逆転人生「泣き虫スケボーコーチ 悲願の金メダル」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

逆転人生「泣き虫スケボーコーチ 悲願の金メダル」[解][字]

スケボー堀米雄斗選手の金メダル。その舞台裏にあった泣き虫コーチとの感動秘話!盛りだくさんの秘蔵映像。そして超絶テクニックの数々に山里・中澤佑二・朝日奈央が驚愕!

番組内容
堀米雄斗選手が13歳のときに運命の出会いを果たしたのが、日本代表コーチの早川大輔さん。早川さんはかつて、夢をあきらめたスケボーキッズ。その夢を堀米選手に託し、トラック運転手の仕事で資金を稼ぐなど苦労しながら、育成に力を注いだ。そしてオリンピック本番。絶不調だった堀米選手は、一つのミスも許されない状況に追い込まれる。だが早川さんの言葉を信じ、逆転勝利に向けて全く新しい技に挑んだ。知られざる感動秘話。
出演者
【司会】山里亮太,杉浦友紀,【ゲスト】スケボー日本代表コーチ…早川大輔,【出演】中澤佑二,朝日奈央,堀米雄斗,【語り】高塚正也

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
バラエティ – トークバラエティ

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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僕が その少年に出会った時
彼は まだ13歳でした。

誰よりもうまく 誰よりも かっこよく滑る
天才スケーター。

よっしゃ~!

その少年の名は…

すごいな。

(実況)いった!
(朝日)かっこいい。

夢の舞台 東京オリンピックで
世界の頂点に立ったのです。

表彰式で雄斗を見守っていた僕は
涙が止まりませんでした。

僕は…

かつては雄斗と同じ
スケボーキッズだったのですが…。

(早川)すいません。
(警官)帰って帰って。

僕の少年時代
スケートボードは「街のやっかいもの」。

大人になると 夢を諦めるのが
当たり前の時代でした。

でも それから20年。

僕に運命の出会いが訪れます。

(早川)スケートボードの未来だって
思ったんですよ。

雄斗たち若い世代が
スケボーで日本中を熱狂させる。

そんな時代を作りたい。

…っていう思いがあって…

雄斗がつかんだ金メダル。

それは かつてスケボーキッズだった
僕たちの…

♬~

はい ということで山里さん
今日のテーマは スケートボードです。

スケボー。
やったことありますか?

何か 乗るのは やったけど
全く前に進まない。

パタパタやって終わった。
これは絶対違うっていう。

(中澤)僕自身も小学校の時
やってましたよね。

はやってましたよね。
はやってましたね。

ちょっとワルじゃないですけど

悪い子たちが 何かやるみたいな
イメージがあったので

決して悪いことしてないんですけども
何か。 うん うん うん。

あんまり それをやってる場があったら
ちょっと遠く行っちゃうぐらいの感じの

距離感ではありましたけど。
(中澤)ありましたよね。

ねえ そしてね スケボーといえばね
朝日奈央。 違います。

絶対違います。
だって じゃあ何で?

ハハハ でも ちょっと関係がありまして。

以前スケボーの番組に
出させて頂いた時に

早川さんもいらっしゃって。
ほお。

で 番組終わりに
スケボーに ちょっと興味持って

スケートボード買いに行こうかな
っていうのをスタッフさんと話してたら

早川さんが「たくさんあるから これ1つ
これあげますよ」とか言って。

喝上げしてない。
今日は じゃあね…

違う 違う。
言い方よくない。

今から35年前。

東京 葛飾の中学生だった僕は
スケートボードのとりこでした。

学校が終わると 広場に直行。
毎日 日が暮れるまで友達と滑りました。

うそ!
マジ マジ マジ。

ユーチューブなんてない時代。

僕たちは ビデオを頼りに
本場アメリカの技を学びました。

スケボーは僕に さまざまな出会いを
もたらしてくれました。

1つ年下の堀米亮太 通称ゴメス。

ザワザワしちゃったね 今。

そして もう一人 僕に大切なことを
教えてくれたスケーターがいました。

(堀米)うわ マジだ。

隣の足立区に住む 尾澤 彰くん。

(朝日)イケイケ。

当時の日本のトップスケーター。

実力は アメリカのコンテストで
入賞するほど。

アキラくんに 僕の滑りを認めてほしい。

アキラくんには 高い技術力だけでなく

誰にも まねできない
独自のスタイルがありました。

アキラくんに認めてもらうため
僕も自分のスタイルを作ろうと

1人ひたすら練習しました。

よく影練 影練って言って…

(朝日)かっこいい。

アキラくんが教えてくれた
大切な価値観でした。

しかし…。

街なかで練習していると

警察に通報されることが
しょっちゅうありました。

(堀米)いいよ 行こう。

僕たちスケーターは
「街のやっかいもの」扱い。

スケボーが大好きで
どれほど真摯に打ち込んでも

世間は決して受け入れてくれない。

やるせない現実を思い知らされました。

大人になっても スケボーを続けたい。

僕は思い切って アメリカで
プロになることを目指しました。

でも やはり本場のレベルは高く
6年頑張っても 夢はかないませんでした。

30代を過ぎると 衰えから
かつてのように滑れなくなり

仲間の多くも
スケボーから離れていきました。

僕は結婚し 子どもにも恵まれましたが
それでも ふんぎりがつけられず

スケボー関連の仕事で
何とか食いつないでいました。

そして 40歳を手前にした ある日のこと。

(堀米)早川くん!

よっ 久しぶりだね!
(早川)おおっ!

昔の仲間 ゴメスこと 堀米亮太でした。

ゴメスが連れてきた13歳の息子。
それが 堀米雄斗だったのです。

自分が かなえられなかった夢を語る雄斗。
心が躍りました。

雄斗の実力は どれほどなのか。

(中澤)うわっ!

♬~

これが 東京オリンピックの9年前。

雄斗と僕の
長い二人三脚の旅が始まったのです。

いや すごい。 いきなり とんでもない
レア映像が入ってましたけどもね~。

堀米選手が13歳。 もう
抜群にうまかったですか? 見た瞬間。

もう 抜群にうまくて。
まあ スケートボーダーの中で

よく言う言い方で 本当 板に乗れてる
っていう感覚的なものがあるんですけど…

あれ 何で若くして あんないろんなことが
できるようになってるんですか?

あの やっぱり 見るものが
ソーシャルメディアもあって

インターネットもあって。 やっぱり…

やっぱそうか 今の若い子たち
SNSによって いろいろね

技術を手にするといいますけども。

中澤さん スポーツ界全体で
SNSの影響とかってあるもんですか?

間違いなくあるとは思います。
ユーチューブだ インスタグラムだったりとか

ティックトックなんかでも
プレー集見れますから

すぐその場で
自分が この選手に憧れました。

なりたいっていうプレーを
その場で見れる。 そうか。

確かにな。
僕らなんか ほんとアナログだったんで。

当時は やっぱり VHSの
ビデオテープしかないんですけど

僕らは中学生で子どもだったんで
全然そういうの手に入れられなくて

で やっぱり
スケートボード扱ってるお店が

僕の葛飾の近所だと
もう上野に行くしかなくて。

電車賃なかったんで
もう みんなでプッシュして行って。

(山里 朝日)スケボーで!?
スケボーで行って。

(中澤)うわ~ すげえ。
2時間も3時間も店頭でビデオを見て

地元に帰って みんなで それを
まねしながらやるっていう覚え方です。

もう スケボーが
好きでしかたなかったんすね。

もう 大好きで大好きで
それしか考えてなかったです。

僕らも でも サッカーを
隣町に うまいやつがいるって

見には行くんですけども
ボールは蹴って行かなかったですもんね。

(朝日)確かに。
ただ まあね ちょっと言ってましたけど

世間の目は冷たかった。
冷たかったですね。

やっぱり
広いところで やってたとしても

やっぱ音が出ちゃったりとか
公園でやってれば

もちろんスケーター以外の人の方が
利用は多いんで。

ちょっと怖いんですよね
知らない方からすると ねえ。

朝日ちゃん どう? イメージとしては。

確かに ちょっと やんちゃなイメージは
あったんですけど やっぱ今回の…

で言うとよ
そうだって僕も思ったと同時に…

(朝日)ほんとですよね
最近ですよね そう思うと。 そう。

で 堀米選手が本場アメリカでプロになる
っていう夢語ってたじゃないですか。

あの時どうでした?

俺も目指してたことがあるから
気持ちは すごい分かる。

ただ 俺は
失敗しちゃったことがあるから

それを成功に導けるアドバイスをして
教えてあげようと思って はい。

なるほど
自分と同じミスをしないようにと。

(早川)そうですね。
はぁ~ なるほど。

もし 僕が成功してたら
それ教えちゃったと思うんですよ。

ああ~。
でも そうしたら

僕以上には ならなかったと思うし
っていう考え方で…

「アメリカでプロになる」。

雄斗の夢をかなえるため
挑戦の日々が始まりました。

川の土手や 手すりに段差。

ひたすら 技を磨き上げました。

まだ幼く 自信が持てない雄斗を
どう育てるか。

難しい技に挑む時
いつも こう言い聞かせました。

大技を決めると 雄斗はいつも
全身で喜びを表現しました。

僕も その姿を見るのが
楽しくてしかたありませんでした。

出会いから2年。

僕は雄斗を アメリカに連れて行きました。

(歓声)

トップレベルのアマチュアが出場する
世界大会 タンパアマ。

ここで結果を出せば
プロへの道が開ける登竜門です。

Oh, Yuto!

雄斗は次々と技を決め
見せ場を作りました。

ところが…。

雄斗は 40位。

予選すら
通過できませんでした。

アメリカは そんなレベルが高いんだ。
(朝日)厳しい世界。

雄斗に足りないものは 何か。

この時 僕が伝えたのは
かつて東京の下町で学んだことでした。

…みたいな感じで言ってくれたので…

雄斗の才能が開花するまで
何度でもアメリカに連れて行く。

しかし 雄斗の世代には
他にも才能ある子どもたちが大勢いて

僕は そのサポートも始めていました。

彼らもアメリカに連れて行ってやりたい。
当然 問題になったのが お金です。

僕は トラックの運転手を始めました。

毎日 早朝から荷物を積み込み

稼いだお金を
子どもたちのサポートにつぎ込みました。

金銭的に どんどん追い込まれ

妻や娘にも
苦しい生活を強いることになりました。

それでも 若い世代には
僕たちのように夢を諦めさせたくない。

環境で夢を諦めなきゃいけないって
一番つらいですもんね。

何とか資金を集めようと
企業を回ったのですが…。

(エンジンがかかる音)

♬~

♬「ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう」

♬「ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながら のぼってゆけ」

♬「ファイト!」

でも 手を差し伸べてくれた
人たちもいました。

僕と同じ かつてのスケボーキッズたち。

子どもたちのために
渡米資金をカンパしてくれたのです。

こうして 苦しいながらも

僕は子どもたちを
何度もアメリカに連れて行きました。

そして 2016年のタンパアマ。

ここで雄斗が 2年かけて磨き上げた
オリジナルの技を繰り出したのです。

空中で270度回転。

板の端でレールをたたき
背中を向いて着地。

観客の度肝を抜きました。

そして…。

(歓声)

この活躍をきっかけに
雄斗は活動拠点をアメリカに移し

次々と大きな大会に出場しました。

(歓声)

涼しい顔で
誰も見たことがない技を決めるその姿に

世界のスケボーファンが熱狂しました。

この環境を見ると。

しかし そこには 10年以上も
頂点に君臨する 絶対王者がいました。

(朝日)うお~!

アメリカの…

なんと7歳でプロになった天才です。
(朝日)え~!

圧倒的な身体能力を生かした
ダイナミックな技。

雄斗にとって ライバルでもあり
憧れの存在でもありました。

一方 僕は 日本に残り
新たな挑戦を始めました。

雄斗の飛躍のきっかけとなった
タンパアマ。

その予選大会を日本に招致したのです。

静岡で開催した 第1回の日本大会。

実況や審判はアメリカから呼び寄せ
本場さながらの環境を整えました。

優勝した白井空良。

そして 青木勇貴斗。

上位12人が アメリカでの本戦に出場。

雄斗に続く世代のために

日本のスケボーシーンを
もっと もっと盛り上げたい。

そして 最大のビッグチャンスを迎えます。

スケートボードが 東京オリンピックの
正式種目になったのです。

ストリートの日本代表は
白井空良と青木勇貴斗。

そして 堀米雄斗。

僕は 日本代表コーチに選ばれました。

スケボーで
日本に熱狂の渦を巻き起こす。

ナイジャをはじめとする

世界のトップスケーターたちとの戦いが
幕を開けました。

(笑い)

ずっと前から思ってたんですけど

堀米選手と日本代表のサッカーの
田中 碧選手 似てるんですよね。

えっ それは何? 状況?

だから ず~っと
田中を見てるような感じで。

誰に似てるって思うって…

僕は ほんとに早川さんと…

(笑い)
いや スケーターの方 もう ほんとに

絶対 中島みゆきさんとか
聴かないと思ってました。 (笑い)

本当にオールドスクールの
ヒップホップとか もちろん聴くし

スケートボードのテンション上げるには
そういうのも あるんですけども

あの時は もう本当

ふだんは何か そんなに入ってこないのが
急にきちゃって。

あれ? と思って。
ドンピシャだったんですね。

はい そうです。
あの時の心情と。

いや~ でも つらかったんですね
やっぱり あの時は。

家計は大丈夫だったんですか?
だって もう ほとんど…

そうですね 駄目でしたね。

もう ある時 ほんと 雪降る中に
ガスとか止まっちゃってて。

あ~ ガス止まるって
結構なとこいきましたね。

で 奥さんが まあ 娘連れて
もう ほんと お金かき集めたので

開けてもらいに行ったりとか。
そういうの すごくあったっすね。

あの 何か 優先順位が
ちょっと おかしかったですよね。

そうですね… まあ まあ。
でも どうして その

堀米選手をはじめ 子どもたちに
それだけ かけることができたんですか?

う~ん。 まあ ほんとに…

雄斗たちの世代って
ほんとに すごくレベルが高くて…

…という気持ちに
なったんですよ。

だから 雄斗を
何かしてあげたっていう
イメージじゃなくて…

はい。
だから もう ほんと

雄斗に全部 変えてもらった感じですね。

だからこそ
その アメリカを体験させてあげたい。

少しでも早くアメリカに
触れさせてあげたいってなったから。

そっか。

スケートボードの技
トリックのスゴさをですね

今日は 早川さんに
解説して頂こうと思います。

このレールに対して
乗っていく技なんですけど。 これですね。

(早川)進行方向 前で
跳ぶんですけど

この 分かりますか?

(中澤)目を切っちゃってんのか これ。
すげえな。

(早川)回転するんで もう体
先に回してるんですけど

踏み切ってるのが進行方向 前の

板の前の方を踏んで跳ぶんですよ。

こう跳ぶんで
前に つんのめるような形で跳ぶんですね。

なので もう この時点で

トリックとしては
難易度が高くなるんです。

跳びづらいし コントロールしづらい
っていうやり方なので。

ここから板をしっかりコントロールして

空中に跳び上がって
体と一緒に270度 板を回して

ボードの真ん中で板の上に乗ります。

で ここからバランスを保って
滑り降りて きれいに着地。

おわ~っ。
(朝日)ええ~。

ほんと この着地の時に ちょっとでも
つま先がついたり 手ついたりすると

もう大幅に減点しちゃうんで
9点台は まず出ないんですけど

これをしっかり耐えて乗ったところで
9点台の技になったと。
へえ~。

9点以上が
通称 ナインクラブって言われて

スーパートリックの部類に入って
やっぱり それをいくつか取ると

やっぱり優勝に近づく
っていうぐらいの技なんですけど。

中澤さん スポーツの感覚で

背面から見えてない状態のもの
障害物に跳び乗るって感覚どうですか?

いや~ サッカーじゃ
まず ありえないですし

まず…

あ~ なるほど。
最初に だって 跳ぶ時に…

(笑い声)
(朝日)ほんと確かに。

そして。
そして 最大のライバルである

ナイジャ・ヒューストン。
かっこいいんだよな。

これもまた 強烈ですね。

うおっ。
(朝日)もう どうなってるのこれ。

何で あんな回るんだろう。

ちょっと速すぎるんで スローで。
ありがとうございます。

これは さっきの雄斗とは違って
普通の跳び方というか

進行方向の後ろの部分を蹴って
跳び上がるんですけど

この跳び上がる瞬間に…

空中でキャッチして
レールに乗るっていう動きなんで

そこを見て下さい。

うわうわうわうわうわうわうわうわ。
(朝日)全然 分かんない。 何で?

(早川)もう完全に
ボードコントロールの神様ですよね。

水中のミミズは
ああいう動きするんすけどね。

いや でも あれをコントロールして
やってるんですものね。

コントロールしてやってます。
運任せみたいな感じ

そんなんじゃないですよね。

(朝日)かっこいい~。
うん かっこいい。

難易度で点がつくっていう感覚も
何か分かるんだけれど

実は難易度だけじゃなくて…。
(早川)はい そうですね。

過去 誰かがやってきたのを
自分がやるんではない オリジナリティ。

例えば今の ナイジャがやったトリックも
今だと もう何人もできるんですよ。

へえ~。 でも ナイジャが この時
出した点数にはならないです。

どんどん点数下がっていってしまう。
へえ~。

(中澤)それ知ってるよ
ってなるんですね。 そうなんです。

いや これはスケートボードならではの
ルールですよね。 そうですね。

From Japan.
堀米雄斗。

オリンピックでは
1人の選手が7本滑ります。

初めの2本は ラン。

残りの5本は トリック。

7本滑り 点数の高かった4本の
合計得点で競います。

金メダルを取るには

9点台を4本そろえる必要があると
見られていました。

しかし この日 雄斗はプレッシャーから

いつもの滑りが
できずにいました。

(解説)ああ~ おお~。
(実況)こらえるか。

1本目のランは
着地の失敗が響き…

そして2本目のラン。

またも着地失敗。

点数は…

それに対し ライバルのナイジャ。

(実況)当然 この選手は9点台というのを
出しておかしくないわけですね。

(解説)そうっすね~。

いきなりギャップレールで
キャバレリアルリップですからね~。

(解説)いや~ ここっすね~。
(実況)どうするか?

(解説)うお~! (実況)決めてきた~!
やっべえ~。

難しい技を次々と決め
ここまで最高得点の…

更に ナイジャのトリック。

(解説)うお~ すっげ~。

(解説)いや~ ちゃんと乗ってきますね~。
(実況)笑ってますよ。

後ろ向きで跳んでボードを一回転。

それを見事に押さえ込み着地。

王者の貫禄で連続9点台。

一方 トリック1本目で
何とか9点台を出した雄斗は

2本目 予定していた技を
変えると決意します。

(解説)うわ~ 攻めてきた~。

背中から入って 空中で270度 回転。

レールの上をスライドして着地。

オリンピックのため
ひそかに準備していた新技でしたが

着地に失敗し0点。

残り3本。

全て9点台を出さないと
金メダルは厳しい。

追い込まれた この時
雄斗が僕の所へ やって来ました。

しかし 僕には確信がありました。

着地失敗の原因は
僅かに体の軸が傾いたこと。

そこさえ修正すれば 次は必ず跳べる。

新しい技に挑むことで
道を切り開いてきた雄斗。

そのスタイルを貫き通せ。

(実況)決まった。
(解説)イエー。

(解説)いや~ 乗りましたね。

ここまでの全選手の最高点
9.35をたたき出しました。

そして次のトリック。

(実況)いった~!
(解説)お~ 熱い。 やべ~。

更に高い…

そして 勝負を決める最後のトリック。

その時。

(実況)この1本~! 決まった 決まった!
(解説)お~!

初めて出会った13歳の時と
変わらない笑顔が そこにありました。

Yuto Horigome.

(歓声)

雄斗は表彰台から下りると
僕に金メダルを掛けてくれました。

雄斗よかったね。 おめでとう。
そして ありがとう。

(拍手)

いやあ ほんと おめでとうございます。

ほんとに でも
この日ねえ… に いくまでにも

いろんな苦労が
あったわけじゃないですか。

そういうのって やっぱ
よぎったりしました?

大変だったなあみたいな。
いや それはなかったんですよ。

ほんとに もう ただ
現場のうれしさしかなくて

何か つらかったこととかも考えられず
よしっていうことしか。

その波が大きすぎたっすね。

ねえ。 だから だからこそ ああいうね…。

(中澤)すごく やっぱ信頼関係あるな
って思うんですよ。

やっぱ そういう…

いや でも ほんとに
日本のスケートボードの周りの環境って

変わってきそうじゃないですか?
そうですね。

今もう ほんとにキッズたち
やりたい習い事というか

やってみたいこと スケートボード
すごく人気が高いですし

実際スケートボードできる施設に行くと
ほんとに親子連れのキッズも多いし

めちゃくちゃ盛り上がってるんですよ。
やっぱそうですよね。

いや ほんと今日
いや ちょっとスケートボード

また これからが楽しみな趣味が
また一つできました。

ありがとうございます。
今日 見て ほんと

いろんな偏見持ってました。
間違ってました。

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