出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 水谷隼[解][字]
~東京オリンピック金メダリストの素顔~水谷隼さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
東京オリンピック卓球の混合ダブルス金メダリスト・水谷隼さんがゲスト。
◇番組内容
コンビを組んだ伊藤美誠さんとは出身が同じ静岡のご近所さんで、昔から家族ぐるみの付き合いだったという。水谷さんは卓球経験者の父母からスパルタ教育を受け、それが嫌で親から離れたいがために中学でドイツに卓球留学をしたが、今では鍛えてくれた両親に感謝していると語る。卓球選手だった妻は結婚と共に引退し、水谷さんを心身ともにサポート。現在7歳の愛娘は可愛い盛り!学校行事は必ず参加しているという父親の一面も。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- プロ
- 奥様
- 今日
- 試合
- 小学校
- 状況
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(水谷・伊藤)「よっしゃー!」
「(歓声と拍手)」
(黒柳)日本卓球界の男子
第一人者でいらっしゃいます。
東京オリンピックでは
卓球混合ダブルスで金メダル。
水谷隼選手です。
どうぞ こちらにおいでください。
よろしくお願いします。
どうも よろしくお願いします。
私も この試合には感動しました。
どうも おめでとうございました。
どうも。
でも その直後に 引退を
まあ あの… 決意なさったので
今日は 奥様の事とか
それから
7歳のお嬢さんのお話とか
いろいろ伺わせていただきたいと
思います。
水谷隼選手です。
日本男子卓球界の第一人者。
オリンピック すごいんですよ。
東京で4度目なんですね。
はい。 北京から
出させていただいています。
そうですってね。
で リオで 日本人初の
個人メダリストに
おなりになったっていう事です。
北京 ロンドン リオ 東京と
4度 お出になったっていう事で。
それで 伊藤美誠選手と一緒に
混合ダブルスで金メダル。
はい。
そうですよね。
あの… 伊藤美誠さんとは
12歳年下で
ちっちゃい時から
お友達だったんですって?
はい。 地元の
静岡県の磐田市という所で
一緒に育って。
両親がやってる
卓球少年団で
伊藤選手も同じように
練習をやってまして。
そうなの? ちょっと
見ていただいていいですか?
こんな関係だったのね
ちっちゃい時ね。
そうですね。
この時は まだ 伊藤選手も
5歳とか6歳で。
フフフフ…!
将来 オリンピックに
出場するような選手だとは
思ってなかったですね。
でも あなた 妹みたいに
可愛がってた
っていう感じかしら。
はい。 年末年始とか
よく 伊藤家に
遊びに行ってました。
そうですか。
こんな感じよ 皆さん。
じゃあ ちょっと
もう少し…。
あっ 可愛い。
こんな可愛いのね。
やっぱり 随分…。
僕が まだ高校生の時ですね。
伊藤選手が まだ
本当に 6歳ぐらいの頃だと
思います。
可愛い。
なんか あの… 映像あります。
混合ダブルスで
金メダルをおとりになった時の。
ちょっと 見せていただきます。
美誠さん います。
(水谷)「よっしゃー!」
うわあ…。
大事な4ゲーム目
取った時ですね。
ねえ すごい。
(水谷・伊藤)「よっしゃー!」
すごい! フフフフ…!
ここで すごく抱き合ってるんで
みんな あの…
そんな抱き合っていいの?
なんて思った人も
いるのかもしれないけど
ちっちゃい時 おんぶしてた子が
そうですもんね。
はい。 まあ オリンピックで
金メダルとるっていうのは
やっぱり
一生に一度ぐらいしかないので
このぐらいの時は ハグしても
いいんじゃないかなと思いました。
そうですよね。 それで あの…。
まあ 伊藤選手に抱き付く場面…
抱き付くのかどうか。
ちょっと もう1回
ちょっと 映像 見てみます。
ここまでスローで見るの
初めてですけどね。
そうですね。
そう… すごく…。
ちょっと こう
当たっちゃったんですよね。
僕が こう 触った時に
耳の飾り物に当たってしまって
ちょっと痛がってるところですね。
そうなの?
それは気が付かなかったけど。
そうですか。
でも あの…
さっきの 一番最初の
おんぶしてる
あの写真から考えると
面白いですよね。
はい。 本当に なんか こう
運命を感じますよね。
そうですよね。
ちっちゃい時…
こんなですもの。
こういう関係
だったわけなんで。
これ なんか
本当に お兄ちゃんと
小さい妹
っていう感じだけど
それが同格で… ねえ
オリンピックではね。
「同格」って言うと
変だけど。
この写真から 多分
15年ぐらい
経ってるんですよね。
あっ そうなの?
僕が
高校生ぐらいの時なので
今は もう32になったので。
15年経って
一緒にオリンピックで
金メダルを獲得できたという事で。
こういう時も
あったわけですもんね。
随分 でも 偶然ですよね
そういう方が
近くにいらっしゃった
っていう事がね。
はい。 なかなか
他の競技 探しても
いないと思いますね。
そうですよね。
こんな… こんな小さかったの。
可愛い。
でも 可愛かったですか?
ちっちゃい時。
もちろん はい。
卓球選手の
伊藤選手っていうよりも
本当に 近所の小さい娘
っていう感じで見てたので
それが
だんだん成長する事によって
もう 伊藤選手っていう感じで。
アスリートとして
すごくリスペクトしています。
そうですか。 近いって
どのくらい近いんですか?
歩いて。
歩いて10分ぐらいですね。
じゃあ 本当に近いわね。
本当に近いです。 はい。
でも そういう あんな
おんぶしたりなんかしてる子と
本当に 組んで オリンピックに
出るようになるなんて
思ってもいらっしゃらなかった
でしょうね。
はい。 リオのオリンピックで
一緒にオリンピック
出させていただいて。
あっ そう。
はい。 そこで
お互いが こう
団体戦でメダルを獲得して。
ただ そこから こう 5年経って
今回 新種目で
混合ダブルスが
新しく競技に採用されて
そこで こう 一緒に組んで
金メダルっていうのは
誰も予想していなかったと
思います。
そうですよね。
なんか 7年前に亡くなった
おじい様に見せたかった?
はい。
この写真ですね。 はい。
僕の祖父がですね
試合に行くと 必ず
応援に来てくれたんですよ。
あっ そう。 うん。
祖父が まだ こう…
伊藤選手がオリンピックに
出場する前なんですけど
将来 一緒に
混合ダブルス 組んで
オリンピックで 金メダル
とってほしいなって
ずっと言ってたので。
本当に?
はい。
予言者みたいでしたね。
そうですね。 天国で すごく
喜んでくれてると思います。
あっ そうですか。 それは
ようございましたよね。
でも
生きていらっしゃる時だったらね
もっとよかったのにね。
はい。
おばあ様も… ご健在なんだけど
おばあ様は なんか
私のファンなんだって?
そうですね。 いつも
番組 見てるという事で
今日 収録あるという事で
すごく…。
あっ そうですね 秀子さん。
はい。 祖母。
秀子おばあ様?
はい 秀子おばあさんですね。
すごく喜んでると思います。
間違いなく。
秀子おばあ様 どうも。
見てくださって
私の事を好きでいてくだすって
ありがとうございます。
今日 お孫さんと
うまくやりますので
どうぞ 最後まで
ご覧になってくださいませ。
でも とにかく まあ
開催反対の いろいろ
あったりしたんだけど
その時は どうでした?
オリンピック選手は
ほとんどの選手が
開催に関しては 声を上げずに
もう 受け入れるしかない
状況でしたね。
そうか。
国民の皆さんの声っていうのは
響いてましたし
反対っていうのも
わかってましたし。
でも 僕らにとって
オリンピックを
やっぱ 開催していただかないと
自分の仕事もないですし。
そうですよね。
家族を養うためにも
オリンピックは
やってほしいなっていう。
ただ もちろん 一国民として
オリンピックを
この状況の中でやるのは
どうなのかっていうのは
やっぱり 感じていたので。
なるほど。
成り行きを こう
見守るしかなかったですね。
でも もし なくなったら
残念だっていう気持ちは
あったでしょうね。
はい。
もともと リオのオリンピックで
引退も考えていたので
それが こう 5年間延びたのは
やはり 東京でオリンピックが
開催されるからという事で
この5年間 ずっと
オリンピックのために
練習してきたので
やりたい気持ちは強かったです。
そうですよね。
でも よかったですよね。
やれてね 本当にね。
これは あなたですよね?
これ 僕ですね。
5歳の ちょうど始めた時ですね。
これ あなた…?
はい。 これ 僕です。
お父様も お母様も
卓球の選手だったんですって?
あなた。
僕の両親 両方とも
卓球やってました。
きょうだいも卓球やっていて。
もう 本当に 一家で。
一家 卓球?
一家 卓球で…。
すごいですね。
じゃあ 厳しかった?
厳しかったですね。
じゃあ
練習 サボったりできない?
練習 ほとんど毎日
してたんですけど
つらい時もあるじゃないですか。
そういう時は なんか
車で こう 寝たふりとかして…
起きてるんですけど
寝たふりをして そのまま
練習をやらなかったって事は
何度かあります。
あっ そうなの。
それは つらいでしょうものね。
ちょっと VTR
その頃の映像があります。
ちょっと ご覧ください。
これは 5歳の時ね。
あそこのピンクの子が そう?
はい。 卓球 始めた時ですね。
ちょっと大きく…。
向こうに…
向こうにいるのが そう?
ピンク色が。
あんな小さくても
本当に うまくいくのね。
あら… あれじゃ 遊ぶ時間なんて
なかったでしょ? あんまり。
なかったですね。
僕 卓球以外にも
ソフトボールやったりとか
そろばん 習字 ピアノと
習い事が非常に多くてですね。
大変。
もう 毎日 忙しかったです。
ねえ。 そこに卓球も入るんだから。
ご両親に
反抗なすった事はないの?
一度だけ あります。
あっ そう。
はい。 一度だけ こう…
もう 卓球できないと。
もう やりたくないっていう風に
言った事があって。
ただ 次の日に 両親に
無理やり
練習場に連れて行かれて
あっ 自分は もう 一生 卓球から
離れられないんだなと思って
そこで もう 諦めましたね。
あっ そうなの。
無理無理 連れて行かれたの?
はい。
無理やり連れて行かれました。
可哀想。
でも 小学校の卒業の時の色紙に
ちょっと あの… その色紙が
あるみたいですけども。
そう これ。
「卓球一筋」って あなた
お書きになったんですね。
書きましたね。 はい。
「卓球一筋」と書きました。
だから やっぱり
小学校の時に…
もう 卒業の頃ですけど
卓球一筋だったの? その頃。
そういう気持ちも
ありましたし
「卓球一筋」って書けば
両親が喜んでくれるんじゃ
ないかなっていう。
そうね。 そういう事は
あるかもしれませんよね。
まあ… なるほど。
練習みたいなものはイヤだけども
卓球に対しては
卓球 好きっていう気持ちは
あったのかもしれないわね。
卓球は すごく好きでしたね。
試合は特に好きでした。
そうですか。 練習がイヤだった?
練習は…
両親が やはり 厳しくて
試合で負けたりとかすると
「なんで負けるんだ」って
すごく怒られていたので。
まあ その… 留学なすった?
14歳でドイツに留学しました。
ええ。
それ やっぱり 卓球…?
卓球のプロとして
生きていくためですね。
どうでした?
そしたら ドイツでは。
当時は まだ
携帯とか インターネットとかも
全然普及してなかった時代なので
今 行くのと
やっぱり 当時 行くのでは
全然違うと思いますし。
5年間 行っていて
まだ 中高生の時代だったので
学校に行きたいなとか
勉強したいなっていう気持ちも
ありました。
日本語でしゃべってね。
はい。
でも ドイツ語は
うまくなりました?
ドイツ語 最初
勉強してたんですけど
まだ 英語もわからなかったので
英語を まず勉強しようと思って。
はい。 これ ドイツの
留学の頃の写真ですね。
これ 中学3年生の時ですかね。
これは…。
周りの人 なんか
大人みたいに見えるけど。
はい。
もう プロのチームに交じって。
プロのチームに交じって?
はい。
これ 3部リーグの時ですね。
中学2年生から3年生の時に
所属していたチームで。
へえー すごい。
スポーツの名門中学にも
入学なすった?
青森山田中学校に。
あっ そう。
ドイツに留学するのと同時に
青森山田中学校に転校して
より こう
卓球に専念できる環境に。
なるほど。 でも なんか
青森弁で苦労なすったって?
青森弁は… 学校とか行くと
全然 言葉わからないんですよ。
なんか ノーパン…
ノーパン伝説っていうのが
あるそうですけど
なんですか? それは。
その青森山田中高の伝統で
ノーパンで卓球をする
っていうのがありまして。
僕も 14歳から
引退するまで18年間
ずっと ノーパンで
卓球をしてきました。
それ 本当なんですか…?
みんな そうやってたの?
そしたら。
僕は ずっと やってましたし。
ただ 僕が
青森山田を卒業するのと同時に
その伝統っていうのが
なくなったみたいで
今 卓球選手は結構 パンツ
はいてる人が多いみたいです。
でも パンツはかないで
卓球やるのってイヤじゃない?
パンツをはかないと…。
パンツをはいてしまうと
逆に落ち着かないんですよね。
あっ そう? ない方がいい?
はい。
ノーパンに慣れてしまうと
ノーパンの方がやりやすい。
あっ そうですかね。
まあ 東京オリンピックの
決勝前夜に
考えていらした事っていうのは
どういう事でした?
本当に
しょうもない事なんですけど
その パンツをはかない…。
まあ なんか こう
爪痕を残さなきゃいけないなと
思って。
インタビューで
絶対 使われるじゃないですか。
ジェスチャーで こう
「パン」「ツー」「わす」「レター」
っていうのを
生放送で ちょっと
やろうとしてて
まあ 結局 やらなくてよかったな
っていう話です。
そうなの?
でも それ やろうと思って
稽古してたの?
やろうと思ってたんですけど
よくよく考えたら 多分 決勝前で
頭が ちょっと
パニックになってたんでしょうね。
そういう おかしな方向に
ちょっと
向かってしまっていたので。
試合終わって 冷静になって
あっ これは
やっちゃいけないなと思って。
やらなくてよかったって?
やらなくてよかったって話ですね。
奥様とは 8年前に
結婚なすったんですってね。
はい。 かなり長いですね。
ねえ。
お知り合いになった
きっかけは どういう…?
青森山田中高の
先輩 後輩だったんですよ。
あっ そうなの。
僕が高校生で 妻が中学生で
そこで知り合いになって
お付き合いをして
そのまま結婚しました。
随分 スムーズにいきましたね
なんか。
長かったですね。
6年半ぐらい付き合って
そのまま結婚しましたね。
奥様は卓球やらない?
卓球やってました。
卓球やってたのね。
はい。 卓球やってて
そこそこ実力もあったんですよ。
そこそこ強くて
スウェーデンに
留学したりとかもしていて。
あっ そうなの。
はい。 すごい強い選手でした。
そうなんですか。
それで あの 青森のところで…。
はい。 青森山田中学校 高校で
付き合って
19歳ぐらいに 妻は卓球をやめて
僕はプロの道に進んでいきました。
奥様 やめたんですか 卓球。
やめました。
そうですか。
それは結婚するために?
その時は
調理師学校に行ったんですよね。
へえー。
調理を学んで そのあとに 今度
マッサージの練習もして
資格も取って。
すごい。
調理師免許とマッサージの資格を
持ってるので。
全部 あなたのためになるように?
はい。 そうです。
すごく助かってます。
そうですか。 じゃあ 今でも
やってくださる? マッサージは。
今でも… はい。
あなたは 家事は やらない?
家事…
やらないかもしれないですね。
ちょっと ダメかもしれないです。
そうですか。
でも 随分 いい奥様に
お会いになりましたよね。
うれしいですね。 はい。
ねえ 本当 おめでとうございます。
でも ちょっと
かかあ天下のところも
あるんですって?
僕は…
怖いかな。 ちょっと やっぱり
怖い部分はありますよね。
そう?
はい。
やっぱり 家に こう
普段 やっぱり
いれない事 多かったので
今まで 合宿とか 海外遠征とかで
どうしても こう
家を空ける事が多くて
その都度 ちょっと 申し訳ないな
っていう気持ちが多くて。
妻には
調理師の学校 行ったりとか
マッサージの学校
行ったりとかで
なかなか こう
自分の時間をあげれなかったので
そこで すごく申し訳ない気持ちで
いっぱいではあります。
そう。 じゃあ 今は どうです?
今だと… 子どもの面倒とかも
やはり 妻に
どうしても頼りっきりに
なってしまっているので
少しでも自分が
もっともっと こう
家族と寄り添って
やっていきたいなとは思ってます。
お嬢さん いくつになりました?
7歳です。
あっ じゃあ もうじき…
もう 小学校 入るのね。
今 小学校1年生です。
1年生。
じゃあ 可愛いでしょ?
はい。
最近… それこそ 本当
数日前に 運動会も
一緒に行きました。
そうなの。 へえー。
でも あなた 運動会行くと
みんな 見るでしょ?
結構
声は掛けられましたね。
そうですよね。 へえー。
これは ちっちゃい時…。
これ ちっちゃい時ですね。
ちっちゃい時 可愛い。
今は もう それじゃあ
小学校 入ってるんだから
もう お姉ちゃんだわね。
今 もう
かなり達者なんですよ 口が。
なんでも達者で。
他の子どもと比べても
がたいもいいですし。
あっ そうなの?
はい。 かなり大きいんですよね
クラスの中でも。
あっ そう。
すごい口も達者で。
変な 余計な事 言えないなと
思いました。
でも 卓球は やらない?
卓球やってたんですけど…
やめちゃったんですよ。
あら。
半年ぐらいで。
ふーん…。
オリンピック終わってから
もう一度 こう
卓球やりたいような事を
言い出して。
昨日も ちょっと
卓球やったんですよね。
もしかしたら また
卓球を始めるかもしれないです。
やってくれたら うれしい?
うれしいですけど
教える事は
ちょっと できないですね。
あっ そう。
厳しい世界なので。
楽しくやってほしいです。
そうか。
あなたが教えると やっぱり
厳しくなっちゃうのね。
負ける姿 ちょっと
見たくないですよね。
やっぱり やるからには
優勝してほしいし。
そうか。 じゃあ やるなら
もう 楽しくやるっていう方に
なってほしい?
はい。 趣味でいいと思います。
プロを目指すんじゃなくて
趣味で 楽しくやってほしいです。
なるほど。 なかなか…。
でも あなた 随分
バラエティーの番組に
出ていらっしゃるんでしょ?
この頃。
オリンピック終わってからは
たくさん
出させていただいています。
そうですってね。
バラエティーの番組は
どうですか?
すごく新鮮で
いろんな事 学びながら
全力でやらせていただいてます。
フフフフ… そう。
全力でやってるの?
全力でやってます。
まだまだ やはり 未熟なので
いろんな事 吸収しながら
いろんな先輩方の動きとか
いろんな事を学びながら
自分自身が成長できるように
頑張ってます。
水谷さんが
引退を決意なすった時に
なんで そんなに早くって
みんな 思ったんだけど
実は
目の病気があったんですって?
2018年の頃から 少し こう
ボールが見えないような状況が
ずっと続きまして。
最近 わかったんですけど
ビジュアルスノウと呼ばれる
症状で。
これから ちょっと
回復する見込みもないという事で
引退を決意しました。
それは どういう… スノウって
雪が見えるみたいなの?
普段の こういう風に見てる時に
雪というか こう…。
そうですね。
雪が降ってるような状況で。
なかなか こう…
特にボールとか こういう
しっかりと物を捉える事が
できないですね。
ボールの周りに こう
雪みたいなザラザラしたものが
見えるっていう感じです。
でも それで
試合やってらしたんですか?
あなた。
やってました。
じゃあ どなたにも
それ おっしゃらないで?
ビジュアルスノウとは
言ってないですね。
ちょっと目の調子が悪いとは
言ってたんですけど。
あんまり こう 周りには…
多分 知らないと思うんですね。
ビジュアルスノウって
言ったところで 多分
わからない人が多いと思うので。
その時は 目薬が5本ぐらいと
飲み薬だったりとか
コンタクトレンズしたりとか
サングラスしたりとか
とにかく 1日でも こう
状況が悪くならないように
本当に 毎日毎日
延命するような状態で
頑張って やってました。
大変でしたよね。
10月末に引退試合を
地元で なすったでしょ?
はい。
その時は その目で…
当たり前ですけど。
その時は そうですね。
その時は こう
サングラスもしないで
やりたいと思ってたので
オリンピックの時よりも
ちょっと こう
パフォーマンスが
悪かったんですけど
最終試合は 無事に勝つ事ができて
本当に よかったです。
あっ そうですか。
ビジュアルスノウ症候群の方は
何人か 日本にも
いらっしゃるんですけど
なかなか こう 眼科とか行っても
診断されない
難しい症状なので。
あっ そう。
はい。 かなり困っている人が
多いと思います。
ましてや あなたのように 卓球の
その白い ちっちゃいボールを
見なきゃならないんだとね。
それは大変ですもんね。
ですから まあ 引退なさった
っていう事なんですけども。
引退なすった時
後悔 ありました?
なかったですね。
あっ そう。
オリンピックで金メダルとった
っていうのもありますし
自分の競技人生を振り返った時に
やり切ったっていう気持ちの方が
圧倒的に多かったです。
あっ そうなの。
じゃあ おめでとうございます
っていう事ですよね。
はい。
そうですか。
今日は出ていただいて
本当 よかったです。
お目にかかれて。
ありがとうございます。
拝見した時は
どういう方なのかなと
思ってましたけども。
そういう物静かな方だとは
思わなかった。
普段 物静かなの?
あなた そういう風に。
普段 物静か… 物静かですか?
ねえ。
結構 静かですね。 はい。
ねえ ちょっと 物静かに…。
引退後の計画っていうのは
何か あるんですか?
今 模索してるとこはありますね。
はい。
いろんなお仕事させていただいて
自分がやらなきゃ
いけない事だったりとか
周りに
必要とされてる事だったりとか
いろんな意見を聞きながら
自分が何をやるべきなのか
というのは
すごく探しているところです。
そうですか。
まあ あなたがやりたい事と
お仕事がね
うまく一致するといいですよね。
はい。
でも それにしても まあ
とにかく ご苦労さまでしたね。
目が そんなになってるの
みんな知らなかったんだろうから。
それを思うとね。
おめでとうございました。
今日は出ていただいて 本当に…。
金メダルも。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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