英雄たちの選択「古代日本のプランナー・藤原不比等」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

英雄たちの選択「古代日本のプランナー・藤原不比等」[字]

わが国初の体系的な法律と国の歴史書の制定に深く関わり、日本の「原型」を作り上げた藤原不比等。“等しく比べる者がいない”という名を持つ、希代の政治家の実像に迫る!

詳細情報
番組内容
飛鳥・奈良時代、藤原不比等は天皇を中心とする中央集権国家への変革を急いだ。中国・唐の法律を模して作った大宝律令。しかし「譲位した先帝には次の帝と同等の権力を与える」という唐には無い制度を足したのはなぜか?国史「日本書紀」の編さんでは“歴史の書き換え”を企てた?若くして病に倒れた文武天皇の皇位継承問題をめぐる驚きの秘策とは?その後の国のかたちと、藤原氏繁栄の基礎を築いた藤原不比等の生涯を追う。
出演者
【司会】磯田道史,中山果奈,【出演】里中満智子,奈良文化財研究所史料研究室長…馬場基,【語り】松重豊

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

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  17. 人物
  18. 制度
  19. 太上天皇
  20. 天智天皇

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

奈良時代の都 平城京で
聖武天皇が即位する。

日本は 天皇を中心とする
中央集権国家として 団結し

内外の危機に立ち向かう時代を
迎えていく。

しかし
平城京への遷都も 聖武天皇の即位も

ある人物がいなければ
実現していなかったかもしれない。

その男こそ…

不比等。

等しく
比べるものがいない
という名を持つ

希代の政治家である。

天皇の側近として仕え
法律を整備し 歴史書を編纂。

新たな都を築き
この国の原型を作り上げていった。

スタジオには
古代史に精通した識者が参加。

絶大な権力を奮い 国造りにまい進した
藤原不比等の実像に迫る!

古代日本 最大のプランナーであり

その後の国のかたちを決めた
藤原不比等の生涯を追う。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今日は 杉浦アナウンサーに代わって
私 中山がお伝えします。

今回 取り上げるのは こちらの人物です。

飛鳥時代から奈良時代の初めに活躍した
公卿 藤原不比等です。

中山さんは 藤原不比等
もちろん ご存じですね。

名前は 一度聞いたら
忘れられないと思うんですけれども

実際に 何をやった人かといわれると
ちょっと分からない…。 そうですね。

磯田さんは この不比等は
どう捉えていますか?

これはね この不比等さんという人は

まあ もちろん 藤原氏繁栄のもとを
築いたと言っていい人物。

不比等は…

行政上の型を与えた人物だと
私は捉えてて

まあ この国のかたちじゃなくて
この国の型ですね。

まあ 不比等は
行政官で 非常に優れた制度設計者…

不比等が作って 今の日本にも
引き継がれてるような気がしますね。

また それまでの日本の体制
っていうのは

ひょっとすると 新羅 手本にしようか
という意見もあったところが

不比等によって…

もっと強そうな大陸の大国の
唐のモデルにしようと。

外国のオシャレなものなんかが
なかなかね 上手に不比等は取り入れて

都のかたちだとかね 日本人の感覚に
うまく合ってたっていうこともあって

きっと不比等の国造りっていうのは
成功していったんだと思うんですけど。

はい では 藤原不比等が挑んだ国造りとは
どんなものだったのか

こちらから ご覧ください。

皇極4年に起きた 乙巳の変。

中大兄皇子と共に 蘇我入鹿を倒し

大化の改新を推し進めたのが 中臣鎌足。

藤原不比等は
この鎌足の次男として生まれた。

鎌足は 幼少の不比等を
大阪の柏原一帯を本貫地とする

田辺史一族に預け その教育を託した。

田辺史とは 朝鮮半島の百済から
渡来した一族。

中国の教養を積み
卓越した行政能力で
朝廷に仕えていた。

この一族を知る手がかりが
柏原市に残されている。

現在は 春日神社が建つ この一帯に

当時 一族の氏寺が建立されていた。

氏寺の発掘調査に関わった安村さんは

田辺史は
傑出した能力を持つ一族だったという。

(取材者)これは 何ですか?

これは 氏寺 田辺廃寺の復元模型。

薬師寺形式といわれる
当時 最先端の寺院建築で建てられ

対の三重の塔や金堂 講堂を備える。

不比等も この地で一族に交じり
教育を受けたと伝わる。

不比等が学んだとされるのが
「後漢書」など 中国の歴史書。

中でも「文選」は
故事や詩などが網羅され

先進国 唐を知る重要な鍵だったという。

不比等が生まれた頃

世界帝国を目指す強大な唐に
百済は 滅ぼされていた。

祖国を失った百済人の多くは
日本に渡り

不比等が頼った
田辺史一族などに身を寄せた。

国際社会の厳しさを知る
亡命渡来人に交じり

不比等は 思春期を過ごしたのだった。

不比等という名は

この田辺史一族の姓
史から取ったものだった。

この一族から受けた影響の大きさを
物語っている。

天智天皇が崩御すると
国は 混乱状態に陥る。

天智天皇の息子 大友皇子と
弟の大海人皇子が

次の天皇の座を巡って争う
壬申の乱が勃発したのだ。

勝った大海人皇子が
天武天皇として即位。

不比等に近い
中臣氏や田辺史の一族は

負けた大友皇子側に
加担したため

その後 冷遇されることになる。

目立つ働きもなく 不遇の不比等を

歴史の表舞台へ
引き上げたのが

天智天皇の娘で
天武天皇の妃 野讃良皇女。

後の持統天皇だ。

中国の制度や文化に明るく
官僚としても優秀な史を

野讃良皇女は 取り立てていく。

天武天皇の子 草壁皇子も

即位する前に病死してしまうという
不幸が続いた。

国の混乱を防ぐため

急遽 野讃良皇女が
持統天皇として即位することになる。

日本の古代史を研究する
奈良大学 寺崎保広名誉教授は

この持統天皇の存在が

不比等の運命を
変えることになったという。

判事とは 法令全般に関わる役職で
訴訟の裁判にあたり

法の適用をつかさどる重要な役目だ。

持統の信任を得た史は

国家の基本法である
律令の作成に取り組んだ。

当時の日本にとって 律令の作成は
国の急務とされていた。

なぜなら
強大な帝国の唐と対峙するために

日本独自の法律を
示す必要があったからだ。

そのために 不比等が中心となって
編纂がすすめられたのが 大宝律令。

律と令 2つを備えた
初めての法律だった。

法律の多くは
唐の律令を模範としたものだった。

例えば その一つが
帝の座を正室の長男

いわゆる 嫡男が
継承すること。

日本では それまで 兄弟で
皇位の継承が行われることが多く

争いやもめ事が 絶えなかった。

これを 中国の制度に倣い

嫡男が皇位継承するよう定めたのだ。

天皇が亡くなる度に起こるトラブルを
回避するための法律だった。

だが この律令に 不比等は
日本独自の制度も加えていた。

それが 太上天皇という位。

太上天皇とは
次の天皇に位を譲った
先の天皇のこと。

若くして即位した
新天皇を後見し

補佐することが
太上天皇の役目だった。

天皇と同等の権力を持ち
朝廷を差配するという

特殊なシステムだった。

天皇と同等の地位を持つ太上天皇は
なぜ作られたのか。

実は この時 不比等には
現実に直面している 課題があったのだ。

それは 持統天皇と その幼い孫
軽皇子の存在。

持統天皇は
息子の草壁皇子を病で失うと

草壁の子 軽皇子を
自分の後継者につけたいと

願っていたのだ。

文武元年。

軽皇子は 15歳で即位し
文武天皇となる。

持統天皇は 新たに制度化された
持統太上天皇となり

大きな権限を持って
若い天皇を支えることとなった。

この安定した皇位継承の陰の立て役者こそ
史だったのだ。

同じ年 史は
自分の長女 宮子を
文武天皇に嫁がせた。

天皇の義理の父親となることで

朝廷での発言力を
一層強めていった。

このころから 史の名は
違う漢字で記されるようになる。

その意味は…

政界一の実力者へと
駆け上がっていた。

スタジオには
お二人のゲストをお招きしました。

よろしくお願いします。

さあ まずは 漫画家の里中満智子さん。
どんな人物として捉えていますか?

…にあると思うんですね。

特に 結婚。

ちょっと普通じゃない
結婚が多いんですよ。

普通じゃない。
はい。 なんと この人はですね

天皇の未亡人を妻にしちゃうわけですよ。

ほう~。
でも 当時は

一度 天皇の妻になった人は

天皇は亡くなってからも
天皇として空におわしまして

その方の妻として ずっと生きていくのが
天皇の未亡人の人生だったわけです。

ところが 天武天皇の
妃だった人なのにもかかわらず

恋仲になっちゃって。 で その結婚をね…

この 認めさせちゃうのが すごいと。
はい。

で 子供もできるんですよ。
すごいんですよ。

よく こんなことをしたなと。
はい。

ガチガチの堅物の真面目のね

お勉強一本やり
お仕事一本やりじゃなくって

女性にほれちゃうと ちょっと コロッとね
脇が甘くなる辺りが

人としての幅の広さなのかなと。

まあ そう思うしか しょうがないので
そう思ってます。

(笑い声)
そう思うしか しょうがない。

そして続いては
古代史が ご専門の馬場 基さんです。

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

馬場さんから見た不比等は
どんな人物でしょうか。

いやね
つかみどころがないというか

なかなか やっぱ
大人物なんですよね。

何と言っても
この時代ですね

国際的な大緊張時代
なんですよ。

いつ… 朝鮮半島の友好国
百済が滅ぼされたように

うちに来るか分からない。 この難局
どうやって乗り切るかっていうのは…

非常に…
どうにかしなきゃいけない時代で

そこに 能力と そして彼の気概と

そういうものが
うまくマッチしたんだと思いますね。

本当に いろいろな面で魅力的で

この魅力も能力のうちで 第一 活躍
できたんじゃないかと思ってます。

そこに目をつけたのが 持統天皇
ということになるんだと思います。

多分ね この人 聞く力が
相当あるんじゃないかと…。

それで
やっぱり 持統さんの前に座った時に

しっかり…

まあ 政策としてね。
例えば さっき出てきた

太上天皇っていう筋でいったら

これは 持統さん
今 欲しがってるもんが 実現できると。

じゃあ ニーズ 何なんだろうと思うと
やっぱり 人間がね こう…

あんまり教科書には載らないんだけど

政治家たちが やっぱり
突き動かされてる2つっつうのは…

女性で しかも幼い孫抱えて

それで
朝鮮から攻めてこられるかもしれない

それを安心させてくれて しかも

例えば 建物とか都づくりとか
おしゃれでかっこよく

「ええ!」って喜ばしてくれるようなものを
提供してくれる人を

求めてるわけですよ。
で 全部やると。

そういう実現してほしいことっていうのを
くみ取って

また 実務で優れてない人は

多分 持統さんっていうのはね
もう駄目ですよ。

ちゃんと こいつは使えるかどうか
よく見てる女性ですからね

持統さんっていうのは。
だから そういう辺りが

うまいことできた人なんじゃないかなと
思いますよね。

それで…

ここがね
ただの秀才じゃないんでしょうね。

うん なるほど。

恐らくね…

男性たち
同僚とかね 先輩たちから見ても

あいつは
ちゃんと聞いてくれるやつだとか

話の分かるやつだっていうふうに
受け止められてたと思うんですよね。

やたら女性にばっかりモテて
男性からは信頼されないというと

これは もう全然 駄目なんですよ。

説得力がある人だったってことは
確かだと思いますよね。

そして 中国 唐の法律を参考に作った
大宝律令に

太上天皇という
日本独自の制度を盛り込んだ

これについて
里中さんは どのように感じられますか。

そうですね。
こういうのが可能になったのも

やっぱり
日本独自の価値観ってのがあって

一人が全てを握るっていうのって

どうも日本人ってね
ピンとこないんですよ。

で 並び立つっていうのが
好きなんですよね。

特に 男性と女性がセットになって

卑弥呼の時代から
並び立つようになっていたと。

この太上天皇っていう この
まあ 何だか曖昧で不思議な立場で

でも それがあるんだったら 持統天皇も

あっ それだったら私
安心して譲れるわと。

で あの子を
権威付けなければいけないっていうのと

自分も ちゃんと

政治の決定権を持つっていうことで
安心できたと思います。

すごくね いい提案だったでしょうね。
はい。

「譲位」っていう言葉
今 出てきましたよね。

位を譲る 天皇が。

まあ 私たちは 最近 そういうのを
実際 見ましたけれども…

それで 位が変わっていくというのが
普通の在り方だったのが

これ以降は 譲位が当たり前になります。

だから…

ええ。
何でいると思います?

なぜ必要かっていうことですか?
そうです。

だって 誰が王様か分からないから。

どこに権力があるか分からないし
よく代替わりの時に謀反が起きます。

だから譲位してしまえば

しかも
それが太上天皇として後ろにいれば

その関係は
ズルズルズルっと動いていくので

ぐっと安定感 増すんですよね。

逆に さっきの国際情勢から見たら
権力の空白を生まないという

すごい大きなメリットがあったんですね。

だから これは やはり
持統にとっても 不比等にとっても

非常に大事なカードだったと思います。

誰もやったことがない 全く新しいことを
思いつける不比等って

どうしてなんですか。

要するに 新しい
むちゃなことをやってるわけですよ。

ごり押しをやってるんですよ。
だけど ごり押しも

何か すごい法律の条文で書かれてて

しかも あんまり
全員が読めない漢字のあれで書かれてて。

何か言われたら
何か すごい制度じゃないかみたいな

「太上」って付いてるよって

要は 2文字の天皇より4文字の方が
すごいじゃないかみたいなね。

それがね よく分かっててね

孫の軽皇子につなげていくにはですね

やっぱり 到底 ほかの皇族や
豪族貴族は信じられないと。

だけど 法律は人間じゃないですからね
これは信じられると。

制度化すると まあ あれですよ
日本人って あれ好きですよね。

…とか言われると弱いわけですよ。

…っていう手もあるんですよ。

「こういう制度になってます」。
なってないですよ 本当は。

だけど
こういう法律にしましたっていうと

既定路線になる。
やり方に従わない人間は

あんたがおかしいと
こうなるわけですよね。

これが上手ですよね。

この辺やっぱり
僕らの気質の長所と短所なんですけど

そこを
うまくついてきてる気がするんですよね

僕 この不比等の統治っていうのは。

さあ その律令制度によって

日本の新しい時代の決まりを作った
不比等ですけれども

それまでの日本の歴史にも
大きな影響を与えることになります。

律令の制定と並んで
不比等が生涯を懸けて取り組んだ事業が…

不比等の時代に 遣唐使が再開。

唐と対等に外交するためには
自国の歴史をまとめ

確かなものにすることが
重要となっていたのだ。

そうして作られたのが
我が国初の勅撰国史「日本書紀」。

全30巻で 41代の天皇の功績や
記録を伝える歴史書だ。

第一巻「神代」では 天と地が作られ
世界が生まれる天地創造や

2人の神が
国生みで日本を作る様子が描かれ

その後 神々が住む
高天原を支配する

天照大神が 自分の孫
瓊瓊杵尊を地上に送り

その子孫である天皇が

この地を統治するようにした
と描かれている。

神々の時代より 天皇中心の国であったと
伝える「日本書紀」。

実は ここにも 持統天皇以降の
皇位継承を安定させるため

不比等が手を加えたと考える
研究者がいる。

「日本書紀」を
長年研究する言語学者 森 博逹さん。

森さんの研究によれば

「日本書紀」は 当初は
唐からの渡来人が執筆を担当していたが

それが途中からは
日本人が執筆するようになったという。

その交代の時期が
ちょうど不比等が編纂に関わった頃。

多くの書き換えや
修正が始まったというのだ。

その根拠が文法の間違い。

渡来人の書いた正確な漢文の中に

あとから書き込まれた「之」という文字。

これは 文の終結を示す時に使われる
文字なのだが…。

「之」の誤用は 15か所に及び

書き換えがあった証拠だという。

ほかにも
皇子が部下の質問に答える漢文に

「對曰」と書かれている。

「對」は
自分より立場が上の者へ使う単語で誤字。

本来は 「答」が正解だという。

編纂方針が どう変わったというのか。

それを最も表すのが
持統天皇に関する書き換えだという。

大宝2年に崩御した持統天皇は
その翌年に葬儀が行われ

おくり名 いわゆる
戒名が付けられている。

そのおくり名は
同時代に書かれた
「続日本紀」には

「大倭根子天之廣野日女尊」
と記されているが

「日本書紀」では…。

高天原とは 天照大神など
神々が住まう場所。

「高天原廣野姫天皇」という

明らかに 天照大神を意識した名前に
変えられたのだと森さんは言う。

1巻から9巻

それから 28 29に
出てくるんですね。

ということは…

実在する持統天皇をモデルに
天照大神の神話を作り上げる。

森さんによれば
こんな大胆な発想ができる人物は

この時代に一人しかいないという。

更に 天照大神が行った天孫降臨にも

不比等の思惑が込められているという。

そのキーワードは 「孫」。

天照大神が 孫の瓊瓊杵尊を降臨させ

国を治めさせたという神話は…

…と森さんは考える。

神々の時代に始まり

持統天皇が 孫の文武天皇に
その位を譲位するまでを記した

「日本書紀」。

不比等が
その編纂で実現しようとしたこと。

それは 万世一系の皇統が

持統天皇 文武天皇へと
引き継がれることを

この国が尊ぶべき型として
歴史に残すことだったのかもしれない。

磯田さん この国史編纂も

やはり 当時の日本にとっては
重要だったんでしょうか。 そうです…。

やっぱり 律令という法律と
それと国史… あの 歴史編纂ですね。

それと もう一つ 旧都 都。

まあ
都は 中でやる儀式も含めてですけど

この3点セットを
やっぱり きっちりやらないと

中国モデル 持ってきたことにならないと。

それを 多分 持統さんの好み聞きながら
一生懸命 主導して

不比等は
やっていたに違いないわけですよ。

ただ その2番目の国史なんですけど

日本でやってる
「日本書紀」とかいうのは

やっぱり ちょっとね これ…

気を付けないといけない点が
あるんですね。

だから 逆に言うと 不比等さんは
今の政治情勢で

何か あの「日本書紀」っていうのは

長い歴史を 古代の歴史を書いてるように
思うんですけど…

あの… 不比等だけじゃなくて

当時の日本の政府全体の
願いだったと思うんですが

とにかく…

対中国に対して ちゃんとした歴史を
持ってないとなると

お前たちは 知らないんだな。

お前たちの この住んでるとこは
うちの国の果てなんだと。

何にも知らないから教えてやるっつって
取り込まれちゃうんですよ。

取り込まれないためには

お宅の国と おんなじぐらい
古い歴史があるんですよって

証拠を示さなければいけない。

だからね まあ でたらめであろうが
何であろうが

かっこつけないと 国がもたない。

細かいことは しかたがない
っていうところで

まあ ちょっと甘く見てあげればいいかな。
(笑い声)

そう。
歴史書なんて持ってなかったらね

えっ そんな野蛮なっつってね
中華皇帝っていうのは

ビームを放ってるって感じですよ!
ぶわ~って

周りの人間を文明化するビームを
放ってて

歴史書を持ってないだとか
帝が姓を持ってないとか…

だってね
日本の天皇 習慣で 姓持ってませんよね。

名字がないですよね。

そんなのは
歴史書も姓も ない なんていうのは

それは もう野蛮国だ。
自分の基準で考えちゃうんですよ 中国は。

それを防ぐためにも
やっぱり 中国風なものを用意して

防波堤にしておかないといけない…。

馬場さん
切実な願いが出ましたけれども…。

彼らね そんなインチキばっか
書いてるわけじゃなくて

結構 一生懸命
事実にしようとしてというか

事実を集めようとして 時々 あの

こういう説もある
ああいう説もあるって

比べたりもしてるんですよ。 ですが 多分
そのベースになった言葉は

多くは 朝鮮式の漢文。

だから 逆に言うと…

それを 一生懸命
更に ブラッシュアップして

本場仕様にしていこう
という最中の努力だと 私は思います。

まあ ちょっと 森先生のご意見とは
違うかもしれませんけどね。

で 例えば その中で…
初めてと言っていいのかもしれない。

彼らは スタートラインまで
遡っていくわけですよね。

国の初めってことですね?
そうです。 そうです。

天武天皇の時代に始まった 本格化した
といわれてますから

そういう意味では 先ほどの
どこから高天原が多く出てくるか

っていうのは すごく
つじつまが合ってることなので

そういった中で
理解をしていけばいいんだと思いますが。

となると ポイントは やはり

あの天照から始まった その王統が
今 ここにあって

その血を引く あの持統天皇がおられる
というストーリーに落とすことが

めちゃくちゃ大事だったんですよね。

だから 天照と重ねてるというのは
なるほどなと思います。

だから あの よくね
天照と持統天皇を重ねることが

持統天皇の権威を高めるため
っていう見方をされますが

むしろ 私は 対中国に対して

我が国は このような神が守ってる国で
あるぞという雰囲気をね

なるべく その オーラで包みたい。

その そういう見せ方をする。

だから 何か演出だと思うんですよね。

女性の天皇も いたとか

あるいは 一応 太陽神が女性っていうの
珍しいですよね。 日本の神話の場合。

だから それを納得させるためには

もう 何か ベールで 包んで 神格化して
オーラだぞっつって

もう 言い切っちゃうしかないです。

先ほど
もう磯田先生からもお話ありましたが

王朝が変わったら
次の王朝が歴史を書くというのが

本来 中国の古典的な伝統なんですが

変わらないから どこで切るかは
ある意味 好き勝手なんですよ。

だから ここで 持統天皇から文武天皇への
譲位で終わったというのは

すごい歴史観です。

簡単に言うと 多分 これは ここで…

これが これから進むべき日本の
まあ いわば…

その宣言なんじゃないかなと。

まあ あの
不比等 一人で やれることではないと。

でも あの 説得力があったから
みんな ついてきたんだろうと。

それは 間違いないですよね。
はい。

でも 歴史大事ですよ。 だってね
「不比等」って 一文字で書いたら

僕も道史ですけど
史って 歴史の「史」だから

現代語訳したら
不比等の名前は 歴史ちゃんなんですよ。

アハハハハ… 歴史ちゃん!
歴史ちゃん。

さあ 順風満帆に見えた
不比等の人生にも

予想外の事態と選択の時が
待ち構えていました。

大宝元年は
不比等にとって 喜ばしい年となった。

精力を注いだ…

更に 文武天皇と不比等の娘の間に
待望の男児が誕生。

文武天皇の後継者となる
首皇子である。

ところが その翌年
不幸が襲う。

持統太上天皇が崩御。
58歳だった。

その5年後には まだ25歳の
文武天皇までが病に倒れ

先行きは長くないとされた。

不比等にとって 想定外の事態である。

このころ
干ばつ 飢きん 台風 疫病など

度重なる災害に
国は 不安定な状況に陥っていた。

文武天皇の 一人息子で
不比等の孫でもある首皇子は

この時 僅か7歳。

この状況で即位することは

当時 誰にとっても
考えられないことだった。

国の混乱を避けるため 何ができるのか?

この時の
不比等の心の内に分け入ってみよう。

まだ7歳の首皇子を残して
身罷られてしまうとは

文武天皇は なんと罪なお方…。

皇位継承の型を
揺るぎないものにするには

首皇子を天皇にする必要がある。

だが 持統太上天皇もいない 今

皇子の即位を進めれば
豪族たちが騒ぎだし

争いに火がついてしまうだろう。

次の天皇には 天武天皇の第3皇子

舎人親王を推す声が強い。

だが
私とは無縁の舎人親王に即位されては

私は 朝廷での影響力を
一気に失うことになる。

ならば
天武天皇の孫の長屋王は どうだろうか。

長屋王には 次女を嫁がせてある。

即位に 私が便宜を図る代わりに

長屋王のあとは
首皇子に皇位を継がせるよう

約束させれば よいではないか。

だが 長屋王は油断ならぬ相手…。

万が一 私が いなくなれば
約束を守る保証はない。

次の天皇は あくまで
中継ぎであってもらわねばならぬ。

となれば 適任は

文武天皇の母君
阿閇皇女ではなかろうか。

阿閇皇女であれば
孫の皇子が成長するまで

中継ぎの天皇を
引き受けてくださるのではないか。

しかし 天皇の妃が
次の天皇となった例はあっても

天皇の母というだけで 皇位につくなど
前代未聞。

これまで政に全く関わりのなかった
阿閇皇女の即位など

一体 誰が認めてくれようか。

娘婿の長屋王に信頼を託すか。

あるいは 中継ぎの女帝を仕組むべきか。

不比等に選択の時が迫っていた。

それでは 選択にまいりましょう。

選択1は
次の天皇の候補者と目された一人で

自分の娘婿である長屋王を
次の天皇に推す。

選択2は 中継ぎとして

亡くなった文武天皇の母
阿閇皇女を

次の天皇に推すという2択です。

馬場さん。
はい。 どちらでしょうか。

えっと…
2番 阿閇皇女ですかね。

長屋王というのは 決して 悪くなくて
何かって言うと

長屋王の奥さんは 持統から見たら
孫にあたる人ですよね。

ということは 長屋王の子供は
持統の子孫になるんですよ。

有力… そういう意味では悪くないんです。

でも これだと 実は
多分 もっと大事だったはずの…

長屋王のお父様の
高市皇子が亡くなった時に

皇子たちが大げんかをしたっていう記録が
あるんですね。

さあ どうするといった時に 次の天皇
誰がいいと思うって聞かれたら

みんな ちょっと色めきたってる中で

実は 大友皇子の子供の葛野王という人が
いやいや 何を言ってるんだと。

…という そういうお話が
残ってるんですね。

となると ほっとくと
また それに戻るわけですよ。

ということは もう一つの ずっと直系…
つないでいくという方 優先すべき。

たとえ娘婿であっても
長屋王にして託すという選択肢は

なくなるんじゃないかなというわけで
私は 2番を選びます。

型を守りたいと。

では 里中さんは
どちらを選択されますか?

はい あの~…
2番です 2番。

阿閇皇女を選択する。

とにかく世の中を落ち着かせたい。

そうすると 誰が天皇になると みんなが
一番 おとなしくなるかっていうと

みんなが もう既に よく知っている人で
亡き天皇に近い人ですよね。

で 母親っていう線
これは珍しいんですが…

皆さん 「中継ぎ」「中継ぎ」って
おっしゃるんですけれども

私は 意外と そうではなくって

そばで見ていて やはり かなりなことが
できたのではないかと思います。

一番すんなりと みんなが落ち着くところ
だったんじゃないかなと思います。

さあ 磯田さんは どちら選びますか。

僕も面白くないかもしんないけど 選択2。
2。

阿閇皇女にしたいですね。

長屋王 渡しちゃったらねえ
もう戻ってこない可能性ありますよ。

もう疫病で 娘だって
いつ死んじゃうか分からないですしねえ。

それで長屋王だって 自分の娘以外の
女性との間に子供作っちゃって

そっちに継がせるっつったら
全く不比等の力なんかなくなるし

目の上のたんこぶだと思われたら
殺されちゃいますよね。

宮廷直轄軍事力って やっぱり 法律制度で
がっちり強く作りましたから

あの 阿閇皇女と まあ この
政権の幹部である不比等が

さあ 軍事発動するって言ったら

どんな政変でも やっぱり
少々の豪族なら たたき潰せますから。

一方 長屋王を天皇にしちゃって
長屋王が けしからんと思って

不比等追討せよって言って
宮廷直轄軍事力を動かしたら

それは もう
その時 首と自分の体 離れてますから

やっぱり 2にしとかないといけないと
思いますね うん。

では 不比等は
どちらを選択したのか ご覧ください。

慶雲3年。

文武天皇が病に倒れてから
亡くなるまでの数か月の間

不比等が盛んに根回しする様子が
「続日本紀」に書き残されている。

いずれも 阿閇皇女を
天皇に即位させるためのものだった。

中でも重要な一手が
天皇となる前に亡くなった

阿閇皇女の夫 草壁皇子の命日を

天皇だけに許される
国忌に定めたことだった。

草壁皇子を
天皇と同列に格上げすることで

阿閇皇女も皇后と同格に押し上げ
即位への地ならしをしたのだった。

慶雲4年 文武天皇が崩御すると

翌月すぐ
阿閇皇女の
即位式が開かれた。

まだ多くの貴族が
即位への不満を抱える中

不比等は ある秘策を用意していた。

阿閇皇女が読み上げた詔の中に
それはあった。

「天地とともに長く
日月とともに遠く

変わるまじき常ののり」。

略して 不改常典。

それは 天智天皇が作った
変えてはならないルールで

それによれば 皇位継承は
先帝の意思に従うのが原則である

というものだった。

しかし この不改常典は

それ以前に 誰も見たことも
聞いたこともないものだった。

即位式で
阿閇皇女も 先帝の文武天皇から

生前に再三譲位を望まれたので
即位するのだと主張した。

天智天皇が遺した掟とあらば
逆らえる者はいなかった。

こうして阿閇皇女は無事に即位

元明天皇となった。

歴史上
この時初めて披露された不改常典は

以後 江戸時代まで
天皇の即位の詔で読まれることとなる。

この後 中継ぎの天皇をもう一人挟み

神亀元年2月 25歳となった首皇子は

晴れて聖武天皇として即位した。

しかし
誰よりも それを待ち望んだ不比等は

その姿を見ることはなかった。

4年前に
この世を去っていたからである。

だが不比等は 首皇子即位のために
最高の舞台を用意していた。

それが 新たな都 平城京である。

唐の都 長安を模してつくられ

都の中央北端には
国政をつかさどる役所など

さまざまな政治機能を備える
平城宮が築かれている。

その中心となるのが
天皇の高御座を据えた大極殿。

この場所で 新たな天皇として
首皇子が即位することを

不比等は思い描き続けていたはずだと
馬場 基さんは言う。

大極殿で 大勢の貴族たちの前で
聖武天皇が即位する。

それは 天皇中心の新時代の到来を
強く印象づけるものだった。

更に馬場さんは
不比等邸跡から発見された ある遺物に

海外の最新技術に対する 不比等の
進取の精神を改めて感じたという。

新しい都に 新しい天皇を迎え

新しい日本の原型を作った 藤原不比等。

不比等が生涯を懸けて練り上げた
国のかたちは

日本が中央集権国家として船出した
この時代から今に至るまで

その多くが受け継がれている。

磯田さん この不比等の選択と
用意周到さというのを どう感じますか。

不改常典って すご技使いますね。

何か 改めざる
ずっとやってきた原則があるんだ。

しかも
一回も そんなことやったことないのに

天智天皇の時からあるんだ
みたいなこと言いだすわけでしょう。

昔から そうしていますよというと

正統性があるという… レジティマシー
というふうに政治用語でいいますけど

その正統性のことを。
このレジティマシーの獲得の技というのが

不比等が なかなか考えますね。

奥の奥の手を使ってきた
という感じがしますよね。

死にかけた方が 天皇様が もしくは

既に死んでたかもしれないですけど

お亡くなりになったかもしれないのに
病床で 何かしゃべると。

ほいで 情報コントロール
というんですかね

そしたら 今 もう亡くならんとする帝が

お母様に位を戻そうとしている。

前近代の社会って

死んだ直後の人の言葉とか
結構 すごい重いんですよね。

だから そういうところが上手だなと
思いますね。

不比等は 政治家ですね
やっぱり こういうところはね。

不改常典というのは 古代史の世界では
もう なかなか難しくて

一体 中身 何なのか分かんない。

嫡系相続か もしくは 前の天皇が

次の天皇を指名できるか
どっちかだと言われてますが

まあ 大変 難しいんですが

やっぱり ここで 鍵になるのは
天智天皇のというところが

ミソだと思うんです。

改めて この時にって瞬間に
立ち返りますとね

確かに そこにいたライバル層は
天武の皇子ですよ。

でも お母さん例えると
天智のお嬢さんって多いんですよね。

だから そうすると
ちょっと言い方悪いですが

おやじが言ったのは 聞いてますよね。

天武天皇 そんなこと言ってなかったって
なるかもしれないけど

おじいちゃんか あっ 言ってたかもって。

これになる その権威の源として
結構 天智天皇 大事ですよね。

すごい 当時の有力皇族たちにとっては

母方のおじいちゃんかって
なるわけですね。

あっ そうか あの偉大なおじいちゃんの
言葉であったら

新しい時代にふさわしい きっと
考え方だろうってなるっていうのは

これも すごいですよね。

新しいことをやったように見えて
だけど…

だから 上手にやってると思いますよね。

馬場さん 改めて そのすごさというのは
どういうところに見ますか?

先ほどの平城京の話でいいますと

実はですね 多分…

例えば かたちが いびつだったり
どちらかというと…

部分って たくさんあるんですよね。
でも うまく絶対に譲らないところは守る。

例えば 首を座らせる 聖武天皇を座らせる
大極殿は絶対作るぞと。

これは もう これまでの

ずっと伝統的な朝廷の在り方とは
切り離して作るぞ

こんなことは 徹底してやっています。

程よい妥協もするし

でも ちゃんと
守んなきゃいけないところは 守る。

この力が やっぱり 不比等の最大の…

平城京なんかを見ていると感じる
すごい底力ですね すごみですね。

理想に走って
原理主義に行くんじゃないんです。

先ほど おっしゃったように
跳べるところ ちゃんと見据えながら…

この辺り すごいですね。

ここまで力を持つとね ムラムラと
もっと野心が起きることが多いんですよ。

これまでの有力者は それで失敗してる。

つまり…

で 子供たちにも ちゃんと
そういうふうに しつけたと思うんですよ。

成り代わるのではなくって…

で それを たくさん作った
男の子にも女の子にもね

ちゃんと教育をして…。

だからね
一生ね 勘違いしては いけないぞと

自分は 臣下なのだということを

一生懸命
自分に言い聞かせた人だと思いますね。

会ったこともないのにね
勝手なこと言ってますけどね。

いろんな想像力が
広がるような人物ですよね。

磯田さん 今回 藤原不比等でしたけれども
どうでしたか。

…人や組織って 結構あると思うんですよ。
自分も自戒の念を含めて。

で だけど 要するに 本来 道具なんですよ
ルールとか型とかいうものは。

だけど 不比等 逆で

本来のルールや制度
とかいうようなものを

自分の道具として
存分に使うじゃないですか。 使い回す。

やっぱりね 昔から やってますとか
よそでも やってますとか言われると

あっ そうですかって いうことを
すぐ聞いちゃう この国

僕も含めてだけど そういう人たちに
結構ね 不比等を見よと。

ああいうものなんだと 本当は
ルールや制度っていうのは

自分が道具として使うものなんだ。

しかも
その出来上がったルールというのは

持続可能なルール… モデルとして

後世の人たちにも 便利に
使えるものなんだと 道具としてね。

だから やっぱり ルールは
自分の道具であって

ルールに使われるようなものに 人も
組織も なってはいけないっていうのは

すごい この歴史 見て 今日思いました。

はい。 私も肝に銘じました。
ありがとうございます。

皆さん 今日は ありがとうございました。

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