市丸少将は、地下20メートルの洞穴に動けるものを全員集め訓示をした。次に間瀬式次中佐が一歩前に出て、市丸提督よりルーズベルト大統領にあてた抗議文を読み上げた。朗読がすむと、この抗議文の和文のほうは通信将校の村上大尉が腹に巻きつけ、英文に訳したものは赤田邦夫中佐(27航戦参謀)が身につけた。この「抗議文」は後になって米海兵隊員の手で二人の死体から発見された。現在はアナポリスの海軍兵学校の博物館にある。
(典拠:「死闘/硫黄島・沖縄」堀江芳孝著 昭和48年4月10日3版発行 学習研究社刊ー著者の堀江芳孝氏は元陸海軍の連絡参謀)
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