出典:EPGの番組情報
100分de名著 ドストエフスキー“カラマーゾフの兄弟”[終](4)父殺しの深層[解][字]
ついに殺されるカラマーゾフ兄弟の父親フョードル。一体彼を殺したのは誰か? そしてドストエフスキーは、この「父殺し」のテーマで何を表現しようとしたのか?
番組内容
ついに殺されるカラマーゾフ兄弟の父親フョードル。一体彼を殺したのは誰か? 真っ先に疑われたのが長兄ドミートリー。しかし実際に彼を殺したのは意外な人物だった。しかも彼は、次男イワンの「神も不死もなければ全ては許される」という無神論にそそのかされて実行しただけだと言い、イワンも共犯だという。ドストエフスキーはこの「父殺し」のテーマで何を表現しようとしたのか? 第四回は「父殺し」の深層に迫っていく。
出演者
【講師】名古屋外国語大学学長…亀山郁夫,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】津田寛治,【語り】加藤有生子ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
無実を訴える
カラマーゾフ家の長男 ドミートリー。
弟たちは それぞれ主張します。
果たして…
「カラマーゾフの兄弟」 第4回。
「父殺し」というテーマに込められた
真意を掘り起こし
ドストエフスキーが目指した
本当の結末を探ります。
♬~
(テーマ音楽)
♬~
「100分de名著」 司会の…
さあ 「カラマーゾフの兄弟」
いよいよ結末を迎えます。
このお話
最後 どうやって終わるんでしょうね。
どんな気持ちで最後を迎えるのか
僕も楽しみです。 そうですねえ。
指南役は
ロシア文学者の亀山郁夫さんです。
今回も よろしくお願いします。
お願いします。
前回 長男のドミートリーが
父の死に関しては無実だと言いながらも
罪を認めたところまで行きました。
で 真犯人は まだ分かっていません。
フョードルが殺害された時の状況を
こちらで整理していこうと思います。
まず ドミートリーは
グルーシェニカを追いかけて
モークロエへ向かいました。 その途中です。
で アリョーシャは ゾシマ長老の死から
立ち直る夢を見ていました。
イワンはというと
モスクワへ向かう列車の中なんです。
え モスクワ? モスクワじゃない…。
チェルマシニャーに
行くはずだったんですよね。
そうです そうです。
言ってましたもんね はい。
まあ
ある意味で 彼自身の無意識というか
潜在意識が言わせた
言葉なんだろうなあということですよね。
それまでの決心を翻して
モスクワに行って
で モスクワで 父親の死の訃報に接して
まあ戻ってくるということなんですよね。
ふ~ん… ちょっと この辺も。
ちょっと気になりますね。
スメルジャコフは どうかといいますと
癲癇の発作を起こしまして
寝込んでいました。
イワンが モスクワから戻ってきた時には
入院中だったんです。
イワンは スメルジャコフの その
入院している病室を訪ねるんですが。
非常に微妙な会話が
交わされるわけなんですね。
で イワンは もうドミートリーが
殺したものと まあ信じているわけですよ。
それに対して 何かこう スメルジャコフが
非常に微妙な言い方をする。
イワンとしても
その事件が起こる前夜に
階下にいる父親の様子に
耳を傾けていた あの時のことが
ふっと思い出されてきて
気になってくるということなんですね。
再度 スメルジャコフを
訪ねることになるわけなんです。
で そこで…
さあ では スメルジャコフは どんな
重要な告白をするのか聴いてみましょう。
朗読は 俳優の津田寛治さんです。
再び訪問してきたイワンに
スメルジャコフは伝えます。
うわ~ スメルジャコフ 気持ち悪いなあ。
いや そのとおりですね。
黙過する 黙って見過ごすということは
そそのかしてることでもある
ということですね。
イワンに対して ある意味で
間接的な罪を問うことで
フョードルの殺害実行を告白する
ということなんですが
スメルジャコフとしては
彼の指図の下に
手を下したというふうに
考えているわけですよね。
その指図というのは
つまり イワンが その当日
朝 「俺は チェルマシニャーに行くよ」
という あの突然のひと言であったと。
この 第2回で登場した会話ですね。
この時 イワンというのは 崇拝の対象。
それに対して スメルジャコフは
イワンを信仰する信仰者
ということになるわけなんですね。
当然 信仰者は 絶対者である 神である
イワンの意志を知りたいわけですよ。
はあ~。
何を忖度したかというと イワンの無意識。
つまり 遺産に対する願望と
父殺しの願望。
この2つの願望をですね
嗅ぎ取るわけなんですね。
で 実際 イワン自身はですね
非常に父親に対して
嫌悪感を抱いていましたから。
で スメルジャコフにとって
その チェルマシニャーというのは
何かっていうと これは まさに
カラマーゾフ家の財産の一部であって
お金と父殺しの その2つの欲望が
合体した場所なんですね。
つまり 殺しのゴーサインが出たと。
まあ 一種の有頂天っていうんですかね。
イワンとの間に
完全な意思疎通ができたと。
スメルジャコフの主張を
イワン自身は認めるんですか?
そこが問題なんですよね。
ほうほうほう。
つまり
イワン自身も 前日の夜に
2階から父の動静をうかがっていた
ということがありましたね。
しかも それを「一生恥ずべき
行動だ」というふうに
自覚しているわけなんですよ。
ということは 実際に父親の死を
望んでいたということ。
そして それを予感しておきながら
見過ごしたということによってですね
ひょっとすると すべての始まりは
自分にあるのかもしれない。
物語の核心に向かって
このミステリーがですね
渦を巻いていくという。
自分は 感情にとらわれずに
え~と 知識と冷静さと分析で
乗り越えるんだっていう人ほど
その足元をすくわれた時に
とても弱いっていうか。
イワンの弱さって
まさに そこにあるんですよね。
はい。
知的なもので構築しているだけに
ある根本的なところをつかれた場合には
ガラガラッと もう ほんとに
狂気に駆り立てるぐらいの
自信喪失に向かっていく
ということだと思います。
それでもう 悩みに悩んだイワンが
どうするかといいますと
弟のアリョーシャに
誰が父親を殺したんだと聞くんですよ。
はあはあはあ。
アリョーシャはですね
イワンに向かって
「殺したのは あなたじゃない
あなたじゃない」って言うんですよね。
言葉どおりに解釈すべきだと言う人も
いるんだけれども 私は そう思わない。
「イワンは 実行犯ではないけれども
罪は免れませんよ」ということを
しきりに アリョーシャは
イワンに向かって
メッセージとして
伝えてるんだと思うんです。
さあ アリョーシャは どう
言ってるんでしょうか。 見てみましょう。
これを聞いたイワンは 突然
抑え難い思いに駆り立てられ
再び
スメルジャコフのもとへと向かいます。
正気とは思えない様子の
スメルジャコフは
イワンに対して
傲慢に言い放ちました。
ところが スメルジャコフは
急に 逆のことを言い始めます。
スメルジャコフは
最後の切り札とばかりに
履いていた靴下の中から
紙包みを取り出しました。
フョードルのところから 金を奪ったのは
スメルジャコフだったのです。
その告白を聞いて
イワンは 根本から揺るがされます。
その夜 イワンのもとに
アリョーシャが やって来ました。
すごいことになりましたね。
最後 自殺してしまった。
あそこは スメルジャコフ
なぜ 自殺したんでしょう。
非常に難しいですね。
でも やはり一番大きいのは
絶望だと思いますね。
絶対者イワンとの絆っていうのは
結局 全くの一方的な幻想にすぎなかった
ということに
気付いてしまうってことになったと
思いますね。
もう一つは やはりスメルジャコフは
去勢派と つながりを
持っているかもしれないっていう
そういう視点ですよね。
自分が 今ある
このロシアというものに対して
ものすごい嫌悪感を抱いていて
明日にでも
ヨーロッパに出たいっていう
すごい執念を
持っているわけなんですよ。
で その いわば夢を託したのが
この3, 000ルーブルだっていうふうに
思っていいわけなんですね。
一つの証拠として 提出した
ということが言えると思います。
ここで 一回
思い出して頂きたいものがありまして。
亀山さん独自の読み解き方の
4層の「父殺し」を参照してみますと
物語層と歴史層の間の父殺しは
皇帝殺しでした。
歴史層と象徴層の間は 神殺し。
物語層では
父親のフョードルが殺されています。
これに 更に自伝層を加えると
深く読み解けるというのが
亀山さんのお考えなんです。
なるほど。
物語層では イワンが
スメルジャコフをそそのかして
スメルジャコフが
父親のフョードルを殺害しました。
この前提を
踏まえなきゃいけないんですね。
そもそも この小説の中で殺される
フョードルというのは
作者であるドストエフスキー自身の
名前でもあるわけですね。
フョードル・ドストエフスキーなんですね。
恐らく
ドストエフスキー自身における
まあ一種 自分の中にあった
父殺しの衝動。
罪の意識に対する一種の懲罰
というんですかね
そういう形で この
フョードルという名付けが
あったんだろうというふうに
思われるんですね。
自分が そそのかして
父を殺したんだという。
その際に 農奴という存在が
浮かび上がってきた。
実際に定説では 農奴が
ミハイルを殺しているわけですから。
で この農奴というロシア語が
スメルジャコフという語源の
スメルドに当たってるんですよ。
これは 教えてもらわないと
ここまでは…。
ちょっと これは分からない。
分からなかったですよね。
まあ これだけの偶然の一致が
重なってるということが
こういった読み解きを可能にする
というんでしょうか。
さあ まあ 真犯人は判明しましたが
ドミートリーへの疑いは
まだ晴れていません。
そこで イワンは兄の無罪を証明しようと
法廷で証言をします。 ご覧下さい。
イワンは フョードル殺害時に奪われた
3, 000ルーブルを差し出して 証言します。
しかし イワンの証言は
信じてもらえませんでした。
更に 事件の2日前
金に困ったドミートリーが
「オヤジを殺してやる」と
酔った勢いで書いた
手紙の存在が明かされます。
ドミートリーは 最後まで
無実を主張しましたが 判決は有罪。
20年のシベリア流刑となりました。
フョードル殺害事件は
誤審という形で幕を閉じ
三兄弟は それぞれの道を歩み始めます。
最後に記されるのは
アリョーシャと少年たちのエピソード。
以前 アリョーシャの指を噛んだ少年
イリューシャが病気で亡くなります。
弔いの場で アリョーシャは言いました。
アリョーシャの言葉に
リーダー格の少年 コーリャが答えます。
こういう終わり方なんだ。
私も翻訳しながらですね 何度も何度も
この最後のシーンを こう
まあ 校正や何かに手を入れる際にも
胸が熱くなってくるんですね。
しかし ここで やっぱり
序文を思い出して頂かなければ
ならないんですね。
この「カラマーゾフの兄弟」というのは
二つの小説から成っていると。
で 大事なのは二つ目の小説だ
ということなんですよ。
ということは これはまだ
「カラマーゾフ万歳!」という
このセリフは
ゴールの中間点を回りましたという
そこの喜びにすぎない
というところなんですね。
そうか。
で 結局のところ
そのドストエフスキーの意図をですね
ひもといていくには 物語の舞台となった
仮の年号ですけれども
1866年というところに やっぱり もう一度
注目する必要があるんですね。
で この1866年の4月に
ある事件が起こってるわけなんですよね。
そうなんです。
それはですね アレクサンドル二世
暗殺未遂事件なんです。
犯人を見ると 政治テロを唱える
秘密結社の構成員なんですが
名前が ドミートリー・カラコーゾフ。
う~わっ すごいなあ。
ぞっとしますね。
これは すごいな。 うん ほんとに。
ドストエフスキーっていうのはですね
20代の終わりに死刑判決を受けていて
で それが 以降 彼自身は徐々に徐々に
皇帝権力寄りに
すり寄っていくわけですね。
そうじゃないと ロシアという国で
一人の作家として生き延びることは
不可能ですから。
ところが その自分が すり寄っていく
帝政ロシアが
危なくなってきてるわけなんですね。
つまり ドストエフスキーは 右に対しても
左に対しても 目配りをきかせて
「カラマーゾフ万歳!」っていう言葉を
言っている可能性があるんです。
「カラコーゾフ万歳!」というふうに
言わしめている
可能性があるということなんですね。
テロの犯人…。
それで すごいのが
そのことを知らなくても
感動する感じも
すごいんですけどね。 そうなんですよ。
そうなんですよね。
盛り上がっちゃうんですよ。
だけど実際に この同時代の読者は
これを読むわけですよ。
ええ。
当然 革命家たちも テロリストたちも
この小説を読むわけですよ。
そうすると 「カラマーゾフ万歳!」って
子どもたちが こう
シュプレヒコールをあげるのを
自分たちに対するエールととる
可能性だって あるわけです。
ドストエフスキーは そこまで計算して
書いてると思います。
もともと まあ
その 革命したかったんだけど
生きてくためには
右傾しなきゃいけなかったんだけど
いよいよ こう 腹を決める
世の中の風になったんでしょうね。
そうですね。 なってきたんですね。
そういうことですね。
ということは 次なる小説において
彼が目指すべきことは
古いロシア つまり帝政ロシアと
革命ロシアの
いわば 融合・和解っていうことだと
思うんですね。
ドストエフスキー自身は
熱烈な 皇帝派のシンパであるけれども
でも同時に 革命派に対する
シンパシーっていうもの
それは 若い頃の情念って
まだ生きているので
彼自身が引き裂かれているわけですよね。
そういう 引き裂かれた自分を統合する
引き裂かれたロシアを統合するという
ビジョンをもって
この第一の小説を終えたというふうに
言えると思うんですね。
今日は 亀山先生が お考えになる
「第二の小説」を
我々に教えて下さるんですよね。
おおっ!
いや 何か 最後まで待って
とても楽しみなものが来ましたね。
ドストエフスキーは あちらこちらで
「第二の小説」の構想を
漏らしてるんですね。
あるいは 創作ノートとか
そういったものを手がかりにして
いろいろ こう
空想してみているわけなんですね。
当然のことながら
主役は アレクセイ・カラマーゾフ。
アリョーシャだと思いますね。
ところが もう一人 この最後にですね
このアリョーシャに接近してくる
一人の少年
社会主義者の少年がいるんですね。
まあ これまで なかなか この
コーリャ・クラソートキンという
登場人物ですけれども 紹介することが
できなかったんですが
彼は まさに
社会主義者を名乗っているという。
心優しくて
しかし 極めて残酷な側面も持つ
非常に モンスター的な
少年なんですが
「第二の小説」では
このコーリャとアリョーシャが
一つの小説を率いていく原動力
というふうになると思うんですね。
フョードル殺害事件から 13年後
アリョーシャは 新たな宗派
「カラマーゾフ派」を開きます。
一方 コーリャは革命結社を組織し
アリョーシャをリーダーとして迎えようと
彼のもとを訪ねます。
テロか融和かをめぐり
議論を戦わせる二人…。
その終わりに アリョーシャは
コーリャに 無言で キスを与えます。
アジトに戻り コーリャは皇帝暗殺のため
仲間たちと作戦を実行。
しかし 仲間の密告により逮捕され
死刑判決が下されました。
処刑直前 皇帝から
前代未聞の恩赦が下され
彼は 死刑を免れ
シベリアへと送られていくのでした。
ざっと あらすじですけど
ちょっとワクワクしますね。
で アリョーシャは どうなってしまうんだろう
というところなんですけど。
はい はい。
ここで見て頂きたいのが
「カラマーゾフの兄弟」の
最初に書かれている聖書の言葉なんです。
「第二の小説」の話になるんですけども
現時点で
アリョーシャ・カラマーゾフは 33歳。
イエス・キリストの ゴルゴダでの死という
年齢と重なるということで
やはり悲劇的な死は免れないのではないか
というふうに予測するんです。
決して 公に知られることのない しかし
何かの大きな犠牲を 何か実現して
知られることなく死ぬという
そういうふうな死に方が
想定されていると思うんですね。
その犠牲の結果
皇帝権力と革命勢力の和解といった
そうした ロシアが将来たどるべき
ビジョンの実現ということに
なるのかもしれません。
は~…
いかがでしたか 伊集院さん。
たとえ 読んで
分からなかったところがあったとしても
恐らく それは
二冊目へのフリなんだろうとか
勇気をもらえると思うんです。
そうですね。
哲学者のウィトゲンシュタインがね
死ぬまでに 30回読んだって言いますから。
すごい。
あれほどの知力に優れた人たちが
それでも その味わい尽くせなかった
世界が ここにあるってことですね。
そういう力があるんですね。
はい。
亀山さん 4回にわたって
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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