出典:EPGの番組情報
歴史探偵「遣唐使 極秘ミッション」[解][字]
1300年前、中国に渡った遣唐使。大海原を越えた遣唐使船と驚異の航海術を徹底解明!中国で見つかった石版には、遣唐使の謎のミッションに迫るカギが秘められていた。
番組内容
1300年前、異郷の地・中国へ旅だった遣唐使。大海原を越えた船を最新科学で分析。遭難が相次いだという従来のイメージを覆す驚きの航海術が明らかに!中国では、唐の時代に作られた謎の石板を調査。そこには遣唐使に課せられたミッションに迫るヒントが隠されていた!さらに遣唐使が日本に持ち帰ったあんなもの、こんなものも紹介。みかんを食べれるのも遣唐使のおかげ!?古代の日本が挑んだビッグプロジェクトの真相に迫る。
出演者
【出演】佐藤二朗ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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- 時代
- 日本人
- 墓誌
- 宇宙船
- 宇宙飛行士
- 影響
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
これはわれわれ専門家も
そうなんですが
♬~
今から1, 300年前
遠く離れた異郷の地へ旅立った
日本人がいました。
最先端の知識や文化を得るため
大航海に挑みました。
今回 遣唐使が乗った船を
徹底調査。
唐の都に たどりついた遣唐使たち。
謎のミッションに取りかかります。
その活動を知る手がかりを
中国で発見。
そこに
レジェンド遣唐使が残した足跡が!
ベールに包まれていた秘密が
今宵 明らかに!
日本にもたらされたのは
最先端の知識だけではありませんでした。
恐ろしい疫病が来襲。
日本中に蔓延します。
奈良時代に巻き起こった パンデミック。
危機に立ち向かったのも
遣唐使たちでした。
日本の歴史を変えた
ビッグプロジェクト。
その真相に迫ります。
「歴史探偵」 調査開始です。
♬~
副所長 これ いきなり この机の上に
私の前に宇宙船が 模型が。
そう! ちょっと ワクワクしません?
これね スペースシャトルでしょ?
所長の目の前にあるのが
「クルードラゴン」という
あの宇宙飛行士の野口聡一さんが乗った
最新型の宇宙船なんですよ。
あら~!
ちょっと並べてみちゃいました。
いや~ これで 火星とか月とか
未知の世界に飛び立つわけだね。
そう 飛び立つって すごいロマンがあるし
夢がありますよね。
ただね 副所長 ごめん。
ここ 歴史を探偵する事務所なんで
私らの業務
歴史を こう あれするんで
宇宙船 関係ないから
置かれちゃ困りますよ。
いや~ もう これ
関係があるんですよね。
何ですか。
あなたさ!
すいません。
ちょっと森田探偵。
はいはい。
あなた ドアノブより腰が低いって
俺に言われたくて
わざと低く入ってきてるよね。
そんなに低く…。
分かります?
実は これね…
歴史ですよ?
あるんです。
今から 1, 300年ほど前の奈良時代に
宇宙飛行士のように
大冒険をした人たちがいました。
それが 今回のテーマ…
出た! 遣唐使な! 習った。
習って以降は
もう ちょっと忘れかけてた。
確かに。 話題に上らないですかね
日常生活では。
あんまり普通のさ ファミレスとかでさ
「ねえ 遣唐使 どう思う?」
っていう話題にはなりませんからね。
なかなか ならない。
でも 今夜は
そんな会話が弾むかもしれませんよ。
おお 遣唐使。
おっ 弾ませましょう。
どういう人たちがいたかといいますと
こちら。
有名なところで言いますと 空海や最澄。
それから
奈良の天才と言われた 阿倍仲麻呂など
こういった人たちが 遣唐使の一員として
中国 唐に渡っていたんですよね。
彼らは 今の…
その使命というのは
当時 先進国の中国 唐から…
ただ その旅路が大変だったんです。
こちら。
日本の奈良の都 平城京から
ぐぅ~っと 中国の都 長安まで
その距離 2, 500km。
それは もう
2, 500kmって大変じゃないの?
大変ですよ。
大変なんですよ。
陸路と海路 合わせて 数か月かかった。
うわ~ 数か月!
1, 300年前 奈良時代?
はい。
…に宇宙飛行士のような大冒険。
はい。
で その大冒険に
欠かせないものといいますと
移動手段の船ですよね。
まあ そうですよね。
古代の宇宙船とも言える
遣唐使船について調査してきました。
それで これか。
平城宮跡にやって来ました。
この平城京を旅立った遣唐使たちの
気持ちに 少しでも近づこうと
今日は このように
奈良時代の貴族の格好になってみました。
格好から入るなあ。
何か 似合っちゃって
すみません。
あっ ありました 遣唐使船。
あっ かなり大きい。
思った以上の大きさがありますね。
現れたのは…
数少ない絵画史料などをもとに
再現されたものです。
こんにちは~。
こんにちは。
「歴史探偵」の森田と申します。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
船を案内してくれるのは
古代史が専門の…
古代の宇宙船とも言える 遣唐使船。
どんなものだったのか
早速 調査開始です。
「遣唐大使の部屋」。
「遣唐大使の部屋」ですか?
あっ 外観も 結構 まあ立派な…
ちょっと 社のような印象すら
ありますよね。
じゃあ ちょっと中 失礼します。
おお~ これが
遣唐大使の部屋… ですか。
ん?
(馬場)そうです。
でも これ…。
狭いか。
大海原を駆け抜け
唐へ向かった遣唐使船。
船に乗り込んだのは
外交使節である大使をはじめ
留学生や僧侶たちです。
更に 船乗りたちが加わり
多いときで 総勢160人と
ぎゅうぎゅう詰め。
ほとんどの人は…
数週間に及ぶこともあった航海。
最も大事だったのが…。
あっ お湯で戻すと ほんとに
あの スプーン入れた感じは
普通のごはんのような。
(馬場)ねえ?
どうですか?
しゃべれ。
食べられます。
(馬場)なかなか いけますか?
めちゃめちゃ おいしいってわけじゃ
ないですけど
「ごはん」ですね。
ちょっと 多分 乾燥させたからか…
フリーズドライみたいな。
おかずは 干し肉や干し柿など
日もちするものが出されたといいます。
長期保存ができる宇宙食と
ちょっと
似ているかもしれませんね。
食事と共に欠かせなかった水。
1人 1日0.7リットルと
切り詰められていました。
まあ やっぱ そう考えると
やっぱ 今 宇宙飛行士の人たちが…
そうですね。 まあ あれほど 何か
すてきな大宇宙ではないですけれども
でも やっぱり 次の…
だとしたら
このくらいの味のクオリティーだったら
まあ 僕は 十分 我慢できるかなって
感じも… あれ?
そうでもないですか?
完璧な答えです。
渡れるかなあ。 いけます 大丈夫です。
唐に向けて旅立った遣唐使たち。
待っていたのは
大海原を越える航海です。
東シナ海は
嵐や しけが頻発する
危険な海。
遣唐使船の多くは
唐に たどりつけず 遭難した
というイメージありませんか?
そういうイメージあるね。
日本史の教科書にも…
…と書かれています。
しかし 残された記録を
調べてみると
航海は 意外に高い確率で
成功していたことが分かってきました。
まずは 失敗が多かったと言われる
中国からの
帰りの航海。
7割以上が
無事 日本に
たどりついています。
行きに至っては
なんと9割以上。
驚きの成功率です。
遣唐使たちは
どのようにして 航海を成功させたのか。
その謎を解くため
訪れたのは 神戸大学。
(スタッフ)先生 よろしくお願いします。
内山です。 よろしくお願いいたします。
気象条件と航海の関係について
研究しています。
8世紀になると
遣唐使の多くは
九州から
東シナ海を抜けて
中国へ向かう航路を
とりました。
長江沿いの都市 揚州で
入国手続きをしてから
唐の都を目指します。
問題なのは やはり海。
航海が長引くほど
嵐や しけに遭う確率が高まります。
いかに 早く着くかがポイントです。
では どの時期に船を出せば
早く着けるか。
風向きなどのデータをもとに
月ごとに シミュレーションしました。
例えば 4月。
揚州を目指すなら
長江の河口に着くのがベストですが
到着した場所は バラバラ。
しかも
2週間以上 かかりました。
12か月全てを調べてみると…。
こちらは
9月のシミュレーションの結果。
ほとんどの船が
長江の河口付近に到着。
進行方向に向かって吹く
風のおかげで
4日程度で 着きました。
一番 時間がかかった
4月の¼ほど。
これは 大きいわな。
つまり 遣唐使たちが
9月前後に航海していれば
中国まで
最短で たどりつけるはずです。
実際の航海は どうだったのか。
当時の記録を調べてみると…。
なんと
ベストシーズンの
8 9 10月に
集中していました。
遣唐使たちは 九州の漁師たちから
風向きについての情報を入手し
最も早く たどりつける時期を選んだと
考えられます。
当時の人たちは…
高い航海術を身につけていた 遣唐使たち。
しかし もう一つ
乗り越えなければならない壁が
ありました。
それは…
波が高く 壊れやすい船だと
とても 渡りきれません。
時に 大きな波を受け
船が沈んでしまうことも。
う~ん もう 壊れちゃったら
おしまいですわな。
この問題を どう解決したのか
答えを求めて九州へ。
おっ 今度は九州。
(スタッフ)先生 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
古代の船に詳しい…
遣唐使船と似た技術で造られた
中国の沈没船をもとに
精密な模型を作り上げました。
それが こちら。
特徴は 船底にあるといいます。
船体を仕切る細かい板を
ご覧になること できますかね。
こちら…
(木村)これが あることによって…
そういう造りをしています。
船を補強する仕切りである…
これがないと 大きな波を受けて
船体に力が加わった時
最悪の場合
折れ曲がる危険があります。
しかし 隔壁があれば
波の力にも耐えられ 船は安全です。
そうか そうか
そうか そうか。
何か 衝撃を
逃がすような感じ。
どうやって
最先端の造船技術を身につけたのか。
実は この技術革新を起こしたのも
遣唐使自身でした。
新しい遣唐使船が出来る前
それまでの船で
何とか 唐にたどりついた遣唐使たち。
中国で最先端の造船技術を
目の当たりにしたと考えられます。
その知識を持ち帰り
日本で造り上げたのが
この遣唐使船だったのです。
気象の知識と船の技術で
大海原を乗り越えた 遣唐使たち。
これまでの常識とは異なる
新しい姿が見えてきました。
遣唐使船って 結構
遭難してたイメージ
強かったですよね。
あります あります。
ほんとに
遣唐使の方々には申し訳ないんだけど…
何か そういうふうに
習ったようなね。
今でも ああ そうですか。
僕も 5年前までは そういうふうに…
例えば 有名な鑑真さん
鑑真 はいはい。
彼が 2回
やっぱり遭難してるので。
あらま 2回も。
はい。 で 鎌倉時代になると
遭難した時の絵まで
描かれてしまって
やっぱり
そういうイメージが
強くなっちゃってるんですね。
はい。 意外に成功率がね 高いんですよね。
で 所長。 さあ 遣唐使たちは
唐の都である長安に たどりつきます。
遣唐使たち どんな未知の世界を見たのか
ちょっと のぞいてみましょう。
さあ 長安は 最盛期には
100万もの人が暮らした
世界最大の都市の
ひとつだったんですね。
で 町の形
碁盤の目のようになってますよね。
そうだね。
何か ほんとに京都みたい。
そうなんですよ。 実は奈良の平城京とか
京の都である平安京も
このような町を
まねして つくったんですね。
この長安を 影響を受けて
つくったんだ。
そうなんです。
では 町の中 行ってみましょうか。
どうですか?
いや~ まあ 活気がありますね。
いろんな人がね 実は集まっていて
中央アジアや
遠くは ヨーロッパなどからも人が訪れた
まさに 国際都市だったんですよね。
市場に行ってみますと
こんなものが並んでいます。
豚肉とか羊肉とか
で 更に 生鮮品 見てみますと
スイカやブドウ…
ナスもありますね。
ほんとだね。
実は こういった食べ物は
まだ 日本に
そもそも なかったりとか…。
なに!?
普及していなかったんですよ。
あっ そもそもなかったの!?
そう。
当時の日本人には未知だった。
そうなんです。
はあ~。
で 遣唐使たちは 唐の皇帝にも
ご挨拶 謁見をしました。
何か これ 遣唐使の皆さん
何か これ
もらってるんじゃないですか?
で 実はですね 生活費を
皇帝から支給されていたんです。
生活費っていうのは
向こうに滞在する期間の生活費?
はい。
へえ~。
唐の人たちっていうのは
自分の国が世界の中心と思っていて…
その生活費って
布… 絹なんですね。
もう あの だから
「シルクロード」と言うぐらいですからね。
もう そのとおりですね。
で もう 長安には 唐の人だけじゃなく
いろんな外国の人が来るので…。
ヨーロッパの方も 目にするだろうし。
はい そうです。
インドとかね ベトナムとか。
そうか そうか。
それこそ あれだよね。
すごいさ
もう 想像を はるかに超えたような星が
あるとするじゃない。
で そこに宇宙人が住んでて
もう 全然 技術も違う。
そこに行くような感じですかね?
そういう感じです。
違う星に行くような感覚。
そう意味でも まさに…
そのとおりですね。
まさに。
机の上 ご覧下さい。
これね 全て 遣唐使が
唐から日本に持ち帰ったものなんですよ。
はあ~。 ミカンなんて もう
こたつのね 上にね あってさ
子供の時からね?
もう ザ・日本っていう気がするけど
これ 中国から持ち帰ったの?
輸入品だったんですよ。
他にもね 日本の食卓に欠かせない
しょうゆのもとになる調味料も
遣唐使が持ってきたと言われてますね。
ちょっと待って下さい!
もう しょうゆなんて
ザ・日本じゃないですか
日本の心じゃないですか。
もとになったものなんですけどね。
あっ そうかそうか
もとになったものを…。
いろいろと発展して
しょうゆになるんですけど
でも ほんとに その
おしょうゆのもとっていうのは
「ひしお」って
言うんですけど
それが やっぱり ちゃんと
このころに輸入されていて
恐らく遣唐使だろうと
言われてるんですね。
で この遣唐使なんですが 所長。
1回の滞在で
どのぐらいの期間 いたと思いますか?
まあ 1年ぐらいですか?
あっ そうですね
外交使節などの大使などは 来た船で帰る。
大体 1年ぐらいだったんですけれども…
来た船で帰らずに…
オーノー 20年!
そうですね
留学とは言えない長さですね。
もう そこの人だよね。
そうですね。
だから 例えば 長期の留学生が
1回行って 20年間 留学して
さあ 次の遣唐使船が来るぞ
っていう時に
うまくタイミングが合わなかったりして
乗れなかったら
また20年 40年後になる可能性もあって
帰れない人もいたんですね。
これは もう だから…
はい 本当に そうですね。
いや~ ほんとに ごめんなさい。
もう 私 今日から 遣唐使の皆さんに
足向けて寝れないじゃないですか。
本当に 人生をかけて海を渡って
唐に行っていた
遣唐使の皆さんなんですけれど
その使命というのは
最新の文化や 知識を持ち帰ることでした。
そのために 現地で
あるものを 必死に集めていたんです。
何だい?
ここで 遣唐使たちが
探し求めたものとは一体?
何だい 何だい?
「遣唐使たちは…」。
書物。
そう 彼らのミッションとは
最先端の知識が詰まった書物を
日本に持ちかえることだったのです。
しかし 当時の書物は ほとんどが手書き。
今とは比べものにならないほど
高価でした。
そこで 遣唐使たちは 皇帝からもらった
絹などで謝礼を支払い
寺院などで書物を書き写していたと
考えられています。
ところが…。
こたびの使いのために用意した金も…
唐の帝より頂いた絹も
底をついてしもうた!
このままでは 我が国に必要な
唐の書物を手に入れることができぬ。
≪何とかせねば…。
書物に加え 生活費も捻出せねばならず
資金繰りに行き詰まることも。
遣唐使たちは 一体どうやって
お金の工面をしたのでしょうか。
その答えを求めて
中国で海外調査です。
南東部にある 東莞市。
お金の謎に迫る 貴重な史料を
今回 日本のテレビ局としては
初めて撮影することができました。
今 現地の博物館と
リモートでつながっています。
中国担当の探偵 隋さ~ん。
は~い よろしくお願いします。
はい よろしくお願いします~。
(隋)歴史的な発見は
やっぱ こちらに置いてある石盤ですよね。
墓誌?
「墓誌」とは 亡くなった人の業績を
たたえるために つくられた
石碑のことです。
唐の時代 役人や富裕層が
こぞって つくりました。
でも これだと 何が書かれているか
よく分かりません。
何も書かれてないんじゃないの?
違うの?
これはね 書かれてるんです。
書かれてるの?
どういったことが書かれてるかというのは
何か分かりますか?
(隋)実際は 後ろには
墓誌のコピーもありますよね。
あっ 版画のように
こう 読み取ったものですかね。
漢字が書かれてる。 あっ 読める!
この石碑を書いたのは
唐にいた日本人。
つまり 遣唐使を
指すといいます。
そういえば…
墓誌の文章を書く仕事が
大層 金になると聞いた。
それなれば 汝は書が得意だ。
やってみてはどうだろう。
書ならば…。
文字を書ける人が少なかった 唐の時代。
墓誌を書くことは
割のいいアルバイトでした。
この墓誌を書いたとされる遣唐使は
誰なのか。
名前も ちゃんと記されていました。
あっ… あっ!
「日本国 朝臣 備 書」。
(隋)そうです。
これ… 誰ですか?
きびだんごで有名な岡山出身。
日本の将来を背負うべく
中国へ渡った
遣唐使の一人です。
政治や兵法にも優れ
後に 朝廷のナンバー3にまで
出世します。
真備の 書の腕前は
どれほどのものだったのか。
唐の達人たちの字と比べ 分析しました。
左が真備 右が唐の書家の字です。
「大」の特徴的な右払いや
「備」の独特な
字の形など
達人の字を 忠実に再現しています。
…ということが考えられるわけです。
中国墓誌を研究する…
飛び抜けた筆さばきを持つ真備には
仕事の依頼が殺到したのではないかと
考えています。
(氣賀澤)それは 十分 考えられると
思いますですね。
こうして 貴重な書物を手に入れた
遣唐使たち。
再び 海を渡り 日本へと戻ります。
うわっ!
うわああ!
うわああっ! ああっ!
これは 何とか持ち帰りたいよね
アルバイトまでしてね。
これだけは… この書物だけは
命に代えても 持ち帰らねば…!
遣唐使たちが もたらした書物は
やがて 日本の制度や文化を
発展させていきます。
701年には 日本初の体系的な法律
「大宝律令」が制定。
遣唐使たちが持ち帰った
唐の法令を参考に つくられたものです。
留学僧たちは
大量の経典を持ち帰りました。
これにより 日本で仏教が花開き
大仏建立などの大事業が始まります。
遣唐使たちの たゆまぬ努力によって
日本は 新しい時代を
迎えることになるのです。
いや~ まあ
当時の遣唐使が持ち帰ったものが
後の日本を変えていく礎になった
っていうの まず驚きだし
それが 本だったというね。
遣唐使の方々がね アルバイトまでして
本を日本に持ち帰って。
そうですね。
遣唐使が ほんとに盛んだった時期に…
それって…
うわ! それ ものすごい量じゃない。
半分なんすか!
そうなんです。
こちらを 見て頂きたいんですけど
まあ ご存じのように
「シルクロード」と言って
西洋と東洋をつなぐ道で
長安を経て
日本に絹の道が通じてますよね。
で 近年はですね このようにですね
「ブックロード」と言って
あまりにも たくさんの本が
長安から 日本の平城京まで
入ってくるので
これを ブックロード 本の道
っていうふうに呼ぶ
研究者もいるんですね。
で その本を運んだ
このブックロードですけれども
この中で 重要な役割を果たしたのが
吉備真備ということですが
先ほどの氣賀澤先生によりますと…
おやおや そうすると
唐の 長安の上流社会にまで
切り込んでいったというか
入り込んでいったというか
それだから
得られたものもあるだろうしね。
まさに これ…
ちょっとね 珍しい本がありまして…。
な~んですか?
今日 持ってきました。
こちらがですね
「遊仙窟」という小説なんですね。
ちょっと
ページをめくってみますと
こんな挿絵があります。
何ですか?
分かりますか?
これね 愛し合う
男女の姿が描かれているんですよ。
「愛し合う男女の姿」と
今 副所長 言ったんですね?
はい。 恋愛小説なんですよ いわゆる。
あら~ 当時に
そんなものがあったんですね。
低いんですよね。
中国の 向こうでは。 そうなんです。
ただ やっぱり 遣唐使の方
これ 面白いと思ったんでしょうね。
持って帰ってきまして その後ですね
「万葉集」に引用されたりとかですね。
いや~ そんな…。
更にですね 平安時代になってくると
今度は 紫式部が書いた
「源氏物語」にも影響を与え
更に 江戸時代の井原西鶴とか
近松門左衛門とか
更に高杉晋作 幕末の。
彼も やっぱり この影響を受けて
歌を詠んでるんですね。
ちょっと みんな これ読んだの?
じゃあ もう ほんとに
多岐にわたるような影響を
後の日本に 遣唐使 与えた
ってことじゃないですか 河合先生。
ほんとね…
でも先生 これ だから 同時にその…
やっぱり 面白いなあと思ったのを
持ってきてるんですね。
やっぱり 日本人って ほんとにね
いろいろなものを取り入れて
自分たちで 取捨選択して
調理してっていうのが
うまいって言われますけどね。
ほんとに面白いですよね。
ねえ? 独自の産物をつくりますよね
日本人ってね。
さあ ここまでは 遣唐使たちが持ち帰った
いいもの
いい影響を与えたものについて
見てきましたけれども…。
おい何だよ やめてくれよ。
実は その真逆で
日本を 崩壊寸前にまで追い込むような
恐ろしいものも
大陸からやって来ていたんです。
訪ねたのは…
こんにちは。
ようこそ いらっしゃいました。
「歴史探偵」の森田と申します。
土器の研究歴20年の エキスパートです。
平城京の跡地で発見された
土器の修復作業に取り組んでいます。
こういう仕事したいです。
ああ そうですか。
へえ~ したい側ですか?
したい!
形の整った土器が
いろいろ並んでますけど…。
面白いものを出しておきましたが
いかがでしょう?
あれ? これ 何か描かれてます?
えっ? これ…
これらの土器。
奈良時代に大流行した
あるものを抑えるために
作られたものだそうです。
疫病をやっつけてくれる神様か
あるいは その疫病の原因になった
鬼そのものか
どちらかは はっきりは
分からないんですけれども。
その疫病とは 「天然痘」のこと。
高熱と
体中に発疹ができるのが特徴で
死に至る病です。
天然痘なあ…。
当時 日本の人口の3割にあたる
およそ130万人の死者を出す
パンデミックを引き起こしました。
すごい数だな… 3割って ねえ。
まさにパンデミックですよね。
天然痘を 日本にもたらしたのは
遣唐使や 朝鮮半島への使節だったと
考えられています。
真備たち遣唐使が
日本に帰国した 735年。
九州北部で天然痘が発生。
瞬く間に 日本各地に広がります。
大陸からもたらされた 未知の病。
人々は 鬼の仕業と
恐れおののきます。
平城京で発見された土器。
鬼を封じるために
作られたものだったのです。
死者が増えるにつれ
田畑が荒れ果てていきます。
混乱に乗じて
九州では 大規模な反乱が発生。
海外から もたらされた
パンデミックによって
日本は
大混乱に陥りました。
いや 極端だな。
遣唐使 持ってきたもの
いいのと 悪いの。
この時 立ち上がったのが
遣唐使たちでした。
吉備真備を中心に
次々と策を打ち出します。
兵庫県にある…
真備が建てたものです。
ここに祭られている
牛頭天王は
疫病を抑えることができる
神様です。
もともとは 陰陽道の神で
真備が 唐から持ち帰ったものと
伝えられています。
中国の神を祭ることで
人々から 不安や恐怖を
取り除こうしたのです。
更に真備は
荒れた国の復興にも取り組みました。
日本を担う人材を育成するため
官僚養成所の重役に就任。
この時 新しい教科書として用いたのが
唐から持ち帰った書物でした。
また ここでも書物が
ありますねえ。
優秀な人材が育ったことで
国の制度にも 変化が生まれました。
真備たち遣唐使が帰国して 8年後。
新たな法律が出されます。
自らが開墾した
土地の所有を
認めるもの。
これによって 民間主導の開発が始まり
荒れた国土の復興が進んでいきます。
大海原を越え
数多くのものをもたらした 遣唐使。
日本の未来を変える力と
なったのです。
まあ ねえ 今の時代…
まさに 今 我々が生きてる
令和の時代とね
ちょっと パンデミックって
ちょっとね 重なるあれがありますけど
まあ もちろん
言うまでもありませんけども
唐の最先端の知識と言ったって
当然 ワクチンもね 治療薬もね
医療も不十分でしょうしね。
ただ…
ほんとに 遣唐使っていうのは
文化も 食べ物も 知識も
あらゆるものを
持って帰ってきたんですけれども
このあとですね
日本で大きな変化が起こるんですよね。
そうなんですよ。 こちらご覧下さい。
大きなお皿です。
30cmほどありますね。
これ 実際に平城京の跡で
見つかったものなんですけれども
遣唐使 唐に渡った時に
宴会に招かれますと
こういった 大きなお皿で
料理をもてなされたと。
そう そうですよね。
そういった文化そのものも
持ち帰ってきたということなんですよね。
ただ 最新の研究によりますと
天然痘のパンデミックのあと
こちら 小皿に取り分けるように
なったのではないかと
考えられる
ということなんです。
これ 要するに
感染症対策みたいなことですか?
そう考えられるというふうに
先ほどの神野さん 話していました。
要するに 何でもかんでも
まねをするというわけではなく…
まさに。
考えられるということなんです。
そうだ そうだ
漢字は 中国からあれして。
もともと 中国の漢字を使ってたのを
独特に崩したりとか
漢字の一部 使って カタカナにしたり。
で ああいう文字を作ったことで
日本人の ほんとに微妙な気持ちとか
感覚を文章にできるっていうんで
「源氏物語」とか
「枕草子」みたいな
仮名文学が
出来ていったわけですよね。
なるほどねえ。
さあ この遣唐使なんですけれども
この 唐が衰退した平安時代の中頃に
停止されて 役割を終えるんですよね。
習いました 私 教科書でも
「白紙に戻そう遣唐使 894年」。
ほんとに この時期になってくると
かなり 唐が もう 治安が乱れてしまう
ってことが一つと あと…
本だとか そういったものもですね
いろいろなルートで入ってくるんで
あえて…
…ということが
やめる原因になったのかな
っていうふうに言われてますね。
そう意味では
一定の役割は終えたということですよね。
十分 果たしたと。
そうです。
宇宙飛行船が ここに
模型が並んでたけど…。
はい ありましたね。
今の宇宙飛行士の方々も そうですし
やっぱり 遣唐使の皆さんもね
ちょっと その ほんとに
宇宙 違う星に行くような
冒険だったんじゃないかっていう話が
ありましたけど
やっぱり いつの時代も
ちょっと こう リスクを恐れず
リスクがあったとしても…
…っていうことをね
改めて思ったよ 僕は。
うちの探偵事務所もね
挑戦し続ける探偵が そろってますんで。
もう 今度 だから 森田探偵は
船で 2, 500km
調査しに行ったらどうだい?
まさかの長安まで?
行きたいのはやまやまなんですけど
私 ちょっと船酔いしやすい体質でして。
船酔いがしやすい探偵。
ええ。
僕 船酔いしないんで 僕が行きます。
あっ 船酔いしないですか?
そんなこと言っちゃって
大丈夫ですか? 河合先生。
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