出典:EPGの番組情報
先人たちの底力 知恵泉「大田南畝 “豊かに生きる”働き方を!」[解][字]
江戸時代後期、大ブームとなった「狂歌」。それはある下級武士の“副業”から始まった。仕事にも趣味にも励み、“豊かに生きる”働き方を実践した大田南畝の知恵に迫る。
番組内容
江戸時代後期、爆発的な社会現象となった「狂歌」。浮世絵や歌舞伎とともに化政文化を代表する「狂歌」人気は、ある下級武士の“副業”から始まった。大田南畝こと大田直次郎である。武士の仕事のかたわら、趣味で始めた「狂歌」が大ブームになり、副業として収入を得るまでになった。仕事と趣味、どちらかを取るのではなく、“いかに豊かに生きるか”を大切にして人生を全うした大田。その“楽しく働く”知恵に迫る。
出演者
【出演】評論家…山田五郎,にしおかすみこ,岐阜聖徳学園大学教授…加納正二,【アナウンサー】新井秀和ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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- 南畝
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- 大田南畝
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- 会社
- 自分
- 人生
- 知恵
- お金
- 経済
- 江戸時代
- 今日
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
あなたの趣味が
働き方を変えるかもしれませんよ!
(笑い声)
江戸時代に 爆発的な社会現象となった…
日常を題材に 洒落や風刺をきかせて
「五・七・五・七・七」で詠む
和歌のパロディーです。
名の通った狂歌師だけでも
300人以上が活躍。
武士も町人も 男性も女性も参加する
盛況ぶりでした。
狂歌人気は江戸にとどまらず
日本各地で大流行を巻き起こします。
この「狂歌」ブームの火付け役は
江戸を代表する文人 大田南畝。
歌詠みといえば
優雅な暮らしぶりと思われがちですが
実は…
彼の…
日々の暮らしに困るほどの
かなりの「貧乏」でした。
泰平の世となった江戸。
物価が上昇しても
給料の上がらない下級武士は
貧乏だが 暇でした。
そこで 寺子屋の師匠や内職など
家計を助ける「副業」が盛んでした。
そんな中 趣味の狂歌を楽しみ
収入まで得るようになった南畝。
彼が目指した
無理せず楽しく働く人生とは?
江戸時代の下級武士が見いだした
“豊かに生きる”働き方
その知恵に迫ります。
今回 大田南畝の知恵を読み解くのは…
大学時代に…
大手出版社に就職するも
雑誌編集部に配属され
興味がなかった分野に悪戦苦闘。
その突破口となったのは
仕事を「好きになる力」だったという
山田さん。
46歳で退職後は
得意分野や趣味を生かして
ますます仕事を楽しんでいます。
現代の南畝こと 山田五郎さんと
楽しく働く極意を探ります。
楽しく働きたいですけれどもね~。
どうしたらいいのか 今日は ちょっと
南畝の知恵からね
学んでいこうと思いますけれどもね。
こんばんはと。
あっ こんばんは。
こんばんは どうも。
いらっしゃいませ。
どうも~ お邪魔します。
どうぞ どうぞ お待ちしておりました。
空いてます?
空いてますよ。
空けておきましたよ。 こんばんは。
どうぞ いらっしゃいませ~。
はいはい。
いやいやいやいや。
評論家の山田五郎さんです。
よろしくお願いいたします。
今日はね
大田南畝ということなんですけれども。
山田さん 大田南畝
どんなイメージとかありますか?
いや もう 教養人だ 趣味人だ
あと江戸っ子ですよ。
江戸の人っていう感じがしますね。
上方の人とは違う。
そして 今日はですね お笑い芸人の
にしおかすみこさん。 はい。
初めてのご来店 ありがとうございます。
お願いいたします。
こんばんは よろしくお願いします。
まず 私が誰だか分からないですよね?
分かりますよ。
あっ 本当ですか?
何か 2007年ぐらいに
女王様キャラだったんですけど
多分 先生が分からないと思うので
1回だけ ちょっと…。
どうぞ。
いいですか? すいません。
にしおか~ すみこだよぉ。 あ~!
本当 すいません 何か…。
ありがとうございます。
本当 申し訳ない…。
イメージと ちょっとギャップが。
私は 何か いろんな記憶が
よみがえってきましたね。
あっ そうですか。 うれしい はい。
でも そんな にしおかさん
大田南畝って ご存じでしたか?
いや それもですね
本当にお恥ずかしいんですけど
全く知らなくて
大田… 何て読むのかも
ちょっと分からなくて。
ここね 「なんぽ」。
中学・高校の
歴史の教科書とかにも載ってました?
載ってるんじゃないか? 日本史には。
ああ そうですか。
「蜀山人」っつって
載ってるかもしんないけど。
大田南畝っていうんですが
実は 名前がいっぱいありまして。
ペンネームが いっぱいですけども
南畝っていうのは 漢文ですね。
漢詩を書く時ですね。 狂歌の時は
四方赤良や その蜀山人ですね
今 おっしゃった。
ほかにも いっぱいあるんですけどもね。
武士をやりながら文章を書いたと。
副業の何て言うんですかね 先駆者ですね。
副業の先駆者。
この時代に副業ってあったんですか。
あったんですね。
ねえ。
あったんですね。
どういうことなのかね
今日は ちょっと
見ていこうと思うんですけれども
すごく こう 趣味が多いって
聞きましたよ。
例えば?
例えば 趣味 私
2つしかないんですけど
1個は フルマラソンです。
すごいな。
どれぐらいで走るんですか?
えっと タイムですか? 3時間5分。
趣味じゃないよ それは。
あっ え~ うれしい。
私 もう一個 趣味ありまして。
もう一個 何?
もう一個は ご存じですかね?
カービングっていうのをさせて頂いてて。
こちらなんですよ。 これなんですよ。
野菜の彫刻ね 野菜彫刻。
そうです。 野菜彫刻です。
カービングナイフっていう
細いナイフがあるんですけど
それで野菜を彫っていくんですよ。
で これは お鍋にしたんですけど…。
食べていいんだよね?
そうです そうです。 食べれます。
もう 蒸してあります。
はい たまねぎとか あと
大きい花は パプリカだったりとか。
いいじゃん すごいな。
肉は 下に入ってる?
肉は 下に入ってます。
OK。
OKですか。
これは でも あの1年前ぐらいに
コロナ禍で
本当に その…
へえ~。
すばらしい。
あの 先生 南畝はですね
武士というのが本業で
狂歌というのは まあ 副業。
加納先生のご専門が
経済ということなんですよね。
あの 何で この
南畝の働き方っていうものに
注目されてるんですか?
私は 江戸っていうのは
経済をやる上で すごく参考になるのが
いっぱいあるんだっていう。
経済は 基本的に 引き締めたり
自由に皆さんやりましょうよ
っていう時期が
江戸では交互に繰り返してるんですね。
働き方改革って
いろいろ言ってるけれども
もう江戸時代で
やってた人がいるんだって。
南畝さんには注目してるんですね。
へえ~。
ということで
メニューご用意いたしました。
はい こちらなんですね。
ドドン!
「きょうからは なんとおいしい
あんぽ柿」。
あ~。 ハハハハ!
略して…。
なんぽ柿!
なんぽ柿 はいはい なるほど なるほど。
上手! 上手だと思います!
大丈夫ですか?
(山田 にしおか)はい。
無理してないですか?
大丈夫。 ただ それは川柳だね。
あっ そっか…。
狂歌ではないね。
狂歌ではない。
五七五… 七七がないんですね。
詰めが ちょっと甘かった。
あ~ そっか。
というところで 早速 若き日の
南畝の知恵から見てまいりましょうか。
はい。
はい。
徳川の世になって およそ150年。
天ぷら そばなど 外食産業がにぎわい
瓦版に貸本屋など 出版物を楽しむ人々。
時の老中は…
江戸は バブル前夜のような
にぎわいがありました。
そんな時代に
にぎやかさとは無縁そうなのが
こちらの武士。 大田南畝こと…
仕事は 将軍の警備を担当する 徒。
とはいうものの お目見以下の下級武士。
専ら江戸城内の警備が仕事です。
いや~ すまん。 遅れた。
交代の時間か。 では よろしく頼む。
おう。
仕事は 三日に一日 数時間。
武士が余り 時短勤務で仕事を共有する
いわば「ワーク・シェアリング」で
幕藩体制は保たれていました。
給料は…
現在のお金に換算すると
年収250万円から300万円ほど。
これで 両親 妻 子どもたちを養い
下働きに給金を与えなくてはいけません。
時間はあるけど 金はない。
そこで盛んだったのが…
寺子屋や看板書きなど
個人で請け負うものもあれば
組屋敷全体で行う副業も。
青山の鉄砲百人組の副業は…
「朝顔の栽培」に熱心だったのは
下谷の徒組。
現金収入が得られる副業に
いそしんでいました。
ところが 南畝が熱心に行っていたのは
なんと 1銭にもならない「文芸」でした。
南畝さん その心は?
そもそも 南畝の幼少期からの夢は漢学者。
私塾の師から
「この児まさに大成すべし」と称されるほど
秀才でした。
18歳で 漢詩の用語集
「明詩擢材」を手がけます。
しかし 当時は 学問ができても
仕官先はなく
親から受け継いだ徒の仕事では
宝の持ち腐れ。
…にもかかわらず
南畝は 文芸に没頭します。
大田南畝を研究している 小林ふみ子さん。
小林さんが注目したのは 19歳の南畝が
遊び心で書いた「寝惚先生文集」。
漢詩のパロディー本です。
(小林)
寝惚先生っていうのはペンネームで
著者名は チンプンカンです。
漢字ばっかり並んでるので
チンプンカンなんですね。
で え~っと ここ本来ならば
出版社名が来るところです。
何とか書房とかね
今でもありますけど。
出版社名は 朝寝坊です。
寝ぼけだから。
狂詩ってのは 何かっていうと…
この本を大絶賛し 序文まで書いたのが
風来山人こと 平賀源内。
超有名人のお墨付きをもらった 南畝。
次は 和歌のパロディーに挑みます。
それこそが 狂歌。
四方赤良というペンネームで
詠み始めます。
「秋の夜の長きにはらのさびしさは
たゞぐうぐうと虫のねぞする」。
当初は 仲間内で盛り上がるだけの
お遊びだった 狂歌。
歌は 詠み捨てられていました。
しかし 南畝 35歳の時
一冊の本にします。
平安時代の「千載和歌集」を
パロディーにして詠んだ
「万載狂歌集」。
当時は 原稿料は出ないため
お金にはなりませんでしたが
大きな話題となります。
続いて 「めでた百首夷歌」を出版。
これを契機に “天明狂歌”ブームが
始まるのです。
「めでたい めでたい めでたい」って
全部の歌で
百首 歌い尽くすものなんですね。
和歌の人たちも 詠み継いできた
そういう伝統ある
題なんですけれども
それを全部めでたい話にしてしまって
春も夏も秋も冬も
あらゆる季節の景物も
さまざまな物事も
全部めでたいことにしてしまって
片思いもめでたいし
何なら振られてもめでたいしって
そういうふうに歌い上げた百首です。
早朝に目覚めちゃうけど
いいことをいろいろ思い出せるから
老いることもめでたいな~。
その言祝ぎであって
それで この日常を祝っていくというか
祝福していくっていう。
それが南畝たちは一年中やってますから。
そういう祝福を 毎日への祝福を
いつも生活とともにっていう
そんな感じですかね。
当時は 決して
「めでたい時代」ではありませんでした。
狂歌ブームが起こった天明3年は
浅間山が大噴火。
数万人の死者が出ます。
更に作物の不作で東北地方を中心に
「天明の大飢饉」が発生します。
度重なる災害がもたらす不安な日々。
そうした時代に現実逃避するのではなく
「日常を言祝ぐ」ことで前に進む。
南畝は 自らの貧しい日常すら
随筆「四方のあか」で「言祝い」でいます。
「我が庭には杏子の木がある。
孔子の家にもあった木で
いかにも学者らしいと
誇らしく見ていたら
長い縄が 木から家の柱に結ばれている
なんということ! 二歳になる我が子の
濡れたおしめを干す場所とは。
いとむさき庭だが
梅ばかりは枝ぶりもしゃんとして
蕾もあり 春を知らせるようだ。
猶も空を見ようとしたら
窓に吊るした手習いがはためき
棹に干した布団の臭さが
鼻につくので
障子を閉めて 布団につっぷした」。
中国の偉人や 雅な景色に
見立てようとして失敗し
それでも そんな日常も悪くないと
ユーモラスに見つめる。
南畝は こうして日常すべてを肯定し
狂歌にしていったのです。
質屋で 質流れせずに
虫干ししている 真っ赤な着物は
川に散って流れずにいる
紅葉のようじゃないか。
南畝のもとには
狂歌の指導を求める人々が殺到。
この歌なんですが…。
う~ん… ちと 下の句が気になる。
下の句ですか?
徒の仕事を続けながら
添削料やスポンサー料など
狂歌で 副収入を得られるようになります。
では「我が恋は」から始めたら
いかがでしょう。
あ~ すてきです。
(一同)お~。
この狂歌人気に目をつけたのが…
狂歌に駆け出しの浮世絵師だった
歌麿や北斎の絵を組み合わせて
出版します。
美しい絵と滑稽な狂歌の
コラボレーションは大ヒット。
江戸に文化イノベーションを起こします。
♬~
お金のために働くのではなく
好きなことが収入の道を開いていく。
南畝の新たな生き方です。
何があっても
好きなことは手放さなかったから。
手放さなかったからって言うけどさ
好きなんだもん。 当たり前なんだよ。
手放さないのが当たり前なんですね。
それ手放すようじゃ好きじゃないでしょ。
でも 何か やっぱ
ご家族がいたわけじゃないですか。
奥さんが よく許したなと思って。
いや 許さなくてもでしょ。
え~! だって…。
いや 趣味って そういうもんだよ。
え~? そうですか?
「あの人もあれさえなければね」
って言われるのが趣味だよ。
なるほど なるほど。
でも 私が奥さんだったら
いや もうちょっと そんな
狂歌ばっかりしてないで
働いてよって思いますもん。
だって お前 働けったって
給料決まってんだから
これ以上できねえんだよ。
だから 副業とか探してよって。
え? だから これで… お前
いつか売れるかもしれねえじゃねえかよ。
いや それ 本当に…
本当に駄目な旦那さんですね それね。
ちょっと今 江戸時代の
何かドラマを見てるかのような。
(笑い声)
奥さん どう言ってたか知りませんけれど。
江戸時代の武士っていうのは
ご先祖様の禄。
個人じゃなくて家に対する禄ですからね。
子孫が頑張ったって上がらないんですね。
更に 江戸に人口が集まってくると
消費が活発になるんですね。
本当は欲しくなかったんだけど
買っても買わなくても
どちらでもいいんだけれども
人が持ってるものを見ると欲しくなる
っていう感情あるじゃないですか。
あのデモンストレーション効果が
江戸では盛んになったんです。
だから武士も 俺も欲しいなって思って
何か やっぱり買うと。
そうすると…
それと武士の決まりの 何か
格式のこともやらなきゃいけない。
そうすると…
そういうことになりますね。
さっき朝顔出てましたけど
何か やたら武士が園芸やってんですよ
菊とか。
だから江戸って 世界一の
園芸都市だったんですよね あのころ。
いろんな品種の花とかあって。
多分 イギリスとかより江戸の方が
園芸が盛んだったっていう。
武士って言ってるけれども
実際には職人の仕事もやってたし
農民の仕事もやってたんですね。
俺 そこがね 江戸の文化の
すごく特徴的なとこだと思いますよ。
武士と町人が
意外に同じことやってんですよ。
え~ 知らなかった。
イノベーションっていいますかね
新しいものを生み出す時って
そういった人のつながりで
これ あの
経済学の論文にあるんですけれども…
うんうん… それ面白い。
弱いつながりのほうが
新しいアイデアが出るっていうんですね。
だから会社の… まあ あの研究所の方は
それぞれ一生懸命やってらっしゃるのは
もちろんそうなんだけど
同じ研究所のメンバーで
「ん~ 新商品は…」ってやってるよりも
あの一緒に この居酒屋で…
みたいな方が
新しいアイデアは出やすい…。
あれが やっぱ
江戸の武士と町人とか。
そういうことなんです。
たまたま そこで会った。
だから まあ 狂歌会が
まさにそれだっていうことなんですね。
そして あの ここの知恵がですね…
どうですか?
その辺り にしおかさんなんかは。
憧れますよ。
だって 好きなことが仕事になって
それがお金になるわけですから。
そうなりたいな…。
だから さっきの鍋でやりゃいいんだよ。
鍋で…。
仕事にできるよね?
えっ?
これ 何か ほら セレブの人のさ
ホームパーティーとかにさ。
料理が好きだったんで
本業では食べていけなかったけど
調理師の免許取って
居酒屋さんの調理することで
食べていけたんです まず。
っていうこと?
っていうこと。
「芸は身を助く」とも言うね。
好きだったから続いたっていう。
料理が好きだったから ず~っとやってた。
好きだったから やってんだよ。
山田さんは 何て言うか その
好きになることっていうのを
すごく大切にされてるって
伺ったんですけれども。
大切にしてるんじゃなくて
僕 雑誌の編集やってたんですよ 昔。
で その仕事って…
ほう。
僕 美術の本をやりたくて
出版社に入って 全然違う雑誌の部署に
配属されて
ファッションやれって
言われたんですよね。
別に嫌いでもなかったけど
特に好きでもなかったんですよ。
で まあ やってますよね。 例えば
ほかの会社の ライバル誌とかだと
本当にファッション好きな人が
やってるんですよ。
どうやったって勝てないですよ それは。
分かります。
で じゃあ 勝つには
自分も好きになるしかないんですよ。
で 何か 世の中の人は 好きって
自動的に向こうから降ってくるもんだと
思いがちなんだけど 結構 努力で
好きになれるもんなん…。
へえ~! どうやって?
どうやって努力したらいいんですか?
だけど だってさ
例えばさ 昔の人とかはさ
全然会ったこともないぐらいの
お見合い結婚で結婚してよ
それで結構 生涯仲よく
添い遂げてたりするじゃん。
それって お互いに多分好きになろうと
努力したからだと思うんだよね。
で なまじ 何か 恋愛が
運命的な出会いとか言ってるさ
派手な結婚式する人にかぎって
すぐ離婚するじゃん。
(笑い声)
それは…。
個人差はあると思いますけれども。
好きは 何にもしなくても
出てくるもんだと思ってるからだと
思うんだよね。
努力があるんですね。
そうですよ。
それで… いや ある程度までやると
面白くなってくるから
あとは もう自動的に。
先生 やっぱ そう考えると
やっぱり何かを生み出すには
それだけのゆとりというか
時間っていうのが…。
そうですね。
ねえ。
「豊かな生活のための時間」って
南畝の働き方を見てね
春 あれですね 90日間の日記が
南畝は あるんですけれどね
その間に どれぐらい
花を見ているかっていうとね
3日に1回ぐらい花を見て 花をめでて
歌を作ってるんですね。
やはり そして…
だから まあ…
ただ…
だから 今日的な 示唆されるものは
やはり 労働時間の短縮っていうのが
会社では やはり求められるかな
っていうふうに思いますね。
そうすると南畝は意外と
暇だったってことなんですか?
まあ 暇があったとか
時間があったってことですかね。
暇だったんでしょうね。
さっきのVTR見ても
そうでしたもんね。
何か ワーク・シェアリングで。
今回 やっぱ コロナ禍でね
にしおかさんがカービングやったりとか
っていうのはあるけど
そこ気が付いた人
たくさんいるんじゃないですかね。
いやがおうでも 俺らも もう
仕事 全然なくなっちゃって
で しょうがなくって言ったら
語弊があるんだけど
延ばし延ばししてた 時計の本
いよいよ書かなきゃいけなくなったよ
っていうんで書いたりとか。
で あと 番組の制作スタッフもね
仕事がなくなっちゃってるっていうから
じゃあ YouTubeでもやるかっつって
全然 こんなことでもなきゃ
やらなかっただろう
YouTubeやってみたりとか。
美術のYouTubeですよね?
私 見たりします。 すごい楽しいです。
ありがとうございます。
やってみたりとか。
それは やっぱり もう
暇ができたからできたこと。
皆さんも それぞれのところで
まあ そういう大変
経済的には大変だったけども
おかげでこういうことができた
っていうことはあったと思うんですよね。
だから それを これから
コロナ禍以後のあれに生かしていくと
いいんじゃないかなって
気しますけどね。
私 本当にお二人の前で言うの
本当に恥ずかしいんですけど
何か 書くことが好きなんですよ。
とりあえず時間はいっぱいあるんで
書いてみたんですよ。
で 実家のこと書いたんですけど。
で やっぱ いろんな方に
読んで頂きたいので。
あのポンコツ・ファミリーの話。
何で?
はい… 見てますよ。
え~! え~ めっちゃうれしい。
何て言うか 自分の好きなことが 全然
食べていける感じではないんですけど
あっ 仕事につながったっていうことが
すごいうれしくて。
…なんだなって すごい思いました。
なるほどね~。
さあ そんな好きなことがね
結果的に副業になった
南畝なんですけれども
実はですね その道が
途絶えてしまうという出来事が
起こります。 ご覧下さい。
南畝 39歳の時 転機が訪れます。
老中 田沼意次が失脚。
松平定信が 老中首座となり
「寛政の改革」が始まります。
いわゆる緊縮政策で
ぜいたく品や遊興は禁じられ
風紀取り締まりの強化は
出版界にも及びます。
人気作家が次々と摘発。
洒落や滑稽
改革の風刺が問題となりました。
版元の蔦屋重三郎も財産を没収されます。
南畝の狂歌仲間でも
捕縛者が相次ぎました。
そんなさなか
南畝を窮地に追い込む事態が。
定信の政策を批判する歌が
世に広まり
その作者は南畝だと うわさされたのです。
南畝は 真っ向から否定。
そして 狂歌の筆を折ります。
徒の仕事をしながら
読書にいそしむ日々が続きました。
果たして 彼の心中は?
5年後 能力を生かす
チャンスが訪れます。
松平定信が 有能な人材を登用する
試験制度
「学問吟味」を実施。
試験科目は 漢詩や歴史。
南畝が幼い頃から学んできたものでした。
ところが 制度自体の不備で試験は無効に。
2年後 第二回 学問吟味が実施されると
再び南畝の姿が。
時に46歳。
見事 主席合格を果たします。
南畝は…
給料も百俵五人扶持にアップ。
そして 次々と重要な仕事を任されます。
まずは 寛政の改革の一環で
全国の親孝行のエピソードを集める書物
「孝義録」を作成することに。
南畝は 多くの人に読んでもらうために
なんと文体から考え始めます。
中国の古典だけでなく 和歌や狂歌など
幅広い知識が役立ったのです。
「漢学者だったら 儒学者だったら
こういうふうに書くだろう」。
それから「和学者 国学者だったら
こういうふうに書くだろう」と。
それから 日常の… 「日常的に使う
文体に近いものではこうだろう」
とかいうような感じで
みんなに読めるような形で
かつ 幕府の出版物として
恥ずかしくないものにする
っていうのって それらを全部折衷して
最終的に…
続いて命じられたのは
江戸城内の倉庫に保管されていた
書類の整理。
かなり地味で気の遠くなる作業。
でも そこは南畝。
こっそり狂歌を詠んでいたようです。
狂歌でぼやきつつ 仕事も手は抜きません。
南畝が まとめた書類は
現在の歴史学に貢献する
重要な幕政史料となりました。
こうした仕事ぶりが認められ
53歳で重要なポスト 大坂銅座に赴任。
しかし 南畝は 人生を楽しむことも
忘れません。
多忙な公務の合間を縫い
本の入手と読書に励み
大坂でも知識人として
知られるようになります。
そして このころから
文人仲間たちと狂歌会を再開。
中国で銅山を意味する「蜀山」をもじり
蜀山人と名乗って詠み始めます。
更に 趣味は文芸だけにとどまりません。
「名所巡りの会」を開催。
当時の最新ガイドブック
「摂津名所図会」を片手に
さまざまな場所に足を運んだ様子が
日記に残されています。
そのほかにも 骨董の会ならぬ
価値のない古道具を集める会
なんて趣味も。
南畝は 自分たちで楽しみを
見つけ出すのがうまかったといいます。
天明の時代に彼らは 宝合わせっていう
催しをやってるんですね 2回ぐらい。
で それは 何かっていうと
煎餅焼きでもいいし
おっきな草鞋かもしれないんですけど
割と どうでもいいものを持ってきて
これが 我が家の家宝であるって
言い張るんです。
しかも 裃を着て ちょっと こう
ちゃんと 檀とかしつらえて。
いかに それが 由緒あって
家宝かっていうのは
本当は 全然違うんですよ。
全然違うのに
これは 巴御前のかんざしだとか
いろんな由緒をこじつけて遊ぶ
っていうのをやっていて
こう 思いついて
「やろう やろう」って言って
やっちゃうっていう
楽しみを発明していくっていうのって
今みたいに娯楽がない分っていうのも
あるでしょうけれど
やっぱり 発想が…
発想が柔軟だなって思いますね。
その後 再び江戸に戻った南畝。
なんと70歳で昇給したとか。
仕事も趣味も
全力投球の日々を送ります。
亡くなった年に詠んだ狂歌です。
75年 食い潰すほど
世界のご恩を頂いて
ありがたい人生だなぁ。
75歳で亡くなる最後まで
好きなことを仕事にも生かし
楽しく笑って生きる道を全うしたのです。
ここの知恵がね…
まさに そういう感じですよね 何か。
はい。 だって ちっちゃい頃に
勉強してたことが
40過ぎて生きてくるってね。
だから その 何て言うの
お金のない時代は
あったかもしれないけど
見えない財産を
いっぱい持ってたってことですよね。
すごいなっていう 何か そういう生き方
したいなって思いました。
いや こういうふうに
生きていきたいですけどね。
生きてらっしゃいますよね そうやって。
そのつもりなんですけどね。
(笑い声)
だって 五郎さんって 見える財産も
多分 いっぱいありますけど
見えない財産なんて
億万長者みたいな方ですよね。
財産とかはさ 全然ないけどさ
別になくたって
全然幸せに暮らせる自信はあるんだよね。
あっ かっこいい。 すばらしい。
あんなくだらないことを
やってりゃいいわけでしょ 友達と。
別に普通にやってるからね。
友達のみうらじゅんとも
言ってるんですけどね
我々も還暦過ぎてるわけですよ。
蜀山人の頃だったら死んでる年ですよ。
この年までね 何一つ 世の中に
役立たないことやって
暮らせてきたって すごくねえかっつって。
ねえ。 そう考えると やっぱ
無駄なものはないっていうか。
「無駄って 何だ?」っつう話だよね。
無駄って 何だ?
いや だって 無駄って…
それじゃあ 目先の今の
この時の これに役に立たないだけで
違う時の これには
役に立つかもしれないじゃないですか。
やっぱり 金のこと考えなきゃ
人生 だいぶ楽になるよ。
あの 先生の前だけど。
経済の 経済の先生の前だけどさ。
持ってらっしゃるから言えること
っていうのありますよね。
そんないらないんだって。
いやいや言ってみたいですよ そんな言葉。
私はね 「働く」っていう言葉がね
「傍」 隣っていうか周りを
楽にするっていうね。
経済学の資本主義的な
分業体制っていう意味もあれば
傍を楽しくするっていう。
だから楽しくされたら
それはもう立派なお仕事。
で ついでに言うと
傍を楽しくするのも大事だけど…
そうですよね。
だから 私は南畝の生き方っていうのは
自分が楽しまなかったら やっぱり…。
周り楽しくないもんね。
ないですし せっかくの人生ですからね
っていうふうに思いますね。
だからね 私は あの
インディペンデント・ワーカーって
言ってるんですけれども
組織に所属するとかしないとかに
かかわらず 主体性を持って生きていく
生き方が これからの時代の人には
必要なんじゃないかなっていうふうに
思ってるんですね。
分かります 分かります。
自分らしく主体性を持って
だから やりたいこと…
だから 松平定信さんの寛政の改革の
「学問吟味」って画期的ですね。
いわゆる公務員昇格制度を
新たに作って
家柄に関係なくっていうことですけども。
じゃあ 頑張ろうかって
急にやったって間に合わないですね。
やっぱ 南畝のように
ず~っと そういうことやってたから
できるだけだし。
俺 そのためには
雇用の流動性っちゅうものを
もうちょっと高めないと。
日本ぐらいじゃないですか
「お仕事 何ですか?」って言われて
会社答えるの。
うんうん。 確かに そうですね。
そこは「編集者です」とか言うんだけど
「講談社です」とかさ 「小学館です」って
「そこで何やってんですか」って もう一回
聞かなきゃいけないじゃないですか。
だから あの「どこどこ会社で
経理の仕事をしています」
って言うわけじゃなくって
「私は経理のプロです。
で たまたま その会社で働いています」。
「もっといい給料くれるとこあったら
行きまっせ」と。
その考え方を
変えるっていうことなんですよね。
それが主体性。
うん じゃないかと思うんですけどね。
だって それで考えていけば
無駄っつうことはないですよね。
私 だんだん 南畝が
五郎さんに見えてきました。
何か 同じような感じしますよね。
私 すごいなと思うのは
南畝さん 70歳で昇給してるんですね。
そう… すごいですよね。
それが 私はすごいと思うよ。
すごいですよね。
今の日本で
65まで働ける企業
増えたかもしれませんけど
70っていうと
なかなかないような気がするし。
更に70の段階で昇給させてくれる会社って
なかなかないと思いますね。
個人差はあるかもしれませんけど
働きたいと思う人には
働く場所がね
やっぱり あるといいと思うし。
働ける人 働きたくて働ける人はね
働いてもらった方がいいですよね。
もう 髪ないんだもん。
ここ… 俺みたいに
ここを こう持って…。
まげ。 まげが後ろから…。
もう店長が 何て返していいか
分かんなくなってるじゃないですか。
いや でも…。
親近感湧くなと…。
五郎さんに見えます 確かに。
いや 今日お越し頂いてよかったですよ。
ねえ。 でも どうですか にしおかさん。
南畝の働き方 参考になりましたか?
とにかく あの 好きなことを手放さないと
心の支えになるし
あと その 例えば
好きなことが仕事になった時に
その仕事が大変になっても
好きだから頑張れるじゃないですか。
で 例えば その好きなことが
収入を得られるようになった時
それは やっぱ 生活の支えになるので
どう転がるかは分かんないけど
自分が すてきな人生を過ごすには
すごく大切なことなんだなって
思いました。
にしおかさん 来年ぐらい
カービングとポンコツ家族で
一山当てちゃってるからさ。
ちょっと雑に言わないで下さい。
でも すごいうれしいです。
ありがとうございます。
楽しみですね でもね。
楽しみだよ。
そうなって また来て…。
加納先生に ちょっと税金の相談して…。
本当 ありがとうございます。
すてきな居酒屋さん。
新たなつながりもできたということで。
羨ましいですね。 ベストセラー。
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