美の壺 8Kスペシャル「木造建築 匠の技」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

美の壺 8Kスペシャル「木造建築 匠の技」[字]

2020年ユネスコの無形文化遺産に日本の伝統建築の匠の技が登録された。最古の木造建築など伝統建築を守る技そのものの美と、そこから生み出される美を紹介。

詳細情報
番組内容
2020年ユネスコの無形文化遺産に「伝統建築工匠の技」が登録された。最古の木造建築法隆寺など、日本の伝統建築は世界の宝であり、それを守り継ぐ技が評価されたのだ。8Kの高精細な映像でその匠の技の美と、そこから生み出される美をとらえる。また伝統の技を生かして新たな表現への挑戦も併せて紹介、日本の匠たちの豊かな世界を堪能する。
出演者
【司会】草刈正雄,【語り】木村多江

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

テキストマイニング結果

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キーワード出現数ベスト20

  1. 日本
  2. 大工
  3. 建物
  4. 屋根
  5. 檜皮
  6. 左官
  7. 仕事
  8. ノミ
  9. 組子
  10. 修理
  11. 職人
  12. 道具
  13. 障子
  14. 草刈
  15. 大工道具
  16. 土壁
  17. カンナ
  18. 木造建築
  19. ミリ
  20. 曲線

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

NHK
created by Rinker
エンスカイ(ENSKY)

いや~ これ うれしいですね。

どうしたんですか? 草刈さん。
え?

いやね 日本の伝統建築の保存技術がね
ユネスコの無形遺産になったんですよ。

日本の匠の技が
世界に認められたんですね。

うちも そんな匠の家だったらな…
ちょっと自慢できたのに。

そういう すごい技って やっぱり

お城や お寺みたいな歴史ある建物に
使われるんじゃないですか?

あ~ そうね。

うちは 普通のうちだもんね。

匠の技 使ってるとは思えないもんね。

あ~ お城みたいなうちに住みたかったな
僕も。

ん?

あれ? 何これ。

何だ? これ。

まあ いいか。

あれ?

何か 眠くなっちゃったなあ。

新たに ユネスコの無形文化遺産になった
日本の匠の技。

その象徴が世界最古の木造建築
法隆寺です。

1, 300年以上前 飛鳥時代の匠は
巨木を刻み

建物として 新たな命を授けました。

今も当時の姿を伝えているのには
理由があります。

それが匠の技。

回廊の柱に残る修理の跡は

何代もの匠たちが
傷んだところを取り除き

新たな木に替える修理を
重ねてきた証しです。

匠たちの手によって 世界最古の法隆寺は
生きながらえているのです。

大工に左官に建具や屋根。

日本の職人たちには 古い建物の命を
つなぐ技術が伝わっています。

2020年 貴重な文化財を守り継ぐ技が
「伝統建築工匠の技」として

ユネスコの無形文化遺産に
登録されました。

その技は文化財を守るだけでなく
新たな美を生み出しています。

匠の技 それは脈々と受け継がれてきた
手の記憶。

今日の「美の壺」は スペシャル版。

日本の木の文化の結晶
匠の技の世界へ ご案内しましょう。

港町 横浜にある大富豪が残した庭園
三溪園。

重要文化財が 10棟もある
伝統建築の宝庫です。

その一つ 聴秋閣。

三代将軍 徳川家光が春日局に
贈ったという由緒ある建物です。

大正時代 ここに移築されました。

2階には眺望を楽しむ部屋。

複雑な形の屋根を頂く1階は
普通の四角ではなく変形五角形。

遊び心満載の建物です。

中に入ると驚きが…。

お客様を迎えるのは
木目の美しい木のタイル。

和の建物では まず見ない珍しいもの。

五角形の部屋だから
斜めの障子に変形した床の間。

破天荒なまでの遊びを
上質な空間に まとめ上げた

江戸時代の大工の技が光ります。

そんな名建築に
平成の大工も手を加えています。

柱の足元 分かりますか?

根元に段差が…。

これは「根接ぎ」。

今回 ユネスコの無形遺産になった
文化財修理の大工の技です。

高温湿潤な日本の環境においては
どうしても木材というのはですね

カビだったりだとか
虫にやられてしまって傷んでしまう。

特に根元部分は水に接しやすいので
傷みやすくて

そういったところが腐ったままにして
しまうと建物が傷んでしまいますので

それを防ぐために根元の部分だけ
新しい木に造り替えるということを

してあるのが あの場所になります。

日本の文化財建造物に
保存修理は欠かせません。

三溪園は今 工事中。

一番有名な建物 重要文化財
臨春閣の耐震補強と

傷んだところの修繕が行われています。

ふすまを受け止める敷居。

350年の間に節が取れ
穴が開いてしまいました。

傷んだところを取り去り
新しい部材で埋める「埋木」を施します。

この道19年の大工 砂田泰輔さん。

同じ素材の栂の木で
正確に切り出した部材を埋めていきます。

微妙な ずれを修正。

交換する部材は 後ろが僅かに広く
くさびのようになっています。

絶対に外れないための工夫です。

元の敷居と できるだけ
木目がそろうよう気を遣います。

木を見極める確かな目が必要です。

繊細な修理の作業はノコギリやカンナなど
手道具でしかできません。

オリジナルの敷居には傷をつけない
熟練の技です。

さらに もう一仕事。

350年以上たった木の色に近づける
古色付けを施します。

色のもとは墨汁や土。

使う材料は 人それぞれ。

伝統建築の美を保つのは
大工の手にかかっています。

そして修理の技のポイントは?

修理の技は 道具が決め手。

今日 一つ目のツボは…

6世紀に創建された大阪の四天王寺。

大工と道具の歴史に深く関わっています。

一角に祀られた小さなお堂。

周りを不思議な旗が取り囲んでいます。

「南無阿弥陀仏」と書かれていますが

ノコギリや指金 くぎ抜きなど
大工道具でできています。

お堂に祀られているのは 聖徳太子です。

手には大工道具の一つ 指金。

聖徳太子は指金を広めたとされ
大工の神様として崇拝されてきました。

聖徳太子が百済から招いた大工の
系譜を継ぐという建設会社があります。

長年 四天王寺の宮大工を務め

今は全国の寺院や神社を手がける
金剛組です。

お寺を造る作業から
宮大工の道具使いを見ていきます。

棟梁の篠崎守正さんは
人一倍 道具にこだわる職人。

この日の仕事は 屋根の側面を飾る
破風板のカンナがけ。

建物の顔と言える重要な部分です。

今回は塗装をしない白木仕上げ。

木の美しさを出すのは
カンナが決め手となります。

側面を削る ひふくらカンナなど

作業に応じて
何種類ものカンナを使い分けます。

そして最後は仕上げガンナ。

最高に研いだ刃を ごく僅かだけ
出るように調整します。

透けて見えるカンナくずは
厚さ 0.01ミリほど。

鋭い刃が木の組織を乱すことなく
スパッと切っている証しです。

仕上げガンナのあと
破風板に つやが出ました。

磨くのではなく 刃物で出すつや。

優れた道具と匠の技が生み出す
日本独自の美です。

木の美しさを生かすには 仕事の合間に
絶えず行う研ぎが肝心。

大工の基本だといいます。

時には 刃の裏の平らな面も磨きます。

完全な平面でないと
よく切れないからです。

鉄の板に当て
鏡のようになるまで磨きます。

手塩にかけて育てる大工道具。

道具は まさに自分の分身です。

日本人の道具へのこだわりが生み出した
究極の大工道具があります。

昭和26年に作られたノミ「天爵」。

ノミなのに 手で持つ柄はありません。

使うより
美しさを鑑賞するものだからです。

まるで美術刀剣のような
緊張感のあるフォルム。

裏側には剣が あしらわれています。

どこまで美しく作れるか

一人の道具鍛冶が3年がかりで挑んだ
最高傑作です。

実用から美術品まで
大きく広がる日本の大工道具。

その世界を見せてくれる博物館が
あります。

明治以降 大工道具は大きく発展しました。

刀を作れなくなった刀鍛冶が
道具作りに加わり

刀剣の技と美をもたらしたからです。

ノミ「天爵」を作ったのも千代鶴是秀です。

幕府のお抱え刀鍛冶の家系に生まれ
大工道具に美をもたらした名人です。

その道具に ほれ込んだのが
戦前に活躍した名大工

江戸熊こと 加藤熊次郎。

借金をしてまで
是秀のノミを買い求めました。

是秀も その腕前を高く評価し
2人は深い親交を結びます。

生涯 江戸熊がそろえた是秀のノミは
37本。

昭和17年 江戸熊は亡くなります。

遺族からノミを託された是秀は
驚きました。

全て 作った時以上に
見事に研ぎ上げられていたからです。

是秀は 江戸熊が残したノミを
散逸させないように計らいます。

時代は戦時下。

ノミは金属の供出から逃れるために
防空壕に隠されました。

守り抜かれた江戸熊のノミ。

大工と道具鍛冶の絆が
このノミを今に伝えているのです。

人や神仏の住まいを作る道具には
単なる物を超えた価値があります。

草刈さん どうしたんですか? その格好。

草刈? 何だい このうちの家主かい。

俺は大工の熊五郎ってんだい。

まあ 熊さんって呼んでくれ。

いや~ 懐かしいなあ。
この家な 俺が建てたんだよ。

え~ 草刈さんじゃなくて
大工の熊五郎さん?

だめじゃないですか
勝手に入ってきちゃ。

一体 何しに来たんです?

俺はな 自分の建てた家でさ
酒飲むのが好きでさ。

酒飲むのが好きでさ…。

はあ…。

ここは京都の町なかにある秘密のお屋敷。

大正時代に建てられた大富豪の別邸
重要文化財の清流亭です。

深い ひさし。

くぐり抜けた日の光を
障子が柔らかに映します。

中は簡素だけど上質な美の空間。

その印象を決めるのが障子やふすまなどの
部屋を仕切る建具です。

唐紙を貼った ふすまの上を飾る欄間には
扇が散らされています。

そこには手書きの扇面画。
さりげない ぜいたく。

障子に ふすまに 欄間。

和のインテリアは建具次第。

今日 二つ目のツボは…

建具の美 それは細部に宿ります。

見逃してしまうほど さりげない
すご技をご紹介しましょう。

例えば この障子。

よく見ると 組子と呼ばれる
縦横の細い木の棒の角が落とされ

断面が六角形になっています。

これは「面取り」の技法。

四角い組子より
繊細な印象になります。

さらに横方向の組子は
僅かに傾いています。

これは「ちり返し」という
ほこりをためない工夫。

作る手間は
普通の障子の何倍にもなります。

障子の組子から
さらに繊細な細工が発展しました。

床の間の脇の付書院の欄間。

組子を折り曲げ 組み合わせ
複雑な卍模様が作られています。

組子そのものを装飾とする組子細工です。

建具の中で最も繊細で難しい仕事です。

さらに細かく見ると
面を取っただけでなく

0.3ミリほどの細い黒い木が
はめ込んであります。

ですので こんなに細かく複雑なものに
組んでみようなんていう気を起こすのは

職人のいやらしいとこですかね。

組子が組み合う穴の加工
折れ目の角度に合わせた削り。

組子細工を支えるのは
0.1ミリの誤差も許さない加工技術です。

横田さんの工房では 50年以上
その技術を磨いてきました。

そして 30年ほど前から組子を使って
絵を描くことに挑戦しています。

「地組」という土台となる
三角形の連なりの中に

「葉」と呼ばれる細かな部品を
組んでゆきます。

次に入れたのは黒い葉。

日本中の木材を調べ

さまざまな色を使い分けることが
できるようになりました。

黄色い葉は漆の木。

黒いのは地中に埋もれていた神代桂。

葉の木の色と密度を調整することで

まるで絵のように
模様を描くことができるのです。

工房が作った組子の屏風「信濃の山河」。

山並みは さまざまな葉の濃淡や色彩で
表現しています。

山の麓には 川が流れる里の風景。

大きな画面を これまで開発してきた
組子の幾何学模様で飾りました。

木を知り尽くし
腕を磨いてきた匠の技の極みです。

俺の大工の仕事もいいけど ねえ

土壁 ふすま 欄間

職人技が光ってんねえ。

家主も気に入ってんだろ?

いや~ その…「普通の家で
つまんない」って ぼやいてました。

え?
あ… お城みたいな家に住みたいって…。

え? 何も分かっちゃいねえな。

日本の匠の技ってのは 城やら寺やら

高貴な人のための建物を造ることで
発展してるんだよ。

その技が庶民の家にも使われてるんだよ。

ここが そうだよ。 え?

えっ そうなんですか?
そうよ。

例えばね 畳。

もともとは板張りの上に暮らしてた
公家や殿様が

座布団のように使いだしたのが
庶民に広がったのよ。

すごい! 熊五郎さん 物知り!

当たり前よ。

俺はな このうち建てる前にな…。

あれ? これ言っちゃっていいのかな。

何? 気になる!

○○城や○○城の修理に携わるほどの
匠だったんだぞ。

えっ あの国宝の?
おうよ。

日本を代表する国宝建築
世界遺産の姫路城。

「白鷺城」の異名のとおり
白さが際立っています。

白の秘密は しっくい総塗籠。

建物を全て
しっくいで覆っているからです。

でも それは
美しさのためだけではありません。

しっくいの中の構造は 柱や梁が組まれた
伝統的な木造建築。

城が築かれたのは戦国の世。

木の燃えやすさは致命的です。

それを防ぐために 城全体にまとったのが
火に強い しっくいでした。

しっくいは石灰を焼いた消石灰を水で練り
ワラやノリなどのつなぎを入れたもの。

代々 地元の左官屋さんが
塗り替えてきました。

完璧に むらなく塗るのが職人の技です。

扱うコテは 30種類以上。

狭いところを塗る小さなコテ。

広い面積を塗る大きなコテ。

条件によって使い分けます。

屋根瓦の立体的な盛り上げは
腕の見せどころ。

火に強く しかも美しい。

姫路の左官たちは およそ30年おきに
しっくいを塗り替え

その技を伝えてきました。

姫路城を支える左官の仕事は 実は
私たちの暮らしにも深く関わっています。

お城から広まった しっくいの技。

今日 三つ目のツボは…

現代の左官の仕事を見てみます。

ここは京都の町なかにある
隠れがのような日本酒バー。

いらっしゃいませ。

店全体を包むのは土壁。 左官の仕事です。

仕上げ塗りの一つ手前の中塗りで とどめ
土の質感を生かしました。

壁だけでなく天井まで塗り込めることで
まるで土の中にいるような包まれ感。

粗い土の中に赤い色。

鉄の粒を混ぜ さびてゆく変化を楽しむ
「ほたる壁」です。

壁に ちらほら
ほたるの明かりが舞います。

伝統的だけど ずいぶんモダン。

左官の技 奥が深そうです。

土壁のバーを手がけた職人は

京都の洛北にある
静かな集落に暮らしています。

その人 森田一弥さんは当時 左官でしたが
独立して 今は建築家になっています。

最近 手に入れた古民家の自宅の改装にも
左官の技を使っています。

改装中のバスルーム。

元からあった荒々しい土壁を
そのまま生かしています。

これは土壁の一番下の層となる荒壁。

この部屋は元は倉庫だったため

仕上げが省かれ
むき出しになっていました。

そういう気持ちがありますね。

素朴な味わいの土壁から
高度なしっくいの技まで

森田さんは左官の技の幅広さを
木造建築に生かそうとしています。

閉鎖した部屋は作らず しっくいの壁で
仕切る 開放的な間取りの新築の家。

細かなヨシの天井と
おおらかな曲線のしっくい。

高度な左官の技が光る建物です。

一方 京都の古い町家の
リノベーションでは

大きな土の土間と
土の壁を作りました。

壁は 本来は表には出さない荒壁のまま。

荒々しい質感が 古い家の趣に調和します。

建物の表情を決める 土壁やしっくい。

左官の技が暮らしを彩ります。

あ~ この家も そろそろ
修理せんといかんな。

よ~し どっから やるかな。

熊五郎さん 仕事するんですか? 今から?

何 驚いてんだよ。

日本の木造建築ってのは
森から材料をいただいて

傷んだところを交換する。

修理し続けるから
何百年も長もちするんだよ。

なるほど… いやいや じゃなくて!

そんなに酔っ払ってるのに
ノコギリ持たないで。

この家も森の国 日本の匠の技が結集して
造られてるってことを…。

家主に知ってほしいんだよ。

熊五郎さんの自慢の家なんですね。

信州の長野市。

この町は巨大な木造建築とともに
歩んできました。

国宝 善光寺本堂。

高さおよそ29メートル 奥行き54メートル。

日本で一番大きな檜皮葺きの屋根です。

檜皮葺きは 檜の皮を積み重ねた屋根。

柔らかく優美な曲線を描ける
日本ならではの屋根素材です。

使われている檜皮の量は 255トン。

なんと 全国の生産量の2年分。

豊かな森があって初めて造れる
巨大な屋根。

最後のツボは…

日本の名建築が集まる三溪園。

江戸時代初期に造られた重要文化財
臨春閣。

緩やかな勾配の屋根は檜皮葺き

柔らかな曲線と シャープな軒が
見せどころです。

その下のひさしは 薄い木の板で葺いた
柿葺き。

どちらも自然の素材
質感の違いを楽しみます。

植物の屋根は傷むため 20~30年おきに
葺き替える必要があります。

臨春閣では今
葺き替え工事が行われています。

世界中に板葺きの屋根はありますが

2~3ミリの薄い板で葺くのは
柿葺きだけ。

椹の木の板を打ち抜き
板を留めるのは竹くぎです。

作業中 竹くぎを入れておくのは
なんと口の中。

左手は板 右手は金づちで
塞がっているからです。

こんなところにも匠の技。

一番難しいのは角の部分。

2つの面が ぶつかる折れ目だからです。

ここに使うのは 曲げに強い板。

角の板を仮留めしてから
それに合わせて曲線を描くよう

周囲の板を留めていきます。

こう カキッと割れてしまいます。

これが普通の板。

断面を見ると まっすぐに
年輪が通っています。

一方 これが 年輪が
斜めに入った特別な板。

かなりの力を入れても
割れることはありません。

木の性質を知り尽くした末の柿の曲線。

葺き上がったばかり。

椹の木の美しい肌が輝いていました。

ひさしの次は
屋根に檜皮を葺いていきます。

檜皮は檜の皮を薄く剥ぎ
75センチほどの大きさに整えたもの。

ぬらして柔軟性を持たせ
竹くぎで留めていきます。

木の皮が醸し出す ひなびた質感。

自然に美を感じる
日本人ならではの屋根素材です。

飛鳥時代に瓦が もたらされるまで

日本の建物は 草や木の皮や板など
植物で葺かれていました。

瓦が広まったあとも
植物の屋根は受け継がれ

とりわけ檜皮は
最高級の屋根素材とされてきました。

日本人と森の深い関係が
屋根にもあります。

森に入り 檜皮をとるのは原皮師。

今回 その技も
無形文化遺産に登録されました。

原皮師の大野浩二さん。

檜皮が とれるのは
樹齢80年以上の檜だけ。

そのうえ とれる森は限られるため
全国各地に出向きます。

檜の赤い肌の内側に 木が成長する
形成層があります。

そこに傷をつけない へらさばきが匠の技。

木を生かしたまま
皮がとれるのは檜ならでは。

背丈よりも上の檜皮をとるには…。

仕事の相棒 ぶり縄の出番です。

木肌にロープを絡ませ 摩擦を利用して
20メートル近くまで登ります。

どこに縄をかけ どこに力を入れるのか
木を深く知らなければ できない仕事です。

檜皮をむいたあとの檜は
赤い滑らかな肌となります。

ここから皮が再生し
10年おきに何度も とれます。

全国を飛び回る大野さんの拠点は
兵庫県丹波市。

古くから檜皮の産地として
知られてきました。

自宅に戻ると とってきた檜皮を

屋根材料として整える作業が
待っています。

皮を薄く剥がし 1.5ミリの厚さに
そろえていきます。

不ぞろいな皮を組み合わせ
決められた形に整えます。

この檜皮の整形が
最も手間のかかる作業です。

かつて集落に 原皮師は何人もいましたが
今は大野さんの家だけ。

20年前には 原皮師は
全国でも十数人にまで減り

後継者不足が深刻になりました。

それ以来 大野さんたちは職人の養成に
力を入れるようになりました。

地元の協力を得て森を借り

原皮師養成林として
研修の場にしています。

原皮師の卵たちが練習した木を
案内してもらいました。

きれいに再生してきた檜の皮
あと数年で また とることができます。

今 大野さんは
仲間の屋根の職人たちとともに

全国で檜皮が とれる森を増やす
取り組みを続けています。

後継者を育てるのも檜皮の森を育てるのも
100年先を見据えた息の長い仕事です。

木造建築の匠の技
それは森の恵みのたまものでした。

草刈さん 草刈さん!

何だ? これ。

ハハハ
草刈さん やっと目が覚めたんですね。

いや~。

何だか 今
不思議な気持ちになっちゃってて。

どんな?

この柱や ふすま 畳や欄間…。

こんなに美しかったことを どうして
気が付かなかったんだろうと思って。

このうちを建ててくれた大工さんや
職人さんに

どうしても お礼を言いたい気持ちで…。

熊さんの気持ち ちゃんと届いたんですね。

熊さん?

♬~

僕の自慢の家です。

♬~

(踏切の警報音)

Source: https://dnptxt.com/feed/

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