出典:EPGの番組情報
100分de名著ボーヴォワール“老い”[終]4▽役に立たなきゃ生きてちゃいかんか[解][字]
「老いは文明が引き受けるべき課題だ」というボーヴォワールの視点から、老いてもなお尊厳のある生き方ができる社会とはどんな社会なのかを深く考える。
番組内容
各国の社会保障制度や年金制度、高齢者施設の在り方などを徹底的に調査したボーヴォワールは現行の制度では人間の尊厳は踏みにじられていると批判する。更に数少ない理想的な対策の事例を通して人間が尊厳をもって老い死ぬことができるためには何が必要かを徹底的に考えぬくのだ。第四回は、「老いは文明が引き受けるべき課題だ」という視点から、老いてもなお尊厳のある生き方ができる社会とはどんな社会なのかを深く考える。
出演者
【講師】東京大学名誉教授…上野千鶴子,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】筒井真理子,【語り】目黒泉ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
シモーヌ・ド・ボーヴォワールによる
哲学の名著 「老い」。
ボーヴォワールは
老いは個人の問題ではなく
社会の問題であると指摘します。
最終回は 老いと密接な関係にある
「社会保障」を取り上げ
ボーヴォワールが託した
メッセージを読み解きます。
♬~
(テーマ音楽)
♬~
「100分de名著」 司会の安部みちこです。
伊集院 光です。
今月は ボーヴォワールによる哲学の名著
「老い」を読んでいます。
指南役は 上野千鶴子さんです。
よろしくお願いします。
はい よろしくお願いします。
お願いいたします。
最終回になりました。
いよいよ 文明社会が 年寄りを
どう処遇するかという話です。 はい。
まさに今 この国が抱えてる
ことですもんね。 そのとおりです。
ボーヴォワールは 当時の年金ですとか
例えば 高齢者の施設ですとか
かなり調査したり
文献を読んだりしたんですよね。
そうですね
この人 ほんと 博覧強記の人でね
諸外国の事例とか データとか
いっぱい集めてるし
いや ほとんど
え 社会学者じゃないか みたいですね。
ボーヴォワールは アメリカの社会活動家
ハリングトンの言葉を引いて
老人の置かれている現状を訴えます。
「老い」が書かれた当時
高齢者の世話は
第一に 家族の義務とされていました。
しかし 家族と暮らす高齢者は
必ずしも歓待されないといいます。
子どもの世話にならず 老いた夫婦2人で
暮らすことについても 否定的です。
退職した夫は 妻の前で引け目を感じる。
妻は 夫が家に居るのが やりきれない。
そんな調査結果を挙げます。
しかし 最も悲惨なのは
貧しい老人の 独り暮らしだといいます。
こうして 独り暮らしの老人は
「悪い健康と 窮乏と 孤独という
三重の悪循環」に陥るといいます。
そして 社会保障の必要性を訴えました。
今 日本で書いた本みたいですね。
いや ほんとですよね。
あるある感 満載ですよね。
すごいですねえ。
実は 女性高齢者の独居者の貧困率
5割超してます。
で 男性の方はね 女性高齢者よりも
若干 所得は大きいんですが
孤立が そのかわり 出てきます。
それまで だけど
家族がいさえすれば 大丈夫って
思われてきたということですね。
ただし まあ 家族がいさえすれば
という時に 誰がやってきたかというと
自動的に嫁でしたよね。
嫁のね 介護のことを 私たちの業界では
強制労働といいまして。
もう いやもおうも言えないので。
で それを私 嫁の介護は 評価なき介護
対価なき介護 感謝なき介護って
言ってるんですがね。
世話して当然と思われてきたので。
最近 ヤングケアラーみたいな
やっぱり 家族がケアをすることで
かなり犠牲になってる みたいな話も
出てきましたけど
これもね 何か 見て見ぬふりをして
美談にしてきたじゃないですか。
おじいちゃんを すごく面倒見ている
お孫さんとか
滅私で支える お嫁さんとか
そうできる人をいい人で
それができない人は 情けないんだ
みたいなことにしていったことで
何か 表面化しないまま
こんなに早く 書いててくれたんだけど。
まあ おっしゃるとおりですねえ。
それが ようやく
介護保険ができました 2000年に。
はい。
今年で 21年目。
で 私ね 介護保険ができた時にね
やったぜ これは 私のために
できたんやと思いました。
ほう。
だって 私 おひとりさまですからね
それまでは 私のような
家族のいない おひとりさまは
最後は 施設か病院で
哀れに 惨めに死んでくっていう
これがね やっと そうじゃない選択肢が
できたと思いましたんで。
しかも まあ 保険ですから
自分たちでお金を出して
権利として
それを使うということですから
やっぱり画期的な変化でした。
これを 「介護の社会化」といいます。
何か その 私は我慢できないで
国に任しちゃった みたいな
意識を持っちゃう人って
いるじゃないですか。
もしくは 介護される側も
私は 家族がやってくれないで
その お金で人に任されてるんだって
意識を持っちゃう人
まだ 少しいるじゃないですか。
僕 これは早く なくなった方がいいと
みんなが あの
Win-Winなことなんだっていうのを。
ズバリ 核心つかんでおられますね。
あの 介護 逃げてもいいんですよ。
だけども その内なる声がね
罪悪感というものを与えるわけでしょう。
で 自分で
自分を追い込むっていう人たちが
介護離職なさったりとか
苦しんでおられるわけですね。
人に委ねて 構わないっていう制度を
作ったのが 介護保険ですからね。
あと その高齢者に特化した
専用の施設というものもありますけど
ボーヴォワール
既に持論があったんですよね。
そうなんですよ。 何かね いっぱい事例を
ちゃんとね 調べてらっしゃるんですよ。
で 非常に批判的な
紹介のしかたしてます。
それゆえ…
…と アンケートの結果を紹介しています。
しかし 例外として アメリカにある
「ヴィクトリア・プラザ」を挙げました。
そこでは 住宅に恵まれない老人が
単身 または配偶者や親類
友人たちと同居。
図書館や遊戯設備もあり
ほとんどの居住者が幸福を感じていたと
紹介しています。
そして 高齢者施設について問いかけます。
めちゃくちゃ早くないですか
こういうもの。 早いですね。
こういうものが あったのも
すごいことだけど
ちゃんと それを取材してきて
これの正しさを書くって 早いですよね。
ものすごく先駆的です。
お年寄り ご本人に聞いたら
施設に入りたいなんて思う お年寄りは
たくさん いないって
ちゃんと指摘しておられてね。
で 私も入りたくないし。
だって この年になるまでね
集団生活なんか送ってきたことのない
人間がね
何で 年取ってから 急に
集団生活 やんなきゃいけないんですか。
僕は 学校すら
ドロップアウトしちゃったぐらい
うまく 周りとやれない人間だったから
この もう一回 始まる
ある意味 学校生活みたいな
同年代の 別に 一緒にいたいとも思わない
人たちといるっていう生活を
僕は向いてないだろうなって。
もう伊集院さん そしたら 妻を大切にして
妻より 先立つしかないですかね。
そうですね。 先立とうって そんなね…。
それが
なかなか うまくいかないですよね。
いい例もあるって
言ってらっしゃるんですよね。
で まあ あのヴィクトリア・プラザの
成功の条件はって
年寄りだけではなくて 多世代がいる。
それから 個室が ちゃんと確保されてる。
それと 都市部にある。
だってね 高齢者施設って 大体
どこも不便なとこにあるんですよ。
土地の安いところに。
もしかしたら ある種の
街のつくり直しみたいなものを
やるしかないんだと思うんですね。
そのとおりです。
何か その 街というものが
生産能力のある人だけが
住むところになってて
ちょっと こう
循環できなくなってきたので。
例えば 保育園 幼稚園 小学校と
老人ホームみたいなものを
うまく くっつけたら 割と きちんと
機能したとかということがあったりとか。
もっともっと そういう学問を
みんなで突き詰めていくと
できることがあるかなって。
私なんか 思うんですけどね
すばらしい施設の中でね
中にね ビリヤードがあったり
バーがあったりするんですよ。
で そこに 入居者さんの方が
いらっしゃいますか? って聞いたらね
いや~ それが あんまり
いらっしゃらないんですよって
経営者の方 おっしゃるんで
そりゃそうやろ
こんな施設の中で バー 行くより
外に連れ出してほしいわって。 ねえ。
この施設が街に開かれたらいいのになって
いつも思ってます。
今の日本では
あまり 高齢者施設というのは
希望する人は少ないんですか?
ほんとに 本音の本音
入ってらっしゃる方に
ご自分で入りたくて
いらっしゃいましたかっていうと
「いや~ 長男に頼まれて」とか
「私さえ我慢すれば 家族がまるくいくと
思って」って おっしゃいますよ。
何か 聞いてると切ないですよね。
私なんか すごい簡単に言うのは
迷惑をかける家族が同居してるから
居づらいんですよ。
だから 同居家族が誰もいないと
1人なら 家に居られるっていうのが
私の 今の持論なんですけどね。
最近 ちゃんとね
最後まで おうちに居るというのをね
お金なくても 医療保険と介護保険の
自己負担内 1割ですよ
それで できるようになったって
現場の方が おっしゃるようになりました。
へえ~。
訪問看護師の方がね
死ぬのに 医者は要りません。
私たち ナースだけで
お見送りできますって おっしゃり
そのぐらい やっぱりね
現場が進化しました。
私は今日は これが言えて うれしい。
ボーヴォワールが
いち早く 取り上げた問題に
高齢者の認知症があります。
1970年代 高齢者に現れる問題行動が
注目を集めていました。
息子から 仕事を取り上げられた老人が
庭を裸で歩き回ることを 例に挙げて
次のように言います。
続けて 徘徊する老人を取り上げます。
彼は 自分が
何を求めているのか分かっていないが
何かを探し求めている。
さまようことで 家族に
彼らなしで やっていけることを示し
また 彼らを心配させて喜ぶというのです。
どこまでが老化で
どこからが異常行動なのか
簡単には 線引きできないというのです。
これまた 早いですよね。
着眼点 ものすごく早いのと
あと 何でしょうね
ユーモアも少し感じるかな。
ほんとに この書き方は
外から 認知症の人を見て
何を言っても理解できない人じゃなくって
本人の気持ちに寄り添って
きっと こういうふうに
思ってるんだろうっていう
やっぱり この人は 当事者目線って
すごく大事にしてる人だなっていうのは
この時期に こんなことまで言ってる
っていうんで ちょっと感嘆しましたね。
僕は
ここから先は もう病気なんですとか
ここから先は ちょっとした老いなんです
っていうとこの線引きよりも
笑ってらっしゃるか
そうじゃないかの方が とっても大事で。
はあはあ。
苦しいですか それとも
楽しいですかっていうことで
かなり深刻な状態になってても
笑顔でいてくれる
それが楽しいんなら
僕は 深刻じゃないと思ってて。
それは 最高の見分け方ですねえ。
寄席の伝説なんですけど
かなり ご高齢の その名人級の師匠が
やっぱり 少し認知症が始まって
え~と 寄席の楽屋で排泄をしちゃって。
そしたら 周りの弟子たちがね
「くせえ くせえ」って
「何々師匠 うんこ漏らしてやがる」って
なった時に
「うんこ 嫌がってたら
いい野菜 作れないよ」って
ギャグ 言ったっていうんだよ。
伝説なの。 (笑い声)
もう その人は もう何か 認知症をも
もう笑いに変えちゃう能力があるから
憧れる。
私 思うんですけどね おむつしてまで
生きていたくないとか
おっしゃる方が
いらっしゃるんだけどね
おむつしたぐらいで 死ぬ理由には
ならんやろうって思うんですが
何か そういうことを考えるとね
こんなことまでして生きていたくないと
思う方たちが
どうやら 安楽死ということを
お考えになるようで。
伊集院さんは どう思っておられる?
難しい問題だな。
いや だから 安楽死を考えるのは
まだ 認知症の段階では
ないわけじゃないですか。 そうです。
私が認知症になったら
恐らく こうなるであろう
こうなるであろう
ということじゃないですか。
そこで決めていいのかっていう。
いや これはね 第3夜で
自分が 80代になった時に
果たして 性欲があるのないの
っていうのを 今 分かんないよねって。
だって 俺 30の時に
50はないんじゃないかと思ってたわけで。
そうやって考えると
先に決めすぎかなっていう。
あっ あの ほんとに思います。
今の私が 将来の私を決めていいのかって
思いますよね。
日本も今ね 安楽死法 作るかどうかって
いろんな議論が起きてるんですけど
安楽死法先進国の オランダでですね
認知症になってまで
生きていたくないって
事前指示書を書いちゃった女の方が
おられたんですよ。
その方 順調にボケられて
じゃあ ご本人のご希望どおり
安楽死をしてもらおうと
周りの方が段取りをしたら
土壇場で ご本人が抵抗されたんです。
周りの方が押さえつけて
で 安楽死させちゃったということが
事件になりまして。
結果は
まあ 無罪になっちゃったんですけど
日本でも こんなことが起きちゃうと
困るなと
私は ほんとに思ってるんですけどね。
私は基本は 安楽死には反対なんですがね。
いや だから ほんと思いますね。
何か 難しい問題だな。
まあ ボーヴォワールさん
それ 書いておられないのでね。
でも 私の推測ですけどね
ボーヴォワールさんはね 多分ね
ノンと はっきり
おっしゃったと思います。
いや 僕も にわかだけど
そんな気がする。
その 若い時に持ってしまった
老いた先のイメージみたいなものが
老いた自分を苦しめるんだっていうことを
分かってる人が
若い頃に安楽死をするっていうのを
決めていいって 思ってない気がする。
で 自分の老いも
やっぱり そうやって外に見せましたし
その中の 自分の やっぱり悲嘆や不安や
苦しみも みんな さらけ出しましたし。
そういう姿が 惨めだとか
きついとかじゃなくて
こういうもんだっていう
人ですもんね。 ですよね。
あ こういうもんだですよ。
それは徹底していますね。
さあ それでは ボーヴォワールの
最後の時を見ていきましょう。
ボーヴォワールは その生涯を通じて
「書くこと」に向き合ってきました。
彼女は 未来に希望を託していました。
1986年 ボーヴォワールは
78年間の人生を全うします。
彼女の死に際し 哲学者 バダンテールは
追悼文で こう述べています。
何か ほんとに あの
ご本人の映像 見ましたけど
ほんとに 力強い人ですね。
ものすごく言葉に力のある人だなと
思いましたね。 そうですね。
ボーヴォワールは
もう古いって言う人もいるんだけどね
読み返す価値があると思います。
何か 良かったのは
僕は その 不勉強だから
「第二の性」より先に
この「老い」に触れたんですね。
多分 僕
いきなり 「第二の性」に触れると
僕が 女性になるっていうことが
想像つかないから
僕が老いていく立場になるのは
想像がつくので
何か その差別感とか これをどうやって
取り除いていけばいいのか みたいな
入り口として とても分かりやすかったし
自分ごとになったんですね。
そうすると 一歩進めて こういうことが
自分が こう 内面から持っちゃってる
差別意識なんだ みたいなことが
理解しやすくなるかなって
ちょっと思いました。
はい。 よくぞ言って下さいました。
私はね 超高齢社会は
恵みだと思ってます。
老いは 誰にも訪れる。
で 差別していた その当人に
いつか あなたがなっていく。
年寄りが 安心して生きられない社会は
若い人も 安心して働けない社会なので
このボーヴォワールさんの宿題は
私たちが ちゃんと
引き受けなきゃいけないと思います。
いや 今から 年上を
ちょっと大事にしたりとか…。 ハハハ…。
きちんと見たりとかすることで
理解したりすることで
何か そこに備えられるような気がします。
機嫌よく 老いていきましょうね。
そうですね そうですね。
で あの どういう形であれ 何かこう
笑ってる老後みたいのが欲しいですね。
理想ですね。
上野さん ありがとうございました。
ありがとうございました。
はい おつきあい下さいまして
本当に ありがとうございます。
とても楽しかったです。
こちらこそです。
♬~
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