出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 YOASOBI[解][字]
~初登場!社会現象を巻き起こした“令和のスター”~YOASOBIが今日のゲストです。
◇ゲスト
デビュー曲『夜に駆ける』が2020年ビルボードジャパン年間ランキング1位の大ヒット、社会現象を巻き起こしたYOASOBIの2人がゲスト。今をときめく2人の素顔に迫る。
◇番組内容
作詞・作曲を手がけるAyaseさんは幼少期ピアニストを目指し、昨年のショパンコンクールで4位となった小林愛実さんと同じ先生に師事、周囲からも期待を受けていた。だが、中学からピアノ留学を勧められたことが原因となり、長く続けていたピアノを辞めてしまったという。ボーカルのikuraさんは音楽好きな両親の元で育った。母が詞を、父が曲を作って互いに贈り合う、その姿を見て音楽の道を志すようになったと明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 本当
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- ユニット
- ライブ
- 全然
- ボーカル
- 一緒
- 活動
- 結構
- 当時
- お家
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
♬~「騒がしい日々に
笑えない君に」
♬~「思い付く限り眩しい明日を」
♬~「明けない夜に
落ちてゆく前に」
♬~「僕の手を掴んでほら」
(黒柳)
『夜に駆ける』 デビュー曲です。
2020年の年間ランキング1位の
大ヒットという事でございますが
社会現象を巻き起こした
令和のスター YOASOBI
今日 おいで頂きました。
今をときめく お二人の素顔に
迫りたいと思いますが
お二人でYOASOBI?
はい。 よろしくお願いします。
で 令和元年に
デビューをなさいました。
私に近い方がikuraさん。
はい。 ikuraです。
それで この方は
ボーカルを担当なさいます。
それで Ayaseさん。
はい。 Ayaseです。
Ayaseさんは
作詞作曲を担当…。
はい。
ikuraさんっていうのは
そもそも どういう事から
ikuraさんに
なったんですか?
名前ですか? 私 ずっと本名で
幾田りらっていう
活動をしていて…。
でも 幾田りらっていうの?
はい。
幾田りらっていうんですけれども。
「iku」と
最後の「ra」だけを合体して
ikura
っていう名前にしました。
そうなのね。 可愛いわね。
ikuraさんっていうと なんかね。
全然 海鮮のイクラとは
関係ないんですけどね。
ないのね。 うん。
本当の本名から…。
本名から… はい。
満を持しての
ご出演なんですけども
現在のお気持ちは
どんなふうですか?
いや もう 本当に このスタジオに
入らせて頂いた時から ずっと
徹子のお部屋さん…。
ハハハハ…。
徹子の…。
どこに敬語つけようとしてんの?
徹子のお部屋さんのスタジオの
セットだと思いながら…。
そして 徹子さんにお会いできて
本当に感無量というか…。
光栄です。
あなたは どうですか?
いや もう 僕も
本当 光栄ですね。
入った時からね
あっ! って…。
多分 「徹子さんの部屋」で
言った方がいいよ。
「徹子さんのお部屋」ですね。
「徹子の部屋さん」は
ちょっと よくわからない。
間違えました。
いや 本当に お花もすてきでね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
デビュー曲 『夜に駆ける』が
2020年の年間ランキング1位の
大ヒットで
おまけに
『紅白歌合戦』 2年連続出場。
そして 去年 レコード大賞
特別賞をお取りになりました。
♬~「騒がしい日々に
笑えない君に」
♬~「思い付く限り眩しい明日を」
♬~「明けない夜に
落ちてゆく前に」
♬~「全てを賭けて描く」
♬~「自分にしか出せない色で」
♬~「朝も夜も走り続け」
♬~「見つけ出した青い光」
♬~「好きなものと向き合うこと」
♬~「今だって怖いことだけど」
♬~「もう今は
あの日の透明な僕じゃない」
今 ちょっと映ったのは
あなたね?
はい。 あそこで
ピアノ的なものを弾いてるのは
僕です。
ピアノ的なものを弾いてる。
なるほどね。 いや それにしても
この大ヒットで
すごいんですけど。
私 ちょっと 歌ってみようと
思ったんだけどね…。
えっ?
なんて言ったらいいのかしら?
息継ぎが難しくて ほとんど
息ができないっていう感じで
ついていくのが大変だ
という感じでしたけど。
お家の方とか 他の方は
このテンポを
素直に
受け入れていらっしゃいます?
ハハハハ…。
そうですね。
まあ でも 本当に… そうですね。
でも うちの家族とかも
やっぱり
『夜に駆ける』とかもそうだし
「カラオケで
チャレンジしてみたけど
全然 歌えなかったわ」
みたいなのは言われますね。
でも カラオケに
もう あるんですか?
あります。 はい。
あっ そう。
私 行ってみようかな。
うわー。 もう ぜひ。
練習してみようかな。
ええー。 うれしすぎますね。
あっ 本当? フフフ…。
でも なんといっても
やっぱり 『夜に駆ける』?
さっきの一番最初?
『紅白』でも お歌いになったって。
あれが やっぱり みんな
歌いたいって思って
マネして歌おうと思っても
みんな 駄目だっていう事に
なるんですけども。
ご家族の反応は どうなんですか?
あっ そうですね。
いや でも 本当に…
最初 このプロジェクトが
始まるっていう段階では
本当に 誰も 家族も含め 私自身も
予想がつかなかったというか
小説を音楽にするユニットって
どんな事だろうっていうふうに
思ってたんですけど。
でも 実際 始まってみて
色んな事が巻き起こりながらも
なんか だんだん こう
理解していって
小説を音楽にするユニットの
ボーカルとして…
物語を歌う人として だんだん
染みついていった感じですね。
あなたは どうですか?
そうですね。 でも 本当 家族も
ずっと…。 言って 僕らも 結構
音楽としての下積みは
長かったので…。
あっ そうなの?
はい。
僕も… ikuraもか。
10年ぐらいは経って
それぞれで…。
あっ そう。
僕はバンドを ずっとやってて
で 彼女は
シンガー・ソングライターで
弾き語り 路上でやったりしてて。
っていうのがあって
こう 出会って。
なので YOASOBIとしては
すごい 本当に
出会って2カ月でデビューして
っていう感じですけど
音楽の歴は すごく長いので…。
なるほど。
その間も やっぱり 家族は
すごい心配もしてたと思いますし。
でも 応援してくれてたので。
あっ そうなの。
じゃあ よかったですよね。
すごい喜んでくれてますね。
Ayaseさんは ご両親が先に
ランキングが何位だよとかいって
教えてくれる…。
はい。 そうです そうです。
僕らが知るよりも先に
連絡をくれて
「今週も1位だったよ」
みたいなのを言ってくれるので。
すごい。
はい。 すごい見てくれてますね。
お二人とも子供の時から
音楽をやってらした?
そうですね。 僕はピアノ…
クラシックピアノを
ずっとやっていたので。
あなた あれなんですってね。
すごいピアノの方たちと…
ショパンピアノコンクールに
行くような方と
お友達だったって。
そうですね。
それこそ 去年に
ショパンコンクールで
4位になった
小林愛実さんとかは
本当 同じスクールというか
同じ先生の下で
やってましたね。
勉強していらした。 ふーん。
やってました やってました。
なるほど。
なので 結構 本気で
やってましたね ピアノは。
ショパンコンクールは
特に大変だから
小林さん 4位っていうのも
相当すごい…。
本当に そのとおりですね。
すごいんですよね。
いや もう
入賞されてるっていうだけで
ちょっと 人知を超えたレベルの
ところだと思うので。
でも あなたは5歳から
ピアノやってらっしゃって…。
やってましたね。 おばあちゃんが
ピアノの先生をやっていた
っていうところのきっかけで
遊び感覚で やり始めて。
で なかなか
見込みがあるんじゃない?
っていうふうになって
割とコンクールとか
出るようになって
っていう感じですね。
あっ そうなの。
コンクールにも出ていらして。
コンクールでも
賞 取ったりなんか
していらしたんでしょ?
そうですね。 はい。
やってて… まあ でも
ショパンコンクールの
それこそ 小林愛実さんも
そうなんですけど。
僕は多分 当時 結構 そういう
ガチガチな国際コンクールとか
全国のコンクールとかにも
出てたんですけど
多分 半ば 嫌々だったとは
思うんですね。
小学生の時なので あんまり
よくわかってないままに…
でも いい賞 取れたりすると
やっぱり
おばあちゃんとか お母さんも
喜んでくれるし。
で 「才能あるよ」って言われると
うれしいから やってたけど…。
ただ 小学校6年生ぐらいの時に
本当に 本気で
ピアニストになるために
「じゃあ 海外に留学して 本気で
やっていくのとか どう?」
っていうのを
当時の恩師から言われたりして。
そこで 初めて
本当に そこまで僕は
ピアノやりたいかなっていうのを
子供ながらに考えて。
友達と離ればなれになるのも
嫌だし
海外 どんな所かわかんないから
怖いから
ちょっと もう
そんなには やれないわと思って
そこからズルズルッと
中学校1年生ぐらいで
やめましたね ピアノは。
でも 中学生の時に
ハンガリーに…。
あっ そうですね。
留学するならハンガリー
みたいな事を言われてて。
で もう 僕の中で
まだ小学生なので
ハンガリーって言われても
全然わからないし
何より 今 じゃあ
遊んでる友達たちとは
どうするの?
みたいなところの方が
強かったので
それは行かなかったですね。
あっ そう。 それで
いらっしゃらなかったのね。
そうですか。 あなたは
何か やっていらしたんですか?
音楽の事。
そうですね。 私は もう 本当に
物心ついた頃から ずっと 家で
父が弾き語りをしていたりして…。
お父様が?
はい。 父がやっていて。
なので 小さい頃から
家庭に音楽が ずっと流れてた…。
あっ これが そう?
そうですよね。 この写真が すごい
ファンキーな感じなんですけど。
はい。 ずっと…。 なので 音楽は
日常的に
ずっとあふれていた感じで。
なので 本当に もう
物心ついた時から
歌手になりたいって
ずっと思ってました。
すごいわね。
はい。 活動を…
中学校ぐらいから
オーディションを受けたり
路上ライブをしたりとか
色んな活動 始めました。
路上ライブもやってたの?
はい。 やってました。
その時は どうでした? 人気は。
いや もう 全然 本当に
学校のお友達が知ってるぐらいの
感じだったんですけど。
でも その頃から やってましたね。
なるほどね。
ikuraさんは
音楽の道を志したのは
ご両親の影響があるんですって?
あっ そうですね。
ずっと 家で
父が弾き語りしていたので
すごいスッと入ってきていた
っていうのもありますし。
特に 自分が
シンガー・ソングライターに
なりたいっていうふうに
志すきっかけになったのが
小学校5年生 6年生ぐらいの時に
父がホワイトデーで
母に向けて曲をプレゼントしたい
って言って。
あら いいわね。
なので バレンタインには
その曲の歌詞を
自分にプレゼントしてほしい
っていうふうに言っていて。
それを… 間近で
この2人のやり取りを見て
完成した曲を聴いた時に
こんなに自分たちで作る…
詞とメロディーで作られた
楽曲って
こんなにハートフルで
温かいものなんだって思いまして。
そこから
自分でも曲を書いてみようかな
っていうふうになりました。
じゃあ お父様たちの影響は
大きいのね?
大きいですね。
お父様とお母様と… お二人のね。
はい。
そうですか。
それで お父様は当時
単身赴任だったんですって?
そうなんです。
アメリカに 小さい頃
単身赴任していて。
で 家族も一緒に行く事になって。
なので 3歳ぐらいまでは
アメリカに
住んでいたんですけれども。
あっ そう。
はい。 で その後 日本に
父以外は帰ってきてたんですけど
父は まだアメリカにいたので
ホワイトデーとか
バレンタインデーの
曲のお話っていうのも…
なんですかね?
ある種 リモートというか
CDが送られてきて
お家で聴くみたいな
そんな感じでした。
なるほどね。
はい。
ただ 家の中で コチャコチャ
やってるんじゃなくて
海を越えて…。
海を越えて。
なるほど。 でも そういう事で
音楽で家族がつながった
っていう感じですかね。
はい。
時々 お父様から
曲が届くんですって?
あっ たまに父が作った曲が
お家に届くんですけど。
この間も 「新曲ができたから
聴いてくれ」っていって
届いてました。
でも まだ聴けてなくて
1カ月ぐらい
放置してしまってるんですけど。
あっ そうなの?
はい。 ちょっと 聴いて
感想 送りたいなと思ってます。
そう。 聴いてね。 そうですか。
でも いずれにしても
お父様も お母様も
そうやって
お互いが大好きでね 音楽が。
両方で交換し合って
1つの曲を作るような
ご両親がいらっしゃる
っていうのは 随分ラッキーね。
そうですね。
本当に 一度も音楽の道に対して
止められたりだとか…。
2人が一緒になったのは
どういうきっかけで?
はい。 本当 僕らは それぞれ
全く知り合いでも
なんでもなかったんですけど。
YOASOBIっていうのが
そもそも こう
本当に
プロジェクトとして始まった事で。
小説を音楽にするっていう
ユニットみたいなのをやったら
面白いんじゃないか
っていうのを
今の担当がやっている…
一般の方が小説を投稿できる
サイトみたいな所の
スタッフをやっていて。
その人が発案して。
じゃあ 曲を作る人に
Ayase どう? っていうのを…。
その時 そのスタッフとも
僕 初めましてだったんですけど
声をかけてもらって。
で そこから
小説を音楽にするユニットとして
僕と じゃあ もう一人
ボーカルを探さなきゃいけない
ってなって
SNSですね。
Instagramとか
Twitterとかを
たくさん見て。
そこに自分の音楽を上げてる
ミュージシャンの子たちが
たくさんいるので。
あっ そう。
その中で 何人か… この子の声
いいんじゃないかとか
この子の歌 いいねっていう中に
ikuraがいて。
で この子だ
っていうふうになって
スタッフ伝いで連絡して
っていうのが出会いですね。
その時が初めての出会い?
はい。 初めての出会いですね。
それで 出会ってから
2カ月ぐらいで
さっき言った『夜に駆ける』?
はい。
あれが なんか
すごい大ヒットになったっていう。
♬~「騒がしい日々に
笑えない君に」
♬~「思い付く限り眩しい明日を」
♬~「明けない夜に
落ちてゆく前に」
♬~「僕の手を掴んでほら」
♬~「忘れてしまいたくて
閉じ込めた日々も」
♬~「抱きしめた温もりで
溶かすから」
♬~「怖くないよ
いつか日が昇るまで」
♬~「二人でいよう」
でも お互い 会った時は
敬語だったんですって?
そうですね。
今も6歳差があるので…。
どっちが上なの? 6歳。
僕が6歳上ですね。
上なので
やっぱり 6歳上の男性と
うまく一緒にやっていけるのか
っていうところでの
不安があったりして
ちょっと 最初は敬語で 結構…。
打ち解けるのにも
1年ぐらい 多分 かかった…。
デビューして1年間ぐらいは
全然 ずっと…
ギクシャクまでは
言わないですけど
ちょっと ビジネスっぽい絡み方を
してましたね。
初めて会った時は
どういう感想をしました?
この方 ご覧になって。
ええー。
でも やっぱり ちょっと 最初は
どんな方か わからないので
ちょっと 怖さはありましたね。
年もね 6歳 離れてるので…。
ただ それは僕もで。
逆に… 今 僕が27なんですけど。
で 出会った時が
まだ ギリギリ18歳とかで。
で 僕が24とかだったので。
この年になって
10代の女の子と一緒に
何かをやるっていう事に対する…。
なんか 何か言ったら
セクハラだと思われないかとか…。
そうだわね。
そう。
すごい だから…
とにかく気持ち悪いヤツだとは
思われないようにしなきゃ
みたいなのは ありましたね。
『夜に駆ける』っていうのは
パソコンで作ったんですって?
あっ そうですね。 本当に
生の楽器を たくさん使って
レコーディングして
っていうよりかは
パソコンの中に入ってる
ソフトを使って
作るみたいなので…。
ほとんどお金 あんまり…
何千円しか かかんなかった…。
そうですね。
実際の制作費に関しては
そこまで かかってないですね。
もちろん そこから
ミュージックビデオを作って
とかには
もちろん
お金は かかってますけど。
なので… うん。 すごい 僕らも
まさか こんな事になるとは
思ってなかったので
びっくりしましたね。
大体 あなた その頃 寝る所が
妹さんのとこの台所に住んでた…。
お恥ずかしい。
はい。 そうなんですよね。
本当? フフフフ…。
本当ですね。
とにかく お金がなかったので。
当時は まだ
バンドをやってた時で
バンドでボーカルをやりながら…。
でも バンドがうまくいかなくて
バイトをしながらっていうような
生活だったんですけど。
で 一回 体調を崩しちゃいまして
バンド時代の時に。
で 一回…
実家が山口なんですけど
山口に帰って 療養して…。
で また
東京に戻りたいんだけれども
もう 療養するために
当時 住んでたお部屋も
引き払っちゃったし
お金もないし
バイトも辞めてるから
貯蓄もないから
いったん 妹の家に住ませてくれ
っていうので…。
2DKのお家のDK部分の…
ダイニングキッチンの部分ですね。
…に 本当に
コタツテーブルみたいなのが
ポンッて置いてある。
本当に僕の生活スペース
このテーブルぐらいしか
なかったですね。
そういう所で生活しながら
曲は作ってましたね。
でも 曲は作ってたの?
作ってましたね。
あなたは どういう生活だった…。
はい。
私は ずっと1人で ソロで
シンガー・ソングライターとして
活動していたので
学校と両立しながら
ライブを行ったり
それこそ まだ 路上ライブを
やっていたりしましたね。
じゃあ この歌がヒットするまでは
ただ なんとなく
そういうふうに
1人でやっていたっていう感じ?
そうですね。 プロを目指して
ずっとライブしてた
っていう感じですね。
曲がヒットした時の気持ちは
どんなでした?
でも 本当に もちろん
めちゃめちゃ
うれしかったんですけど
驚きも やっぱり
大きかったですね。
ただ さっきも言ったように 本当
下積みが やっぱり
お互いに長かったので
なんか 色んなタイミングは
重なってるし
すごい運にも恵まれてるなとは
思うんですけど。
でも なんか 偶然というよりかは
自分たちが頑張って
やってきた事による必然で
これが こういう事になれたんじゃ
ないかなとは思うので
すごく うれしいですね。
でも あれですよね。
私 歌ってみようと思ったけど
どうも歌えなかったっていう…。
あの短い間に よく こんなに
いっぱい詰め込めると思うほど
文章が… 文章が
小説みたいに入ってるじゃない。
ですね。
小説を音楽にするユニットだから
っていうところの分量も
もちろん あるし
やっぱり ikuraが
めちゃめちゃ
発音が奇麗なんですね。
滑舌も すごくいいので。
やっぱり 全然
早回しで歌っても潰れないし
ライブでやっても しっかり…
めちゃめちゃ練習してくれるので。
すごい肺活量と気合を持って
ステージに挑んでくれるので
助かってますね。
肺活量 やっぱり 大きいですかね。
ああー そうですね。
肺活量であったり…。
あとは でも リズム感ですよね。
それは結構 練習…
めちゃめちゃ猛練習して
いつも臨んでますね。
でも 今 あれなんですって?
直木賞の作家と
新たな試みを
やっていらっしゃる?
はい。 直木賞作家の方々
4名の作家の方に
原作の小説を書いて頂いて
その小説を基に音楽を作って
4曲リリースしていく
っていうのをやってまして。
今 1曲出てるんですけど。
楽曲を作る時は
僕が1人で 全部 作って
小説を読み込んで
どういうふうに…
小説を読んだ時と同じ感覚と
また 全然違う見え方と
みたいなのを
音楽を聴いただけで…
なるためには
どうしたらいいんだろう?
みたいなのを考えながら
作っていって。
で ikuraはikuraで… ねっ。
曲… 小説を
先に読むんですけれども。
そこで いったん
曲が送られてくるまでは
自分で どういうふうに
歌うかっていうのを
すごく たくさんイメージして
どんな声色にしようかとか
すごく考えたりするんですけど。
実際に曲が届いてから
かなりイメージが
違ったりする事もあるので
あっ Ayaseさんは
この物語を こういう音感で
届けようと思ったんだな
っていう事を…
なんていうんですかね
理解しようとしていくと
だんだん 物語が
肉付きが付いてきて。
そこから 自分で
どういうニュアンスで歌うか
っていうのを
コーディネートしていく感じで。
歌詞カードに びっしり書きながら
それを持っていって
レコーディングに臨む
っていうような感じですね。
そうですね。
でも ikuraさんは元々
大の小説好きだったんですって?
あっ そうですね。
小説 普段から ずっと読んでいて。
高校時代も
すごく読んでいたので
自分が本当に好きで読んでいた
作家さんと
こんな形で
ご一緒できるっていうのは
本当に幸せな事だなと
思いながら…。
すごい うれしいですね。
そういう作家のものは
あなたに渡すの?
私 こういうのが
いいんだけどって。
いや でも あんまり
元々 Ayaseさんが
そんなに小説を読まない…。
あっ そうね。 普段。
あんまり こう
オススメするっていう事は
した事ないかもしれないですね。
そうですね。 僕も… なので
YOASOBIの活動において
やっぱり 小説が原作にあって
音楽があるから
音楽を聴いたあとに
小説に立ち返ると
あっ ここの歌詞って
こういう事だったんだとか。
で 逆に小説を読んでから
音楽を聴くと
自分の読んで感じていた景色が
音になって こう 見えて
すごい 一つの作品が
立体的になるみたいなのが
僕らは魅力だと
思っているんですけど。
その上で やっぱり
小説は読んでほしいんですけど。
なかなか小説離れみたいなものが
最近の若い人たちは…。
あっ そうね。
もちろん多いと思うし。
それは僕自身も すごく そうで。
やっぱり いざ 本を開けて
分厚いのを読んでっていうのは
ちょっと カロリーが高いなって
思う事が多かったんですけど
やっぱり YOASOBIを
やっていくと…。
もちろん 小説 まず読むので。
で この小説が苦手な僕でも
すごい面白いと思えるわけで。
やっぱり 開くきっかけがあれば
誰でも小説は好きになれるなって
すごく思ったので
そういった小説への入り口にも
僕らがなれたら
すごく うれしいし…。
なるほどね。
みたいな。 だから 僕は
好きな人サイドからの
アプローチはできるし
僕は小説
普段 読まない人サイドとして
わかるけど
ちょっと 一回 読んでみてって。
で きっかけになるんだったら
曲 聴いてみてっていうような
アプローチができるなとは
思ってますね。
なるほどね。 非常に
みんなが文化的になるのはね
すごくいいですもんね。 この頃
本 読まない人 多いからね。
そうですね。
そういう事でも
本 読んでくれればね
随分いいと思います。
これからの夢ってあります?
夢…。
夢か…。 そうね。
でも やっぱり
YOASOBIとしては
去年 初めて12月に
お客さんの前で… 有観客で
初めてライブをやらせて頂いて。
それは武道館で 2デイズで
2日間やらせて頂いたんですけど。
すごい。
いや 本当に すばらしい景色で。
2人で?
2人で。 はい。
すごい。
本当に感動したんですけど。
ikuraも もちろん
シンガー・ソングライターとしては
ステージには立ってるけど
YOASOBIのボーカルとしては もちろん
初めてのステージだったので
とにかく緊張しましたね。
うん。
やっぱり なかなか まだまだ
状況的に すごい大きい所で
いっぱいお客さん入れて
ライブっていうのが
なかなか気持ちよくは
できないご時世なので。
今の この間に
たくさん準備をして
ゆくゆくは東京以外でも
全国 色々ツアーも回りたいし
ゆくゆくは
世界にっていうような事も
すごく考えているので
今 本当に
色んな事を準備する期間だなとは
思ってますね。
ikuraさんは どうです?
そうですね。 やっぱり ライブを
もっともっとやっていきたいな
っていうふうにも思いますし
やっぱり こうやって
それぞれの軸がある上で…。
それぞれソロで出会って
そこから YOASOBIという
ユニットがあって
っていうところがあるので。
その… なんだろう?
私たちは
すごく本当に遊び心満載に
いつも音楽をやらせて頂いていて。
楽しく音楽をやる
っていうところは
ずっと この先 何十年って
音楽生活がある中で
続けていけたらなっていう
大きな枠での夢もあります。 はい。
『徹子の部屋』に出るっていう話
聞いた時は どんなでした?
めちゃめちゃうれしかったですよ。
本当に光栄だし
もちろん すごいちっちゃい時から
見ていましたし…。
親が非常に喜んでおりました。
ご両親に
よろしくお伝えください。
(2人)ありがとうございます。
これから ますます いい曲を
作って頂きたいと思います。
どうも ありがとうございました。
(2人)ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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