徹子の部屋 加藤茶&綾菜夫妻[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 加藤茶&綾菜夫妻[解][字]

~結婚10周年!78歳と33歳…45歳年の差夫婦は今~加藤茶さん&綾菜さん夫妻が今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
結婚10周年。45歳の年の差で結婚し世間をざわつかせた加藤茶さんと加藤綾菜さんが登場!今日は「世間の人に育ててもらった10年」という夫妻の激動(?)の10年を振り返る。
◇番組内容
結婚当初は財産狙いと言われ、酷いバッシングや嫌がらせを受けた綾菜さんだが、今は「献身的に夫を支える妻」と世間の評価が一変!?結婚後、茶さんはパーキンソン症候群になり、体重が落ちてしまった。無事に回復したが、何もできなかった綾菜さんは何かあった時に支えになりたいと決意。今は、健康寿命を延ばすための自立支援に取り組んでいる。昨年は盟友・志村けんさんが急逝。ショックで寝込んでしまった茶さんを励ましたのは…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  1. 本当
  2. 結婚
  3. 自分
  4. 一緒
  5. 時間
  6. 全然
  7. クレーム
  8. 可哀想
  9. 世間
  10. お母さん
  11. フフフフ
  12. 綾菜
  13. 奥様
  14. 加藤茶
  15. 元気
  16. 志村
  17. 彼女
  18. お客さん
  19. お母様
  20. ダメ

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

(黒柳)45歳の年の差で

ご結婚なさいまして

世間をざわつかせた

こちらのご夫妻。

加藤茶さんと
奥様の綾菜さんです。

どうぞ こちらへおいでください。

今年 結婚10周年を
お迎えになりました。

どうぞ お座りください。
よろしくお願いします。

お願いします。
失礼します。

ご結婚10周年
どうも おめでとうございます。

(綾菜・茶)ありがとうございます。

まあ あの… 綾菜さんは
23歳で ご結婚になったんで。

それで まあ それ相当の…
加トちゃん 年だったんで

なんなんだって
みんなから いろいろ…。

はい。
この10年間は いかがでした?

初めの3~4年は
やはり クレームが多かったので

もう 毎日が すごく長く感じて。

つらい時期の方が長かった…。
そうでしょう うん。

今は もう 10年経って
やっと こう 2人で楽しく…。

まあ その当時も
楽しかったんですけど

やっぱり その クレームの事とか
悪口とかが多すぎて

心が ちょっと 休まる事がなくて。
そうですよね。

初めは なんか
あれなんですってね

みんな いろんな事…
私 ビックリしたんだけど

あの… 財産狙いなんて
言われたんですって?

そうです。
あなた 財産あるの?

私 ビックリ…。
いや… 僕は もう

全然なかったんです。
全然…。

私も あるとは思わなかった。
そうでしょう?

あの… 保険金狙いとも
言われたんですよ。

あっ そういう…
死んじゃった場合? それは。

ええ。
ひどい。

でも
保険にも入ってなかったんです。

本当に? フフフフ…!

相当だわね あなたもね。
そうですね。

でも 世の中の方って
そう思っちゃうのね。

そうですね。
みたいですね。

芸能人だから
お金持ってるだろうとか

すごい莫大な生命保険
入ってるだろうとか。

それが お金は持ってないし
生命保険も入ってないって…。

身一つっていう。
そうです。

そんな事ね…。 でも その頃
本当に 「別れろ」とかさ

なんか 「死ね」なんていうのも
きたんですって?

あなたのとこに。
そうですね。

1日200件以上のクレーム。
えっ!

そんなに!?
そうです。

あら… 可哀想だったわね。

一回 ためてみたんですよ。

くるファクスとかクレームを
ためてみたら

10万件の悪口が
2年間ぐらいで… きてました。

可哀想だった…
つらかったでしょう? その時。

どうでした?
つらかったです。

つらいわね。 おうちも何回も
引っ越ししたりしたんですって?

5回ぐらい引っ越したんですけど

もう 引っ越したら
ネット上で 住所が特定されて

スプレーで いたずらされたりとか
っていうのがあったんで…。

ドアなんかに?
はい そうです。

なので 5回 引っ越ししました。

随分 可哀想だったわね。
だって 奥様

お若かったんですもんね
結婚なすった時ね。

23歳でした。
23歳ですもんね。

でも それは
加藤茶さんにしてみると

可哀想とお思いになりました?

可哀想とは思ったんですけども

まあ しょうがないかなとは
思ってましたね はい。

結婚したんだからね。
ええ。

でも あなたの方は
まだ いいとしても

奥様の方がね なんだかんだって
やっぱり 言われちゃうじゃない?

そうですね。
だから 彼女が たたかれるのが

すごい もう…
僕の方も つらかったですね。

そうでしょう? ねえ。

まあ でも 今は
献身的に夫を支える妻という風に

評価が一変したんですってね
現在。

10年経って。
うれしいです はい。

よかったね。
本当によかったわね あなたね。

はい。 初めの方は もう

犬の散歩で 近所を歩いてるだけで
指さされたりして

ちょっと 笑われたりとかいうのも
長かったんですけど。

ああ そう…。
今は なんか 「頑張ってるね」とか

「応援してるよ」って
言ってくださる事が増えて

「ああ なんか 知らないうちに

評価 ちょっとずつ
変わってきたんだ」って。

あなたは
なんにも変わってないのにね。

そうですね… はい。
その頃ね

こっちが健康だったら
よかったんだけど

なんか パーキンソン症候群
というのになって

体重が なんだか 38キロぐらいに
なっちゃったんですって?

痩せまして。

で 体重計 見たら

何回 見ても 38キロなんですよ。

それで まずいっていうんで
あの…

ごはんの味付けを変えてみたり…。

お願いして作ってもらったんです。

それから
どんどん食べられるようになって。

あなた 食育インストラクターの
資格をお取りになって。

そうですね。
偉いね。

病気をして

その前から 食事を頑張ろうと
思ったんですけど

やっぱり もう 入院して…

あと もう
パーキンソン症候群になったら

のどの筋肉が弱まって
誤嚥する事も多くなったんで。

どうやったら 加トちゃんに
おいしいごはんを

食べてもらえるかっていうのを
勉強し直したいと思って

食育インストラクターの資格を
取りました。

そうですか。
前 どんなものを食べてた…?

前はね
自分の好きなものというと

もう 肉とラーメンと…。
フフフフ…!

もう 毎日が そうですね。
そうです。

野菜も トマト以外は食べない
っていうぐらい

野菜とお魚は一切食べない…。

お魚も食べないんですってね。
食べないです。

偏食。
はい。

私 加トちゃんが食べてくれれば
なんでもいいと

思ってたんですけど

やっぱり
バッシングされてた私の料理は

本当に そう…
ダメだったんだっていうのを

世間の方から学んで。

加トちゃんが健康になるためには
私が全て直さないと…

変わらないといけないっていう…。
でもさ よその人って

ごはん見てるわけでもないのにね

なんで
そんな悪口言うんだろうね。

いや 私がトンカツを…
うまく揚がったんで

加トちゃんが それを

「トンカツ作ってくれた」
っていうのを

1回
ブログで上げてくれたんですよ。

そしたら 「トンカツで殺す気か」
っていうクレームがきて。

そこから もう 毎日のように
「ふざけるな」とかっていう

クレームが…。
そういう風になっちゃったのね。

まあ あんまり
油ものとか なんかね

食べさせない方がいいとかって
思ったんでしょうね。

でも 今のお食事は
加トちゃん どうですか?

今はね やっぱり 薄味で その…

だしで味付けをしてくれるんで

すごいおいしいんですよ。

あら いいじゃない!
いっぱいあって なんだか。

野菜も 少しずつ
食べてくれるようになりました。

左側の方は あれ お魚?
お魚です。

でも 「骨が のどに刺さる」って
加トちゃんが言うんで

ちゃんと 骨も取って…。
偉い。

…やってます。
そうそう。

私も それ ダメなんですよ
骨があるとね。

だから
のみ込んじゃうもんだから

私も骨を取ってもらうんだけど。

でも 随分
いろんなものありますね。

少しでも
野菜を取ってくれるように…。

血圧が 一時期 196ぐらいまで…。
ええー!

ごめんなさい 大きい声 出して。

そんなのって すごくない?

そうです。 もう 出会った時から
190台だったんですよ。

なんで そんなになっちゃったの?
あなた。

やっぱり 不摂生ですね。
そんなになるの? 人間って。

その当時 酒も飲んでたし

夜更かしで遊んでましたし。

で 脂っこいもの食べてたんで。
すごいわね。

普通 100…
よくわからないけど 110とか…。

130ぐらいが…。
ギリギリね。

190ぐらいになっちゃったの?
もう 相当ひどいわね。

そうですね。
聞くだに。

でも 今はね 100…
上 上がっても127ぐらいですね。

じゃあ いいわよね 全然。

すごいもんですね それね。
そうですね。

で あなたは
そういうお勉強をして

ヘルパー1級に合格なさって。

これ
手に持っていらっしゃるのは

修了証明書を
持っていらっしゃる?

はい。 でも 77歳になる…
今 78歳なんですけど

77歳になるタイミングで

加トちゃんが
健康で長くいてもらうためには

何か力を付けたいと思って。

で その
パーキンソン症候群の時は

もう
私もパニックになってしまって

どうやったら 加トちゃんを
助けられるんだろうと思っても

何もできなかったんで

いや もう ここで 絶対
介護の資格を取るぞって決めて

で 2級の資格を取るために
学校に通って 勉強したら

すごく 自分に介護の仕事が
向いてるって気付いて

楽しかったんですよ すごく。

だったら 1級を取りたいと思って
1級の学校に通って

で 合格して取れて。

でも 加トちゃんが
すごく健康になったんで

いや… 今 加トちゃんに
介護する事はないから

この知識を
何かに役立てたいなと思って

今 デイサービスの おじいちゃん
おばあちゃんの所で

働かせていただいたりとか。
そうなの。

はい。 すごい楽しいです。
そうですか。

でも そういうお勉強して

ご主人のためになる
なんていう事は

考えてもいなかったでしょう?
前には。

そうです。 もう… 23歳の時には
なかなか そこまで…。

大好きだから一緒になりたい
っていうのが先行して

なんか 本当に そういう…

病気になったりして
直面した時に

いや もっと
自分で覚悟を持って

加トちゃんを守っていける
自分になりたいっていうのは

強く思いました。
なるほどね。

でも あれですかね?
加トちゃんは

まあ
お好きで一緒になったんだけど

そういう事もやってくださるとは
思ってもいなかったでしょう?

前には。
そうですね。

僕の事を好きだから
結婚してくれたのかなと

思ってたんです。

でも 結婚したあとに
いろいろ考えてくれて。

こんなに あの…

かゆい所に手が届く事を
してくれるっていうのが

全然 なんか…

想像も
つかなかったんですよね。

それが いろいろ
やってくれるようになって

こんなに元気になりました
本当に。

うれしいでしょ?
はい。

まあ 健康寿命を延ばす
っていう事を…。

成果はあったわけね そうすると。
ありました。

もう 初めは 加トちゃんのために
なんでもするんで

リモコンも私が取って
お茶も私がついでっていって

もう 何もしなくていいよ
っていう感じだったんですけど

介護の学校に通い始めたら

そんな風にしたらダメだ
っていう風に学んで。

もう 加トちゃんのために
動いてもらう。

じゃあ
「リモコン取って」って言ったら

「自分で取って」っていう風に…?
そうです そうです。

それ… もう 自立支援が
本当に 一番大切で

それが健康寿命を延ばす
っていう事なんだよって言われて。

「ああー そうだ…」。
だから 加トちゃんが…

「散歩に一緒に行こう」
って言っても

「足が痛いからイヤだ」
って言ったら

「じゃあ 行かなくていいよ」
って言ってたんですけど

今は どうやったら 一緒に散歩に
行ってくれるかなって考えて

運動もしてくれるようになって。
ああ そう。

で 健康的になったんで。
だから うちにいても

動く事が
すごい多くなったんですよ。

ああ そう?
自分で なんでもやるんで。

動いてくれないんですよ 全然。
そう。 でも それは…

それは 本当によかったですよね。
(綾菜・茶)はい。

だって そうじゃなかったら
あの… あなたにとってみれば

そんなに面倒くさい事じゃ
ないじゃない。

何? リモコン取る事だって
なんだって。

だけど 本人にやらすっていう事が
大事なんだから。 ねえ。

全部 いろんな事。
それを知らなくて

最初は 冷たい野郎だなと
思ったんですけど。

フフフフ…! そうよね。

途中から
そんな風になっちゃってね。

でも よかった。
いい方と結婚なさいましたね。

そうですね。
ねえ。

それと あの… 彼女のお母さんが
すごい まめで。

悩みがあると
電話して 相談してたんですよ。

その… 義母に当たるんだけど
お年は25歳下なんですってね

あなたよりね。
年下なんだけど「お義母さん」。

そうです。 で やっぱり
そのお義母さんの言葉が

すごい
重かったんだと思いますね。

あっ そう。 例えば どんな?

あの 10年…

「多分 信用されるまで
10年はかかるよ」っていう事を

言われたらしいんですよね。
あっ そうなの。

やっぱり 10年経って
評価が変わってきたんで

お義母さんの
言うとおりだなと

思いましたね。
なるほど。 今 ちょうど10年。

だから あなた自身は
変わらないんだけども

そういう いろんな気を使ったり
勉強したりする事が

あなたを変わらせたようにね
世間には見えたという事。

でも 本当に お台所に立つ事も
なかった 加トちゃんが

なんか ラーメン
作ってくれたんだって?

はい。 私が介護の学校で
頑張ってるっていうので

インスタントラーメンを
作ってくれて。

それまで作った事なかったの?
はい。

あの… 独身時代
自分で食べてたものを

作ってあげたんです。

おいしいんで
彼女に作ってあげたんです。

おいしかった? そしたら。
おいしかったんですけど

その上に コンビーフを
ひと缶 入れたんで…。

でも 話 急に変わるんですけど
去年 3月ですか?

志村さんが亡くなって
あなた ショックだったでしょう?

ショックだったですね。

コロナっていう病気自体も
知らなかったんで。

そうよね。
初めの頃でしたからね。

コロナって
そんなに怖い病気なんだって

思っちゃって。
うん。

その… 志村が70になって

僕たちに追い付いてきた時に

これから いろんな事できるよな

っていう話をしてたんですよね。

それが できなくなって。

それと 志村が亡くなった事で

ものすごいショックで

3カ月間 寝込んじゃいましたね。
そうよね。

それで あなたと志村さんと
2人で組んで なんか

やってらっしゃいましたよね
ずっと。

2人でコントやったの
多かったんで。

そうですよね。 だから それも
もう できなくなっちゃって。

でも その時に
とっても励ましてくださったのは

奥様のお母様?
そうです。

なんと おっしゃって
くだすったんですか?

その時に。
とにかく やっぱり その…

まだまだ 1人でやる事は
たくさんあるんじゃないか

っていう事を
懇々と言い聞かされて。

お客さんに喜んでもらう事が
まだ 使命で あるんだと

そういう風に言われるんですね。

それで ああ そうか! と
気が付いて

じゃあ やっぱり 年 考えないで

年取っても お客さんに
喜んでもらうっていう事を

考えるようになったんです。
そうですよね。

でも 体力つけるために

ジム行って
運動もしなきゃいけない。

いろんな事をやろうと
随分 やってるんだって?

やってますよ。
1週間に1回は 必ずジム行って。

それで 最初は 軽めにって
言ってたんだけど

インストラクターの方も
どんどん きつくなっていって。

フフフ…! そう?
ええ。

1つ終わると すぐ もう
休憩なしで

「やりましょう」「やりましょう」
って やらせるんですよね。

1時間ぐらい?
ええ… 2時間ぐらい。

2時間ぐらい?
それは 相当だわね。

私もやってますけど
1時間… ギリギリ…

どこも休まないで 1時間やると
もういいっていう感じだもんね。

ですよね。 でも 1時間
やってらっしゃるんですか?

私 1時間やってます。
すごい!

でも 2時間は… ちょっとね。
はい。

でも まあ あなた 男だからね
やらないとね。

ですよね。 だから
我慢してやってるんですけど

もう 終わった時は
ヒイヒイ言ってます。

本当よね。 でも お母様は
広島に住んでらっしゃるの?

そうです。
その義理のお母様…

広島に住んでらっしゃるのは…
とても明るい方で。

その広島弁が ちょっと
きつく感じる時も

あるんですって?
そうですね。

2人で話をしてると なんか
けんかしてるみたいな感じ…。

「じゃけん」「じゃけえ」って

すごい なまってます。
「そうじゃけん」って?

それで 「なあ?」っていうのが
広島弁の なんか…。

「だよね」「ですよね」
っていうのを

広島弁で 「なあ?」「なあ?」って
言うんですよ。

僕に 「なあ?」って言うんで
最初は 僕 ビックリしたんですよ。

僕に 「なあ?」って言われて
えっ? と思ったんですけど

それは 普通なんですって。
「なあ?」「なあ?」。 フフフフ…。

「なあ?」って言って
「はい」って返事したんですよ 僕。

そう…。
はい。

「そうじゃけえ。 なあ?」。
「そうじゃけえ。 なあ?」って

言ってます。
そうなの。

でも そういう方がいらっしゃると
やっぱり 頼りになるでしょう?

そうですね。 あの…

僕に 今 言ってくれる人が
全然 いなくなっちゃったんで。

本当ですよね。 あなた

随分たくさん いたのに 前はね…。

まあ 長さんもね
いなくなっちゃったし。

荒井さんもいなくなっちゃったし。

本当だわね。

で 仲の良かった志村も
いなくなったし。

本当ね。
どんどん いなくなっていって

言ってくれる人が
いなくなったんで

逆に ありがたいなと
思ってますね。

お義母様ね。
そのお義母様は あなたの事を

溺愛して
いらっしゃるんですってね。

はい。 もう 本当のおふくろさん
みたいに懐いてます 僕。

そう。 よかったね
そういう方がいらしてね。

あなたも うれしいでしょう?
自分のお母様が

この方の事を気に入って。

そうですね。
私たち 子どもがいないんで

お母さんが 加トちゃんに
自分の子どもに着せたい

羊柄のパジャマとか
加トちゃんに買って 着せて

加トちゃんを見て 手をたたいて
「可愛い! 可愛い!」って言って

もう 我が子のように愛してます
お母さんも。

お母様と加トちゃんの
沖縄旅行で大げんかっていうのは

なんですか? それは。
ああ… ありましたね。

その当時 本当に 加トちゃんが
「歩きたくない」とか

結構 わがままを言ってて。
で お母さんが

「もう 歩かないんだったら
置いていく」って言って

沖縄のショッピングモールの
入り口に

加トちゃんを1人 置いていって。

1人 残されたのを すごい怒って。

お母さんが
「わがまま言うな」って言って

すごい怒られて。 もう
そのあと ずっとシュンとして。

もう 旅行中は ちょっと
大変だったんですけど。

これ 沖縄に
家族旅行でいらした時?

そうです。
へえー!

どんな方たちが一緒だったの?
この時は。

あなたと…。
両端が弟なんですけど…。

あっ 弟さん。
右から2番目が 私の父です。

そう お父さん…。
お義父さんも若いんですよ。

若いのね。 フフフフ…。

そうか。
そうです。

左から2番目が あなた?
はい そうです。

それで 真ん中にいるのが
加トちゃん?

そうです。
もう 全然…

みんな 同じぐらいの年に
見えるから…。

そうですか?
わかんない 全然 誰が誰だか。

そう。 でも みんなで沖縄…。

でも 本当に 一緒に旅行に行って
楽しいなんていうのは

いいですよね。
そうですね。

毎年 正月に沖縄行ったり
ハワイ行ったりしてたんですけど

やっぱり コロナが…。
そうそう 今年はね。

…なってからは
行けなくなっちゃったんですよね

しばらくは。
なるほど。

さっき お義母さんと
けんかしたっていうのは…。

僕は あの…
一緒に歩きたいんですけど

2人が歩くのが
すごい速いんですよ。

僕が どんどん どんどん
置いてかれちゃうので

独りぼっちになっちゃうんですよ。

それで 駄々をこねたら
そういう関係になったんです。

そうか。 あなたが遅いからね。
ええ。

それも 普段
運動してないからかしら?

そうですね。 やっぱり
歩く回数が少なくなったんで。

だから これも やっぱり
いけないなと思ってて

毎日 歩くようには
してるんですけどね。

そうですよね。 歩くっていう事も
本当に大事みたいね。

ええ。 歩くと やっぱり
自然と筋肉が付くんで

まあ 補われるんで
「歩いてください」って

言われるんですけど。
ほら 前にやってた…

あなたたちが
やってたようなやつはさ

ものすごい運動してたじゃない?

ああいうのをやってた時は
ものすごく…

ひっくり返ったり
でんぐり返ししたり

上から飛び降りたりだとか
いろんな事してたから。

体力 使ってましたもんね
あの時は。

だから
あれをやらなくなっちゃうと

本当に 足やなんか 使わなく
なっちゃうかもしれないものね。

そうですね。
それで やっぱり 普段も

「よく歩いてくれ」って
言われるんですね。

なるほど。 だけど まあ
それを ずるずるしてたから

やっぱり
遅くなるようになっちゃって。

だから 僕も甘えてたんですね
やっぱりね。

それはそうですよね。
でも まあ…

今は どんどん歩く?
歩きます。

前は ウォーキング行っても 帰り
タクシーで帰ってきたりとか

そういうのが
普通だったんですけど

今は ちゃんと 行ったら

歩いて帰ってこれるように
なりました。

綾菜さんは 結婚当初は

加トちゃんの妻になるという
自覚は

あんまり
なかったみたいなんですって?

そうです。 もう… 加藤英文と
一緒になるって思ってて

加藤茶の偉大さを そこまで
ちゃんと理解できてなく…。

でも 世間の方に
もう たたかれて たたかれて

ペチャンコにされて

うわー 加トちゃんの奥さんになる
自覚を持たなきゃとか

なんか 自分は間違ってたんだって
気付けました。

でも それは可哀想よね。
間違っては いないんですよ

結婚した事は 別段ね。
ですよね。

でも その 沖縄に行った時に
できるだけ…

その時 すごい たたかれてたんで

できるだけ
お客さんとかにバレないように

コソコソ観光したいって
私は思ってたんですよ。

食堂に行って 加トちゃんと
私とお父さんとお母さんで

ごはん食べてて。
加トちゃんが その日が誕生日で。

そしたら お父さんが
お店のマイクを使って 食堂の。

「加トちゃん… うちの息子の
加トちゃんが誕生日です」って

ケーキを持ってきたんですよ。
私は バレたくないのに

なんで
こんな事をするんだって

思ってたんですけど
お父さんに

「綾ちゃんは 加トちゃんの事を
ダメにしてる」って。

「加トちゃんは
みんなの加トちゃんだから…」。

そうやって もう コソコソ…
こうやって かばいすぎて。

「その考え方を変えなさい」って
お父さんに怒られて

「ああ そうか」って。
いつも こう 加トちゃんを

他の人に触れさせないように
やってた自分が

間違えたんだって
そこで すごい反省しました。

間違ってるってわけでも
ないのよね。

そうかといって
「これ 加藤茶です」って

押し出すっていうのも
ちょっとね。

そういう風には できないもんね。
できないです。

なるたけ
目立たないようにしたいと

あなたは
思っていらしたでしょうからね。

でも それから
考え 変わったみたいで。

なんか 一緒に外へ行っても

お客さんに
「加トちゃん」って言われると

「どうもー!」って
あいさつするようになったんです。

そう。 私が
写真を撮ってあげる係になって

撮ったりとか。 だから

周りの目ばっかり気になってた
自分が すごい いたんで

それが変わりました。

すごいですよね。
世の中の人っていうのは

なんか お金… あなたが
お金あるとは思わないけど…。

生命保険に入ってないとも
知らないけど。

私 知らなかったけど
そんなもんだろうと思ったけど

やっぱり そうだったんだけど。
そんな風にね あなたは

みんなから
言われちゃったりしたんだけど

10年も経つと やっぱり みんなが
「よくやりますね」って

あなたにおっしゃるように
なったんですってね。

そうです。 でも 本当に
23歳とか24歳の時は

加藤茶の妻になるっていう
覚悟は

そこまで できてなかった
っていうのもあって。

もう 加トちゃんと
一緒にいたい

っていうの
ばっかりだったんで。

もう 世間の人のバッシングで

やっと大人になれたっていうのは
思います。

まあ 世間の方に育てていただいた
10年と思えばいいっていう感じ?

そうですね。
そのとおりですね。

お互いに おっしゃりたい事って
なんかあります?

ああ… 僕は もう いつも
やっぱり 彼女に感謝してます。

やっぱり こうやって
元気でいられるのも

彼女が
いろいろ面倒を見てくれるんで。

そうそう そうそう。
はい。 元気でいられるんだなって。

そうよね。
はい。 その元気を 今度は

お客さんに還元したいなと
思ってます。

そうですよね うん。
あなたは どうですか?

私は もう たたかれるって
わかってながら

よく 結婚をしてくれて…。

本当に感謝しかないな
っていうのはあって。

もう 加トちゃんが
100歳まで元気でいれるように

ずっとサポートしていきたいなと
思ってます。

いくつ違うんだっけ? 四十…?

45歳です。
45歳 違うのね。

でも こうやって見てると
そんな風には思わないわね。

そうですか?
うん そんな風には見えない。

あなたが若く見える
っていうせいもありますけど。

日本中のみんなが
応援してると思いますから。

本当に あなたもお元気でね。
はい。

本当に 奥様も
今日はありがとうございました。

(2人)ありがとうございました。
どうも。 またね。

はい ありがとうございます。

『徹子の部屋』は

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