出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 EXILE ATSUSHI[解][字]
~30代で挫折も米国留学が転機に~EXILE ATSUSHIさんが今日のゲストです。
◇ゲスト
昨年デビュー20周年を迎えたEXILE ATSUSHIさんがゲスト。
◇番組内容
かつてワイルドな坊主頭にサングラス姿がトレードマークだったが、世間では今でもそのイメージが強く驚いているという。実は、髪型が気になるとメイクにとても時間がかかってしまうため「歌に集中したい」と手間のかからない坊主頭にしていただけだったと語る。2020年にはEXILEのグループとしての活動を卒業し、ソロ中心に。順風満帆に見える人生だが、30代で仕事に行き詰りを感じ、一時休業して海外留学をしたことも。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 本当
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- ピアノ
- フフフフ
- HIRO
- デビュー
- 音楽
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- 一度
- 自分
- 専門学校
- 日本
- 年目
- 父親
- CD
- Choo
- ソロ
- タイミング
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
♬~「人生って
不思議なものですね」
(黒柳)わあ。
日本を代表するボーカリスト
EXILE ATSUSHIさん
今日のお客様です。
一昨年
EXILEのグループをご卒業。
現在はソロでご活躍という事で
デビュー20周年。 すごい。
美空ひばりさんも
お歌いになって。
はい。
『徹子の部屋』は9年ぶり
2度目のご登場。
デビュー20周年。 すごい。
いや あっという間に
過ぎてしまいました。
一昨年 今 言ったように
ソロにおなりになって。
どうですか?
1人になってごらんになって。
はい。 そうですね。
表現は より自分のやりたい事で
自由には なったんですけども
やっぱり 責任が
のしかかってくるといいますか…。
そうですね。
はい。
なので 逆に ちょっと
忙しくなったかもしれないですね。
グループの時は やっぱり
分担作業であったりとか
決めてくれるリーダーが
いたりとかもしたので。
でも やりがいはあります
やっぱり。
そうですか。
プロデューサーのHIROさんは
大変だったろうとお思いになって。
そうですね。 はい。
やっぱり こう…
もめるわけじゃないですけども
色んな意見は出ますので。
そのバランスを取ったりとか
最終的にどうするかっていうのは
みんなで話して
決めるんですけども
やっぱり 誰かが
ちょっと背中を押さないと
全部の意見を平等に聞いてたら
やっぱり決まらないので。
そういったバランスも
ありますよね。
今 ちょっと HIROさん
映ってたけどね。
HIROさんが生んだ
EXILEなんですけども。
圧巻のライブ映像
それでは ちょっと
VTR ご覧頂きましょう。
♬~「Fun Fun
We hit the step step」
『Choo Choo TRAIN』?
はい そうですね。
♬~「We know We love Oh」
♬~「Heat Heat (The)beat’s
like a skip skip」
♬~「ときめきを運ぶよ
Choo Choo TRAIN」
♬~「キスをするたびに
目を閉じてるのは」
♬~「未来を見たくないから」
♬~「抱きしめられると
ときめく心は」
♬~「あなたをまだ信じてる」
♬~「どんな暗い 闇の中でも」
♬~「明けない夜はないと 信じて」
♬~「未来のため 何かを感じてる」
♬~「Oh yeah」
♬~「So, Rising Sun
陽はまたのぼってゆく」
♬~「So, Rising Sun
夜明けはそばに来てる」
でも デビューの時は
6人だったんですって? 初めは。
そうですね。 6人でした。
…が 1人抜けて 2人入って
7人になったんですけども
そのあとに 14人になって。
すごい。
すごく大きな…
なんていうんですかね
変化をしてきたグループなので。
そういった意味でも
20年 ファンの皆さんに
応援して頂きながら
この世界で残ってこれたのかな
というのは
ありがたい事です 本当に。
坊主頭で。
この髪の毛していたの
僕 2003~2004年からの…
30歳で やめたんですよね。
あっ そうなの。
なので 6~7年の間なんですけど
20年の間で。
どうしても
この印象が強く残ってしまって。
そうよね。
これ 印象 強かったですよね。
そうですね。
なんで… なんで こんな
怖そうにしてたんだろうって
今 考えると…。
20代の感覚って怖いなと
思いますね。
今 もう 伸ばして随分になる?
そうですね。
30から伸ばして 今年 42に…。
あっ そうなんですか。
そうですか そうですか。
でも 随分 歌謡曲の名曲も
お歌いになって。
ちょっと 『愛燦燦』
歌っていらっしゃるので
VTRで ちょっと
聴かせて頂きます。
♬~「人は哀しい」
♬~「哀しいものですね」
♬~「それでも過去達は」
♬~「優しく睫毛に憩う」
♬~「人生って」
♬~「不思議なものですね」
♬~
あら いいわね。 すてき。
いやー ちょっと
お恥ずかしいですけど。
フフフフ…。
でも ピアノは 4歳から
やっていらっしゃるって。
そうですね。
練習が嫌いだったので
決して 弾ける方の中では
上手な方じゃないんですけれども
まあ 嫌々ながらでも
続けててよかったなと。
ピアニストになりたい
っていう夢は ありませんでした?
それは もう…
とにかく練習が嫌いだったので。
嫌々 ピアノをやるんですけど
練習が終わったら
友達と公園に行って 野球やったり
サッカーやったりっていう
スポーツが好きな方だったので。
ひばりさんの歌は
難しいですか? どうです?
難しいです。
難しい?
難しいです。 やはり あと
お手本のレベルが高すぎるので
恐縮しながら
歌わせて頂いてるんですけど。
今の映像も3年前ぐらいですかね
コロナ禍になる前でしたので。
あっ そうなの。
なので もう映像だけでも
でっかいコンサートの映像が
懐かしく感じるんですけど。
あれから また2年ぐらい
しっかりと歌…
歌道っていうんですかね。
…に精進して。
今の見て 駄目だなと思いました。
ハハ…。 そう?
じゃあ これから先
また歌って頂けばいいかな。
最近は もう少し
うまくなってるかもしれないです。
ご家族は ご両親と
それから
妹さんがいらっしゃって。
お父様 音楽好きなんですって?
そうですね。
僕にピアノをやらせたのも
父親ですし…。
あっ そう。
はい。 あと 小学校の時とかは
家に帰ると必ずピアノを弾いて
ビートルズとか
あと ビリー・ジョエルの
『Honesty』とかを
弾きながら…。
今 考えれば そんな上手では
なかったかもしれないです。
お父様?
はい。
弾きながら歌ってたのを横で…
家に帰ってきて。
夏は麦茶を飲んでとか
そんなような思い出で。
自分の中の音楽性っていうのは
父親が作ってくれたものなんだな
っていうのは 感じますね。
歌をお始めになるきっかけは
何かありました?
高校生の時に ロックバンドの
ボーカルに誘われまして。
えっ?
それまで やっぱり 音楽って
どうしても こう
強制されてるものみたいな
印象があって。
どうしても 自分の職業にするとか
夢に持つっていう事がなくて。
どっちかっていうと
スポーツの方が
好きだったんですけれども。
ちょっと
スポーツで挫折した時に
友人がバンドに誘ってくれたので
その時に
あっ 自分って
音楽 こんなに好きだったんだ
っていう事に
急に気付いてしまって。
高校2年生の時ですかね。
そこから 歌一本ですね ずっと。
ええー。 じゃあ もう バンドで。
はい そうです。
当時は曲作ったりして。
そうですか。
それで 高校卒業目前という時に
でも そのバンドが
解散しちゃったんですって?
そうですね。
どうしたんです?
練習の仕方が
わからなかったので
カラオケボックスに行って
練習してたんですよ。
ところが 友達と
カラオケボックスに行くもんで
バンドメンバーは 家で
コツコツ練習してるんですけど
あいつは なんで
カラオケボックスに行って
遊んでるんだって話に
なっちゃったんですよね。
僕的には 練習してるつもり
だったんですけど。
まあ あそこは
閉めきってあるからね。
そうですね。
それが なんか こう…
みんなも高校卒業したあとの
進路が心配になったり…。
本当に
プロになれるんだろうかとか
そういう葛藤も多分あったんだと
思うんですけど 今 考えれば。
大学受験や就職のタイミングで
解散っていう形に
なってしまったんですね。
あっ そうだったの。
で あなたは そこから
どうなったんですか?
そこで… バンドで
フリーターでやっていこうと
思ってたんですけど
急に解散になってしまったので
滑り込みで
専門学校が…
まだ募集してるとこがあったので。
その時 初めて両親に頭を下げて
専門学校 行かせてください
っていう事で
滑り込みで そこに入れたのが
運命だったかもしれないですね。
そこから 普通の勉強をする?
そこからは…
音楽の専門学校だったので。
あっ 音楽の専門学校。
なので ボイストレーニングを
本格的に受けたりとか。
それで 頭を下げたのは…
月謝 払って頂くのね。
そうです。 専門学校 やっぱり
入学資金とかもあったので。
そこで 随分
歌は おやりになった?
はい。 2年間 ほぼ毎日
ボイストレーニングと
学科の授業を。
お父様は今
喜んでいらっしゃるんですって?
そうですね。 喜んでるんですけど
ちょっと喜びすぎて
大変なとこもありまして。
例えば?
あの…。
例えばですね 僕らの
初めての武道館のライブ…
コンサートの時に こっそり…
8ミリビデオですか? 当時。
…を回してしまったりとか。
そういうの いけないの?
はい。
スタッフが見つけたんですけど。
「よく見たら ATSUSHIのお父さんで
注意できなかった」って
言われたんですけど。
フフフフ…。 そうなの。
はい。 それで また…。
それを ちょっと 人に
渡したくなっちゃうんですよね。
うん。 そう。 できるとね。
売るわけじゃないんですけれども。
そういった事でしたりとか。
あとは… 一番 僕が
面白かったなと思ったのは
ある場所で僕のファンクラブに
入ってくださってる方と
お会いしたタイミングが
あったんですけど。
そのタイミングで
父親も一緒にいたんですけど。
「お前 これ 渡してやれよ」って
僕にくれたCDが
父親が趣味で作った
CDだったんですね。
そこに 複製禁止って
書いてあるんですけど。
フフフフ…。
多分 複製して作ってるんですよ
恐らく。
売ったりはしてないので…。
父親が趣味で聴いてたものだと
思うんですけど。
その複製のCDを
本人があげるわけには
いかないじゃないですか
ファンクラブの方に。
禁止なんだから。
はい。 でも まあ 父親的には
なんていうんですかね
子供の成長の記録といいますか。
ビデオ撮るのも
子供の運動会 撮ってる気分
なんですかね きっと。
…とか CDも自分の子供の曲を
聴いてあげてほしい
っていう思いからだと
思うんですけど。
ちょっと そのあたりは
焦りました。
最近 だいぶ
落ち着いてきたんですけど。
そうですか。 お母様は非常に
几帳面な方なんですって?
そうですね。
表にも出たがらないですし
物静かですけど やっぱり こう
大きな愛で
見守ってくれる感じですかね。
いいですよね それじゃあね。
いざとなった時には
なんかね 相談もできるっていう。
あなたも そういう
奇麗好きっていうか 几帳面?
そうですね。 僕 結構…。
あっ そう。
はい。 几帳面で。
坊主にしていたのも 結構…
几帳面すぎて
髪の毛が気になって
もういいや 歌に集中したいから
っていうのもあったんですけど。
あっ そうなの。
はい。
…とか あとは 海外の
ブラックミュージックの
黒人さんとかに憧れて
ああしてたんですけど。
なぜか 全国の
割とヤンチャな方々に
ウケてしまって。
フフフフ…。
違う捉えられ方をしてしまった
っていう節もあるんですけど。
でも そうすると お家なんかは
ピカピカにしてるの?
そうですね。
潔癖症というほどでも
ないんですけど。
例えば フローリングだと
髪の毛とか
糸くずとかが落ちてると
すごい 僕 気になってしまって。
あっ そう。
はい。 なので
大体 引っ越す先で
タイルカーペットを敷いて…。
カーペットだと
見えないじゃないですか。
だから 潔癖じゃないんですけど
見えると気になってしまう
っていう事なんでしょうね。
見えないなら いいのね。
多分 そういう事なんだと
思うんですけど。
テーブルとかも 割と
アルコールの除菌で
拭いたりはします。
やっぱり シミがあったりすると
気になりますよね。
でも 今は その方がね
いいかもしれないですよね。
30代の時に 体が…。
そうですね。
やっぱり 20代の頃から
気合で突っ走るみたいな
タイプだったり
グループだったので
無理してでも頑張ろう
っていうので…。
ちょっと過信もあったんだと
思うんですけども。
30代中盤ぐらいで 一度
自律神経のバランスと
いいますか…。
あっ そう。
はい。 なんか ちょっと こう
普通にしていて
冷や汗が出てしまうとか。
あっ そう。
なんか 自律神経失調症…。
そうですね。
なんか ちょっと やっぱり
バランスを
崩してしまったんですかね。
気持ちと…
心の面と体力の面の。
で これもそうなんですけど
急に こう
涙が勝手に出ちゃったりとか。
あっ そうなの。
はい。
体温の調節であったりとか
涙の調節であったりとか
そういうものが ちょっと
うまくできなくなってしまって。
15年…
16年目に差し掛かっていたので
いいタイミングかな
っていう事で…。
徹子さんも15年目ぐらいの時に…。
私… あっ そうね。
ちょうど15年目に
私もニューヨーク行きました。
なるほどです。 本当に まさしく
そういった感じでしたね。
何が不満というんじゃ
ないんですけど
ちょっと みんなと離れて
1人になって やってみようと
思ってた感じ 私はね。
なんか わかりますね。
同じ…。
このままが
本当に正解なのかどうかを
一度 見直したいというか。
そうですね。
このまんま いっちゃったら
なんだか 色んな事を知らない
大人になるんじゃないかな
という不安があって。
そうですね。
でも 今 思うと
私の ニューヨーク行ったのは
よかったと思いますよ。
はい。
あなたも そうだと思います。
はい そうですね。 行った先で…。
やっぱり 日本のすばらしさも
あるんですけど。
礼儀正しさとか サービスの良さ。
ただ アメリカ行った時に こう…
なんていうんですかね
緊張感が いい意味で
ないといいますか。
エレベーターに乗っていても
日本だと ジーッと
静かにしてなきゃいけない
っていう感じなんですけど。
向こうは
笑顔で「ハーイ」って言って
もし その人が
気になる洋服を着てれば
「すてきな靴だね」とか
「すてきなジャケット」とか
そういう事を やっぱり
ふと言ってくれるので。
随分 これ 景色のいい所だわね。
これ ハワイですね。
あっ ハワイか これは。
最初に ちょっと
本当に 療養も兼ねていたので
3カ月ぐらい
ハワイにいさせてもらって
そのあと アメリカ…
本土の方に移動したんですけど。
はい。 誕生日を…。
でも あれですよね。
まあ こういうね お呼ばれ…。
でも こういう… 日本だと
呼ばれたりなんかした時には
行かなきゃいけないかなと
思うけど
向こうは別に行かなくても…
別にね。
そうですね。 それが文化なのか…
文化なんだと思うんですけど。
ノーと言っても
大丈夫な雰囲気といいますか。
そうそう。
「ごめんね。 また今度ね」
っていうので済むっていう。
すごく こう
気持ちを楽にしてもらいました。
とにかく楽しもうっていう気は
あるわね みんなね。
だから 日本でいう
「緊張してる」っていう言葉が…
向こうでも ネガティブな緊張は
「ナーバス」っていうんですけども。
大体 「エキサイティング」
っていう言葉で…。
ポジティブな意味で。
緊張してるけど 人生に
こんなエキサイティングな事が
あっていいのか
っていう価値観なので
やっぱり 根っこから違うんだな
っていうのを感じさせられました。
でも 21歳でデビューなさってから
年末年始とか
そういうのも
ちゃんと過ごした事がないままに
どんどん いらっしゃって。
ありがたい事に
デビュー
3年目ぐらいからですかね
ほぼ 年末年始はテレビ番組とか
特番に出させて頂いて。
『紅白歌合戦』も
もちろん そうですけど。
ありがたい事なんですけど
そのありがたみも だんだん…
なくなるわけじゃないんですけど
わかんなくなっていく
っていうのが…。
なので 本当に 最後…
2017年の最後ですね。
2018年になる時に 夢だった
ニューヨークで年越ししてみたい
っていう事が…
夢がかないまして 本当に…。
あそこ… タイムズ・スクエアの所
行きました?
タイムズ・スクエアが
大変すぎたので
1ブロックっていうか 1本
道のこっち側だったんですけど。
そこでも同じでしょ
みんな ワーワー ワーワー。
もう…。
すごいのね。
はい。 東京で考えたら
どこって言ったらいいんですかね。
渋谷の街を紙吹雪と風船が…。
そうですね。
銀座の4丁目の角でも
いいですけど。
そうですね。
ねえ。 みんな 知らない人同士
キスなんかしちゃって
抱き合ったりなんかしてね。
そうですね。
すごいですよね。
すごかったです。
なんか アメリカ生活で
変わった事ありました?
そうですね。
やはり 緊張感を ずっと持って
生きていた事の常識が
少し 違う常識に触れた事で
楽になった事でしたりとか。
あと 体調の事もあったので
体作りを
もう一度 しようという事で
たまたま ハワイで
ボディービルディングの
日本人の先生にお会いして。
で 筋肉トレーニングをしまして
1年間で10キロぐらい
体重を増やして。
ええー。
でも
ボディービルディングの方々って
大会の時とか 笑顔のイメージ
あるじゃないですか。
歯が見えてて みたいな。
なんか もしかしたら
元気になれるかもな
っていう印象があったので
挑戦してみたんですけど
それが 本当に
うまい具合にハマりまして。
あっ そう。
だいぶ改善されましたね
体調的にも。
で… だから 僕
アメリカに行く前… 以前
この番組に出させて頂いた時も
Tシャツのサイズが
Mだったんですけど
帰ってくる時
XLになってましたね。
それ すごいですね。
はい。
今 ちょうど Lぐらいに
戻ってきたんですけど。
ムチムチに ちょっと
なりすぎてしまいまして。
あっ そうなの。 ええー。
でも いい経験でした。
それで まあ お帰りになって
ソロに… ちょっと外れて
1人でやってみようか
っていうふうに…。
コロナ禍になって
なかなかグループで
活動する事が難しくなって。
そうですよね。
その時に ちょうど 僕
40歳を迎えたので 2020年ですね。
独り立ちしてみるという
選択肢もあるのかなという事で
グループ… メンバーと
HIROさんに相談して
卒業させてもらったんですけど。
まあ こういった世界情勢や
今の状況を踏まえても
やっぱり
お客さんが喜んでくださる事を
提供していきたい
っていう気持ちからですね…。
メンバーとHIROさんの方から
卒業ライブもできてないし
もう一度 EXILEとして
最後にステージに立つのは
どうか?
っていう提案をもらったので。
ええ。
皆さんが喜んでくださるなら
っていう事でですね
この度 また ちょっと
最後に もう一度
EXILEのメンバー…
グループとして
僕も参加して コンサートツアーを
やる事になりまして。
えっ? それは いつ?
今年の夏からです。
あっ 夏から。 あっ そうですか。
それはそれは…。
はい。
それは また楽しみですよね。
そうですね。
卒業したのに また戻ってくるのか
っていう感じなんですけど。
まあ 僕からというよりは
ファンの皆さんも
喜んでくださるだろうという事と
メンバー含め HIROさんから
話も頂いたので
僕に帰る場所があるなら
やらせて頂きたいという事で。
あっ そう。
はい。 皆さんが
元気になってくれたらいいな
っていう気持ちで。
『ONE』というニューアルバム。
はい。
これは 41歳の年に作った
アルバムでもありますし
それから 卒業して第1作目…
一歩目という意味もありますし。
あっ そう。 ええ。
はい。 それから
みんなで一つの輪になる事が
やっぱり
望ましいなっていう事で
一つになれたらいいのに
っていう願いも込めて
『ONE』というタイトルに
させて頂きました。
お誕生日の4月30日に
発売になるの?
はい そうですね。
ベストアルバムも付く豪華版?
はい。 偶然なんですけど
デビューして20周年で
ソロデビュー10周年なんですよ。
あっ そうなの。
ちょうど10年目の時に
始めたんだなっていうのを
思い出しまして
10年間 ソロとしても
活動してきたので
そのベストアルバムとして…。
すごいね。
はい。 僕の また違った表現で
バンドの方も
やってたんですけども。
その曲も10曲あるので
3枚組として出させて頂く…。
あっ そう。 いいですよね。
で まもなく お誕生日の…
42歳におなりになるんですけど。
あなたには可愛い
姪御さんと甥御さんが
いらっしゃる。
はい そうですね。
癒やしなんですって?
はい。 もう 最近は
ちょっと時間があると…。
妹の子供なんですけども。
何歳 何歳?
2歳と5歳ですね。
あら 可愛い。 フフフフ…。
特に コロナ禍になって
家族で過ごす時間の大切さとか
かけがえのなさみたいなものを
感じるようになって
すごく… すぐ会って こう…。
お兄ちゃんの方は
僕が歌手をやっている事を もう
わかってるみたいなんですけども。
あっ そうなの。
はい。 なんか 家で
妹がDVD見せてたりとかして
すごく喜んでくれてるんですけど。
これ DVD見てますね。
本当だわね。
見てないですね。
フフフフ…。
見てなかったです。 すいません。
僕の影響かわからないですけど
ピアノも すごく好きみたいで。
あっ そう。
甥っ子の方はピアノも習ってて。
あっ そう。
はい。 すごく なんか…。
2人で耳に突っ込んで
なんか聴いてる…。
これ
僕の音楽を聴いて喜んでいる
っていうのを妹が写真撮って
送ってくれたんですけど。
あっ そう。 可愛いわね。
はい。
あっ そう。 なんて呼ばれてるの?
僕 あーちゃんって
言われてますね。
あーちゃん? 可愛いわね。
今日も見てくれているかな?
そうですね。
じゃあ その甥御さんと姪御さんに
ちょっと ひと言
テレビを通して 何か…。
なんか言いますか?
いいですよ。 どうぞ。
あーちゃんだよ。 フフフフ…。
絶対 喜んだわね。
ありがとうございます。
よかったです。
でも だんだん
大きくなってくるから
それも楽しみよね。
そうですね。
また なんか
音楽でも 他の事でも
好きな事 見つけてくれたら
いいなと思いますけども。
まあ ピアノやっているんだったら
また それはそれでね
何か気に入る事をね
やるかもしれないし。
でも これから
ますます ご活躍で ねえ。
何十年 何十年というふうに
やって頂ければ。
はい。 精進したいと思います。
そうですね。
本当 ありがとうございました。
ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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