻との2人暮らしは…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 覆面
- アラカン
- お父様
- 気持
- 今日
- 相撲
- スター
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)こちらは お若い頃の
お兄様とのお写真です。
目黒祐樹さん。
お兄様の松方弘樹さんが
お亡くなりになって5年。
現在のお気持ちとか
お兄様との思い出を伺います。
また お孫さんが
お生まれになって
お若いのに おじいさんにも
おなりになりました。
お暮らしぶりも
お伺いさせて頂きます。
目黒祐樹さん 今日のお客様です。
よろしくお願いします。
どうも。
前回のご出演は
5年前だったんですよね。
早いですね。
ねえ。
それで お兄様が亡くなったのが
5年前っていう。
そうです。 兄が亡くなって
数カ月後に呼んで頂いて
兄の話も…。
ねえ。 本当。
あなたの
5歳年上なんですって?
丸5年上でしたね。
こちらに 今 お写真が
ありますけど。 ねえ。
だから 要するに
お兄様の年に
もう 追いついちゃった
っていう事でしょうかね。
ちょっとだけ
追い抜きましたね。
ねえ。 追い抜いたんですね。
もう 亡くなったタイミングが
僕が ちょっと 数カ月
超えているという事なので。
どうですかね?
お兄様の年を超えた
っていう気持ちって。
なんかね… まあ あの…
いつまで経っても
僕にとっては 兄は兄ですしね
で 父は父だし
僕の方が 年は いってても…
というのは なんか
不思議な感じなんですけど。
うーん…。 僕 兄って
あんまり死ぬというイメージの
なかった人なんです 僕の中では。
元気な方でしたしね。
元気も元気だし
なんか エネルギーの塊でね…。
死にそうもない。
フフフフ…。
この人は 死にそうもないな
っていうイメージだった。
なんか 僕の中で
まだ受け止めきれていないとこが
あるんですよ そこら辺 現実を。
ですから ふっと
間違えて電話しちゃったら
「なんだ?」って
出てきちゃいそうな。
そのくらい
僕の中で まだ残っていますね。
じゃあ あっ お兄様が
いないんだって感じる時は
そういう時ですかね。
うーん…。 そうですね。
自分に 現実を
言い聞かせる時はあります。
お兄様を俳優としても
尊敬して
いらっしゃいました?
もちろんです。
僕が いくら追い掛けても
背中が どんどん
遠くなっていくような
そういう人でしたから。
僕の本当に… 目的って…。
目標の一つでしたし
いつか追いついて
追い越してやりたいなと
思っていたんですけど
ついに それも かなわず
74歳という まあ…
当時としては まだね
ちょっと早いぐらいの
年齢でしたからね。
ちょっと残念でしたね。
お父様は
近衛十四郎さんとおっしゃる
俳優さんでいらっしゃって。
はい。
それで 戦前から
時代劇で ご活躍でした。
これ お兄様と あなたと…。
小さいのが あなたと お父様と。
京都の鴨川の土手の所を
散歩しているような感じだったと
思います。 はい。
犬を連れていますよね。
あっ 本当ね。
お父様が
引っ張っていらっしゃるのは
犬の… あれかしらね。
そうです。
懐かしいでしょ?
こういう写真をご覧になると。
懐かしいですね。 なんか もう
あっという間に
時が流れてしまって。
ああー 今度 母が…。
お母様も女優さんで
いらっしゃるでしょ? 元。
若い頃は 水川八重子という
芸名で…。
本当 お奇麗。
女優を
やらせて頂いていました。
でも こうやって見ると
5歳っていうのは
随分 この頃は違いますよね。
真ん中に座っていらっしゃるのが
松方弘樹さんで
立っているのが あなたでしょう?
はい。
でも なんだか 随分 あなたの方が
小さい子に見えます。
これ 兄
中学の時だと思うんですけど。
小学校でいうと
僕が1年に入学した時は
もう 6年生ですから。
そうですよね。
この1年生と6年生って
全然違いますよね。
ねえ。 本当にね。
例えば 家で相撲を取ろうが
レスリングをしようが
ケンカしようが
絶対 敵わないんですよ。
キュッと片手で
押さえ込まれちゃうんで。
でも なんか 随分 年取ってから
一緒に相撲をやろうかって
おやりになった事
あるんですって?
子供の頃 さんざん
押さえつけられていたんでね…
軽くひねられていたので
僕が成人して
21~22の頃だったでしょうかね。
ちょっと 久しぶりに
相撲でも取ってみるかっていって。
それで どちらから言い出したのか
ちょっと覚えていないんですけど
相撲を取ったんですよ。
そしたら 僕が21~22で
兄が25~26で
油断していたのかも
しれないですけど 彼は。
僕が勝ったんですよね。
うん。
十何年ぶりにやってみて。
そしたらね… 兄は
まさかと思っていたんでしょうね。
まさか
僕に相撲で負けるなんてって。
それで ちょっと まあ
弟も これだけ強くなって
大きくなったんだなっていう
これっぽっちは うれしかったんだ
と思うんですけど
大部分は もう
かなり悔しがっていましたしね。
あっ そう。
負け惜しみでね
「まあ 本気出しゃあ…」とか
言っていましたね。 ハハハ…。
まあ 自分は
本気を出していなかったんだ
っていうふうに言いたいっていう。
兄としてのプライドも
あるでしょうから
そんな事を言っていましたね。
そうですか。
でも 戦後は スターでいらした
お父様のお仕事も減り
あなたがお生まれになった頃は
おうちが貧乏だったんですって?
そうなんですよ。
戦後は 時代劇がね
やっぱり GHQの関係で…。
あっ そう。
時代劇 あんまり
撮っちゃいけないというような
時代があったんでしょ?
それで その頃は やっぱり
親父の出番もなくて。
やっぱり 仕事が ほとんどなくて
うちは経済的に
かなり追い込まれていたんだと
思うんですよね。
お正月頃だったと思うんですけど
父と母と兄と僕と4人で
商店街を歩いていたんですが。
僕は まだ 本当に小さくて。
果物屋さんに こう
カゴに小さいみかんが
ひと山 いくらってね
昔 こんな小さい… ありますよね。
それが… ポッと見て
ああー おいしそうだなと思って
それ 僕が どうしても欲しいって
ねだったんですよね。
そうするとね 父と母
なんか 知らないけど
ずっと黙っている。
そうこうしているうちに
いきなり
僕の手を兄がビャッとつかんで
ワーッと遠くの方に
引っ張っていかれたんですよね
兄に。
その時は なんだか
よくわからなかったんだけど。
僕は 当時の我が家の家庭の事情を
わかっていなくて。
兄は 先ほど申し上げたみたいに
5歳も上だから
うちが今 どういう状態にあるか
っていう事を
十分わかっていたんだと
思うんですよね。
だから 僕に何も言わせず
本当にワッとやって
むんず手をつかんで
ダーッと連れていかれましたね。
何年か経ってから
あっ そういう事だったのか
っていうのを
やっと理解できた…。
そこは 随分… あれですよね。
お兄様 5歳…
たったの5歳なんだけど
随分 そこは違うのね。
大人っぽかったのね。
そうですね。
特に弟の面倒を見ながら
色んな事をしていると
やっぱり…。
父親と母親と僕との間に
ちょうど入っているのが兄なんで
その間に入って
色んな事を こうね
やってくれたんだと思いますし。
父と母の立場もね…。
そこ すごいですよね でも。
そういう事が結構あったんじゃ
ないかなと思いますね。
でも 一回
お父様とあなたとお兄様とで
同じメイクアップ室で
一緒にメイクした事が
あったんですって? なんか。
そうですね。
東映だったと思うんですけど。
たまたま…。
父の作品 『素浪人』シリーズ
というのがあって。
それに僕が相棒というか
子分みたいにして付いて回る…
まあ コンビで
出させてもらっていたんですけど。
そこに たまたま
兄がゲストで一本…。
ええー。
出た時がありましたね。
お兄様 スターなのね もう。
はい。
で 親父と僕とが
レギュラーでやっている番組に
兄がゲストで来てくれて。
それで 同じ番組ですから
ちょうど 東映のメイク室で
親父と兄と僕と 3人並んで…。
多分 同じ開始時間だったと
思うんですけどね。
だから 同じようにメイクして
で 同じように羽二重して
カツラをかぶって
で 時代劇に だんだん
なっていくわけですよね。
で カツラをかぶって
出来上がると
衣装部屋に行って
並んで衣装を着替えて
それで 時代劇の形になる
というような事がね
ありましたね。
何回かあったかな…。
その時 どういう気持ちでした?
僕はね なんか… うれし恥ずかし
みたいな感じなんですけど
逆に父親は僕と… あるいは
兄とね 仕事をする時は
結構 緊張していたんじゃないかと
思いますね。
厳しい感じ?
父親は 僕らに結構 気を使って…。
でも 下手な事をしないかなとか
失敗しないかなとかいう
親としての気持ちも…。
役者同士の対抗意識も
もちろんあったんでしょうけど。
でも 親としての こう…
なんていうのかな。
心配だなっていう気持ちの方が
上回っていたんじゃないかな
っていうような気がしますね。
なるほどね。
今のあなたの年は もう
お父様の年を超えたでしょ?
もう はるかに…
10年以上超えましたね。
でも 昔の方は やっぱり
大人っぽかったのかしらね。
僕はね 下から ずっと
見上げていましたから
なんですけど
やっぱり 貫禄というかね
落ち着きというか…。
たとえ我が家にいても
威厳があってね。
それから 嵐寛寿郎さんとの
共演が多かったとかって。
はい。 昔の… ねえ。
大スターでいらっしゃるし
本当に
日本を代表するような…
大先輩でも
あられるんですけど。
僕 初めて 子役という事で
映画に出させて頂いたのが
嵐寛寿郎先生の
息子役だったんですよ。
僕が6歳の時なんですけど。
ああ そう。
それで 僕は今の子供たち…
子役みたいに
プロ意識も何もないので。
で 天下の嵐寛寿郎先生に
「アラカン アラカン」って…
本人にですよ 向かって。
みんながアラカンって
言っていたのね
陰でね。
陰ではね。
でも 直接 ご本人には
寛プロさんとか 嵐先生とかね。
そのご本人に向かって
こんな子供がね
「アラカン こうだよね?
なんとかかんとかで」って
平気で
しゃべっていたらしいんです。
周りの大人の人たちは
もうハラハラ ドキドキ
大変だったと思うんですけど。
でも アラカン先生
本当に可愛がってくださって。
僕が今の子役の方たちみたいにね
プロ意識が全くなくて。
撮影所へ遊びに行っていた
つもりなんですよね。
撮影所って 本当に楽しい所で。
まあね。 お父様もお兄様も
行っていらっしゃるからね。
はい。 それで 役がね
天下のアラカン先生の息子で。
あっ 息子なのか。
そうなんですよ。 だから…。
で 僕 時々…
プロ意識がない子役だから
「今日は撮影したくない」とかって
言うんですって。
そうするとね アラカン先生
撮影中止になったら
困っちゃうわけで。
スタッフもキャストの方も
いっぱい いらっしゃるんだし。
「祐坊 祐坊」って
僕の事 呼んでくださって。
「祐坊 そんな事 言わんと
撮影しような 機嫌直して」
って言って
お菓子とか おもちゃとか
そういうものを買ってきてはね
僕にね… 機嫌
取ってくださったんですよね。
どうします?
どうしようもない子役でしたね。
もう 今 思い出すと
本当に汗かきますけど。
そんなプロ意識がゼロの
子役だったんですけど。
でも 本当にアラカン先生
可愛がってくださって。
僕が大人になって
大人としてデビューして。
で まあ 生意気に自分の作品を
持てるようになって。
そしたら… たまたま
時代劇だったんですけど。
アラカン先生が その番組に
来てくださって ゲストで。
うん。
自分の出番 終わられて
僕 他の作品から…
掛け持ちしてて。
それで 2時間ちょっと
遅れて行ったんですよ 現場。
そしたら 今日 アラカン先生が
来てくださっている日なんだって
僕 慌てて行ったんだけども
もう終わっちゃったんだなと
思ったら
2時間以上
僕の事 待っててくださった。
あらー。
それで 僕 バーッと飛んで行って
「お待たせしてすみません。
ご無沙汰してます」って言って
ご挨拶したら
フッて立ち上がって
僕の肩にポンッと手を置いて
「祐坊 大きゅうなったな」って。
もう 涙 涙です。 ダーッて…。
うれしかったですね。
そうですか。
じゃあ そのアラカン先生の
映像がありますので
ちょっと ご覧になりますか?
本当ですか?
ええ。 嵐寛寿郎さんです。
「お元気でいらっしゃいますってね
いつも」
「ええ。 おかげさんで どうにか」
「いいえ」
「そして とても面白いと言っては
失礼ですけど…」
「面白いですよ」
「フフ…」
「面白くていらっしゃるんですね」
「はい」
「三枚目です」
「どうして それが…
ずっと二枚目して
いらっしゃいましたでしょ?」
「まあ 天狗さんはね。
むっつり右門も」
「みんな 二枚目」
「まあ 二枚目ですな」
「今 三枚目」
「でも そうすると お若い時から
ご自分のお顔が奇麗だ
っていう事については…」
「私? いや ちょっと
長すぎましたな 顔が」
「だから 覆面が
ちょうど よかったんです」
「覆面が」
「フフフフ…」
「ちょうど隠れて
ええとこばっかり映る」
「ハハハハ…」
「そうでしょうが」
「そう。 あれは 顎を…」
「隠しちゃう」
「隠しちゃう」
「隠しちゃう」
「でも あれは覆面の下にも
ちゃんと ちょんまげは
つけていらっしゃるの?」
「つけてます」
「だから 覆面じゃない時だって
あるわけでしょ? お顔は」
「ありますよ」
「でも 大部分が覆面?」
「だから もう
九分九厘 覆面ばっかり」
フフフフ…。
鞍馬天狗って…。
懐かしいでしょ?
ああ もう ちょっと…。
本当ね。 泣いちゃう。
懐かしいですね。
いい方。
私はね 本当に この時しか
お目にかかっていないんですけど。
大変な方だと
思っていたんですけど。
あんなにね… なんていうの?
面白いお話 なさってますね。
そう。
もうね 何回も
出て頂きましたけどね
ああ こんなにお優しい方なんだと
思ってね とっても。
すてきな方ですよね。
そう。
子供なんか… 僕も まあ
本当に小さかったんで。
6歳ですから
まだ小学校にも入ってない子供に
本当に 「やめよう
そんな事しないで」って。
「ねえ
撮影しよう 撮影しよう」って
本当に お優しかったですね。
そうですよね。
あんなスターなのに…
今の方は
わからないかもしれないけど。
嵐寛寿郎っていう方が
どんなに
すごいスターだったかってね。
当時は すごかったと思うけど。
その方が
こういうふうに 普通に
お出になるようになったら
こんなふうにね 楽しくお話を
してくださったんですから
私 びっくりして…
本当に びっくりしましたね。
日本映画界を
代表なさるようなね…
なるようなね 方でしたもんね。
あの頃だったらね。
いい方だったんだなと思います
優しくてね。
そんな方に
「アラカン」なんて言っちゃって。
フフフフ…。
面と向かってね。
でも あなたは…
話が違いますけど。
初孫が生まれて おじいさんに…
おじいちゃんに おなりになった。
はい。
お嬢さんがお産みになった子で
お嬢さんは女優さんで脚本家の
近衛はなさん。
一緒に
いつか おいで頂きましたよね。
はい。 出させて頂きました。
随分 奇麗なお嬢さん。
ハハハハ…。
これは孫?
孫です。
男の子なんですがね
もうワンパクでワンパクで。
ええー。
何歳ぐらい?
今ね ちょうど
3歳と4カ月ぐらいですかね。
ええー。
なんか 子育てとは違う
孫育てっていうのは…。
これね
別次元の可愛さなんですよ。
何がって…
自分の子供に対しては
やっぱり こう… 授かりものだし。
ねえ。 やっぱり 自分の責任で
ある程度 厳しくしなきゃいけない
っていうのもあるけど
孫は親からの預かりものだから。
フフフフ…。
授かりものと預かりものは
全然違います。
やっぱり もう本当に…。
そうね。 授かりものと預かりもの。
もう 預かっているから大事だし
ケガさせちゃいけない
っていうんで やっぱり
一緒にいると疲れるんですけど。
でもね…。
可愛い?
保育園とか迎えに行くとね
向こうから
「じいじ」って走ってくるんですよ。
うーん。
もうね 食べちゃおうかなと
思いますね。
フフフフ…。 本当ね。 可愛いのね。
あっ そう。
でも ご一緒にスーパーなんか
いらしたりもするんですって?
はい。 行きますね。
今日は家行くから
その前に
ちょっとスーパーへっていって
寄るとね
自分の好きなものの前で
ピタッと止まるんですよ。
可愛いわね。
なんの前で止まるっていったら
まず 果物の所で止まりますね。
で イチゴとか
それから みかんとかの前は
一歩も動かない。 そうすると
「欲しいの?」って言うと
「うん」って言うから もうね…。
僕は小さい頃
食べられなかった思い出も
あるもので… みかんはね。
お兄様が
手を引っ張ったっていう…。
手を引っ張られちゃったから
食べられなかった みかんを
本当に 思う存分
食べさせてやろうと思って。
で もう みかんでもイチゴでもね
今 一生懸命
買ってあげてるんです。
それ 喜んで食べる?
すごく喜びます。
可愛いね。
それで 「一度 ごちそうさまね
食べすぎだから」って言うとね
またね
「おみかん もっと食べたいです」
とか言うんですよ。
可愛い。 フフフフ…。
そうすると たまんないでしょ。
「これだけね」とかって
また追加しちゃって。
そうね。
僕が甘いと思って見ているとね
家内は もっと甘いですからね。
奥様はね。
「もう いい加減にしとけよ」
って言うのに 「いいじゃない
もう一つぐらい」とかって。
奥様はね 江夏夕子さんと
おっしゃいまして
いつか ご一緒にね
おいでくだすった…。
出させて頂きました。
元女優さんで
いらっしゃったでしょ。
フフフフ…。 でも この方も
もう ばあばになっちゃった。
ばあばになって もう孫に
メロメロ トロトロですね。
フフフフ…。 そう。
はい。 フフフフ…。
でも 話違うんだけど
目黒さんって
若い時から お料理が
お上手だったんですって?
僕ね 料理が上手って…。
若い頃… 10代の頃から4~5年
アメリカへ留学していた時代が
あったので。
もう 向こうで外食って
高いですから。
だから 自分でスーパーへ行って
食材を買ってきちゃあね
自分で とりあえず温めて
できるようなものとかいって
作っていたので だんだん
料理が苦じゃなくなってる。
煮物 作ってみたりして。
今でも家で たまに気が向くと
作ったりするんですけど。
でも 孫にね よし
今日は孫が来るからっていって
ちょっと 煮物
作っておいてやったりするとね
意外と喜んで食べてくれるんです。
あら うれしい。 うれしいでしょ?
ちょっとね 子供用の薄味を
自宅では食べているんだけど
僕 ちょっと 大人味を
作っちゃうんですよ わざとね。
それで 濃い味って
やっぱりね おいしいから
子供はね 喜んでくれるんだね。
作っちゃうんです。
甘辛くして おいしいんでしょ。
おでんのマネごとみたいな…。
これ ちくわぶと… なんだ?
油揚げと…
それから 焼き豆腐かな。
…のを ちょっと
煮たようなものですけど。
随分…。
こんなものを ちょっと…。
でも こういうのを
そんな子供でも食べる…
おいしいと思うのね。
おいしいと思うんでしょうね。
ねえ。 すごい すごい。
大人の方に
ちょっとだけ寄った
濃いめの味付け
やっぱり好きですね 子供。
なるほどね。
お酒は お飲みになるの?
はい 好きです。
そうなんですか。
はい。
お若い頃と比べて
量は どうですか?
量は もう
3分の1ぐらいでしょうかね。
ただね あの…
父も大酒飲みなんですよね。
あっ そうなんですか。
もちろん 兄も
大酒豪だったんですけど。
まあ 晩年はね ちょっと
酒を控えてましたけど。
3人で飲む機会も もちろん
随分あったんですけど…。
おふくろが 親父が亡くなる前に
死んでしまった時に…。
あっ そう…。
お通夜の時に
親父と兄貴と3人で飲んでいたら
親父が かなり落ち込んでて。
それで 3人でウイスキー
5本か6本 飲んで…。
ウソ? 本当に?
お通夜の晩に。
それで 「親父 そのぐらいに…
お酒 やめたら?」って 僕…。
いつもは おふくろが
親父のお酒を止めていたんですよ。
そしたら おふくろは その時
亡くなっているわけだから
お通夜なんですから。
「親父 そのぐらいにして
やめようよ」って言ったらね
親父も ちょっと
気持ちが こうなっていたんで
「うるさい」って怒られて。
「いや そんな事言うな。
おふくろ 死んじゃったのに
僕が止めないで
誰が止めるんだ」って
生まれて初めて
親父に食ってかかったんです。
そしたら あの怖い親父がね
「うるさい。 お前みたいな者は
破門だ」って言った。
普通 親は 子供は勘当でしょう
って思ったんだけど。
さすが 時代劇の人だから
僕 破門になってしまって。
それから半年間 親父から
ひと言も口を利いてもらえない
っていう事ありましたね。
あらー。 そう。
同じ家に住んでるんですよ。
同じ家にいらして?
同じ家にいて。 僕は
京都の親父の家から
撮影所 通ってますから。
ええー。
それで 毎朝 僕は親父の顔を見て
「おはようございます」って言うと
しらー…。
そこに僕がいないように まるで。
間違っていないと思うから
僕は謝る筋合いはないっていって
僕も半年間 頑張っていたんです。
そしたら あまりにもね
親父の後ろ姿が
ちょっと
さみしげに見えた時があって。
ああー 僕がね 折れなきゃ
これは
永久に解決しないなと思って。
ある時 ずっと考えて。
で もう 親父の前に行って
「親父 この前は
僕が言いすぎました」と。
「本当に申し訳なかった」
って言って
親父の顔を見て謝ったんです。
そしたらね 半年ぶりにね
ピュッと僕の目を見て
「うん。 わかればいい」って
言われて。
ハハハハ…!
どうなんだって。
「わかればいい」って。
それで 「わかればいい」って
言った途端に
「それでな 祐樹な
この間の あの話な」って
なんか 全然 その半年間が全く…。
なかったみたい…。
ないような
空白の半年間なんですよ。
昨日に戻っているような…。
でも よかったですね。
破門ですからね。
破門ですからね。
そうですか。
もう 参りました 父には。
いいお話を…。
はい。
『徹子の部屋』は
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