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英雄たちの選択 幻の一大決戦!秀吉vs.毛利 ~真説「鳥取城の戦い」~[字]
秀吉が仕掛けた包囲戦「鳥取城の戦い」。実は、秀吉は、織田対毛利の全面戦争を構想していたのではないかという説が近年浮上してきた。幻の一大決戦の真相に迫る。
詳細情報
番組内容
日本海と鳥取砂丘を望む毛利の山城・鳥取城。天正9年、秀吉は、2万の大軍を率いて、この地に進軍した。そのとき、秀吉は、12キロに及ぶ付城群(つけじろぐん)を築き、鳥取城を完全に包囲した。単なる包囲戦にしては、あまりに堅固な構え。実は、秀吉は、その先に、織田対毛利の一大決戦を構想していたのではないかという説が、近年浮上している。城郭考古学者千田嘉博さんが、現地を訪ね徹底検証する。
出演者
【司会】磯田道史,杉浦有紀,【出演】城郭考古学者…千田嘉博,伊東潤,明治大学教授…飯田泰之,【語り】松重豊ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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- 織田家
- 侵攻
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
戦国乱世を終息させ
天下統一を成し遂げた 英雄 豊臣秀吉。
秀吉がまだ 羽柴と名乗っていた時代。
秀吉を評した言葉が
西国の雄 毛利氏の書状に残されている。
「秀吉は
合戦は 無論のこと
城攻めを得意とした
武略に秀でた名人である」。
敵さえ認める 城攻め名人 秀吉。
秀吉の 特に名高い城攻めは
山陰の毛利方の一大拠点
鳥取城を巡る攻防戦。
…といわれている。
秀吉は 鳥取城周辺に
なんと総延長12km以上に及ぶ臨時の要塞
付城群を築き
鉄壁な包囲網を完成させた。
これにより 兵糧不足に陥った鳥取城は
飢餓の果てに開城。
自らの兵を損失することなく
城を陥落させた秀吉は
主君 織田信長からも
前代未聞の武勇の誉れと
たたえられたという。
ところが…
こうした通説が 今 揺らぎ始めている。
秀吉 対 毛利。
戦いの舞台となった
鳥取城。
城郭考古学のエキスパート
千田嘉博さんが
戦いの実像に迫る!
そして 帰ればですね…
っていうのが 本当に よく感じられます。
この時期 秀吉書状に頻繁に登場する
御座所の文字。
一体 何を意味しているのか?
この戦いというのが…
秀吉が企てた…
そして その結末とは?
鳥取城を巡る秀吉の選択
専門家たちが熱い議論を交わす!
私ね 下手したら…
毛利方の武将は この戦いを
日本を二分する戦いと
記している。
知られざる
秀吉 対 毛利の
一大決戦
鳥取城の戦い。
400年以上にわたり 封印されてきた
秀吉の真のねらいを読み解く!
♬~
皆さん こんばんは。
こんばんは。
歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。
その時 彼らは 何を考え 何に悩んで
一つの選択をしたんでしょうか。
今回の主人公は こちらです。
羽柴秀吉
後の天下人 豊臣秀吉です。
今回は 秀吉が まだ
織田信長の一部将の頃
中国地方の雄 毛利と死闘を繰り広げた
鳥取城の戦いを取り上げます。
この戦いは 城を完全に包囲した…
ところが
最近 史料の検証が進んでですね。
単なる これ 兵糧攻めなんだろうかと
明らかになってきたと。
このね 新しい新説を唱えた方のお一人が
皆さん ご存じ! お城ですよ!
もう お城といえばですね
ご登場いただきましょう。
やった~! 来た~!
よろしくお願いいたします。
城郭考古学者の千田嘉博さんです。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
今回も もちろん 現地に行って
名リポートを
していただいてるんですよね。
現地 行かしていただきました。
鳥取城っていうのは 全国でも屈指のよく
お城が残ってるとこなんですけど
実はですね 現地を訪ねて
それから 近年ですね 鳥取県史などで
詳細に毛利方の史料っていうのも
全貌が分かってきましたので
実は…
そういう様子が よく分かってきました。
まさにですね 織田の部将たちにとって
それは もう 武田と戦ったり あるいは
上杉と戦うというのと同じぐらい。
あるいは もしかしたら それ以上の
重要な意味を持った戦いだ
というのが これ 分かってくるんですよ。
分かってきますね。
それでは 秀吉 対 毛利
鳥取城を巡る攻防戦を見ていきます。
11年の長きに及んだ
織田信長 対 大坂本願寺の戦いが
ようやく幕を閉じた。
これにより
畿内統一を果たした信長の大敵は
東の武田 北の上杉
そして 西の毛利に絞り込まれた。
毛利に対抗する中国方面を担ったのが
織田家の武将 羽柴秀吉。
後の豊臣秀吉である。
秀吉は 反旗を翻した
別所氏の三木城を下し
姫路城を拠点に
播磨や但馬の敵を次々に攻略。
そして 毛利との国境 因幡国
現在の鳥取県へと 矛先を向けたのである。
毛利氏の山陰地方の要となった鳥取城。
千田嘉博さんが訪ねた。
鳥取城へ やって参りました。
いや~ 今ですね まさに鳥取城の
復元が進みつつあるという状況ですが
大手の橋は 見事にですね 調査の成果に
基づいて復元されていまして
その奥の大手門も
見事によみがえっています。
2021年
復元されたばかりの鳥取城の大手門。
江戸時代 鳥取藩 32万石の格式を誇る
重厚な門構えである。
門をくぐると そこには
鉄壁の防御の工夫が 施されていた。
正面や この脇のところには
こういった石垣の壁がそびえていまして
まっすぐ進んでいくことができません。
つまり ここはですね
枡形になっていたわけです。
この奥をですね 右へ曲がって進んでいく
っていうことになりますが
実際には 実は 曲がった先に
もう一つの門が
本来は建てられていまして
この石垣で囲まれた空間に
閉じ込められてしまって
この上からは 弓矢や鉄砲で撃ったり
射たりっていうのされてますので
大体 死んじゃうと。
鳥取城の守り 厳重です。
江戸時代の鳥取城は 石垣に覆われた
山の麓に築かれた近世城郭。
亀の甲羅状に積み上げられた
全国でも珍しい巻石垣など
さまざまなバリエーションがあることから
城郭の博物館ともいわれている。
いよいよ 戦国時代の鳥取城を見てみよう。
それは 城の背後を守る
久松山の上にある。
秀吉は 1万騎を率いて
因幡へ向け 進軍を開始。
秀吉 対 毛利 戦いの前哨戦となる
第一次鳥取城の戦いの幕開けである。
秀吉の進軍と同じ頃
但馬方面を制圧した秀吉の弟
秀長は 海から上陸。
織田方に味方した 伯耆の有力国衆
南条氏も西から進軍を開始。
秀吉軍は
三方から鳥取城に侵攻したのである。
秀吉軍は 怒とうの快進撃で
因幡国内の7つの城を陥落させ
鳥取城を包囲した。
もう 見事な景色です。
鳥取の砂丘も よく見えています。
やはり 川 海というのを
いかにおさえて
鳥取城へのいろんな食料や軍事物資の補給
というのを断っていくかですね。
今 眼下に見えている景色から
とてもよく分かります。
当時 鳥取城の城主は
毛利方にくみした 山名豊国。
かつて 山陰地方を傘下に治めた
名門大名の末えいである。
だが 秀吉の大軍勢を
目の当たりにした山名氏は
家臣たちの反対を押し切り
秀吉に降伏を申し出たという。
秀吉は 僅か ひとつき足らずで
鳥取城を手に入れたのである。
ところが…。
秀吉が 居城 姫路城に帰陣したあと
事件が起きた。
同じ年の8月。
鳥取城攻めに参陣した
南条氏に対し
毛利軍が攻撃を開始。
これにより 南条氏は孤立。
更に 因幡各地で
織田に対する一揆が勃発。
そして 9月。
秀吉に降伏した城主 山名氏が
毛利を支持する家臣たちにより
なんと城から追放され…
追放された城主に代わり
毛利本国から
新しく鳥取城主が派遣された。
毛利を支える武将 吉川経家である。
鳥取城をめぐる新たな戦いが
再び始まろうとしていた。
今回も
さまざまな分野の専門家の皆さんに
お越しいただいています。
皆さん よろしくお願いいたします。
(一同)よろしくお願いいたします。
千田さん それにしても鳥取城は
本当に見どころが
たくさんあるお城なんですね。
すばらしいお城ですよね。
この鳥取城なんですけれども
まさに 今回のですね
秀吉が
もう一度 攻めてくるという時には
城主が 吉川経家になっているので
ありますけれども。
この時ですね…
まあ すごい 絶好の山城だということを
こう 文書に記してるっていうのが
まあ 残っておりまして。
まあ 当時 各地に
戦国の山城ありましたが
その中でもですね 本当に…
久松山も 結構 角度ありましたね。
はい! すごい健康にいい お城です。
健康にいいお城。
いい運動になるんですね。
いい運動になりましたよ。
磯田さんは 行ったことは?
僕 何度もあります。
もう 鳥取城はね 泊まりがけで
そのぐらいにして 古文書 見るんです。
でも 実は
久松山 上がったことないんですよ。
いや あれね あまりに急すぎる。
あれはね
城攻めするもんじゃないっていうのは
もう知ってるがゆえに 上がらなかった。
さあ その天正8年の
第一次鳥取城の戦いでは
秀吉は 僅かな期間で この鳥取城を
陥落させることに成功しました。
伊東さん
この織田家にとって 毛利というのは
どれぐらいの存在だと考えてますか。
そもそも…
しかも もう 織田信長を頂点にして
もう 非常に 独裁政権的に
トップダウンで
全てがパッて動くような体制が
出来上がってる時です。
それに対して 毛利方っていうのは
カリスマ的な当主だった
元就が
お亡くなりになったあとで。
ちょうど毛利の両川と呼ばれている
小早川隆景と
吉川元春。
この2人が 最終的な決定権を
持ってたわけです。
当然 当主としては
輝元がいるんですけど
あの元就の遺言で
2人の判断に任せるみたいなことを
言ってたわけですね。 そのため…
毛利家の場合は 結局のところ
中国地方の国人領主たちの
国衆たちの旗頭にすぎないので
それは 毛利元就がいれば
カリスマがいれば まとまるんですけれども
システムとして
しっかり統制された機構を
持っていたわけではない。
ですから 代替わりに弱いわけですね。
そして もう一つ
織田家のサイドとしては
まさに 事業継承の真っただ中。
その前に…
だからこそ 負けられない
万全の態勢で臨む織田家と
どうしていいのか ちょっと
方針を定めることができない毛利勢。
これは まあ かなり…
磯田さんは
この織田と毛利の対立について
この時点では どういう状況だったと…。
織田 毛利の戦いっていうのはね
もうここでね 毛利側は
負けたら あとがないっていうか
かなりやばい。
逆転が難しいっていう状況ですね。
まあ あえて 野球に例えると
先制2点を取ったのは
毛利だったんですよ。
あの大坂湾の戦いで
大坂の本願寺に補給を可能にした。
そうすると 勢いを見て
荒木村重っていうのが裏切ってくれて
毛利方ついてくれると。
ほいで ところが そこからの
巻き返しの織田ってすごくてですね
本願寺のいる大坂湾の海上の戦いでは
勝つわ
有岡城の戦い 荒木村重 裏切ったやつは
しっかりたたき潰すわ
三木城では 勝つわ
本願寺にも勝ち進めていくわ
その上 鳥取城まで出てきちゃって
どんどん大坂湾辺りに前線があったものが
岡山や鳥取ぐらいまで
秀吉の天才的な戦いぶりでね
押してきちゃってるわけですよ。
ところが この秀吉も
鳥取まで来たところで
やっぱり 補給線が長いこともあって
1勝1敗になってきて 毛利が
鳥取城を取り戻したりするようになると。
そうするとね
まあ いってみれば 5対3で
点差2点ぐらいまで…
1点返して ここで もう一回勝てば
毛利も 結構 戦えるぞ! になるんですよ。
でも ここで負けちゃうと 吉川 小早川は
負け投手が確定しそうで
負け投手になったら
あいつなんか登板させるかといって
言うこと指揮官としてね
カリスマ度が落ちちゃうっていう
そういうところですよ。
どうしても勝ちたい! 毛利はね。
さあ 秀吉の圧勝で終わった
第一次鳥取城の戦いですが
互いの存亡をかけた2度目の戦いが
始まります。
第一次鳥取城の戦いから1年後。
秀吉は 総勢2万の大軍勢で
再び鳥取城へ進軍した。
一方 鳥取城に籠城したのは
周辺の避難民を含め
4, 000人ほどだったという。
鳥取市歴史博物館には
この時の戦いの様子を描いた絵図が
残されている。
天正9年の鳥取城攻めにおいて
どこに どういった武将がいたのか
っていうのを描いた絵図になります。
例えば こちらに小寺官兵衛ですね。
後の黒田官兵衛がいたりとか あるいは
羽柴秀長だったりとか あとは
総大将の秀吉のいた太閤ヶ平ですね
本陣が描かれていたりとか
全体に武将が満遍なく配置されているので
完全包囲と言ってもいいと思います。
鳥取城を完全包囲する織田方の付城群。
その要となったのが
鳥取城の背後に築かれた秀吉の本陣
後世 太閤ヶ平と名付けられた場所である。
鳥取城を包囲した秀吉は
それぞれの付城群を
土塁と堀でつないだ。
その防衛線は
なんと総延長12km以上に及んだという。
千田さんは 秀吉が築いた
本陣の本丸へと向かった。
では 中へ入っていきたいと思います。
うわ~!
いや~ すごいです!
いや~…。
そして この太閤ヶ平の
その本丸というところは…
もう体感できます。
いや~ もう 守られ感マックスです。
更に 本陣の正面に
築かれた大手道へ。
うわ~ これ すごいですね。
ここが 道の片方の端で
ちょうど こう 土手があります。
で ここから反対側ですから…。
この辺りまでですね。 この辺りまで
反対側の道の幅があります。
ですから 大体 これ 9mから
恐らく 10mほどあるですね。
なぜ 秀吉は 鳥取城を包囲するための
臨時の陣城にもかかわらず
これほど大規模な工事を行ったのか?
実はですね…
秀吉の本陣には それぞれ
櫓が設けられていたことが
分かっている。
ところが 東側の広大な突出部分には
櫓とは異なる建造物が
あったと考えられる。
千田さんは この場所に
天主が築かれていたと推測する。
秀吉はですね
太閤ヶ平の特別に張り出して
非常に複雑な形を持っているこの場所に…
推測できるというふうに思います。
秀吉が
ここに天主を築いた その理由とは?
この戦いというのが
毛利 対 織田の決戦になる
そういう計画を立てていて そのために
一連の作戦を行っていた。
そして この太閤ヶ平というのは 実は…
こうした千田さんの推測を
裏付ける史料が残されている。
秀吉が
織田方の武将に宛てた書状に こうある。
「信長公が
ご出馬を急いでおられる。
御座所の普請については 日夜
油断なく申し付けている」。
御座所とは
高貴な人の居室のことをいう。
秀吉にとっての その人とは…。
織田信長にほかならない。
鳥取の戦国史研究の第一人者
岡村吉彦さんも
織田 対 毛利の決戦が
想定されていたと考える一人だ。
秀吉自身も…
そういった史料が残っておりまして
そう考えるとですね
秀吉の鳥取城攻めにつきましては…
つまり 秀吉の目的は
鳥取城を包囲するだけにとどまらず
更に西へ向かい 国境を越え
伯耆へと侵攻するものであった。
秀吉自身は
鳥取城を攻め落とすということも
もちろん これは大事でしたけども…
その情勢が整えば…
これが
当初描いていた戦略だったと思います。
信長の書状に こうもある。
「万一 毛利輝元や
小早川隆景の
毛利本隊が
鳥取城へ出陣し
後詰めするようで
あれば
すぐに
我々も出陣し
毛利を討ち果たす
予定だ」。
毛利輝元とは 毛利家の当主であり
小早川隆景は 毛利宗家を支える
知将と知られた人物である。
岡村さんたち
地元の研究者の最新の研究成果から
秀吉の考えた作戦を推測する。
秀吉は 鳥取城を完全に包囲した後…
毛利領である西への侵攻を開始。
秀吉は 鳥取城救援のため進出している
吉川元春と激突。
秀吉のこの陽動作戦により 毛利本隊は
後詰めのために鳥取城へと向かう。
毛利本隊が進出すると
信長本隊も鳥取へ侵攻。
信長は 御座所となる
秀吉の本陣に布陣。
両軍が鳥取城を
間に対じし
やがて 織田 対 毛利の
一大決戦となる
という作戦である。
秀吉が計画した織田 対 毛利の一大決戦。
勝利を手にするのは
果たして どちらか…?
最近の研究による
新説について見てきましたが
改めて 千田さん
秀吉の戦略を解説いただけますか。
従来はですね
秀吉は この鳥取城を攻めるために
周りにですね 秀吉の軍勢で
鳥取城を囲んで
攻め落とそうとした。
そして うまく それに成功した。
これが
鳥取城の戦いだったというふうに
説明されてきたんですが
近年ですね
鳥取県史などの 研究成果によって
実際に そういうふうに見えていた
鳥取城の戦いというのは
これだけではなくて
実は 秀吉は もっと大きな構想で
この戦いを始めていたんだということが
初めて 見えてきたんです。
で こういうふうに
鳥取城が 敵の手ですね
毛利方に渡ってしまいましたので
鳥取城の周りをですね
守りは固めておいて囲んでおいて
秀吉は 更に西へ進んでいくと。
で そっちには南条氏や亀井氏という
毛利領の方ではありますが
織田に早くから
味方している侍たちがいますので
それを助けながら そして
途中にある 毛利方のお城も
どんどん落とすということで
進んでいくと。
そうしますと 当然 これはですね
吉川なんかもですね
この羽衣石城っていう
お城を囲んでいましたので
こちらで敵を引き付ける。 そうしますと
これは この辺り一帯が
織田方に このままだと取られてしまう
ってことになりますから
いよいよ 輝元も こう出てきてですね。
で そうなると
いよいよ 毛利の本隊 出てきた
ということで
信長がですね こう
畿内衆 あるいは尾張のですね
あるいは 美濃の大軍勢を率いて
鳥取城にやって来て
毛利と織田のですね 決戦になると。
何か 鳥取城をおとりに使って
毛利本隊をおびき寄せて
で 織田本隊と戦わせるってことですよね。
はい。
伊東さん
新説については どう感じましたか。
本当に魅力的な説ですよね。
秀吉だったら やりかねないなっていうね。
本当に すごいですよね。
飯田さんはいかがですか。
理にかなった作戦だなと思うんです。
で よくよく考えてみますと
これまで いわれてきた…
もともと 鳥取城そのものは
毛利方にとっては
すごく重要ですけれども 織田側にとって
これがないと 何かですね
家の運が傾くような
ものではないですから。
織田家ぐらいの大きさになってくると
やはり 事業部制の会社のように
各事業部…
更に言うと 勝ち方としても…
その意味で 毛利本隊を引っ張り出して
それを信長に討たせてやる
ということになると
もう 信長としては
天下平定といいますか…
これは もう 功績が一番ですよね。
もう 完全に
脚本が出来上がっているんですね
秀吉の中で。
うまくいったら うまく はまったら
これ以上ない台本だったはずなんだと
思うんです。
これ こうしなきゃ…
決戦しなきゃいけない理由が
信長側にもあると思うんですよ。 実はね…
これ どういうことかというと
武田は外殻の皮がかたい。
あれ ガリッて割って
中に侵入すると せいぜいクルミのかたさ。
だけど…
だから ドリルで穴を開けるのと同じで
だんだん かたくなってくるんです。
しかも 中国地方を ほら見てください。
もう いくらでも谷間があるんですよ。
あの谷間ごとに
小城を築いて みんな 郷土防衛戦で
もう死に物狂いで抵抗するんですよ。
もう1個ずつ落としていたら
時間がいくらあっても足りない。
長篠合戦が
これの 5年ぐらい前にやってて
武田軍をいっぺんに
バ~ンッて平地戦で破ったら
もう途端に調略っていって
外交工作がうまく行き始めて。
もう 武田 実際 もうボロボロですよ。
だから 長篠合戦とかで見てるような…
…考えが恐らくある。 だから ある程度
実の核心のかたい部分に近づいてきたら
第2長篠のような 平地での
信長の強さを見せつけるような
平地の決戦が
1回必要だというふうに思っていた。
でも 逆を言うと…
その中で
どうやるかということだと思います。
信長の出陣を期待し
毛利との一大決戦を準備する秀吉に
試練の時が訪れます。
秀吉の選択に迫ります。
秀吉軍は
鳥取城の西へ向かい侵攻を開始。
第二次鳥取城の戦いの始まりである。
ところが…。
毛利方の史料に こうある。
「秀吉が攻め寄せたが
毛利方の吉岡氏が
無二の覚悟で合戦に及び
羽柴軍50余りを
討ち取った」。
秀吉軍の
当初の目的であった西への侵攻は
毛利方の手ごわい反撃にあい
進軍を阻まれてしまったのである。
秀吉が西へ進軍して初めて
毛利本隊は 鳥取城へ進出する。
そして それに応じて 信長本隊も進軍し
両雄の一大決戦が行われる
という秀吉の作戦計画。
ところが
秀吉は毛利方の国衆に阻まれ
西への進軍さえ ままならない。
これから どうすればよいのか。
苦悩する秀吉の
その心の内に分け入ってみよう。
ここは 当初の計画どおり あくまで
西への進軍を諦めるべきではない。
それが成功すれば
信長様のお褒めにあずかり
大きな手柄を立てることもできる。
だが 毛利方の城は 意外に堅く
万一 それで失敗でもすれば
鳥取城の包囲が疎かになるおそれもある。
そうとなれば
あの かんが強い信長様のこと。
ただでは済むまい…。
鳥取城から西へ僅か13km。
大崎城は
秀吉軍の侵攻を阻止する要となった
毛利方の山城である。
四方にですね
土塁を築いて巡らしておりまして
こちらから
日本海が一望できますし
360度ですね 眺望がきいた
本丸だということが想像できます。
本丸は 周りを完全に土塁で囲っていて…
今回 初めて 鳥取城周辺の
毛利方の城を訪れた千田さん。
最新の防御施設に 驚きを隠せない。
ここをですね
天正9年の毛利 対 織田の戦いの時に
もし 毛利方が
こういうお城を造れていたとしたら
秀吉や信長が造っていたお城と
ほとんど もう差がないというのか…
実感できますよね。
こうした毛利方の城を攻め落とすには
時がかかる。
ここは やはり 西への進軍を諦め
鳥取城の包囲に専念すべきではないか。
鳥取城さえ陥落すれば
毛利方の武将たちも
我が方へ くみするやもしれぬ。
そうなれば 西への道も
おのずから開けるのではないか。
あくまでも
計画どおり 事を進めるべきか。
それとも 計画を諦め
鳥取城包囲に力を注ぐべきか。
秀吉に 決断の時が近づいていた。
織田 対 毛利の一大決戦を行うべく
作戦計画を進める秀吉ですが
信長の援軍も来ず
苦しい立場に迫られます。
苦悩する秀吉に選択の時が訪れました。
選択1は…
そして 選択2は…
皆さんが当時の秀吉の立場だったら
どちらを選択するでしょうか。
まずは伊東さん どちらを選択しますか。
はい。
私は2の 計画を諦め
城攻めに専念するを選択します。
やはり
ここは手堅く 進めていくべきだと
やっぱり強敵 毛利ですから
まあ ギャンブル的なことはやらずに
鳥取城を攻略すべきだと。
まあ この時代…
その一つの流れを作るのに
鳥取城攻略というのは
非常に重要だったなということが
言えると思います。
それと ちょっとの実績でも
上げておくということがすごく大事で。
自分が功を上げることによって
働いてますよっていうのを
示すことも大事なんで。
そういった意味で
ここは確実に一歩進むために
鳥取城攻略というのを
優先した方がいいと思います。
はい。
千田さんはどちらを選択しますか。
はい。 私は2の 計画を諦め
城攻めに専念するを
選びたいと思います。
先ほどVTRにありましたように
毛利方もですね
ただ手をこまねいていた
だけではなくって
まさに当時最先端の城づくりの知識を
最前線のお城につぎ込んで
非常に強力な軍事要塞化っていうのを
進めていましたので
その毛利に
従っている地侍たちにしてみれば
自分のお城が奪われてしまえば
命が失われるだけじゃなくて
領地も何もかも失ってしまうと。
もう まさに必死の思いで
それぞれの要塞に籠もって
戦っていまして…
いくつか落としたとしても
もう だんだん軍勢が少なくなって
けが人が多くなってっていうところに
いよいよ
毛利 出てきたっていうことになれば
これは もう敵中孤立でありますから
もう鳥取城を攻めるどころではないと。
飯田さんは どちらを選択しますか。
私は 1の一大決戦の方で
いきたいと思うんですけれど。
よく 新興企業
急成長企業で起きるのが
業績のインフレーションというものです。
例えば 会社が始まった時は
赤字じゃなかったということに
喜べている
そして 大きくなってきたら
支店が3つ4つになったことを
喜んでいるのに どんどん大きくなると
支店 何十個出して 当然
地域のシェアトップ 当たり前
グローバルシェアは… っていうふうに
どんどん目線が高くなっていくんですね。
で この膨張スピードに
耐えられなくなって
まあ 倒れていく
新興企業っていうのもあるんですが
だからこそ 仮にこれが
秀吉が後の豊臣秀吉だったら
当然 計画を諦めて
城攻めに専念すべきだと思うんですが
この場合 まだ秀吉は使われる身だと
正直 鳥取城をこれだけの兵力差で
落としたということ
これは もしかしたら業績として
認識されないかもしれないと
当然のことを
当然のようにやっただけだろうと。
できれば なんとかして
この一大決戦ルートに
毛利を進ませないと
正直 殊勲甲ではないと
結構これ 織田軍団の難しそうな というか
面倒くさい上司だと思うんですけど
殊勲甲じゃなきゃ0点みたいな
評価をされてしまうと
怖いなあと思うんですよね。
ああ 確かに。
う~ん なるほど。
皆さんの意見 出そろいました。
磯田さんは いかがでしょうか。
僕ねえ 計画を諦め
城攻めに専念するを選びます。
なぜか? この段階での秀吉は
野戦とかでの決戦での 勝ちぐせが
まだついてないと思うんですよ。
この段階だとね 滋賀の長浜とね
兵庫 播磨地方の連合軍にすぎず…。
彼ら 強い鬼のような指揮官が
たくさんの領地を持って
子分を鍛えて前線に並べるという状態に
まだなってないんで。
数千石とか千石とか
そんなクラスでしょう。
それだと さっきVTRで見たように
鳥取の吉岡さんみたいな豪族に
いきなり襲われて 一説によると
これは書き過ぎだと思うんだけど
ひょうたんの馬印を奪われて
逃げたとかいうんでしょ。
そんな体たらくの秀吉が
兵を2つに分けて 秀吉単独で
鳥取城を囲んでるグループと
深入りするグループで
前へ前へ進んでいったら
私ね 下手したら
秀吉 戦死もありえるんじゃないかと
思うんです。 ええ~ そんなに?
だから 止めます 私は。 ああ~ そうかあ。
いくら黒田官兵衛ついてても
ちょっと危険すぎる。
伊東さん今の 皆さんの意見も含めて
どのように感じますか。
飯田さんが さっきおっしゃっていた
武功のインフレーションというのが
非常に面白いなあと思いましたね。
まあ 確かに そうだなあというのは
非常にうなずけますよね。
そうですよねえ。
そうすることによって 更に
秀吉の地位っていうのを織田家中で
ステップアップしていくっていう
そのギャンブルを
するかどうかっていうのが
非常に難しい判断なんだって
すごい感じましたね。
おっしゃることは もっともなんですよ。
僕が慎重すぎるのかもしれない。
ああ~。
意外と 秀吉軍って動き活発だから…
怖いなあ~ でも。 うん。
フフフ。
飯田さん いかがですか。
唯一の1 選択1ですけれど。
これが「英雄たちの選択」の
難しいところで
英雄 信長の選択だったら
そんな無理する必要ない。
だって
どっちに転んだっていい戦いです。
つまりは 鳥取城が落ちて
領土が広がってもよし
一大決戦でもよし。 で 一方で…
で 秀吉だからこそ そして…
だからこそ これって
信長の選択なのか秀吉の選択なのかで
全くその難易度が変わってくる。
そして 中間管理職の選択が
一番難しいっていうことが
分かるんですよね。
確かに あれですよね 今回は秀吉が
一度その前に 鳥取城を攻め落として
織田のお城になりましたって
やったあ~っていって帰ったら
はい 毛利のお城に戻りました~
っていうことで
ちょっと 何て言うのか…。
ああ なるほどね。
う~ん 信長様に ちょっと何て言うか
もう恥ずかしくて
顔向けできませんっていう状況ですから
そういった意味では
背水の陣ですよね。
ああ~ そっか。
明確な武功を やっぱり
挙げる必要はあるかもしれないと。
西へ向かった秀吉は
毛利方の思わぬ反撃に遭い
なんと 3度も敗北を喫したという。
秀吉の西への進出は果たされず
そのため毛利本隊は動かず
信長の進出も頓挫した。
秀吉は やむなく鳥取城の包囲に専念し
兵糧攻めを選択した。
やはり この千代川そして日本海ですね
城内に食料や軍事物資を運び込む
この流通路を
どちらが 確保するかというのが
一番のポイントを握っていました。
そこでまず 毛利軍ですね
この流通路をおさえるために築いた
丸山城っていうお城がありました。
吉川経家は このお城を保つためには…
…っていうことを ズバリ見抜いていて
その流通路をしっかり確保する
そういった出城を造って
守りを固めていたということが
分かります。
しかし それに対して秀吉は
更に その先ですね
この丸山城よりも
更に先の 川と海の接点の所で
まさに織田方 秀吉方の砦を造って
丸山城まで
物資が運び込まれるというのを
防いでいくという そういった作戦を
更に とったということが分かります。
秀吉軍の鉄壁な包囲戦により
鳥取城内では餓死者が続出。
悲惨な状況に追い込まれていた。
一方 鳥取城包囲戦に計画変更した
秀吉軍もまた
毛利軍と同じく
兵糧不足に悩まされていたのである。
こうした秀吉の窮状を知った信長は
「味方の城へ兵糧を
確実に入れておけ」と
船で兵糧を
届けさせたという。
両軍の我慢比べの決着がついたのが
10月下旬。
兵糧が先に尽きた…
鳥取城は ついに陥落したのである。
最終的には…
それは あくまで いわば…
最小限の戦果であった
というふうに
考えられるんではないかなと思います。
その5か月後。
秀吉は 織田方の大名 宇喜多氏と共に
山陽方面の毛利方の城を攻略した。
三木城 鳥取城に続く
秀吉の三大城攻めの一つ
備中高松城の水攻めである。
鳥取城の戦いを進化させた
この包囲戦は
水を利用した兵糧攻めであった。
それに応じた…
ところが…。
山陽方面に向かうため
京に滞在していた信長を悲劇が襲う。
秀吉の企てた織田 対 毛利の一大決戦は
ついに幻と化したのである。
結局 織田 対 毛利の一大決戦は
実現することなく
秀吉は 鳥取城の包囲戦を選択した
ということになりました。
伊東さん いかがでしょうか。
私は この戦いは
秀吉の強さが
遺憾なく発揮された戦いだと思います。
つまり 戦わない強さですね。
秀吉っていうのは非常に賢い人間で
やはり 自分の軍の損耗っていうのを
非常に意識している。
損耗させないようにしていこうと。
後の備中高松城攻めの時も
水攻めで 落としたわけですよね。
それに対して 例えば…
そうなってくると そのあとの…
ところが 秀吉は大返しで
一気に明智勢を討ってしまうと。
それによって 天下の帰すうが
決まってしまうということで。
まあ ここに来て…
飯田さんは この鳥取城の戦いを
どのように考えますか。
まあ 実際…
だからこそ この鳥取城攻めの時に
果たせなかったことを
満を持してやったのが備中高松だったと。
まあ 歴史って不思議なもんで
そのせいで
信長は 本能寺にとう留してしまうので。
その一方で
これを織田家という勢力で考えた場合
残された時間が長い または
時が味方をしてくれるのは織田の方。
だからこそ 鳥取城攻めって
織田家の戦略としても賢くて
もちろん…
で 更には…
だからこそ…
恐らく
出てきたくなかったと思うんですよ。
出てきたら 織田家の方が
軍勢 多いんですから 圧倒的に。
で それを選ばざるをえない
ところまで追い込んでいく。
ず~っとね
これ 時間 稼いでいるんですよ。
決戦を避けながら 毛利は。
丹波から光秀が出てくれる場合が
あるんですよ!
丹波から光秀が出たんですよ!
それで本能寺で信長を襲ってくれて。
こうなったらですよ。 やった!
ここだ! 秀吉と早く手を結ぶのはと。
手を結びます。 結んで追撃戦。
秀吉を追撃しません! 恩を売ります。
そして…
ああ~ すごい!
何事も じゃあ 一大決戦をする
何でも そうするべきでもないですね。
さあ
今回は 千田さんが提唱する新しい説で
この鳥取城の戦いを見てきましたが
千田さん 改めて現地も訪れて
どのようなことを感じましたか。
あの~ 今までですね…
そういうふうに いろんなところにも
書かれてきましたけれども
実は そこには 秀吉にも
大きな挫折がありですね
また 毛利の側もですね いかに
決戦しないかというところで言うと
実に いろんな犠牲を払いましたし
失ったものは大きかったんですけれども
その戦略を達成したということで 実は
見るべきところがあったというのか
今まで評価されてきませんでしたが…
まさに あの
鳥取城を巡る戦いっていうのは
単に鳥取城を巡る
そのどちらが取るかではなくって…
改めて これ 評価できるんじゃないか
というふうに思いました。
磯田さん。 今回は
新説で この鳥取城の戦いを見てきました。
新しい姿が
見えてきた気もしますけれど。
僕 毛利はね この時 決戦を避けて
時間が ある程度
味方だと思ってたんじゃないかと
思うんです。
だって…
それで恨みも買ってます 信長は。
さんざんな虐殺を
この天正の6 7 8 9ぐらいの
この数年でね。
で 急速に信長が恨みを買って
評判も落ちて いろんなもんが
こう聞こえてきてたはずですよ。
そうすると…
それで 後退していけばいくほど
かたい自分たちの
非常に毛利に忠誠度が高い防衛圏に
入ってくるわけですから。
やっぱり…
だから 何事も見る時に 焦るでなく
何か ズルズル引き延ばすでなく
これは 時間が味方か敵か。
気の長いが得になるのか
気の長いが損になるのか。
それはね よく見て
判断した方がいいなあというのは
この史実から
もう思い知らされました 今日 僕は。
今日は 一応 秀吉の選択が
メインテーマだったんですけれど
何か毛利のすごさも
一方で感じましたね。 ねえ。
皆さん 今日は ありがとうございました。
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